堀辰雄 『雉子日記』 (講談社文芸文庫)

堀辰雄 
『雉子日記』
 
現代日本のエッセイ
講談社文芸文庫 ほ B-1 

講談社
1995年5月10日 第1刷発行
289p
文庫判 並装 カバー
定価980円(本体951円)
デザイン: 菊地信義


「本書の目次編成は『雉子日記』(一九四〇年七月 河出書房刊)の通りである。本文の底本は『堀辰雄全集』(中略)を使用し、新かなづかいにして若干ふりがなを加えた。」



「人と作品」中にモノクロ図版10点(肖像2点、書影8点)。年譜と著書目録は二段組です。


堀辰雄 雉子日記


カバー裏文:

「『風立ちぬ』の最終章「死のかげの谷」完結までの数年、
軽井沢滞在等の中で折り折りに綴られたエッセイ集。
浅間の高原の四季への想い。読書の日々。生涯にわたって
最も深く影響をうけたリルケをめぐる「リルケ雑記」。
療養しつつ清冽なリリシズム漂う作品を残した堀辰雄の
死に立ち向う健康的で強靭な精神の持続が生んだ名品。」



目次:

木の十字架――序に代えて――

雉子日記
 雉子日記
 続雉子日記
 春日遅々
 緑葉歎
 夏の手紙 立原道造に
 牧歌 恩地三保子嬢に
 初秋の浅間
 七つの手紙 或女友達に

山の家にて
 卜居(ぼっきょ) 津村信夫に
 萼(がく)の花
 巣立ち――或牧歌――
 山日記
 山日記 又

読書の日々
 ヴェランダにて
 山の宿にて
 クロオデルの「能」
 Ombra di Venezia
 ゲエテの「冬のハルツに旅す」
 リルケの「窓」
 更級日記など―日本の古典に就いての若干の問に答えて―
 魂を鎮める歌―いかに古典を読むかという問に答えて―

リルケ雑記
 巴里の手紙
 或外国の公園で
 リルケとロダン
 一挿話
 トレドの風景
 或女友達への手紙
 リルケ年譜
 巻末記

人と作品 (池内輝雄)
年譜 (作成: 大橋千明)
著書目録 (作成: 大橋千明)




◆本書より◆


「緑葉歎」より:

「青葉頃になると、どうも僕の身体の具合が悪くなるのです。」
「こんなときには誰か友人でも来てくれるといいなと思いますが、そうなると意地の悪いものでなかなか来ない。やっと今日、立原道造君が来てくれました。何か手に大きな紙をまいてもっている。何だと思ったら、それは僕がこの間冗談半分に頼んでおいた僕の軽井沢の別荘の設計図なのです(道造君は建築科の学生です)。実は僕の方ではもう忘れかけていたのだけれど、この間、南軽井沢の方に土地をもっている友人が、こんど自分のところでもそこに別荘を建てるんだが、よかったら君もその側に、小さな小屋を建てないかと勧めてくれた。食事一切はその友人の家で面倒を見て貰うことにすれば、ただ仕事と睡眠だけのための場所、つまり、木のベッド一つと、木のテエブル一つとを入れるだけのコッテエヂ、――それにまあ窓が一つあればいい、そんな丸太小屋なら、せいぜい五十円もあれば出来るんじゃないか、と側にいた道造君を顧みて云った。出来るかも知れないというので、僕は本気とも冗談ともつかずに、じゃ設計してみてくれと頼んでおいたのです。――ところが、その道造君の設計してきたコッテエヂは、どうして、ヴェランダなんぞもついていて、なかなかハイカラに出来上っています。だが、僕はその落葉松林(!)のなかに立っているコッテエヂを見ながら、君、これじゃ五十円じゃ出来まい、百円位はかかりそうだな、と言うと、ええ、その位はどうしてもかかると言うのです。が、それだけじゃない。その他に大工の手間賃だの、何やかやら見積って見ると、ざあっと二百円ないとその設計通りのコッテエヂは、出来そうもないらしいのです。――ささやかな夢を見て楽しんでいると、とかく第三者がその夢を否応なしに大きなものにさせてしまって、当人を不幸にさせがちなものです。道造君の設計してきた二百円のコッテエヂの前で、僕の夢みていた五十円のコッテエヂは、あまりにも貧弱なものになってしまったのです。そして、もうどうでも勝手にしやがれと思って、その折角こしらえてきてくれた設計図はそこにおっぽり出してしまいました。」



「続雉子日記」「ノオト」より:

「「雉子日記」のなかで、私は屡(しばしば)、ミュゾオの館(やかた)のことを持ち出したが、それについて富士川英郎君から非常に興味のあるお手紙を頂戴した。「ミュゾオの館」というのは、御承知のようにリルケがその晩年を過ごした瑞西のヴァレェ州にある古い château のことである。その見もしない château のことなんぞを私はいろいろと知ったか振りをして書いて見たのであるが、富士川君の注意によって、二三此処に訂正して置きたいと思うのである。
 先ず、その château du Muzot の読み方である。私はそれを普通にシャトオ・ド・ミュゾオと発音していた。ところが富士川君の注意によると、リルケ自らが一九二一年七月二十五日マリイ・フォン・トゥルン・ウント・タクジス・ホオフェンロオエ夫人に宛てた手紙のなかにそれを Muzotte と発音してくれと書いてあるのだそうである。恐らくそれがその地方特有の呼び方なのであろう。従って私の用いていた「ミュゾオの館」は「ミュゾットの館」と訂正されなければならない。
 以上はその館のほんの名称のことだが、富士川君はその名称のことから更に、その前述の手紙の中でリルケがいろいろとその館の構造や由来について詳しく語っている由、まだその手紙を見ていない私に懇切に書いてきてくれたのである。――それによって私はもう一つ訂正して置いた方がいいと思う箇所を発見したが、私はその詩人の愛していた古い館をただ漠然と十三世紀頃のものと書いていたが、その頃から残っているのはその建物の根幹だけで、それから何度も建て直され、現存している天井や家具の多くは十七世紀頃のものらしい。それからリルケがその館のさまざまな歴史を書いているうちに、こんな話があるそうである。
 十六世紀の初め頃に、その館に Isabelle de Chevron という娘が住まっていた。その娘は Jean de Montheys という男と結婚した。が、それから一年立つか立たぬうちに、マリニャンの戦が起り、その夫はそれに果敢(はか)なく戦死してしまった。若い寡婦になったイザベルは再びミュゾットの館に引き取られた。やがてそのうちに彼女の前に二人の求婚者が現われた。そしてその二人は決闘して、お互に刺し合って二人とも死んでしまった。その夫の戦死には耐えることの出来たイザベルも、それには耐え得ずして遂に発狂してしまったのであった。そして夜毎にミイエジュにある二人の求婚者の墓まで、薄い衣をまとったまま彼女はさまよって行くのだった。そして或る冬の夜、彼女はその墓場に息絶えていた……
 リルケは死ぬとき遺言して、そのイザベル・ド・シュヴロンの眠りを妨げてはいけないから、ミュゾットの近くのその墓地に自分を葬らないようにして貰いたいと言ったといわれる。」




















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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