多田智満子 『十五歳の桃源郷』

「しかしヒト科以外のあらゆる動物に共通の見地からすれば、人間がこれまであくせくと働き、考え、築きあげてきたことは全部ムダなことなのである。ムダどころか、地上のあらゆる生物に対して、ずいぶんひどいことばかりしてきたのである。」
(多田智満子 「横目で見る犬」 より)


多田智満子 
『十五歳の桃源郷』


人文書院 
2000年9月1日 初版第1刷印刷
2000年9月5日 初版第1刷発行
200p 初出紙誌一覧3p 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,600円+税



本書「あとがき」より:

「あまり物を書かぬ人間でも、何十年も生きているうちには、おりにふれ需(もと)めに応じて書いた雑文のたぐいがけっこう溜まってくる。まるで言葉の落葉が心の庭にふりつもっているようで、死ぬ前に一度掃除をしておきたくなった。」


多田智満子 十五歳の桃源郷 01


帯文:

「詩人はいつから詩人になるのだろう
心の庭にふりつもる言葉の落葉から
おのずと立ちあらわれる
美しくもしなやかな《詩人の魂》」



目次 (初出):


 十五歳の桃源郷 (FRONT 1990年1月号 (株)リバーフロント)
 私がものを書きはじめた頃 (多田智満子詩集 『季霊』 1983年6月 沖積舎)
 一冊だけのマラルメ (『マラルメ全集 Ⅳ』 月報 1991年夏 筑摩書房)
 かもめの水兵さん (季刊音楽教育研究 六〇号 1989年 音楽之友社)
 胡瓜の舟 (飛ぶ教室 22 1987年)
 年を重ねる (産経新聞 1993年1月11日)
 宛先不明 (郵政 1986年1月号 財団法人郵政弘済会)


 ミシガンの休日 一九八六年 (原題: ホリデー・イン・ミシガン/神戸新聞 1986年6月14日~7月12日)
 「カレワラ」の国を訪ねて (読売新聞 1987年7月23日夕刊)
 フィヨルドの国にて (花と休日 1989年春号 世界文化社)


 坂のある町 (L&G 1994年10月号 (株)パッセンジャーズ・サービス)
 ラブホテルの利用法 (文学界 1994年4月号 文藝春秋社)
 「ましてや爺さん」の思想 (読売新聞 1995年2月20日夕刊)


 けだものの声 (神戸新聞 1984年7月8日)
 犬の勲章 (神戸新聞 1979年6月13日)
 横目で見る犬 (原題: 罪を背負いこんだヒト/産経新聞 1989年9月7日)
 仔犬のいる風景 (月刊 神戸っ子 1981年12月号)
 犬のいない庭 (母の友 1998年3月号 福音館書店)
 犬のことなど
  ノミ狩り (神戸新聞 1987年1月9日)
  待っている犬 (神戸新聞 1987年6月26日)
  リスの綱渡り (神戸新聞 1987年5月29日)
  猫は魔女? (神戸新聞 1987年4月3日)
  不吉な犬 (神戸新聞 1987年5月1日)
  ダンゴ虫たち (神戸新聞 1982年7月6日)


 旅人のひとりごと (西脇順三郎全集 第九巻 月報 1972年 筑摩書房)
 ユートピアとしての澁澤龍彦 (ビブリオテカ澁澤龍彦 第一巻 月報 1979年 白水社)
 『未定』このかた (幻想文学別冊 《澁澤龍彦スペシャル》 1988年秋)
 イルカに乗った澁澤龍彦 (澁澤龍彦事典 1996年4月 平凡社)
 鏡 (太陽 1991年4月号 澁澤龍彦の世界 平凡社)
 アスフォデロスの野 (文芸別冊 須賀敦子追悼特集 1998年11月 河出書房新社)
 冠と竪琴の作家 (読売新聞 1980年3月21日)
 ハドリアヌスとの出会い (海燕 掲載号不明 福武書店)
 「ハドリアヌス帝の回想」紀行 (中央公論 1991年12月号)
 この空間を支えるもの (鷲巣繁男遺稿集 『神聖空間』 1983年 春秋社 所収)
 もう電話はかかってこない (歴程 1982年12月号 歴程社)
 詩人の曳く影の深さ (三田文学 1999年春季号)
 異類の人 (多留保集第五巻 『キネマの月巷に昇る春なれば』 1975年 潮出版社 所収)



「I」は回想。
「II」は紀行。
「III」は著者の地元・神戸について。震災について。
「IV」は飼犬や身近な動物について。
「V」は作家論。西脇順三郎、澁澤龍彦、須賀敦子、ユルスナール、鷲巣繁男、稲垣足穂について。


多田智満子 十五歳の桃源郷 02



◆本書より◆


「十五歳の桃源郷」より:

「今にして思えば、一九四五年の春から秋まで、愛知(えち)川のほとりで暮した私は、一種の桃源郷を体験していたのである。」
「学校へ行く必要もなく、井戸の水汲みといった単純な日常の仕事のほかには、これといってしなければならない用事もなく、青田に風が渡るのを眺め、蛙が鳴きしきるのを聴き、散歩に出ては林のなかにしゃがみこんで、茸(きのこ)が茶色の帽子をもちあげるのを眺めていればよかった。時間はゆるやかに流れ、せわしく秒を刻む時計の音はきこえてこなかった。修羅道と餓鬼道を現出させていた戦争末期の世相をよそに、片田舎に仮寓した私はいわばエアポケットのなかにいたのである。これは少なからずうしろめたいことだとしても、しかし私にとっては稀なる幸せというべきであった。」



「横目で見る犬」より:

「一般に、動物は必要最小限にしか動かない。」
「人間も原始時代には、必要最小限にしか動かなかったと思う。」
「しかしそんな原始生活のなかでも、人間には何かしら、必要以上のこと、あるいは必要以外のことをしたがる性癖があって、その衝動が文明をここまで推しすすめてきた。
 しかしヒト科以外のあらゆる動物に共通の見地からすれば、人間がこれまであくせくと働き、考え、築きあげてきたことは全部ムダなことなのである。ムダどころか、地上のあらゆる生物に対して、ずいぶんひどいことばかりしてきたのである。
 他の生物から人類をこれほどまでにひきはなし、偉大でハタ迷惑な文明を築かせたもの、それが人間の知恵であるというならば、創世記のあの楽園のイヴの物語はまことに意味ふかいといわねばならない。禁断の木の実にイヴが手を出したことは、旧約の作者の意図といささかちがった文脈において、真に罪ふかい行為であった。知恵の木の実を食べることで、無邪気で素朴な、獣なみの自然状態から脱する、これが生物としての原罪でなくて何であろうか。人間は知恵と同時に罪を背負いこんだのである。
 人喰虎が人を食うのは罪ではない。しかし美しい毛皮を剥ぐために人が虎を殺すのは罪である。犬が人に咬みつくのは罪でないが、人が犬を虐待すればこれはあきらかに罪である。
 というわけで人間は否応なしに他のあらゆる生物に対して負い目をもつ存在なのである。」



















































































































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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