アーサー・マッケン 『怪奇クラブ』 平井呈一 訳 (創元推理文庫)

アーサー・マッケン 
『怪奇クラブ』 
平井呈一 訳
 
創元推理文庫 510-1 

東京創元社
1970年6月26日 初版
1986年7月4日 17版
300p
文庫判 並装 カバー
定価380円



Arthur Machen: Three Impostors / Great Return


マッケン 怪奇クラブ


巻頭文:

「パンの神は、いまでも森の広場に人間の処女を拉して性の乱舞を行なう。人間の性の神秘を超自然に託して、摩訶不思議(まかふしぎ)な様相をくりひろげるマッケンの世界は戦慄と陶酔の妖(あや)しい白光の世界である。「矮人(こびと)」や「半人半羊神」は人間の罪悪や禁じられた性的快楽の媒介者であり、象徴として作品の中に設定されている。黒い封印に戦(おのの)く老教授、淫楽の密室に白い粉薬を服(の)んで肉体が溶けこんでしまう青年の死の話など一連の怪話集と“聖杯(グレール)”をテーマにした『大いなる来復』を収録。」


目次:

怪奇クラブ
 プロローグ
 金貨奇譚
 街上の邂逅
 暗黒の谷
 兄の失踪
 黒い石印
 小さな酒場での出来事
 装飾的妄想
 ベイズウォーターの市隠
 白い粉薬のはなし
 クラークンウェルの不思議な出来事
 眼鏡をかけた若い男のはなし
 荒れ屋敷の怪事

大いなる来復
 1 怪異の流言
 2 天国のかおり
 3 秘境の秘
 4 鐘の声
 5 火の薔薇
 6 オーエンの夢
 7 聖杯の弥撒

解説 (平井呈一)




◆本書より◆


「怪奇クラブ」より:

「この民族は奥地の秘境に住し、蛮地の山上において猥褻なる秘行を行なう。かれらは顔は人間なれども、五体は人間と共通するものなく、また人間の習俗はかれらにとりてはことごとく奇異にして、太陽を忌む。もの言うときはほとんど語をなさぬ歯音なれど、声荒々しく、恐懼(きょうく)なくして聞くべからず。」

「物質は精神と同じに、じっさいは恐ろしい未知なものなのだ。科学は物質の内部の不思議を見もしないで、ほんのトバ口でぐずぐずしているのだ。」

「あの橋をごらん。あの風変わりな中世風なデザイン、橋桁のアーチの角度、朝日に光っているあの石の銀灰色、あれをよく見てごらん。あれは非常にわたしには象徴的なものに見える。なんだかこの世からあの世へ行く道の神秘な譬えを表わしているようだね」

「余ハ妖精ト悪魔トハソノモト一ニシテ、ソノ種族及ビ起原等モヒトシク同一ナルモノナリトノ結論ニ達シタルナリ。(中略)人間ノ肉体ハ、アルイハ時トシテ、(中略)ワレラ人間ニトリテハ魔力ト目サルル力――ナンラカノ思惟スベカラザル高圧的手段ニヨリテ人間ヲ導引スル力、ジツハ人間ノ奥妙ヨリノ復活ニホカナラザル力ヲ宿スルコトアルヤモ知レズ。(中略)アメーバ(引用者注: 「アメーバ」に傍線)ヤナメクジハ、人間ノ持タザル力ヲ持テリ。余ハコノ先祖返リ説ガ、解クベカラザル多クノコトヲコトゴトク明解スルモノト考エタルナリ。カクノゴトキ立場ニタテバ、イワユル妖精ニ関スル古来ノ伝説ノ多クハ確固タル事実ヲ表ワスモノト考エラレ、マタカカル伝説ニ存スル超自然的要素ハ、進化ノ大行進ヨリ落伍セルアル種族ガ今ナオ残存シテ、ワレワレニハ奇蹟トヨリホカニ思ワレヌ、アル種ノ力ヲ保持シテイルトノ仮説ノ上ニ立ツ時、ハジメテ諒解シウルモノト余ハ考量シタルナリ。」

「ソノ時カレハ床上ニノタ打チテ、オノレガ体内ナル魔物ニ退(の)イテクレト呻吟スルウチ、タチマチ五体ハ空気袋ノゴトク膨レ、顔面紫色ヲ呈シ来レルヲ見タリ。(中略)床上ニ横タワレル小童ノ躰躯ヨリ兀(こつ)トシテ何物カ衝キ出デ、突トシテ伸ビルト見ルヤ、忽チニシテヌラヌラ、ウネウネシタル触角様ノモノトナリ、室ノカナタニ達スルトオボシク、戸棚ノ上ニアリシ胸像ヲムズト掴ミテ、几上ニ下ロシスエヌ。」

「この弟は、世間で申す快楽などにはまるで風馬牛で生きているような男で、顔だちだって十人並すぐれており、話などさせれば、まるでそれこそ無頼の徒みたいに愉快で、機知横溢にしゃべりまくるほうなのですが、どういうものか人づきあいが嫌いで、いずれ弁護士になろうというので、二階の部屋に閉じこもりきりでおりました。」

「弟は自分の部屋に引きこもったまま、蚊の鳴くような声でわたくしのことを呼んで、きょうはとても忙しいから、食事は扉の外へ持ってきておいてくれと申しますから、わたくしは女中にそのように命じました。」

「弟の書斎の窓をちらりとそのとき見上げたその瞬間に、窓のブラインドがサッと引かれて、そこからなにか生きている物が、下界をギョロリとのぞいたのでございます。いいえ、はっきり顔だの、人間らしいものを見たとは申せませんが、とにかく生きているもので、ギラギラした目が二つ、わたくしのことをギョロリと睨みつけたのです。その目が、(中略)形も姿もないボーッとした、なんだか得体のわからない物のまんなかについていて、それがなにか凶々(まがまが)しいもの、ふた目と見られぬ腐爛(ふらん)したものの印をあらわしているのです。(中略)家のなかへはいるがいなや、わたくしはもう夢中で階段を駆け上がって、弟の部屋の扉を叩いて、
 「フランシス、フランシス」とどなりました。」
「すると、ズルズル、ズルズル足を引きずるような音と、誰かがものを言い悩んで、口の中でグルグル言っているような音が聞こえて、やがてしゃがれた、ひきつったような声が聞こえましたが、なにを言っているのか言葉がよくわかりません。」

「部屋の隅の床の上には、目もあてられない糜爛(びらん)と腐敗にドロドロに溶けくずれた、どす黒い穢物の塊がありました。まるで煮えくりかえった瀝青(れきせい)みたいに、ブクブク油ぎった泡をふきながら、見ている目の前でどんどん溶けて形が変わっていく、液体でも固体でもない、なんだかドロドロの塊でした。そして、そのドロドロになった塊のまんなかから、眼(まなこ)のようなギラギラしたものが二つ光っていて、よく見ると、手だか足だか、どうやらそれらしいものがウニョウニョ動いており、あれが腕かなと思われるようなものが、ムクムク動いて持ち上がっているのが見えます。とそのとき、ハベルデン先生はひと足前へお出になると、いきなり手斧の把手をふりかぶるや、そのギラギラ光っているものをエイとばかり、叩きつぶしになりました。そして、返す手でなおも得物をふりかぶっては、さも憎さげに、打って打って打ちすえました。」



「大いなる来復」より:

「しかし、こういうことは言えるかもしれない。ふつう、通常の生活を送っている人間は、五感に訴える証拠に重きをおくし、またその点通常人はまちがいがない。たとえば通常人は、牛が見えるという。石塀が見えるという。牛と石塀が「そこ」にあるという。これは生活の実践的目的のためにはたいへん好都合でけっこうなことであるが、しかし形而上学者はそういう石塀や牛の実在について、けっしてそんなことでたやすくは納まらないはずである。おそらく形而上学者は、その二つの客体が、鏡における反射作用に似た人間の感覚のなかで、「そこに」あるということは認めるだろう。現象的実在はある。しかし、客観的実在は果たしてあるかと言うだろう。ともあれ、真の存在というものを考えるばあいは、多分にそのとおりであることを認めなければなるまい。それはわれわれ通常人の考える概念とはちがうのである。(中略)もしわれわれがほんとうの牛を見ることができたら、とてもこれが牛とは信じられないものに見えるにちがいない。」

「だいぶ前のこと、(中略)ある医師がサボテン錠(アンヘロニウム・レウィニー)の投薬実験を書いた記事がのっていたのを、わたしは保存しておいたことがある。その記事によると、その薬が効いているあいだは、どうしても目をつぶらなくてはいられなくなってくる。で、目をつぶると、たちまち堂々たる光り眩い、ゴチック風の大伽藍が、いくつも聳え立つのだそうである。これらの大伽藍は奈落の底から九天の高きにこぞり立つかと見え、尖塔は雲と星くずの間に巍然(ぎぜん)として睥睨するごとく、全体の形がじつにみごとである。目を凝らしてじっとそれを見ていると、やがて大伽藍の石材が、ことごとく生きているのに気がつく。石材が一つずつみな生きて、動悸を打っており、よく見ると、それらの石材はみな光り輝くエメラルド、サファイア、ルビー、オパールなどの宝石で、人間の目がかつて見たことのないような光彩を放っているのだそうである。
 この文章は、どうやらラントリサントの人々が経験した変性の世界、――すべてが生動しつつ、しかも赫奕(かくえき)たる光と歓喜にあふれた世界の性質に、いくらか似かよっているように思われる。」



「解説」より:

「『怪奇クラブ』の「黒い石印」のなかに“矮人(こびと)”の伝説が出てきます。マッケンの作品には、かならずこういう矮人や、また「パンの大神」に出てくるような“半人半羊神(フォーン)”が出てきます。“半人半羊神”は『怪奇クラブ』の「金貨奇譚」にも出てきますが、マッケンはこういう“矮人”や“半人半羊神”を、人間の罪悪や禁じられた性的快楽の媒介者として、あるいはその象徴として、作品のなかに設定しているのであります。「黒い石印」のグレッグ教授の口をかりて言っているように、人間は妖精というものが本来は恐ろしいものであるがために、できるだけそれを美化している。ところで、これらの妖精どもは、いずれも人間以前の世界に生存していた未開な半人半獣なのであって、その姿は醜怪卑陋(しゅうかいひろう)、その心ばえは罪そのもののように陰険邪悪である。そういう妖精どものなかのあるものが、たまたままれに現代に生きのこっていて、人間が人知の及ばぬような罪を犯したり、人間に許されていない性の快楽に溺れたりするのは、みなそういう悪い妖精や邪神のしわざなのだ、というのがマッケンの罪とエクスタシーに対する解釈なのであります。したがって、マッケンの怪奇と恐怖の世界は、人間の罪悪と性の快楽を通して、人間が覗(のぞ)くことのできない、あるいは覗くことを許されていない妖精と邪神の世界を覗く、そのエクスタシーの恐怖が主題となっています。つまり、古い民話や伝説の世界は、現代にもなお生きながらえて、かずかずの恐ろしい不思議を行なっている、とマッケンは主張するのです。――「パンの大神」では、脳髄の一部を切除されたヘレンという無垢(むく)な少女が、半人半羊神と通じて、淫楽の化身となり、あまたの男性を虜(とりこ)にしていく。虜にされた男たちは、いずれも人間に許されない性の快楽に惑溺(わくでき)して、ひとりのこらず身を滅ぼしていく。また、「黒い石印」に出てくる癲癇病みの白痴の少年は、母親が石切り山で矮人(こびと)に犯されて身ごもった因果の子であります。石印の謎の文字を、少年の口走る不可解な言語との暗合に、探索のいとぐちを発見したグレッグ教授は、けっきょく、人間に許されていない妖精の秘密を究めようとして、かえって妖精のために生命を奪われてしまいます。おなじように、「白い粉薬」のフランシスの肉体が溶けくずれてしまうのも、主治医ハーベルデン医師の友人がいうように“サバトの酒”をのんだがためなのです。このように古い妖精や邪神の毒牙は、いまでも寂しい山野に、あるいは熱閙(ねっとう)の都会の巷に、夜となく昼となく、陰険巧妙に人間の弱点をねらっています。」
「マッケンの作品は、ほとんどどれもこれも、同じこのテーマのヴァリエーションだといっても、言いすぎではないようであります。そしてマッケンは、このテーマの解明をすべて暗示にとどめています。この暗示的手法から、かれの作品には独特の妖気が漂います。」
「暗示的な事件を並列していくという手法から、構成上に多少緊度を欠く点があるかもしれませんが、そのかわり読者をモヤモヤした妖気のなかに落としこむ魔術を、マッケンほど心得た人はちょっと類がないように思います。私なども若いころにマッケンのこの魔術の虜(とりこ)になって以来、いまでも数ある怪奇小説作家のなかで誰がいちばん好きかと問われれば、躊躇なくマッケンと大きな声で答えることに限りない喜びを感じている一人であります。」





こちらもご参照下さい:

アーサー・マッケン 『夢の丘』 (創元推理文庫)







































































































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