金子光晴 『西ひがし』 (中公文庫)

「世人が異様なもの、片輪なものと見做(みな)すものの強烈なしぶきほど僕にとってたのしいものはない。」
(金子光晴 『西ひがし』 より)


金子光晴 
『西ひがし』
 
中公文庫 A 81-3 

中央公論社 
昭和52年5月25日 印刷
昭和52年6月10日 発行
236p
文庫判 並装 カバー
定価300円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修


「昭和48年8月~49年7月 『海』連載
昭和49年11月 中央公論社刊
昭和50年11月 全集第7巻」



金子光晴 西ひがし


カバー裏文:

「三千代夫人はひとりベルギーに残った――。暗い時代を予感しながら暑熱と喧噪の東南アジアにさまよう詩人の終りのない旅。『どくろ杯』『ねむれ巴里』につづく自伝」


目次:

「月の世界の人」
マルセイユまで
波のうえ
氷水に浮いてる花
関帝廟前好事あり
関帝廟第二
夢は蜈蜙嶺を越えて
さらば、バトパハ
情念の業果
やさしい人たち
おもいがけないめぐりあい
ふたたび蛮界
蚊取線香のむこうの人々
かえってきた詩
紫気に巻かれて
口火は誰が
マラッカのジャラン・ジャラン
疲労の靄
世界の鼻唄

解説 (中野孝次)




◆本書より◆


「「月の世界の人」」より:

「人間の歴史は、戦争と、そのあいまのいささかの休息の時間があるだけであり、ぶちこわしては修繕する、それだけが人間の歴史のようで、進歩とみるべきことは、年を重ねて、大規模になることだけで、ワーテルローで戦って死んだ人たちの数などは、問題にならないほどである。被害も大股でやってきて、それがつづいて地球は終滅ということになりそうであるが、それほどに今日の戦争は規模雄大で、また、人間はなかなかそんなこと位で亡びてしまいそうもない宿業のかたまりである。」


「かえってきた詩」より:

「世人が異様なもの、片輪なものと見做(みな)すものの強烈なしぶきほど僕にとってたのしいものはない。それは、随分遠い少年のむかしから、いや、もっと遙かな幼年の記憶とは言えないくらいな時代から、感覚的に身につけた偏向したこのみで、いまも猶、そうである入浴の瞬間の厭世的な気持や、かるい癲癇(てんかん)の発作の無の世界から人間の世界に戻ってくるときの、なんとも形容のできない安堵の恍惚感と、どこかで根と根がからみあったもののようにおもえてしかたがない。」

「財布の底が、イギリスの金の二、三ペンス、フランスの金の二十サンティムの銅貨一枚という裸同様な次第になってしまっても、それほどおどろきも、あわてもしないのが、僕の性分なので(それは今日猶あいかわらずそうなので、多くの人にあいそをつかされる原因でもある)、そういうことになったら、宿のたたみにひっくり返って、あい変らず天井を走っているやもりの交尾を無心にながめ、大正時代に日本で流行した、流行歌などを、歌詞をところどころ忘れたり、まちがえたりしながら、鼻唄でうたったりして時間をやりすごしたりしているのであった。はやり唄ほど、むかしをそのまま、環境といっしょにおもい出させるものはない。それが、唯一とも言っていい、僕の郷愁であり、ちょっとした泣き所でもあったらしい。そしてその度毎に、その時間が、じぶんにはふたたびかえってこない時間で、たとえ、日本へかえっても過去はどこへいってみても、塵かけらも拾うよしはなく、紅海からみたアラビアの沙漠の風紋のつながりのように、索漠(さくばく)とした地平で、そのはてはちょん切られているものとしか考えられない。」
「シンガポールの宿で、寝そべりながら考えているうちに、そんなところへかえってみてもしかたがないし、この宿にいつまでもこうしていられるものでもなし、どうした方がいいのか、はっきりした分別がなかなかつかなかった。ただ妙なことは、それならば死んだらどうだというおもいつきが湧かなかったことだ。死ぬとなれば、このへんの土地では、いとも簡単であった。そんな高尚な考えは、僕のぼやけた頭脳では、なかなか思いつけなかったのだろう。そのときばかりでなく、幼少から、絶体絶命なときにも、自殺してらくになろうという妙案は浮ばずに、今日まで来てしまっている。そして、ひたすら、わけもなく「死」をおそれ、「死」に追込むあいて、それが権勢にしろ、規制にしろ、むしょうに腹が立ち、そのときのじぶんにだけ、なにか生甲斐のようなものを感じることに気がついた。他人を死にまで追いこむ立法はぶちこわさねばならないし、第一、他人に痛い目にあわせられる義務はない。いわんや、じぶんでじぶんを殺すようなことを美徳と考える武士道などののこっている日本へかえることがだんだん気の重くなるのを感じた。」





こちらもご参照下さい:

金子光晴 『マレー蘭印紀行』 (中公文庫)
金子光晴 『どくろ杯』 (中公文庫)
















































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