ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化』 柴田治三郎 訳 (世界の名著 45)

「ブルクハルトは、過去の文化に隠れ家を見いだしたが、現在は信ぜず、未来にはどうしても希望をかけることのできない悲観論者であった。」
(柴田治三郎 「歴史家ブルクハルトの人と思想」 より)


『世界の名著 45
ブルクハルト』
イタリア・ルネサンスの文化
責任編集: 柴田治三郎


中央公論社
昭和41年12月10日 初版印刷
昭和41年12月20日 初版発行
590p 口絵(カラー/モノクロ)2葉
17.6×12.8cm 
丸背クロス装上製本 貼函
本体ビニールカバー
函プラカバー
定価480円
装幀: 中林洋子



図版(モノクロ)多数。地図2点。


ブルクハルト イタリアルネサンスの文化 01


帯裏文:

「世界史上、ルネサンスほど燦然たる人間個性を謳い上げて感動的な諸世紀はない。十九世紀最高の歴史家ブルクハルトは、イタリア・ルネサンスの国家・社会・芸術・宗教などその文化の全貌を精細に描出して、鋭く二十世紀文明の状況を透察する。平明な新訳と豊富な図版による全訳決定版!」


目次:

歴史家ブルクハルトの人と思想 (柴田治三郎)
 ブルクハルトの生活と著作
 ブルクハルトの思想の形成
 ブルクハルトの歴史認識
 本書の特質
 本書の成立と受容
 現代とブルクハルト
 後記

イタリア・ルネサンスの文化 一試論
 Ⅰ 芸術作品としての国家
  序論
  十四世紀の専制君主
  十五世紀の専制君主
  群小専制君主
  比較的大きな諸君侯
  専制政治への対抗者
  共和国
  十四世紀以降の外交政策
  芸術作品としての戦争
  教皇権とその危険
  愛国者のイタリア
 Ⅱ 個人の発展
  イタリア国家と個人
  人格の完成
  近代的名声
  近代的な嘲笑と機知
 Ⅲ 古代の復活
  前置き
  廃墟の都市ローマ
  古代の著作者
  十四世紀の人文主義
  大学および学校
  人文主義の促進者
  古代の再生、書簡文
  ラテン語の演説
  ラテン語の論文と歴史
  教養の一般的なラテン化
  新ラテン語詩
  十六世紀における人文主義者の没落
 Ⅳ 世界と人間の発見
  イタリア人の旅行
  イタリアにおける自然科学
  風景美の発見
  人間の発見
  詩における精神的描写
  伝記文学
  国民と都市の性格描写
  人間の外面の描写
  動的な生活の描写
 Ⅴ 社交と祝祭
  身分の平等化
  生活の外面的洗練
  社交の基礎としての言語
  高級な社交形式
  完全な社交人
  婦人の地位
  家庭
  祝祭
 Ⅵ 風俗と宗教
  道徳性
  日常生活における宗教
  宗教とルネサンスの精神
  古代的迷信と近代的迷信のもつれあい
  信仰一般の動揺

年譜
索引



ブルクハルト イタリアルネサンスの文化 02



◆本書より◆


「Ⅰ 芸術作品としての国家」より:

「ジョヴァン・マリーアもまた、その犬どもで有名である。犬といっても猟犬ではなくて、人間を引き裂くようにしこまれた動物であり、その呼び名は、皇帝ヴァレンティニアヌス一世の熊(くま)たちの名前のように、われわれに伝えられている。一四〇九年五月、戦争がまだつづいているあいだに、飢えた民衆が路上でジョヴァンに向かって、「平和(パーチェ)! 平和(パーチェ)!」と叫ぶと、ジョヴァンは傭兵(ようへい)を切りこませ、二百人の人間を殺した。それ以後は、平和(パーチェ)と戦争(グエラ)の語を発することを禁じ、犯す者は絞首刑に処した。司祭すら、「われらに平和を与えたまえ」のかわりに、「平安を(トランクィルリタス)」と言うように、指示された。」

「むかしある市――シエーナのことだという――の市民たちが、その市を敵の圧迫から解放してくれた将軍をもっていた。市民たちは毎日、どのようにして将軍をねぎらったらよいか評議した。そして、かれらがたとえ将軍を市の支配者にしたとしても、かれらの力で与えうる報酬は十分というわけにゆかないと判断した。とうとう一人の市民が立ちあがって、「将軍を殺し、そのうえで市の聖者としてあがめようではないか」と言った。そこで将軍は、ローマの元老院がロムルスをあつかったとほぼ同様に、あつかわれたという。
 じっさい傭兵隊長は、だれよりも自分の雇用主に、用心しなければならなかった。かれらは戦いに成功すれば危険視されて、ロベルト・マラテスタが、教皇シクストゥス四世のために戦って勝利を得た〔一四八二年〕直後消されたのと同様に、処理された。」

「警護の十分な専制君主を捕えることは、儀式ばった教会まいり以外の場所では、ほとんど不可能だったし、さらに、君侯の一門全部は他の機会では寄り集まることがなかった。そこで、ファブリアーノ市民はその暴君一族キャヴェリを、荘厳ミサのあいだに、しかもクレドの「そして人間となりたもう」という呼びかけを合図に殺害した〔一四三五年〕。ミラノでは、ジョヴァン・マリーア・ヴィスコンティ公が聖ゴッタルド教会の入口で〔一四一二年〕、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ公は聖ステーファノ教会の中で殺された〔一四七六年〕。ロドヴィーコ・モーロはある時〔一四八四年〕、夫を失った公妃ボーナの一味の短剣を、わずかに、聖アンブロージウス教会に刺客が予期していたのとちがった入口からはいることによって、のがれた。
 そのさいかれらとしては、かくべつ不敬のつもりはなかった。ガレアッツォの刺客は、行為の前にその教会の聖壇に祈りをささげ、そこで最初のミサまで聴いた。」



「Ⅱ 個人の発展」より:

「才知ゆたかな亡命者たちの中に発展した世界主義(コスモポリテイスム)は、個人主義の一つの最高段階である。すでに述べたように、ダンテは、イタリアの言語と文化に、一つの新しい故郷を見いだすのであるが、しかしそれどころか、「私の故郷はおよそ世界である」と言っている。――そして不名誉な条件のもとに、フィレンツェへの帰国が申し出された時、次のような返事を書いている。
 「私はどこにいても、太陽や星の光が眺められないでしょうか。どこにいても、もっとも高貴な真理について、瞑想(めいそう)することができないでしょうか。そのためわざわざ名声を捨て、屈辱にあまんじて、故郷の市と市民の前に姿を現わすまでもなく、パンにこと欠くことはさらさらありません」
 さらに芸術家たちもまた、昂然(こうぜん)たる反抗をもって、土地の強制からの自由を強調する。」



「Ⅲ 古代の復活」より:

「一四八五年四月十八日に、次のようなことが起こった。古代ローマの少女の、ふしぎなくらい美しい、しかもよく保存された死体が発見されたといううわさがひろまったのである。カエキリア・メテラの墓の外側の、アッピア街道にそった聖マリーア・ヌオヴァ修道院の地所内で、古代の墓標を掘りおこしていたロンバルディアの石工たちが、「クラウディウスの娘ユリア」という銘があると称する大理石の石棺を見つけた。」
「ロンバルディアの石工たちは、死体の装飾や副葬品として石棺に入れてあった財宝と宝石類をもって、ただちに姿を消した。死体は防腐剤を塗られて、いかにもみずみずしく、今死んだばかりの十五歳の少女のようで、今にも動き出しそうに見えた。さらに、目と口をなかば開いて、まったくまだ生きているような色つやだとさえ言われた。
 人々はそれを、カピトールの丘のコンセルヴァトーリ宮殿に移した。そしてそこへ向かって、それを見るための、まったくの順礼が始まった。それを写しとろうとする人も、たくさん集まった。
 「じっさいそれは、口でも筆でも言い表わされないほど、美しかった。そしてそれを話したり書いたりしても、自分の目で見ない者には信じられないであろう」
 しかしそれはインノケンティウス八世の命令で、夜のうちにピンチアーナ門の外の、ある秘密の場所に、埋められなければならなかった。コンセルヴァトーリ宮殿の大広間には、からの石棺だけが残っていた。」
「この事件で人の心を動かすのは、事実そのものではなくて、人々がついにここで現実に目の前に見ていると信じた古代の肉体が、現在生きているすべてのものよりもどうしても立派なはずだと、かたく思いこんでいたということである。
 そのあいだにも古代ローマの客観的な知識が、発掘によって増大した。」



「Ⅳ 世界と人間の発見」より:

「しかし十五世紀の末にはすでに、あちらこちらの王侯の中庭に、身分相応の贅沢(ぜいたく)として、本物の動物園があった。「馬、犬、らば、はいたかその他の鳥、宮廷道化師、歌手および異国の動物は、主君の贅沢の一部である」と、マタラッツォは言っている。ナポリの動物園は、フェランテ王の治世に、なかんずくバグダッドの当時の君主からの贈り物たる一頭のきりんと一頭のしま馬をもっていたらしい。
 フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティは、五百金、いな一千金をもって購(あがな)われた馬や、高価なイギリス犬のみならず、東洋全体から集められた多数の豹を所有していた。北ヨーロッパから捜し集めさせた猟禽(りょうきん)の飼育に、月々三千金を費やした。ポルトガルのマヌエル大王は、自分が教皇レオ十世に一頭の象と一頭の犀(さい)を贈った時、どんな効果があるものか、よく知っていた。そうこうするうちに、科学的な動物学の基礎が、植物学の基礎と同様に、すでに築かれていた。」



「Ⅴ 社交と祝祭」より:

「ヴェネツィアの祝祭では、馬車のかわりに舟遊びが、ふしぎな、幻想的な壮麗さを展開した。一四九一年フェラーラの公妃たちを迎えるため漕(こ)ぎ出された豪華船は、まったくおとぎ話めいた見ものとして、われわれに描写される。
 その船の先触れをするのは、派手な衣装をつけた若者を乗り組ませ、毛氈(もうせん)と花綱で飾られた無数の船である。あたりには神々の持物をもった霊たちが、宙づり仕掛けに乗って飛びかっていた。はるか下にはトリトンやニンフの姿をした他の霊がむらがっていた。いたるところに歌と芳香があり、金糸で縫いとりした旗がはためいていた。やがて豪華船の後にはあらゆる種類の軽舟の群れがつづき、一マイル先までも海面がもはや見えないくらいであった。
 その他の祝祭のうちでは、前にすでにあげた無言劇のほかに、五十人のたくましい少女たちのボート競漕が、目新しいものとしてとくにとりあげる値打ちがある。十六世紀には、貴族は祝祭挙行のために特別な団体に分かれていた。そしてその主な出し物は、船にのせた何か巨大な装置であった。たとえば一五四一年、センピテルニ(永遠なるものたちの意)の祭りには、大運河をまるい「宇宙」が通り、それのあけっぱなしの内部でははなやかな舞踏会が行なわれていた。
 謝肉祭も、この地では、舞踏会や行列やあらゆる種類の催し物で有名だった。」



「Ⅵ 風俗と宗教」より:

「イタリアは、魔神については中世のすべての国民と同じ民間の見解で満たされていた。神はあらゆる階級の悪霊に、世界と人間生活の個々の部分にたいして、しばしば大きく破壊作用を及ぼすのを許すのだと、人々は信じて疑わなかった。ただ人々がこれにつけた唯一の条件は、魔神が誘惑者になって近づく時、人間はすくなくとも自由意志をもってこれに抵抗することができる、ということであった。イタリアでは、とくに自然現象の魔神的要素が民衆の口にのぼって、詩的な偉大さをもつようになる。
 一三三三年に起こったアルノ川流域の大洪水の前夜、ヴァロンブローザの上部に住む聖なる隠者たちの一人が、その小房ですさまじい物音を聞き、十字を切って、戸口に出ると、武器をたずさえた黒衣の恐ろしい騎者たちが疾駆して通り過ぎるのを見た。隠者が呪文を唱えると、騎者の一人が立ちどまって、「われわれは、これから行って、神がお許しになるならば、フィレンツェ市を、その犯した罪のために、水浸しにするのです」と説明した。
 われわれはこれを、ほとんど同じころにヴェネツィアで起こった幻像〔一三四〇年〕と、比較することができる。それをもとにしてヴェネツィア派の巨匠の一人、おそらくジョルジョーネが、あのふしぎな絵を製作した。すあんわち、魔神を満載したガレー船が鳥のような速さで嵐の潟を疾走し、罪の深い島の町を滅ぼしにゆく、しかしついに、一人のまずしい水夫の小舟にこっそり乗りこんでいた三人の聖者が、呪文をもって魔物たちとその船を水底に沈めてしまった。」



「歴史家ブルクハルトの人と思想」(柴田治三郎)より:

「ブルクハルトの直観体験は、静態的であり具象的である。(中略)かれは歴史を、(中略)安定した規則性として、直観しうる同一のもの、恒常のもの、類型的なもの、たえず反復するもの、として見る。そして、直観することによって、歴史の中に発展ではなく、反復を見いだす。それゆえ、ヘーゲルのように人類の進歩を信じる歴史哲学者たちとは、まったく違った考え方をする。」

「かれは早くから、個々人の価値を確信していた。個々人、すなわち価値のある個々人には、思考と行動において、その自由な発展に、国家を楯(たて)にとって強制の加えられることがあってはならない。個性の自律的な発展こそが、真の文化に通ずる唯一のものである。――この思想をブルクハルトは晩年まで堅持した。」

「ブルクハルトは、すでに五十歳になってから「遁世(とんせい)者」グリルパルツァーの戯曲、自伝その他あらゆる種類の記録を読み、そのように隠遁(いんとん)が後世にとってどんなに有用なものになりうるかということに、「驚きをもって」気づいた。」

「かれは静的なものを直観する資質によって、変化の中でひとしくとどまるもの、反復するもの、類型的なものに目を向け、(中略)種々の異なった発現形式の背後に、その文化の特別な精神、いつも変えられているだけで実は同じ声を聞かせる精神を、探り出す。」

「静的な画像を得ようとするブルクハルトの努力は、いわば没時間的な「視点」において、歴史的に考えられたことや欲せられたことの流れを、せきとめる。」

「ブルクハルトは、歴史を本質的に静止の相において眺めるので、事物の現われ方や人々の考え方の歴史的な発展のことは、あまり気にかけない。(中略)現実には非常に多様な部分と段階から成りたっているものを、統一的な、対象的な全体として、総括し把握する。そのため、時には意識的に単純化することもある。イタリア・ルネサンスの発展史的経過は、かれの叙述では、最初からほとんど重きをなさないのである。」

「かれは、たえず移り変わる現象の中に、類型的なもの、本質的なもの、不変恒常の特性を見いだそうとするのである。」

「ブルクハルトは、(中略)歴史の中の普遍的なもの、永遠なものを読みとろうとする。

  移ろってゆくものすべては
  一つの比喩(ひゆ)にすぎない

と歌った(『ファウスト』第二部の終わり)ゲーテとおなじく、ブルクハルトは、経験と実在を、永遠なるものの証左と見るのである。」

「ブルクハルトは、過去の文化に隠れ家を見いだしたが、現在は信ぜず、未来にはどうしても希望をかけることのできない悲観論者であった。」
































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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