柴田宵曲 『俳諧随筆 蕉門の人々』 (岩波文庫)

柴田宵曲 
『俳諧随筆 
蕉門の人々』
 
岩波文庫 緑/31-106-2 

岩波書店
1986年1月16日 第1刷発行
317p 編集付記・表記について1p
文庫判 並装 
定価500円



本書「はしがき」より:

「本書の内容は昭和十一年七月以来、野村泊月氏の主宰する雑誌『桐の葉』に連載したものである。」


本書「編集付記」より:

「本書の底本には、『俳諧随筆 蕉門の人々』(一九四〇年十二月、三省堂)を使用し(中略)た。」


柴田宵曲 蕉門の人々


帯文:

「其角、嵐雪、凡兆、去来、丈艸ら、師芭蕉に親炙した9人の弟子たちが、作品を通してくっきりと描き出される。」


目次:

はしがき

其角
嵐雪
惟然
凡兆
去来
丈艸
史邦
木導
一笑

『蕉門の人々』を読む (森銑三)




◆本書より◆


「其角」より:

「其角の句が難解であるについては、いろいろな理由が挙げられている。彼は都会詩人の通有性として、悠久な自然よりも、うつろいやすい人事の上に興味を持っていたため、その句にも人事を材としたものが多い。当時なら容易にわかる事柄でも、時代を隔てればわからなくなる、というのもその一つである。」
「其角は俳人一流の雑学で、和歌といわず、漢詩といわず、物語といわず、謡曲狂言といわず、手に任せて自家薬籠中のものとしているから、その典拠を突止めないと解釈し得ぬものが多い。由来(ゆらい)人の読んだ本の出所というものは見当のつけにくいものである。其角が縦横に駆使した材料を調べるには、どうしても其角以上の博識者に俟(ま)たなければならぬ。作者は一人、後世の読者は無数だから、各方面から次第に種が挙って来るようなものの、其角はその種を使用するに当って、必ずしも尋常一様の手段を用いていない。その種を巧に伏せて、すました顔をしているということも、彼の句を難解ならしむる一理由となっている。
 以上の二点のみを以てするも、其角の句の解釈は容易でない。しかも更に難物なのは、彼が蕉門随一の名人として好んで危きに遊ぶことである。其角が天稟(てんぴん)の才を擅(ほしいまま)にして危きに遊ぶ時、当時の風俗も、書中の典拠も、一種の光を生じ来ることは事実であるが、同時にその句を益〃難解ならしむるのは、固(もと)より当然のところであろう。」
「其角の危きに遊ぶ消息については、どうしてもその句を挙げなければならぬ。(中略)さし当り先ず芭蕉の遺語に現れたところを挙げて置こう。
    きられたる夢はまことか蚤の跡  其角
  去来(きょらい)師に対して、其角は殊に作者にて侍(はべ)る、わづかに蚤の喰付たることを誰か斯(か)くは云ひ尽さんと云ふ。師曰(いわく)しかり、かれは定家の卿なり、さしてもなき事をことごとしく云つらね侍ると聞えし評詳(つまびらか)なるに似たり。
 この句は其角が母の喪(も)に籠っていた元禄三年六月十六日の作で、「怖(おそろしき)夢を見て」という前書がある。『五元集(ごげんしゅう)』の前書に「いきげさにずでんどうとうちはなされたるがさめて後」とあるのは、自らその夢の内容を詳にしたのであろう。実際のところは悪夢から覚めて後、身体に蚤の食った跡を見た、というまでで、生袈裟(いきげさ)に斬放(きりはな)された夢と、蚤の跡とは直接何の関係もあるわけではあるまい。ただ平凡に甘んぜざる其角は、悪夢を見、また蚤の跡を見るという小さな事実を、頭から打ちおろすような調子で、この一句に仕立てたのである。」




◆感想◆


ここで著者が「実際のところは悪夢から覚めて後、身体に蚤の食った跡を見た、というまでで、生袈裟に斬放された夢と、蚤の跡とは直接何の関係もあるわけではあるまい」といっているのはどうかとおもいます。なぜなら、其角がいっているのは、斬られた夢と蚤の跡とは直接関係がある――蚤に食われるという現実の体験=「まこと」をきっかけとして「きられたる夢」が生じたのであり、現実の刺激が夢の原因になっている、ということだからです。

フロイトの『夢判断』にアルフレッド・モーリーが見た「ギロチンの夢」への言及があります。「彼は断頭台に上る。刑吏が彼を板に縛りつける。板がくるりと返る。ギロチンの刃が落ちる。彼は首が胴体から離れるのを感じて、怖ろしさのあまり眼を覚ました。すると――ベッドの板が落ちて、ちょうどギロチンの刃そのままに彼の頚椎(けいつい)にあたったことがわかった。」(高橋義孝訳、新潮文庫)。
モーリーはまた著書『眠りと夢』(Le Sommeil et les rêves)で、デカルトの夢に言及していますが、それは「蚤の一刺しがデカルトに剣で貫かれた夢を見させた」(La piqûre d'une puce fit rêver à Descartes qu'il était percé d'un coup d'épée.)というものです。まさに其角の句そのままではありませんか。

『芭蕉門名家句選』(堀切実編注、岩波文庫)でも「夢はまことか」に「それにしても夢にしてはなんとなまなましい実感があったことか、というのである」などと注をつけているところをみると、国文学界は前近代的(デカルト以前)だといわざるを得ないです。



























































































































































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