山本ひろ子 『中世神話』 (岩波新書)

「観念上の神が、現実性を獲得していく――。」
(山本ひろ子 『中世神話』 より)


山本ひろ子 
『中世神話』
 
岩波新書 新赤版 593 

岩波書店 
1998年12月21日 第1刷発行
iii 216p
新書判 並装 カバー
定価640円+税



本文中図版(モノクロ)12点。


山本ひろ子 中世神話


カバーそで文:

「中世に日本神話が創造されていた。律令体制後の社会において、神仏習合とともに思想的変動を物語るおびただしい神道書、寺社縁起、本地物語などが著わされた。そこには、記紀神話とは別の神話的世界がある。「天地開闢」「国生み」などの物語が、未知の神々をキャスティングしてどのように変奏されたのか。中世びとが構想した神話空間への誘い。」


目次:

序章 中世神話への招待

第一章 屹立する水の神
 Ⅰ 中世の開闢神話
 Ⅱ 御饌の神から開闢神へ
 Ⅲ 水徳の神=豊受大神の成立

第二章 天の瓊矛と葦の葉
 Ⅰ 大日如来の印文神話
 Ⅱ 天の瓊矛のシンボリズム
 Ⅲ 葦の老王の物語
 Ⅳ 地主の神と今来の神

第三章 降臨する杵の王
 Ⅰ 稲の王から杵の王へ
 Ⅱ 天の瓊矛とその行方
 Ⅲ 猿田彦大神と大田命

終章 伝世されなかった神器

あとがき
基本文献一覧




◆本書より◆


「序章」より:

「ここに、記紀神話でもなく、南島の歌謡でもない、いわば第三の神話群として中世神話を招聘(しょうへい)することにしよう。だが、はたして中世に、神話が誕生したといえるのか。神話を、太古における出来事を一回性として語るものと定義するならば、「中世」神話は、それ自体が矛盾ではなかろうか。
 もちろん中世神話は、いわゆる起源神話と同じ位相に位置しているわけではない。中世に作成された、おびただしい注釈書・神道(しんとう)書・寺社縁起(えんぎ)・本地(ほんじ)物語などに含まれる、宇宙の創世や神々の物語・言説を、「中世神話」と呼ぶまでのことである。
 しかもそのほとんどは、自立した作品ではなく、断片的記事にすぎない。にもかかわらず中世神話と命名しうるのは、記紀神話や仏教神話などの、先行する神話物語に取材し、すべからくそこから出発していること、またその営み=神話的思考が、神道書や縁起・物語という作品世界を根底で支えており、中世の宗教思想の一大潮流と考えられるからだ。
 つまり中世神話とは、すぐれて方法意識的なカテゴリーということになろう。大事なのは、中世神話とは何かという定義であるよりは、中世神話という視座であり、それによって照らしだされる信仰世界の内実にある。
 これまで、あまり人々が覗き見たことのない、謎に満ちたカオスの海。もしかしたらその海底には、思いがけず豊かな、神話の鉱脈が眠っているかもしれない。」

「中世神話のテクスト群を、試みに三つのジャンルに分けてみることにしよう。
 その第一は、中世日本紀である。中世の文献を見ると、「日本紀に云う」という形で、しばしば『日本書紀』が引文されているが、その内容は、『日本書紀』の原文とは大きくかけ離れている。それが「中世日本紀」と呼ばれるもので、中世の学問の一大領野というべき「注釈」の場で形成されてきた。」
「そんな中世日本紀のひとつの達成を、鎌倉中期成立の卜部兼文(うらべのかねふみ)・兼方(かねかた)親子による『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』や兼方本『日本書紀神代巻』に求めることができよう。」
「このような中世日本紀成立の一大源泉となったのが、中世神道であることは容易に想像できよう。(中略)中世神話第二のジャンルは、この中世神道が紡ぎだした神話世界にほかならない。
 周知のように、中世は本地垂迹(ほんじすいじゃく)説を旗印とする神仏習合の時代であった。本地としての仏・菩薩が、神となってこの世に迹(あと)を垂れて衆生(しゅじょう)を救うという思潮で、平安末から鎌倉にかけて、それぞれの神々に仏・菩薩が配当されていく。たとえば天照大神(あまてらすおおみかみ)は、観音の化現(けげん)で大日如来の垂迹であるというように。」
「多彩な神道の潮流と厖大な神道書は、そうした神々の変貌や、新しい宗教観を引き受け、またはそれを強力に牽引するべく成立・展開された。有力寺社や山岳寺院の僧侶・神官たちを主要な担い手として。
 神々の変貌を旗印とする神信仰の刷新は、宇宙や神々の始原・その意味相を捉え返し、再創造するという、ロゴスの運動なしには成り立たない。そこに記紀神話の秩序を大きく逸脱した、新しい神話的な思考が醸成される。それゆえに神道書の多くは、世界の創世=天地開闢(かいびゃく)から語り起こされていったのである。」
「第三のジャンルは、本地物語の世界である。神々の本地や前生を物語るもので、(中略)十四世紀に成立した『神道集(しんとうしゅう)』というテクストを代表的なものとみなすことができる。
 本地物語は地方郷村社会を基盤とし、廻国の宗教者たちによって運ばれ、唱導(しょうどう)文芸として発達しつつ、やがてはお伽(とぎ)草子のような室町小説にまで発展していく。
 「光を和(やわ)らげ、塵(ちり)に同じうす」。本地垂迹説は、この「和光同塵(わこうどうじん)」という標語に集約させることができよう。もとは『老子』を出処とするこの言葉は、中世では、仏菩薩がその威光を和らげ、汚辱にまみれたこの世に神として化現し、衆生を救うという意味を担って流通した。
 本地物語は、まさしくその「和光同塵」を身をもって実践する、悩める神々を主人公としていた。人と生まれて苦しみ、愛し、受難の旅を経て、神として転生する――。」

「中世日本紀、中世神道、本地物語。このような三つのジャンルを往還しつつ形成されていった中世神話は、注釈活動から唱導までという広がりと質をもっている。
 本書はそのなかで、中世神道にスポットライトを当て、神道界の中に生成した中世神話を考察していく。換言するなら、難解で混沌とした中世の神道書を、中世神話として読もうとする試みといえるだろう。」
「近世の国学者たちは、中世神道の言説を、〈さかしら〉による、過剰な作為の産物とみなした。そうしたレッテルから、まだ中世神道は、完全には解放されないでいる。」
「本書は、これまでの神道史観の枠組みから自由になって、中世びとが構想した神話のスペースに読者をいざなってみたいと思う。封印され、埋もれてきた中世宗教世界の豊かな像を提示することで、可能体としての中世思想を拓く試みでもある。
 素材としては、よく知られている「天地開闢」「国生み」「天孫降臨(てんそんこうりん)」の三つの神話を取り上げる。そこで遭遇する宇宙誕生の秘密や神々の変貌は、中世神話が、古代神話からのスリリングな超出であり、〈神話学〉という範疇(はんちゅう)を踏み破る、新しい宗教思想・信仰実践にほかならないことを告知してくれるにちがいない。」



「第1章」より:

「思うに神学者たちが開闢神話の神々に惹(ひ)きつけられたのは、これらの神々がそのあと神話の世界から消失してしまったからにちがいない。たしかに、はなばなしく活躍する英雄的な神々に負けず劣らず、「隠退神」には魅了してやまぬものがある。隠退するほど創造の事業をして疲労したわけでもないのに、神は忽然と身を隠した。なぜか。中世神話はその謎を、神の現象学によって解決しようとしていく。」




こちらもご参照下さい:

山本ひろ子 『異神 ― 中世日本の秘教的世界』

































































































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