森銑三 『新編 物いう小箱』 (講談社文芸文庫)

「少年は人間の種ではなかったのである。」
(森銑三 「弟子」 より)


森銑三 
『新編 物いう小箱』
 
講談社文芸文庫 も D-1 

講談社
2005年3月10日 第1刷発行
246p+1p
文庫判 並装 カバー
定価1,250円(税別)
デザイン: 菊地信義


「本書は『森銑三著作集』続編第一五巻(平成七年二月 中央公論社刊)に収録された「物いう小箱」を底本とし、『森銑三遺珠』Ⅱ(平成八年一一月 研文社刊)所収の(中略)五篇をもって増補し、配列に変改を加えました。また底本の旧仮名遣いを新仮名遣いに変え、振り仮名を多少加えました。」



本書「解説」より:

「『物いう小箱』の諸編はいずれも再話風小品で、「一」は日本の話、「二」は中国種である。内容はさまざまで、猫が口をきいたり、絵に描かれた人物がそこから抜け出て来たり、死んだはずの人が姿を現すなど、超自然の話が多い。ただし怪奇な出来事を語るだけではなく、大体はそこに微妙に人の心がからんで一種の現実感をかもし出している。そのほか人物の逸話や、頓知話の類などもある。
 いろいろなのは内容だけでなく、話のまとまり具合の方もそうである。しんみりとした結末で余韻を残す作品や、過不足無く話が終っている場合が多いけれども、その中に、何を言うつもりの話か見当がつかないものや、あっさりしていて物足りない感じのものなどもまじっている。」



森銑三 物いう小箱


目次:


 猫が物いう話 一 冬の夜/二 春の日
 猫の踊
 提燈小僧
 妖怪断章 その一/その二
 渡辺綱右衛門
 一念
 物見
 碁 その一/その二
 仕舞扇
 碁盤 その一/その二
 朝顔
 物いう小箱
 生仏
 機転
 市村奴
 木枯
 唐崎の松
 気の抜けた話
 幽霊
 小刀
 昼日中
 老賊譚
 うらおもて
 彦右衛門と狸


 夢
 都へ上った青年
 その人
 失った金包
 鈴
 猫
 山の中で見た家
 衝立の女
 不思議な絵筆
 竹林会図
 瓢箪
 霊芝寺
 竹の枝
 居酒屋
 桃
 弟子
 再会
 地から出た白銀
 丸薬
 人梯子

編者あとがき (小出昌洋)
解説 (片桐幸雄)
年譜 (小出昌洋)
著書目録 (小出昌洋)




◆本書より◆


「猫が物いう話 二 春の日」:

「うららかな春の日に、浅井金弥のお婆さんは、新しい手拭を冠って、庭先の縁台で白魚を選分けていた。後の壁の窓に、家の猫がうずくまって、お婆さんの手元を見下していた。ぶざまなほど大きい、年の行った男猫だった。
 お婆さんは選分けに余念がない。
 猫は睡そうな目付でそれを見ていたが、少ししてから、ゆっくりした調子で、
 「ばばさん。それを、おれに食わしゃ」といった。
 おばあさんは、猫の言葉を聞いても、振向こうともしなかった。仕事の手も休めずに、子供でも叱るような口調でたしなめていった。
 「おぬしは何をいうぞ。まだ旦那どんも食わしゃらぬに」
 猫は微かに苦笑したようだった。そして、仕方がないと諦めたのであろう、物憂そうに目を閉じた。
 僅かに離れてこの様子を見ていた某は、猫とお婆さんとの対話に驚かされた。それで改めて猫を見、お婆さんを見たけれども、どちらにも何の変った様子もない。暖かな日射が、お婆さんの頭の手拭を照らし、膝の上の白魚を照らし、窓の猫の背中を照らしている。のどかな春の日和である。
 今一言何とかいわないかしらと思ったけれども、猫は睡ってしまったらしい。それなり口を利かなかった。」



「仕舞扇」より:

「一日、四郎左衛門は広間に坐して、庭の植込をただぼんやり眺めていた。折しも夏の日盛で風が途絶えて、天地間の万物が闃(げき)として静まり返っている。じっとしていると、何やら遠いところへ誘われて行きそうな日であった。」


「生仏」より:

「御城下を出外れた野中の廃滅に近い状態の寺へ、どこから遣って来たのか、乞食坊主が居ついた。(中略)利かぬ気らしい、食えそうにもない、一癖あり気な坊主である。何れにしても品などはない。高僧などという感じにはもとより遠い。その上に跛足で、片足を引き引き歩いているのがみじめである。それでも口だけは達者でどんな難病でも持って来い、己の手で直して遣る、などといっている。けれどもさような薄汚い坊主を誰一人相手にしようともしない。
 ところがその内に、国内に流行病が発生して、見る間にそれがはびこった。そのために毎日ばたばたと人が死ぬ。城下の人々は、急にあわてふためいて、何やら怪し気なお札を門口に貼ったり、加持祈祷を頼んだりして、どうかして病気に取りつかれまい用心をする。」
「その時、誰いうとなく、あの野寺へ来た坊さんの薬を貰って服用すると、病気は助かるそうな、という噂が立った。(中略)寺は時ならぬ賑わいとなった。
 けれどもその坊主は、一々診察した上で、薬を盛ったりするのではない。別に容態を聴こうとするのでもない。誰にも一様に、粘土を丸めた小粒の薬を幾つかくれる。それでなければ傍の甕から、汲置きらしい水の小量を分けてくれるのに過ぎぬ。」
「薬には、別に謝礼を極めてない。それで貰った者は、ただ志を置いて行く。その包が毎日毎日山のように積重なる。(中略)荒れ果てた野寺は今は全くその面目を変えて、盛大な有様となった。」
「乞食坊主は一躍生仏となった。けれどもそれだけにまた何かにつけて、殊勝らしく振舞わねばならぬ。寝ても覚めても、自分も生仏のつもりで、取澄していなくてはならない。大変窮屈な事になった。」
「生仏様を、あのようなお粗末な所にお置きしては勿体ないではないかと、誰いうとなくいい出してそこで新しい一寺が建立せられることとなった。(中略)景気のよい手斧(ちょうな)の音が聞かれて、お堂の骨組の出来て行く日も、今は間近いこととなった。
 ところが、そうした矢先になって、肝心の生仏様が俄かに見えなくなった。いずこへか失踪したのである。そのことを知った人々の歎は、目も当てられぬほどだった。」
「けれどもさすがに半年あまりを経たら、人々の心もようようにして沈静に帰した。それでは生仏様はというと、これはまた意外にも、隣国で捕えられて、牢にぶち込まれていた。どういうわけでと尋ねたら、博奕をした挙句に人と喧嘩したのだとのことだった。もともとさしたる罪でもないので、間もなく放逐せられたけれども、不思議なもので、そうなると(中略)誰ももう生仏様ともいわなかった。坊主は以前の乞食に近い状態に還って、破れ衣を著け、跛足を引き引き、見すぼらしい恰好で、その辺をさまようていた。」



「山の中で見た家」:

「清国の官人某が遠隔の地へ赴任することになって、晩秋初冬の候に、人迹の絶えた山中の旅を幾日も続けていた。その何日目かのことだった。嶮しい山の中腹を縫うて行く路の中途で一休みすると、深い谷を隔てた真向いの山に一軒の人家がある。相当の身分の人の住んでいるらしい形のよい家で、こちらに向った日の当る居間の端近く人々が集って、主人はゆるやかに煙草をくゆらせている。娘はせっせと編物をしている。男の子は庭で犬と戯れている。そうした平和な光景が、そこに展開せられているのだった。
 谷はあっても、呼べば聞えそうな距離で、門の柱の聯の文字までがはっきり見える。何と書いてあるのか、読んで見ようと思ったら、折悪しく谷間から霧が舞上って来て、家も人々も隠してしまった。すぐには晴れそうにもなし、そうゆっくりもしていられない。某はそれなりそこを立去ったが、後になって考えて見ると、そんな深い山の中に住む一家のあるということが不思議でならなかった。
 何年かして任期が満ちて帰京することになった時、某は旅を続けて再びこの前に休んだ場所まで来た。そこには腰を下した覚えの石までそのままにある。某はまたその石に掛けて真向いの山を見た。ところが訝しいことには、山の正面に家などは建っていない。家のあったらしい形跡すらもない。やや広い草原が、穏かな日に照されているのに過ぎぬ。一体これはどうしたというのであろうか。形のよい家と、そこに住む人々とを見たと思ったのは、白昼の夢だったのだろうか。――都に帰ってからも、某はこの疑問を解決することが出来なかった。」



「弟子」より:

「ややあって庭先の落葉を蹈みしだく音がして、一群の鹿が通りすぎる。それを見た少年がいきなり衣を脱したかと思うと、忽ち一匹の鹿と化して、跳躍して群に投ずるなり、いずくともなく随い去った。
 少年は人間の種ではなかったのである。」



「人梯子」より:

「みんな罪のない、子供のような人達でした。」






































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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