金子光晴 『マレー蘭印紀行』 (中公文庫)

「諸君。人人は、人間の生活のそとにあるこんな存在をなんと考えるか。
 大汽船は、浅洲と、物産と交易のないこの島にきて、停泊しようとしない。小さな舟は、波が荒いので、よりつくことが滅多にできない。人間生活や、意識になんのかゝわりもないこんな島が、ひとりで明けはなれてゆくことを、暮れてゆくことを。人類世界の現実から、はるかかなたにある島々を、人人は、意想(イデア)とよび、無可有郷(ユートピア)となづけているのではあるまいか。」

(金子光晴 『マレー蘭印紀行』 より)


金子光晴 
『マレー蘭印紀行』
 
中公文庫 か-18-8 

中央公論新社 
1978年3月10日 初版発行
2004年11月25日 改版発行
184p
文庫判 並装 カバー
定価648円+税
カバー画: 金子光晴


「『マレー蘭印紀行』 一九四〇年十月 山雅房刊」



改版は文字が大きくなっているので読みやすいです。


金子光晴 マレー蘭印紀行


帯文:

「阿片(アヘン)のように、死のように、
未知に吸いこまれてゆく…
切々とした哀感をもって綴られた、
詩人の行きつくあてもない旅」



カバー裏文:

「昭和初年、夫人森三千代とともに流浪する詩人の旅は、いつ果てるともなくつづく。東南アジアの圧倒する自然の色彩と、そこに生きるものの営為を、ゆるぎない愛と澄明な詩心で描く。」


目次:

センブロン河
 センブロン河
 ねこどりの眼
 雷気
 夜
 開墾
バトパハ
 貨幣と時計
 カユ・アピアピ
 霧のブアサ
 鳶と烏
 虹
ペンゲラン
 ペンゲラン
スリメダン
 鉄
コーランプル
 コーランプルの一夜
シンガポール
 タンジョン・カトン
 新世界
爪哇
 爪哇へ
 蝙蝠
 珊瑚島
スマトラ
 スマトラ島


解説 (松本亮)




◆本書より◆


「センブロン河」より:

「川は、森林の脚をくぐって流れる。……泥と、水底(みなぞこ)で朽ちた木の葉の灰汁(あく)をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごいている。
 ニッパ――水生の椰子――の葉を枯らして屋根に葺(ふ)いたカンポン(部落)が、その水の上にたくさんな杭を涵(ひた)して、ひょろついている。板橋を架けわたして、川のなかまでのり出しているのは、舟つき場の亭(ちん)か、厠か。厠の床下へ、綱のついたバケツがするすると下ってゆき、川水を汲みあげる。水浴(マンデ)をつかっているらしい。底がぬけたようにその水が、川水のおもてにこぼれる。時には、糞尿がきらめいて落ちる。」

「さかのぼりゆくに従って、水は腥(なまぐさ)さをあたりに発散する。
 森の樹木のさかんな精力は、私の肺や、そのほかの内臓のふかいすみずみまで、ひやっこい、青い辛味になって、あおりこまれる。
 アエル・イタム――馬来語で黒い水という意味で、上流の水が灰汁のために黒くなっているところから名称(なづ)けられた地名である――までさかのぼってみれば、森はまだ、太古のまゝで、野獣どものたまらない臭(くさ)さをはこんで彷徨(さまよ)うている。疥癬で赤裸になった野猪、虎、眼ばかり光る黒豹、鰐や川蛇……、針鼠、うそぶくコブラ、梢をぬってとぶ飛蜥蜴、鶏をのみにカンポンを襲う巨蠎(にしきへび)、一歩、森のはずれに歩を踏み入れるならば、そこには、怖るべき黒水病の媒介者の悪性なマラリア蚊「アナフレス」が棲息しているのである。」

「床には、白蟻の喰った木屑がこぼれていて、菓子屑のように足のうらにざらざらとふれた。――ひどい白蟻ですよ。テニスコートにステッキを忘れて、翌朝行ってみると、一晩で苧殻(おがら)のようにかるくなっているんですよ。このクラブの建物だっていつ崩れてくるか。」
「ねむりつくまで、もの読む習慣なので私は室のすみにある書棚を物色した。そして、一冊をぬきとったが、みると忌わしや表紙も、本文も、どろどろにくずれていた。となりに並んでいる本をぬきとる。それもおなしだ。隣も、背だけはこともなげに揃っていながら、かさねたまゝ、そっくり縦に貫いて噛みくずした――それも、白蟻の所業であった。」

「雷気を胎んだ曇鬱なくもり日が、密林の内部の木木のたゝずまいを、一層ゆきどころないものにみせた。密林のそこをひっそりと水が流れている。その水になかば身をひたす森の、闃(げき)としたこのしずけさはなんだろう。人の力をいまだしらず、人の調節を経験したことのない野生な植物どもが、互の意慾をむき出しにしてふれあっている密林では、かれらは、それぞれのはげしい気質をすこしも失わずにいる。木木は、それぞれのなげやりな姿勢で、水にかゞみ、水をのぞきこんでいる。
 もし、このような姿勢を、人間どもの生活している風景のなかにも眺めて過ぎることができたならば、この人生が一層美くしい自然であり、あらゆる入りくんだ内容のうえに装うた外観なるものが、内容よりもはるかに感動的なふかさを持っていることを会得するであろう。
 榕樹の楼閣のしたは、夜のように陰暗である。
 ながい気根の白髯の垂れさがったしたを、馬来人の舟夫たちは首をちゞめ、
 ――この樹の下を通ると、生霊(いきりょう)の話し声がきこえる。
 といいつゝ、櫂を持つ手をいそがせてすぎる。」

「夜がくると森は、人も、世界も溺らせ、大海よりもふかく、大きく、全身を揺さぶってざわめきはじめるのであった。」



「バトパハ」より:

「豆洋燈が一個点っている。支那ベットに張りわたした白蚊帳のうえを、守宮(チッチャ)が、チッ、チッ、と、かぼそい声で舌をならしてわたる。その影が、シーツのうえに大きく落ちて、うすぼんやりぼやけたままゝで凝っとうごかない。
 手紙を書こうと思うが、その気力がない。
 あの複雑な象形文字をつゞりあわせてえがくに耐えられないほど、筆が重たい。頭が痴失して、右にも左にもはたらかないのだ。なにもかも、馬鹿々々しく遠くの方へ去ってしまったような気がする。わずか、一日行程軌道から入りこんだだけだのに……。過ぎ去ってしまったような、離れて私だけきてしまったような、区切りのついた、そして、もう誰からも届かなくなった私なのである。」



「爪哇」より:

「なに故か、こゝろのうちがさわがしくてならなかった。船賃を払って、船のなかにいる時間ぐらい、私たちにとって安住なときはないのだ。この疲れきったからだを、心を船につみこんで、港というもののない航海に旅立つこともがな。
 だが、あそこにはもう、陸があるのだ。陸、そこには中心があるのだ。固定がある。うごくものに委せている不動のかわりに、うごかぬ土の上をはいまわるあくせく(引用者注: 「あくせく」に傍点)の生活がある。その生活のかゝわりが、一歩足をふんだときから、癌のようにその蟹足を八方にひろげる。なにごとかが、そこで始まらないではおかないのだ。
 なにごとか。――私の、まったくのぞみもしないことまでが。」

「どこへ行っても、蝙蝠がいた。軒下にも官衙(やくしょ)の尖屋根のうえにも、どこにもいた。(中略)しなやかな翼でばたばたやりながら、ダンテルの夜会服の汗ばんだ和蘭女のふとい腕をくぐりぬけてシネマの画看板のアドルフ・マンジュウにふれていった。あるときはまた、路ばたの、ワヤン・クリの幕に、もの好きなその影をうつしてすぎた。憂鬱で、しずかで、小心で、そのくせ、おどけもので、夜遊びがすきで、猶、純真とか、静居、孤独とかに対する一本気を失わない。そのためにこそいつも、外から傷められどおしの、そんな男と会っているようである。日のあいだは出てこない、そんな男に一度、うちくつろいで話をしてみたい。」

「泥にも似た空低くを、帆布が風にふるえるような音をさせて、さしわたし、六尺もあるような大蝙蝠がわたってゆく。ゴーンと電線にぶつかる。夜陰の電燈が、一緒に眼をつぶるようにくらくなる。泥水のうえのうすやみを、すえくさい夜気のなかを、濡れて粘りのある翼が、うすいゴムが、益々ふえ益々、ひろがってゆく。そこから二つのオランダ風なはね橋を越えて、芭蕉林のうえを、水浴(マンデ)時刻のジャガタラ旧道の方へ、又はマンガ・ブッサルの霧のふかい河岸通りへ、全バタビアは、蝙蝠の街となる。」



































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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