山本ひろ子 『異神 ― 中世日本の秘教的世界』

「思えば彼らが強大なパワーを誇り、抗しがたい魅力を放って中世信仰世界の一角に棲息しえたのは、越境者というメンタリティ、すなわち非伝統ゆえの新奇性、非日本的な出自ゆえの覇王的性格にあったといえるだろう。」
(山本ひろ子 『異神』 より)


山本ひろ子 
『異神
― 中世日本の秘教的世界』


平凡社 
1998年3月23日 初版第1刷発行
1999年8月6日 初版第3刷発行
ix 673p 著者紹介1p 口絵16p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価7,000円(税別)
装丁: 中垣信夫



口絵図版34点(うちカラー31点)、本文中図版(モノクロ)多数。
本書はのちに「ちくま学芸文庫」版として再刊されています。


山本ひろ子 異神 01


目次:

プロローグ――異神たちの「顕夜」へ

第一章 異神と王権――頼豪説話をめぐって
 Ⅰ 『平家物語』頼豪説話の構成とモティーフ
  ⅰ 頼豪怨霊譚の位相
  ⅱ 史実と虚構のあいだ
 Ⅱ 呪殺された王――後三条天皇崩御譚
  ⅰ 神は「鳴動」した
  ⅱ 王家と山門・寺門
 Ⅲ 頼豪説話の成立
 Ⅳ 鼠の秀倉譚
  ⅰ 頼豪ねずみと日吉社・鼠の秀倉
  ⅱ 護因と後三条天皇(1)
  ⅲ 護因と後三条天皇(2)
 付論Ⅰ 赤衣と老翁・赤山明神
 付論Ⅱ 新羅明神来臨考――縁起と秘法をめぐって
  ⅰ 智証大師伝と新羅明神の渡来
  ⅱ 新羅明神と尊星王法――「三ヶ条の御本意」をめぐって
 付論Ⅲ 新羅明神の幻像を追って
  ⅰ 「御本国」での四つの本名――嵩山王・朱山王・松菘王・四天夫人
  ⅱ 「素髪の老翁」とスサノオ――疫神としての新羅明神

第二章 摩多羅神の姿態変換――修行・芸能・秘儀
 序 謎の神・摩多羅神
 Ⅰ 叡山常行堂と摩多羅神
  ⅰ 常行堂と引声念仏
  ⅱ 秘法「天狗怖し」
  ⅲ 摩多羅神のトポロジー――常行堂を超えて
 Ⅱ 秘儀と摩多羅神――摩怛利神法と玄旨灌頂の世界
  ⅰ 摩怛利神法――七母天供養法と七鬼の呪言
  ⅱ 玄旨灌頂と摩多羅神――「ふるまい」の本尊
 Ⅲ 修正会のなかの摩多羅神――秘法相伝と摩多羅神の「顕夜」
  はじめに――まぼろしの修正会から
  ⅰ 摩多羅神相伝と「天の祭」――多武峰の場合
  ⅱ 摩多羅神相伝と秘密の奥殿――毛越寺の場合
  ⅲ 摩多羅神の顕夜――日光山の場合
  終わりに――「神申し」の翁へ
 付論 日光山の延年舞と常行堂
  はじめに――日光山常行堂と摩多羅神
  ⅰ 倶舎舞と修正会――「延年舞」の源流を求めて
  ⅱ 教城院と光樹院――摩多羅神の奉斎者たち
  終わりに――甦った摩多羅神法

第三章 宇賀神――異貌の弁才天女
 はじめに――『渓嵐拾葉集』と二種の弁才天
 Ⅰ 宇賀神経と荒神祭文
  ⅰ 弁才天三部経の物語相
  ⅱ 荒神祭文と十禅師=宇賀神説
 Ⅱ 『弁才天修儀』の儀礼宇宙――行法と口伝をめぐって
  ⅰ 弁才天修儀への誘い
  ⅱ 『弁才天修儀』の行法と口伝
  ⅲ 表白の段
  ⅳ 結願作法
 Ⅲ 弁才天灌頂――戒家相承の弁才天と如意宝珠をめぐって
  ⅰ 弁才天五箇の灌頂
  ⅱ 生身弁才天灌頂
 終わりに――「如意宝珠王」の彼方に
 付論 戒家と大黒天――大黒天法と戒灌頂をめぐって
  ⅰ 弁才天修儀と大黒天法
  ⅱ 戒灌頂の儀礼世界
  ⅲ 合掌印の授与――「三重合掌」と師資冥合
  ⅳ 「三種法華」と大黒天
 資料
  Ⅰ 弁才天三部経
  Ⅱ 最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠王修儀
  Ⅲ 弁才天修儀私

第四章 行疫神・牛頭天王――祭文と送却儀礼をめぐって
 はじめに――「牛頭天王島渡り」祭文と祇園縁起
 Ⅰ 「牛頭天王島渡り」祭文の世界
  ⅰ 牛頭天王の出生と龍宮行き
  ⅱ 蛇毒気神の物語
  ⅲ 津島への鎮座と疫病の造立―本復
  ⅳ 古端一族の殲滅
  ⅴ 釈迦との問答譚
  ⅵ 護符の授与と天王祭
 Ⅱ 津島の牛頭天王信仰と御葦流し
  ⅰ ふたつの護符――柳簡と立符
  ⅱ 津島の牛頭天王縁起――「牛頭天王講式」を読む
  ⅲ 流される疫神たち――御葦放流神事
 終わりに――「みさきたなびく牛頭天王……」

エピローグ――越境する異神たち

引用資料所収一覧
あとがき
人名・書名索引
事項索引




◆本書より◆


「プロローグ――異神たちの「顕夜」へ」より:

「新羅(しんら)明神、赤山(せきざん)明神、摩多羅(またら)神、宇賀(うが)神、牛頭(ごず)天王……。不思議な名前をもつ神々がいる。
 〈神〉と呼ばれてはいるのだが、はたして神なのか、仏なのか、その出自も来歴も不明の謎めいた霊格たちだ。彼らは一人として記紀や風土記、延喜式神名帳などに登場していないし、なれ親しんだ神々の物語をももってはいない。それもそのはず、記紀編纂の遙かな古代には、彼らはまだこの世に存在していなかったのだから。
 彼らは何者なのか、どこから来たのか。遠い日のたしかな足跡は杳として窺いしれない。しかし異風なその形姿や耳慣れぬ名前の響きが発揮する強烈なエグゾティシズムは、彼らが日本生え抜きの神でもなく、経典中の仏菩薩でもないことを告知している。
 どうやら彼らの始祖たちは、異国から海を渡ってきた越境者だったらしい。しかしそれはことの発端にすぎない。彼らは日本という国と風土を舞台に、一個の神格として豊かに自己形成を遂げていき、懐かしい原郷を忘れ去るほどに日本の神としてしたたかに君臨していく。
 神話の神でも、仏菩薩でもない、新しい第三の尊格。彼らを「異神」と命名することにしよう。
 日本中世こそ、彼ら異神たちがもっともダイナミックに活動した時代であった。とはいえ彼らのほとんどは、「深秘(じんぴ)」というタブーを外被に身を隠し続けていたのだが。
 異神の一人、日光山常行堂の隅に祀られていた摩多羅神という神は、年に一度、修正会の夜に御殿から出御した。この聖なる夜を摩多羅神の「顕夜」と称したが、神は己れの真容を決して晒しはしなかった。いや、霊異があまりに強大なため、僧徒たちは像容を仰ぐのさえ憚ったのである。
 重要なのは造像ではなく、秘儀や行法という劇的な場面に「顕現」した秘神の霊性そのものというべきだ。もちろんそこには、中世という時代の、大いなる儀礼的想像力が宿っている。
 よりグローバルな視界に立てば、摩多羅神の「顕夜」を、そのまま異神たちの「顕夜」に拡大させることができようか。異なる運命・来歴を身に纏ってはいたが、彼らは視えない時空で互いに信号を出し合い、エネルギーを交換しながらひとつの信仰の系を形造っていった。
 異神たちが同時多発的に誕生・成熟し、連携、時には対立しあって暗躍した中世の「顕夜」が、本書の舞台だ。日本の信仰史のなかで特異な光彩を放ちながら、綾なす異神たちの系譜。その脈動に耳を傾け、活動の軌跡を辿るとき、浮かびあがってくる中世の「顕夜」は、闇にかかる壮大な星宮図(ホロスコープ)となろう。」



「第一章 異神と王権――頼豪説話をめぐって」より:

「「異神」はいかにして日本へとやってきたのか。渡来人が日本へ持ち込んだ場合を別とすれば、考えられる状況は高僧(と弟子たち)の入唐求法である。(中略)ようやく訪れた異国・唐土における求法と巡礼の日々。その中で、それまで名前を聞いたこともない在地の神々との邂逅もあったろう。とすれば帰朝に際し、多くの聖教・仏像類に混じって、異神とその信仰が運び込まれたとしてもおかしくはない。」


「第二章 摩多羅神の姿態変換――修行・芸能・秘儀」より:

「さて摩多羅神は猿楽の鼓打ちに似た格好をし、二童子も笹と茗荷を持って舞う姿をとることから、そこに歌舞に関わる神、芸能神としての性格を窺うことができよう。」
「だが摩多羅神は最初から芸能神であったわけではない。」

「天狗とは「一念妄心」の僧が形を変えたものという観念は、中世に広く流通した。「通力をえたる畜類」(『源平盛衰記』)で、左右の羽根を生やし飛行するという造型を、その代表的なものとみなすことができよう。(中略)この天狗がしばしば常行堂に出没し、行者の修行を妨害したわけだが、天狗調伏の秘法「天狗怖(おど)し」が摩多羅神の神通力を仰ぐものであるならば、摩多羅神という尊格は修行そのものと不可分であることに気づかされる。
 『渓嵐拾葉集』巻二十二の虚空蔵菩薩求聞持(ぐもんじ)法を述べた「行者用意の事」によれば、この法を修行中の行者は「種々の異相」を感じて障礙されることが多々あった。その「異相」とは、道場の中に海水が押し寄せたり、「明星拝見ノ窓」から死人の首が現われたあげく、その首が巨大になって道場内に充満したり、乳器の上に馬の脛(すね)がのしかかり、異臭が立ちこめるといったシュルレアリスティックな奇怪なイメージである。」
「「執心著相アレバ、必ズ魔ノ為ニ障礙セラルナリ」「外ヨリ障礙ノ来ルニハ非ズ。只一念ノ妄心ニ依ルナリ」と、光宗は「行者用心」の心得を説いている。これらの幻視体験は、自己の内に兆す三毒・煩悩などの「内魔」、また天狗などの「外魔」との葛藤・超克こそが修行の核心をなすものであることを示していよう。」
「さて仏道修行の妨害者天狗を調伏するという「怖魔」の機能こそ、常行堂・摩多羅神の存在理由であった。それははからずもこの神が、天魔・天狗と同じ障礙神であることを如実に物語る。摩多羅神も一箇の障礙神なのだ。つまり障礙という負のエネルギーを誘引し、天狗の除障へと転換・集中させることによって「天狗怖し」ははじめて「怖魔」の行法たりうるのである。
 それにしても興味を惹くのは、後戸で跳ね踊り、前後の見さかいなく経を読むという振舞である。「仮りに魔縁に屈服する形か」と光宗がコメントしたように、堂衆らは、撃退すべき対象である天狗が憑依したかのごとき狂態を演じることで彼らを畏怖せしめるわけだ。床板を踏みならす激しい音の轟きと、口々に発する経文の妖しいざわめきとの増幅・相乗。狭い密閉空間に反響する音と声の洪水の中を僧らが躍如する光景は、さながら異界での天狗の饗宴を思わせる。
 常軌を逸したごとき所作(パフォーマンス)と音響・経文の呪的パワーによって後の暗がりにひそむ摩多羅神を驚発し、障礙神としての力を覚醒させ、天狗を威嚇するのが「天狗怖し」であった。」

「中世ではスサノオは牛頭天王と習合し、行疫神(転じて除厄神)として畏れられていたが、ここで注目したいのは、新羅明神も「疫気ヲ消シ災難ヲ攘(はら)フ」(『園城寺伝記』)神であった点である。」
「しかしその除厄の功能も、いったん神の瞋恚(しんい)に触れた時には、強烈な咎懲(きゅうちょう)の力として発揮される。三井寺の頼豪が戒壇建立の願いを聞き入れなかった白河天皇を恨んで皇子・敦文親王を祟り殺したとの、『平家物語』などが伝える頼豪怨霊譚は、実はその背後に新羅明神の報復というモティーフを隠し持つものであった。また中世ではしばしば、疫病は新羅国から来ると信じられていたが、こうした行疫の働きと異神という存在性が共振しあうとき、王権への敵対という構図が説話の深層から浮上してくる。
 ここで摩多羅神=スサノオ説に立ち戻ると、異国出自の新奇な神という異神性はもちろんのこと、摩多羅神にも疫神的性格がありはしないか、という想像が脳裡をかすめる。」



「第三章 宇賀神――異貌の弁才天女」より:

「ところが日本にはこの妙音弁才天のほかに、もう一種の弁才天が存在した。こちらの弁才天は頭の上に「宇賀神(うがじん)」という奇妙な神を乗せており、そのために「宇賀弁才天」と呼ばれた。では、宇賀神とはどのような像容であったのか。江戸期の学者天野信景の語るところを聞こう。

  宇賀神とて頭は老人の顔にし、体は蛇体に作り、蛙をおさへたるさまして神社に安置し、祭る時には一器に水を盛り彼の像を入れ、天の真名井の水なんいふ文を唱へて其の像を浴す。像、或は金銅、または磁器也。
 (『塩尻』巻四十九)

顔は「老人」で体は「蛇体」、そして「蛙」を押えつけている。しかも祀る時には、水を湛えた器に神像を入れ、唱文を誦しながら像を浴すという。」

「宇賀神。異貌の弁才天女。記紀はもちろんのこと、『延喜式』神名帳にも登場しない「人頭蛇身」のこの尊は十世紀中葉にはその名を現わすが、おそらく院政期頃から成熟し、中世を通じて独特の形貌と活躍を信仰宗教史の上に刻みつけていったのだった。」

「経典中の妙音弁才天を尻目に、いな、その本性をも収奪しつつ、龍蛇と稀有なる合体を果たした異貌の弁才天女。かかる宇賀弁才天もまた「異神」たちの系譜に連なり、中世信仰世界の底知れぬダイナミズムをこの今に突きつけている。」



「エピローグ――越境する異神たち」:

「王権に鋭く対峙した新羅明神に始まる異神たちの系譜は、はからずも、神話の神アマテラスによって牛頭天王が追放される場面で終わることになった。「疫病王」として恐怖の権力を欲しいままにした天王一族が、威光を失って彷徨(さまよ)う姿は実に印象的だ。院政期という異神の爛熟期と、近代前夜という終息期のあざやかな対比を象徴するかのごとくに。
 出自の不明な異神は、しばしば正統を任じる仏教や神道から排撃される運命にあった。もしも、古さと由緒正しい出自こそを日本人の神信仰の原点とみなすならば、異神たちはあらかじめ日本宗教思想史の枠組みから排除されてしまう。また儀礼を最高の舞台とした彼らの様態を、神仏習合という思潮で括ってしまうのはあまりにも空しい。
 異神を〈発見〉し、その系譜と運動論を構想し、異神たちの「顕夜」を再現する本書の試みは、新仏教や宗派別の教義史に傾斜しがちな既成の中世宗教史に異議申し立てをする営みでもあった。
 院政期から中世を通じて、神々のありようは、飛躍的な展開を遂げていく。記紀神話という統辞法の締めつけも束の間のものでしかなかった。神々は、氏族・部族や土地との結び付きからも自由になり、奉斎者集団や修行者個人との交渉を通して、分離・融合・闘争・系列組み替え、変身といっためまぐるしい動きを見せる。海や国境を越えたボーダーレスな交流さえ生まれるようになった。そのもっとも先鋭的なニューウェイヴこそ、「異神」たちであったということができる。
 彼ら越境者たちは、原郷での古代的な装いを脱ぎ捨て、天台密教のロゴスで武装し、日本という新たな土壌であざやかに変身を遂げた。時には恐るべき行疫神として猛威を振るい、また渡来した仏教と協働してその護法神となり、あるいは奉斎集団との盟約によって富と力の招来者を任じ、さらに修行者個人の守護神ともなり、ひいては秘密結社の本尊という役割をも演じ……。
 思えば彼らが強大なパワーを誇り、抗しがたい魅力を放って中世信仰世界の一角に棲息しえたのは、越境者というメンタリティ、すなわち非伝統ゆえの新奇性、非日本的な出自ゆえの覇王的性格にあったといえるだろう。
 自生的、伝統的な神信仰は、否定の契機を孕みにくいがゆえに、〈正統〉を脅かす〈異端〉の覇者たりえない。異神たちが神々のヒエラルヒーや既成の秩序に組み込まれ、吸収されてしまったなら、かくも大きな新勢力たりえなかったことはたしかだ。
 異神たちがドラスティックに躍動した日本中世の「顕夜」――。その漆黒の帳(とばり)から時空を超えて、近代の貧しい霊性を覚醒させる光がわずかでも甦ってくるなら、この国土のどこかにまだ眠っている異神たちも、ふたたび哄笑を取り戻すかもしれない。」



山本ひろ子 異神 02


「摩多羅神像
像高およそ19cm、鼓を打ちながら歌う姿である。」



山本ひろ子 異神 03


「弁財天像
鳥居の向こうに浮き上がっているのは、宇賀神の顔。」















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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