『金子光晴詩集』 清岡卓行 編 (岩波文庫)

「ものの腐つてゆくにほひはなつかしい。」
(金子光晴 「大腐爛頌」 より)


『金子光晴詩集』 
清岡卓行 編
 
岩波文庫 緑/31-132-1 

岩波書店 
1991年11月18日 第1刷発行
1996年12月10日 第3刷発行
483p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価770円(本体748円)
カバー: 中野達彦
カバー画: 金子光晴



本書「編集付記」より:

「底本の旧字体を原則として新字体に改めるとともに、ふりがなを若干加えた。」


金子光晴詩集


カバーそで文:

「日本の伝統や権力支配の構造を象徴的手法で暴露、批判した詩集『鮫』(一九三七)は、詩人金子光晴(一八九五―一九七五)の本領が発揮された昭和詩史上、最も重要な作品の一つである。『こがね虫』『鮫』『愛情 69』等から秀作を選び、その全体像に迫るアンソロジー。」


目次:

『こがね虫』から
 雲
 三月
 章句
 二十五歳
 金亀子

『大腐爛頌』から
 大腐爛頌
 舌
 五体
 駅
 石

『水の流浪』から
 水の流浪
 海辺小景
 古靴店
 夕
 大埠頭にて

『鱶沈む』から
 古都南京
 鱶沈む
 渦

『路傍の愛人』から
 路傍の愛人
 展望
 航海
 ペダンの夜
 南の女におくる
 夜の酒場で

『老薔薇園』から
 老薔薇園
 エルヴェルフェルトの首

『鮫』(全)
 自序
 おっとせい
 泡
 塀
 どぶ
 燈台
 紋
 鮫

『落下傘』から
 あけがたの歌 序詩
 落下傘
 太沽バーの歌
 寂しさの歌

『蛾』から
 蛾Ⅰ
 蛾Ⅱ
 しやぼん玉の唄
 薔薇Ⅰ
 子供の徴兵検査の日に
 三点
 コツトさんのでてくる抒情詩

『女たちへのエレジー』から
 ニッパ椰子の唄
 洗面器
 牛乳入珈琲に献ぐ
 混血論序詩
 女たちへのエレジー
 小品
 死
 ――ある老嬢に
 無題
 茶子由来記

『鬼の児の唄』から
 鬼の児放浪
 恋
 禿
 血
 風景

『人間の悲劇』から
 No. 2
 女の顔の横っちょに書いてある詩
 もう一篇の詩
 さらにもう一篇の詩
 悲歌
 [二人がのんだコーヒ茶碗が]
 [昔の賢明な皇帝は]
 奇怪な風景
 [戦争が終ったその日から]
 くらげの唄
 答辞に代へて奴隷根性の唄

『非情』から
 微風
 ある序曲
 初対面
 太陽
 赤身の詩

『IL』から
 IL 四

『若葉のうた』から
 元旦
 頬っぺた
 さくらふぶき
 若葉よ来年は海へゆかう
 おばあちゃん

『愛情 69』から
 愛情 1
 愛情 2
 愛情 8
 愛情 13
 愛情 16
 愛情 22
 愛情 29
 愛情 38
 愛情 40
 愛情 46
 愛情 49
 愛情 55
 愛情 69

『よごれてゐない一日』から
 海をもう一度
 女の一生を詩ふ

『風流尸解記』から
 雨の唄
 肖像

『花とあきビン』から
 あきビンを選る人の唄
 短詩(三篇)
 エピローグ

『塵芥』から
 そろそろ近いおれの死に
 塵芥
 愛情、または恋愛について
 混乱の季節
 独裁者

《初期詩集》
『香炉』から
 花
 懈怠
 街
 干潟

《初期詩集》
『赤土の家』から
 麦の穂を枯らす虫
 新らしい日
 白鷺

拾遺詩篇
 反対 (一九一七年ごろ)
 東京哀傷詩篇 (一九二三年)
  焼跡の逍遥
  秋
  荷車の一家族
 冬眠 (一九二五年)
 かつこう (一九四五年ごろ)
 短章(二十三篇)から (一九五一年)
  A
  C
  E
  H
  I
  W
 無題 (一九五四年ごろ)
 ほどらひ (一九六四年)
 そら (一九六四年)
 愛情 (一九六七年)
 多勢のイブに (一九六七年)
 人は船の旅のたのしさを忘れてゐる (一九七一年)
 わが生の限界の日々 (一九七四年)

あとがき (清岡卓行)




◆本書より◆


「鮫」より:

「尊大、倨傲(きよがう)で、面積の大きな、あらい、すがりどころのない冷酷な、青砥(あをと)のやうな横っつら、その横っつらが平気でいってゐる。
――貴様は、忠実な市民ぢゃない。それかといって、
 志士でもない。浮浪人。コジキ。インチキだ。食ひつめものだ。」

「俺は、ハッと眼をつぶって、奴らにぶっつかっていった。
奴らは壁だ。なにもうけつけない「世間」といふ要塞(バリケード)なのだ。
そして、海のうへは雨。
波のうへの小紋、淋しい散索(プロムナード)。」

「奴らは一斉にいふ。
友情だ。平和だ。社会愛だ。
奴らはそして縦陣をつくる。それは法律だ。輿論だ。人間価値だ。
糞、又、そこで、俺達はバラバラになるんだ。」

「奴らを詛はう。奴らを破壊しよう。
さもなければ、奴らが俺たちを皆喰ふつもりだ。」



「蛾Ⅰ」より:

「月はない。だが月のあかるさにみちてゐた。」

「ふかい闇、霧をへだてて、みじろぎながら、ぢつとうかゞつてゐるものら。」

「あゝ、どこにかへつてゆくところがある?」

「こゝろを越えて憂愁は、みなぎりわたる。だが、月はない。」

「そして、追放者、嫖客(へうかく)など、夢なかばに目ざめたものばかりが待つてゐる。
まだほど遠いしののめを。みしらぬくにのあたらしい刑罰を。うつくしい難破を。」



「街」:

「この街はたそがれの光のみにして
人は不在なり
この街のガラスはとほくつづけど
血は一滴もなし。

この街にわれひとり住めり。
この街の人はかへりきたらず。
この街の人はうちつれて
日蝕をみに去りぬといふ。

この街は、しづけき極(きは)みにして
待てり。
ありとある空耳(そらみみ)のはてに。」



「反対」:

「僕は少年の頃
学校に反対だつた。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
正義とかが大きらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。

むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻をむけてゐる。

なにしに生れてきたと問はるれば、
躊躇なく答へよう。反対しにと。
僕は、東にゐるときは、
西にゆきたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きてることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。」



「冬眠」:

「眠れ。眠れ。眠れ。眠れ。
さめてはかない仮の世に
ねてくらすほどの快楽はない。
さめてはならぬ。さめてはならぬ。

きくこともなく、みることもなく、
人の得意も、失態も空ふく風、
うつりゆくものの哀れさも背(そがひ)に
盲目のごとく、眠るべし。

それこそ、『時』の上なきつかひて、
手も、足も、すべて眠りの槽のなか、
大いなる無知、痴(し)れたごとく、
生死も問はず、四大もなく、

ふせげ。めざめの床のうへ、
眠りの戸口におしよせて、
光りとともにみだれ入る、
世の鬼どもをゆるすまい。」




◆感想◆


金子光晴の紀行文はたいへん興味深いですが、詩集やエッセイはつまらないです。
たとえば有名な「おっとせい」の詩、

「おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
たゞ
「むかうむきになってる
おっとせい。」」


このへんが金子光晴の限界なのではないでしょうか。金子光晴はおっとせい社会への違和感に苦しめられながらも、自分もまた「おっとせい」なのだと思い込んでしまったために自意識過剰の泥沼にはまり込んでしまったというべきです。まさにアンデルセン以前であって、自分がアヒルだと思っているあいだは白鳥の子といえども「みにくいアヒルの子」でしかありえないです。グノーシス主義は、みずからのほんとうの出自を知ることによって地上の苦境を脱することができると説きましたが、それが福音であるゆえんは、物心ついたらアヒルの群れのなかにいた白鳥の子がアヒルのようになれないからといって悩み、アヒル社会に適合できないからといって自殺したり発狂したりしてきた悲しい歴史が存在するからです。白鳥の子などというと偉そうでアヒルの人たちの気に食わないというのであれば、カエルの子でもノラネコの子でも火星人でも宇宙人でもエイリアンでもよいです。「自意識過剰のおっとせいになるよりも、無意識過剰のエイリアンになれ」、そういうことであります。


















































































































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ひとでなしの猫

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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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趣味: 図書館ごっこ。

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