「CINE VIVANT No. 8 ミツバチのささやき」

「怪物の方が、アナにとっては家族よりも近い存在といえるでしょう。フィルムの最後にアナが家の窓を開けるのは、超自然の、闇の世界をみずからの内に呼びこむというパフォーマンスを意味しています。」
(ビクトル・エリセ 「ミツバチの巣箱を出て ビクトル・エリセ自作を語る」 より)


「CINE VIVANT No. 8 
ミツバチのささやき」


制作: リブロポート
発行: シネ・ヴィヴァン六本木
1985年2月9日 発行
1986年6月1日 第10刷
48p
B5判 中綴じ
定価600円



ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』パンフレット。


cine vivant ミツバチのささやき 01


目次:

ミツバチの巣箱を出て ビクトル・エリセ自作を語る (インタビュアー: 四方田犬彦)
dialogue vivant 記憶の集積、イメージの再生 (武満徹/蓮實重彦)
怪物フランケンシュタインとオルゴール懐中時計と井戸のある一軒家。『ミツバチのささやき』の可愛いアナ。 (淀川長治)
神隠しにあった少女 (川本三郎)
夢の縁 (天沢退二郎)
三番目の質問の手前で (山口昌男)
閉ざされた部屋の中に住む人々の空想 (小松弘)
フランケンシュタインが来た (高橋睦郎)
アナも火を跳んだ (萩尾望都)
ソイ・アナ・ソイ・ビクトル・エリセ (奈良原一高)
現代スペイン映画群像 (出口丈人)
『ミツバチのささやき』の神話構造 ビクトル・エリセ インタビュー (旦敬介 訳)
『ミツバチのささやき』解説/ストーリー
『ミツバチのささやき』採録シナリオ

連載 interview 作家主義⑦ la politique des auteurs ジャン・ルノアールに聞く (奥村昭夫 訳)



cine vivant ミツバチのささやき 02



◆本書より◆


「ミツバチの巣箱を出て ビクトル・エリセ自作を語る」より:

「あの家では、アナだけが外へ出ようとしている存在、閉ざされたものを見つめようとする存在なのです。アナが歩んでゆく過程とは、知を獲得する過程になっています。最初、彼女はいつでも姉のイサベルに頼っている。『フランケンシュタイン』のフィルムを見たときから、今度は姉にいろいろなことを尋ねるようになる。つまり学習が始まるわけです。アナの質問とは基本的な問いで、すべてのものに共通する普遍的なものです。たとえば、なぜ怪物は女の子を殺しちゃったのか、とかね。大人がこうした問いに答えるかどうかは別として、少なくともイサベルのした答は偽りです。それに父親の解答は合理的なものでしかない。どちらの解答も、アナには何の役にもたたない。アナだけが幻(ファンタスマ)を本当に信じています。だから、彼女は少しずつ、少しずつ家族から離れてゆく。離れてゆくにつれて、だんだん自分のアイデンティティーが確立されてゆく。脱走兵が登場したあたりが、彼女の成長過程の第一段階かもしれません。最終段階は、フランケンシュタインの怪物と深夜の森の池のほとりで巡りあう場面です。怪物の方が、アナにとっては家族よりも近い存在といえるでしょう。フィルムの最後にアナが家の窓を開けるのは、超自然の、闇の世界をみずからの内に呼びこむというパフォーマンスを意味しています。」


「『ミツバチのささやき』の神話構造 ビクトル・エリセ インタビュー」より:

――途中のその段階では、フランケンシュタインというのは何を表わしていたんですか?
 この映画は、文学的・映画的神話――今日では低級になって、扱われ方によってはフェティッシュになってしまい、消滅の瀬戸際にあるもの――のいくつかに関して、その神話の現代的な運命を考えてみるというところから出発しています。フランケンシュタインが、メアリー・シェリーの置き去りにしていったその同じ場所、つまり北極から、ある神秘的な呼び声に応えてぼくらのもとへ戻ってきたという設定です。彼は北極で何年も何年も冬眠していたわけです。プロットの中心には、あの本の主要人物たちが、ある種警察機構的な性格ももった組織に働く現代の文化・科学テクノクラートとぶつかりあう、という場面がおかれていました。アクションの大半は収容所的な空間の中で展開するはずでした。それはもちろん、抑圧的な施設で、精神病院や刑務所そのものではなくとも、その両方に似たところがある場所です。
 この話しの中では、その施設に監禁されている登場人物の何人かが、しょっ中、身元の知れないある女について話し合うのです。この女というのはその同じ建物の中の一番奥まった部分に住んでいて、決してその外には出てこない、けれども時折その女の歌声が聞こえてくるんです。それもいつも真夜中に。収容されている人物の中にはフランケンシュタイン博士と彼の手になる怪物も含まれているんですが、このふたりだけが例の女の声に、他の人たちとは違った何かを感じとっている様子なのです。ある時、ぼくらはこの場面をどういうふうにしようかと考えたものです。けれども、これだけじゃなくて、この女の歌の歌詞やリズムは、女の知らないうちに、囚人たちの即興の暗号として、壁ごしに房から房へと情報を伝えるのに利用されている、という話もからんでいました。映画の最後になって、一回だけ、この女が閉じこめられている場所にカメラが入っていきます。女は年齢不詳で、その容姿や服装は非時間的なものである。それに、人から見られていることにも気づかずにいる、少なくとも気づいているようなそぶりは見せないわけです。彼女は自分のうちに閉じこもって一心に絵を描いている。その絵には、嵐にもまれる帆船の姿が描かれています。そして、ちょうどその時、女は全神経を集中させてゆっくりと、帆船の竜骨にある名前を書きこんでいる――「エアリエル」とそれは読める。まさにこれが、あの詩人のシェリーが溺れ死んだ時に乗っていた船の名なんですね。つまり、例の女はメアリー・シェリーだと考えられるわけです。この映画のために頭の中にあったスタイルは、明らかに無声映画の特徴から影響を受けていました、特にドイツ表現主義、中でもフリッツ・ラングの作品とムルナウの『ノスフェラトゥ』ですけれども。
――どうしてその計画はあきらめてしまったんです?
 製作の側から見て、この着想には問題が多すぎたんですよ、つまり、予算を超えちゃうだろうと思わせる要素がたくさんあったんですね。まあいずれにせよ、ぼくがこれをあきらめることにした最大の理由は、こういう捉え方をすると、当時ぼくが不可欠だと感じていた何かが落ちてしまうと気づいたからです。それが何なのかは、しばらくたってから突然、非常にはっきりとわかったわけですけれども。
 このテーマを選んだ時から、ジェームズ・ホエイルの映画『フランケンシュタイン』(1931)のスティル写真を切り抜いてきて、仕事机の上に置いといたんですよ。この写真は、よく知られているものですけど、川べりで怪物が少女と出会う場面を撮ったやつです。ある朝、あらためてこの写真をながめていたら、急に、この中にすべてが含まれているって気がつきましてね。このイメージが、ぼく自身とフランケンシュタイン神話との最初の関係を深いところで要約しているんだなって。つまり、フランケンシュタインが文学的な虚構の存在だと知る前には、ぼくはフランケンシュタインとどういう関係をもったものだったか? そう考えてみると、それは、惹きつけられるけれども拒絶したいという両方の色に染まったもので、幼児期のある瞬間にどこかの暗い広間(映画館)の中で体験したものだったわけです。(中略)あらゆる神秘的体験のうちで最も重要なのは、幻影(ファンタズム)の姿が露わになる瞬間、通過儀礼(イニシエーション)の瞬間なのであり、ぼくはそれに身を任せることにしたわけです。そこで、ニ、三日で物語をひとつ書き、これが、いずれ形を変えながらも『ミツバチのささやき』の下じきになったんです。」



cine vivant ミツバチのささやき 03


























































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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