『集英社版 世界の文学 7 セリーヌ なしくずしの死』 滝田文彦 訳

「わたしは人でなしだ、それだけのことだ!」
(セリーヌ 『なしくずしの死』 より)


『集英社版 
世界の文学 7 
セリーヌ』 
なしくずしの死 
滝田文彦 訳


集英社
1978年10月20日 印刷
1978年11月20日 発行
564p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価1,500円

月報《33》 (2p):
権力は直撃する(長谷川龍生)/訳者紹介/次回配本



二段組。


セリーヌ なしくずしの死 01


帯文:

「集英社版 世界の文学 第33回配本 ⑦セリーヌ
なしくずしの死
滝田文彦訳
パリ貧民街で繰り返される不幸と怒りの日々。
おぞましい貧困、
すべてが狂気の沙汰だ。
人間社会全体に憎悪と呪詛を投げつけた
セリーヌの衝撃的作品『なしくずしの死』を収録。
定価=特大巻1,500円」



帯裏:

「『なしくずしの死』(一九三六年)
貧しい両親は、わたしを育てるために必死になって働かなくてはならなかった。母は祖母の店で売子として働き、父は勤め先の保険会社で上役にどなられてばかりいる。一家にとってわたしは厄介の種。父はわたしの欠点を数えあげ、豚野郎!…不潔なガキ!…四六時中平手打ちを食わす。やがて学校を卒業して人生を始めるときがきた。奉公先の洋品店ではまたしてもいざこざと中傷、そして失業。次に小さな彫金屋に就職するが、そこでもまた盗みの疑いをかけられる。「こいつは泥棒になるくらいじゃおさまらないぞ、人殺しになるぞ! いつの日かおれたちを殺(ばら)してくれるさ」と、父。母は呪われた子を悲しく諦めるが――パリ貧民街の開業医フェルディナンが回想する、貧困と抑圧にあえぐ悪夢のような日々。

セリーヌ
LOUIS-FERDINAND CÉLINE
(一八九四~一九六一)
パリ近郊で生まれる。父は保険会社の下級社員、母は露店商。小学校卒業と同時に見習店員として働き、独学で医師免状を手に入れる。第一次大戦に従軍し重傷を負い、強い反戦思想をもつようになる。復員後パリの場末で医者を開業。三二年、自伝的小説『夜の果ての旅』を発表し、衝撃的な内容と革新的な文体で、文壇の注目するところとなる。以来、医業のかたわら執筆を続けたが、第二次大戦で戦犯の罪に問われ、投獄。五一年に出獄したものの、文壇からは黙殺され、不遇と貧困のうちに世を去った。」



セリーヌ なしくずしの死 02


目次:

なしくずしの死 (滝田文彦訳)

解説 (滝田文彦)
著作年表



セリーヌ なしくずしの死 03



◆本書より◆


「こうしてわれわれはまたも孤独だ。すべてはこんなにも遅く、重く、もの悲しい…… もうじきわたしは年をとるだろう。そしてついにはこれも終りになるだろう。わたしの部屋にはおおぜいの連中がやって来た。やつらはいろいろなことを言った。たいしたことじゃなかったが。そして出ていった。やつらはめいめい世界の片隅(かたすみ)で年をとり、惨めで、のろくなった。
 昨日、八時に、門番のベランジュ婆(ばあ)さんが死んだ。夜のあいだに大嵐(あらし)が起る。われわれの住んでいるてっぺんの方じゃ、家は震える。彼女はやさしくて、親切で、信頼がおける友だった。明日、ソール街で埋葬がある。本物の年寄りで、まったくよぼよぼの婆さんだった。咳(せき)をはじめた最初の日、「とにかく横になっちゃだめだ!…… 寝床で坐ってるようにしなさい!」と、言ってやったものだ。あぶないとは思ってた。たら、とうとう…… でもまあ、仕方がない……
 医者というこの糞(くそ)おもしろくもない商売を、わたしはずっとやっていたわけじゃない。ベランジュ婆さんは死んだと、わたしを知っていた連中、婆さんを知っていた連中に手紙を出すつもりだ。やつらは今どこにいる?……
 わたしは嵐がもっともっと荒れまくり、家々の屋根が崩れ、春がもう帰ってこず、この家が消え失せればいいと思う。
 ベランジュ婆さんは知っていた、悲しいことはみんな手紙でやって来るのを。わたしはもう誰に手紙を書いていいかわからない。連中はみんな遠くにいる…… やつらの魂は変った、裏切り方、忘れ方がうまくなり、いつもほかのことをしゃべっていられるように……
 年とったベランジュ婆さん、誰かが来てやぶにらみの彼女の犬を引き取り、連れていってしまうだろう……」
「臨終まぎわには、門番の婆さんはもうなにも言えなかった。息がつまり、わたしの手をにぎって引きとめていた…… 郵便配達がはいってきた。彼は婆さんが死ぬところを見た。ちょっとしたしゃっくり。それでしまいだった。昔は、おおぜいの連中がわたしを訪ねて、彼女のところへやって来た。彼らはみんな遠く、はるか遠く忘却の中に、魂を求めて行ってしまった。郵便配達は制帽を脱いだ。わたしは憎悪をぶちまけてやることもできるだろう。わかってる。もっと後で、もしやつらが帰ってこなかったらそうしよう。それより話をするほうがいい。やつらがわたしを殺しに世界の隅々から、わざわざもどってこざるをえないような話をしてやろう。そうすればこいつにも片がつき、満足が得られるというものだ。」

「わたしの悩みは睡眠だ。もしいつもよく眠れたら、一行だって書きはしなかったろう……
 「きみもなにか楽しい話を書けばいいんだ……たまにはな……」、それがギュスタンの意見だった、「人生ってのはそんなに汚いことばっかしじゃないさ……」ある意味ではそれはかなり正しい。わたしの場合には、一種の偏執、偏見がある。」


「だが、一族でいちばん無能なのは、まちがいなくロドルフ叔父であり、完全に頭がおかしかった。人が話しかけると静かにくすくす笑った。自分で質問して答えていた。それが何時間もつづくのだ。彼は戸外でしか暮したがらなかった。一度として、どんな店にも、事務所にも、番人や夜番としてさえ働いてみようとしたことがなかった。屋外で、ベンチの上でものを食べるほうが好きだった。屋内には不信を抱いていたのである。ほんとうに腹が減ってたまらなくなると、わたしたちの家にやって来た。夜、あらわれた。ということは、万事が巧くゆかなかったということだった。
 《荷物運び》、それが駅での彼の臨時収入だったが、(中略)彼はそれを二十年以上もやった。」
「彼はルピック街の《ピュイ=ド=ドームの待ち合わせ》という名の、中庭に面したぼろ屋に住んでいた。持物を床に並べて、椅子もテーブルも一つもなかった。〈万国博覧会〉のとき、彼は〈南仏吟遊詩人(トルーバドゥール)〉になったことがあった。張りぼての居酒屋が並んだ河岸に立って、《古きパリ》への呼び込みをやったのである。あらゆる色のぼろ布をつぎはぎにした、キルトをはいて。「さあさあ、《中世》をごらんなさい!……」彼は怒鳴りまくり、ばたばた足踏みをして身体を暖めた。(中略)事態がますますめんどうになったのは、叔父が《自堕落な女》とくっついたことである――ロジーヌというその女は、厚紙に色を塗ってつくった穴倉の酒場の、別の入口で呼び込みをやっていた。かわいそうに、その女はすでに肺を吐き出すような咳をしていた。そいつは三ヵ月とつづかなかった。彼女は《待ち合わせ》の彼の部屋で死んだ。ロドルフは女が運び去られるのを欲しなかった。戸に錠を下ろした。毎晩、女のそばに寝にもどった。悪臭のため、みんなが気づいた。で、彼は激怒した。事物が滅びることを理解しなかったのである。無理やりに人々は彼女を埋葬した。」
「とうとう彼はアンヴァリードの広場(エスプラナード)の真前で、見張りの役にもどったが、わたしの母は怒っていた。「カーニバルの仮装みたいな格好をしてさ! この寒さだというのに! まったく恥知らずだよ!」母を特に苛々させたのは、彼が外套(がいとう)を着ないことだった。彼はわたしの父さんのやつを一着、ちゃんと持っていた。わたしは様子を見に行かされた、というのはわたしは子供なので、金を払わずに回転木戸を通り抜けられたからである。
 彼は吟遊詩人の格好をして、棚の背後にいた。満面に微笑を浮べたもとのロドルフにもどっていた。「こんちは!」と、彼は言った、「こんちは、坊や!…… わたしのロジーヌが見えるだろ?……」彼はわたしにセーヌ河よりもっと遠く、原っぱ全体……靄(もや)の中の一点を指さした…… 「見えるだろ?」わたしは「うん」と答えた。逆らいはしなかった。そして両親に安心するように言った。ロドルフってのはじつに愉快なことを考えてる!
 一九一三年の終り、彼はサーカス団にはいって行ってしまった。それから彼がどうなったかはまったくわからなかった。それっきり、わたしたちは二度と会わなかった。」


「彼女はたえずちびのジョンキンド、特別な子で《知能遅れ》の子に食べさせるのにかかりっきりだった。一口食べるごとに、まあそれに近く、いちいち世話をやいてその子を助け、きれいにしてやり、口から垂れたものをみんな拭いてやらねばならなかった。それはたいへんな仕事だった。
 その白痴の子の両親はずっとインドにいて、会いに来ようともしなかった。こんな頭のおかしい子の世話はすごく厄介で、特に食事の時なんぞは、その子はテーブルの上のあらゆるもの、小匙や、ナプキン・リングや、胡椒や、油や酢の小瓶や、そしてナイフまでも飲み込んでしまった…… 飲み込むことがその子の情熱だった…… 本物の蛇みたいにあんぐり口をいっぱいに拡げてやって来て、リノリウムの床直接に、どんな小さなものでも吸い込んでしまい、すっかりよだれで被ってしまった。そしてそれをしながらうんうん唸り、泡を吹いた。メリウィン夫人はその度ごとにそれを止めさせ、子供を物から遠ざけた、いつも非常にやさしく、倦むことを知らず、一度だって荒っぽくしたことはなかった……
 飲み込むということを除けば、その子はそんなに手におえなくはなかった。むしろ扱いやすいくらいだった。(中略)彼はごくなんでもないことにも脅えて、メリウィン夫人がいつもおなじ二言で安心させていた、「ノー・トラブル〔だいじょうぶよ〕! ジョンキンド! ノー・トラブル!……」
 彼は自分でも毎日つづけて鸚鵡(おうむ)のように、なんにでもその言葉を繰り返していた。チャタムで数ヵ月をすごしたあと、わたしが覚えたことといえばそれだけだった…… 《ノー・トラブル、ジョンキンド!》」

「ジョンキンドはまたしても羊のほうが好きで、大はしゃぎして、よろめいたりひっくり返ったりする若い羊を追っかけて走った。羊といっしょに湿った草の上に転がり、いっしょになってめえめえと鳴いた…… 楽しんで恍惚となった……本物の動物になった…… 肌までびしょ濡れになって家に帰った。」

「ジョンキンドが一人で会話をにぎやかにしていた! 《ノー・トラブル!》。彼は別の言葉も覚えていた! 《ノー・フィアー!》〔心配ない〕。それが得意で嬉しがった。ひっきりなしにそう言った! 《フェルディナン! ノー・フィアー!》と、一口食べるごとにたえずわたしに向かって怒鳴った……」


「わたしは建物の入口の穹窿(きゅうりゅう)の下に立っていた…… そこにはいつもたっぷり影があって、危険な隙間風が吹いていた…… わたしはものすごくくしゃみをした…… 考えるときそれが習慣になった…… いつもたえまなく考えた結果、わたしは父の言うことがほぼ本当だと思った…… 経験によってわかった……自分はなんの価値もないこと…… わたしは嘆かわしい性質でしかない……すごく愚鈍で、怠け者だ…… (中略)わたしは自分がすっかり無価値で、膿(うみ)がだらだら流れて不潔なように感じた…… なにをなすべきかはよくわかり、絶望的に闘っていたが、だんだんうまくいかなくなってきた…… 年はとってもよくならなかった…… (中略)わたしは真夏に腐敗し、汗と恥とに溶け、階から階へとよじ登り、呼鈴をじくじく汗でぬらし、恥も道徳心も失ったままに、完全にぼたぼた溶けていた。」

「わたしは人でなしだ、それだけのことだ!」





こちらもご参照下さい:

マルセル・ムルージ 『エンリコ』 安岡章太郎・品田一良 訳














































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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