ラフカディオ・ヘルン 『東の国から』 平井呈一 訳 (岩波文庫) 全二冊

ラフカディオ・ヘルン 
『東の国から
― 新しい日本における
幻想と研究 (上)』 
平井呈一 訳
 
岩波文庫 赤/32-244-4 

岩波書店 
1952年5月5日 第1刷発行
1995年3月8日 第2刷発行
172p
文庫判 並装 カバー
定価410円(本体398円)
カバー: 中野達彦



ラフカディオ・ヘルン 
『東の国から
― 新しい日本における
幻想と研究 (下)』 
平井呈一 訳
 
岩波文庫 赤/32-244-5 

岩波書店 
1952年5月25日 第1刷発行
1995年3月8日 第2刷発行
202p
文庫判 並装 カバー
定価460円(本体447円)
カバー: 中野達彦



Lafcadio Hearn: Out of the East, 1895
リクエスト復刊。正字・新かな。


ヘルン 東の国から


上巻 カバーそで文:

「小泉八雲の心を惹いた日本人の正義と献身と誠実と剛毅と優美の精神を記した「東の国から」は、松江を離れてのち熊本時代に執筆されはじめた。(全二冊)」


下巻 カバーそで文:

「八雲が赴任した熊本第五高等学校の校長は、講道館の創設者嘉納治五郎であった。武道の精神を論じた哲学的小品「柔術」の他五篇。」


上巻 目次:

夏の日の夢
九州の學生とともに
博多で
永遠の女性について
生と死の斷片



下巻 目次:

石佛
柔術
赤い婚禮
願望成就
横濱で
勇子――ひとつの追憶

解説




◆本書より◆


「夏の日の夢」より:

「いまから、千四百十六年まえのことである。浦島太郎という、ひとりの漁師の男(お)の子が、じぶんの小舟にのって、住の江の岸べから、船出(ふなで)をした。
 そのころも、夏の日といえば、むかしも今もかわりはない。鏡のような海の上には、いくひらかの輕やかな白い浮き雲が空にかかっているばかり。あとはただ、見ていると、瞳までじんわりと溶けてきそうな、のんどりとした淺黄いろが、水と空とを領しているばかりである。そのあさぎ色の空に融(と)けこんでいる、遠い島山の模糊たるすがた、それもやはり、今とすこしもかわりがない。そうして、ほうほうと吹く風は、いかにもものうげであった。
 やがてのことに、浦島は、なんだか自分でも、うつらうつらと眠けをもよおしてきたのである。そこで、釣り絲をたれたまま、小舟を波のまにまに、ただようにまかせておいた。」
「だいぶ長いこと待ったあげくに、浦島は、ようやくのことで、なにか絲にかかったものがあったので、手もとに近く釣り絲をたぐりあげてみた。ところが、上げてみると、なんとそれは、いっぴきのカメなのであった。
 ところで、このカメというやつは、これは籠宮のおつかい姫で、貴いものとされている。(中略)そこで浦島は、とらえたカメを、そっと絲からはずしてやり、神へ祈念をこめて、海の中へそれをはなしてやった。
 ところが、どうしたものか、それっきり、えものらしいえものが、さっぱりかかってこない。その日はまた、ひどく暑い日で、海も、風も、なにもかもがじーんと鳴りをしずめたようで、波ひとつそよりともしない。そのうちに、なんともたとえようのないような眠けが、浦島のうえにおそいかかってきた。――そこで、浦島は、とうとう、波にただよう小舟の中で、そのまま正體もなく、ぐっすりと眠りこんでしまったのである。
 すると、夢の中のわだつみのなかから、ひとりのみめうるわしい乙女が――ちょうど、チェンバレン教授の「浦島」のさし繪に見るような、とき色と水あさぎの衣裳を身にまとい、千四百年まえの王女の風俗をそのままに、丈なす黑髪を肩のあたりから足のさきまでたらした、美しい乙女が、すっくと立ちあらわれたのである。
 乙女は、やがて水の上をすべるがごとくにわたって、風のように輕やかにやってきたと思うと、小舟の中に眠りこけている浦島の枕上(まくらがみ)に立って、しなやかな手で、そっとウラシマのことをゆりおこして、さて言うのであった。
 「お驚きになってはいけません。わたくしの父、龍宮王が、あなたのごしんせつなお心ばえに愛(め)でて、わたくしをここまでつかわしたのでございます。あなたは、きょう、カメをいっぴき、おはなしになりましたね。さあ、それではこれから、常夏(とこなつ)の島にある、父の宮居へごいっしょにまいりましょう。おのぞみとあれば、わたくし、あなたの花嫁になりましてよ。そうして、父の宮居で、あなたとふたりして、末の末まで、いついつまでも、しあわせに暮しましょう。」」
「さて、ふたりは、靑い靑い、しずかな海の上を、風のように、矢のように、しだいに南へ南へと漕ぎ去って行った。そうして、やがてのことに、とうとう、ふたりは、常世(とこよ)に夏の盡き去ることのない島へたどりついて、さて龍宮王の宮居へと行ったのである。
 (ここのところで、わたしがげんにいま種本につかっている小さな本は、だんだん讀んで行くうちに、色刷りになっている地(じ)の部分が、しだいにうすい ぼかし になりだしたと思ううちに、きゅうに、びょうびょうまんまんたる靑海波が、ページいちめんにあふれみちてくる意匠になっている。そのいちめんの靑海波のはるかかなたの、まぼろしのような模糊たる水際のところに、常夏(とこなつ)の島の、夏がすみたなびく岸の長沙と、綠したたる常磐(ときわ)の森の上にそびえたつ屋根とが、見えている。それが龍宮殿の屋根だ。)」
「それからというものは、浦島にとっては、來る日も、來る日も、まいにちが新しい驚異の日であり、かつ新しいよろこびの日であった。わだつみの神の下僕(しもべ)たちの手によって、歸墟(ききょ)の底からもってこられる七珍萬寶と、常世(とこよ)に夏のほろびぬ夢の國のくさぐさの歡樂と。――こうして、三年の月日が、わけもなくそこに過ぎたのである。」

「日本の歴代の天皇の年鑑である「日本書紀」には、次のように記載してある。「雄略天皇二十二年、丹後國餘社郡水ノ江の浦島子、漁舟にのりて蓬莱山に赴く」と。その後、三十一代の天皇および女帝の御宇のあいだには、――つまり、五世紀から九世紀までのあいだには、浦島の記事は、ひとつもない。それからのちの「日本書紀」には、「淳和天皇の御宇、天長二年、浦島子歸る。再びまた行く。その行方を知らず」と報ぜられている。」

「乙姫のような宿屋のおかみが、そのとき、また顏を出して、お支度ができましたと言いにきた。そして、かよわい手に、わたしの鞄を持とうとするから、わたしは、その鞄は重いからといって、辭退した。(中略)わたしがおかみに挨拶をすると、おかみは、女中(こども)がまことに行きとどきまっせんけっど、どうかこれにお懲りなく、こんな家でもお忘れなくと言って、「それからあの、俥屋(おとも)には七十五錢やっていただきます。」と言った。
 やがて、わたしは俥上の人となった。それから、五、六分たつかたたぬうちに、この小さな灰色の町は、早くも曲り角のかげになってしまった。濱べを見おろす白い道にそうて、わたしはガラガラ俥に搖られて行った。道の右手には、白茶けた色の切りたった崖がつづき、左手には、見わたすかぎり、ひろびろとした空と海とが、どこまでもどこまでも、果てしもなくひろがりつづいていた。
 何マイルも何マイルも、わたしはその際涯もない輝きを眺めながら、海ぞいの道を、俥を走らせて行った。目に入るものすべてが、ひといろの靑い色に――ちょうど、大きな貝がらの底にきらきらする、あのまばゆいような靑い色にひたっていた。ぎらぎら光っている紺碧の海は、電氣鎔接のような火花をはなちながら、おなじような紺碧の空と融けあっている。そして、巨大な靑い怪物のような肥後の山山は、こうこうと光りかがやく光炎のなかに、まるで紫水晶のかたまりかなんぞのように、とりどりの山稜を空にそそり立てている。なんという澄みとおったこの靑さ! 天も地も、いっさいを呑みつくして餘さない、この紺碧の色を破るものは、わずかに遠い沖あいの怪物のような島山のうえに、しずかに卷きおこる雲の峯の、ぎらぎら光った白い色だけである。その雲の峯が、ひろびろとした海面に、雪のような白い光を波にきざんでいる。沖あい遙か、蟲のあるくように靜かにうごいてゆく幾そうかの船、その船の船尾(みお)には、どれにもみな、長い長い絲が引かれているように見える。ぼーっと光りを含んで打ち霞む一帶の夏がすみ、そのなかに、くっきりと線の見えるものといったら、この船の みお の絲だけだ。それにしても、なんというあの雲の峯の神神(こうごう)しさだろう! ひょっとしたら、あの雲は、涅槃の浄境へゆく途中で、ちょっとひと休み息を入れている、白い雲の精ではあるまいか? それともまた、千年もまえに、浦島の手筐の中からぬけだした、あの白いけむりではなかろうか?

 蚊か蚋(ぶと)のようなわたしの小さな魂が、ふとそのとき、海と天日とのあいだに棚びいている紺碧の夢のなかへ、ふらふらとさまよい出て行ったとおもうと、千四百年まえの三伏の夏の靈氣の中をくぐって、やがてかの住の江の岸べへと、ぶーんと舞いもどって行った。わたしのからだの下には、おぼろげながらも、たぷりたぷりと搖れる小舟の動搖のようなものが感ぜられる。時は雄略帝の御宇である。と、龍宮の乙姫が、鈴のようなすずしい聲で言うのである。「さあ、父の宮居へまいりましょう。あすこはいつもまっ靑です。」「どうしていつもまっ靑なのですか?」とわたしが尋ねる。「それは、わたくしがこの手筐の中へ、空の雲をみんな入れてしまったからです。」と乙姫が答える。「しかし、わたしは家に歸らなければならない。」わたしは、そう言って、きっぱりと答えてやる。すると、乙姫が言うのである。「それでは、俥屋に七十五錢拂ってやっていただきます。」

 はっと思って、目をさましてみると、身は、明治二十六年の夏の土用さなかにいるのであった。」

「わたしは、ふたたび、浦島のことについて考えた。すると、こんなことが目のまえに浮かんできた。――龍宮の乙姫が、やがて戻ってくる浦島を迎えるために、御殿の中をうつくしく飾りつけて、待っている。けれども、浦島はかえってこない。そうしているところへ、陸での出来事を知らせに、白い雲がつれなくも戻ってくる。主人おもいの盛裝したうろくずどもは、なんとかして乙姫を慰めようとして、いろいろつとめる。……こんなことは、しかし、原話にはないことだが、でもよくよく考えてみると、どうもあの話には、浦島ひとりだけに同情が寄せられているといったような、片手落ちのところがある。」
「このばあいの同情とは、要するに、自分にたいする同情にちがいない。だから、浦島の傳説は、あれは畢竟、百萬人の人間の心の傳説なのだ。ちょうど空が紺碧にかがやき、軟かな風がそよそよ吹くころの季節になると、あの傳説のなかに含まれている想念が、まるでなにか身におぼえのある古疵かなんぞのように、人間の心のなかにぼっと浮かんでくるのだ。そうしてしかも、その想念は、季節とか季感というものに、いま言うように密接なつながりをもっているものなので、ひいてはそれが人間の一生、あるいは、われわれの先祖の人たちの一生のうちに實在していた何物かに、しぜんと深いつながりをもつようになったものなのだろう。では、その實在していた物というのは、いったい、何なのか? 龍宮の乙姫なるものは、あれはいったい、何だったのか? 常夏の島というのは、どこにあったのか? それから、あの手筐の中にはいっていたあのけむり、あれはいったい、何なのか?
 わたしは、この疑問のどれにも、答えることができない。ただ、こういうことだけは承知している。――つまり、その想念は、けっして新しいものではないということ。

 そういうわたしに、ある場所と、あるふしぎな時の記憶がある。そこでは、太陽も、月も、今よりもっと形が大きく、もっと光りが明るかった。それが、この世のことだったのか、それとも前の世のことだったのか、そのへんのことが自分ながらさっぱりわからないのだが、とにかく、その時の空が、もっともっとすばらしく靑くて、もっともっと地上に近くて、――ちょうど、赤道の猛暑に向かって海を走ってゆく汽船のマストが、空とほとんどすれすれに見えたことを、わたしは憶えている。海は生きていた。そして、いつでもわたしに話しかけてくれた。風が吹いてくると、わたしはただもう嬉しくなって、大聲をあげて騷いだものだ。むかし、遠い遠い日のこと、山の奥の峯と峯のあいだの峽谷に、浄らかな日をおくっていたころ、一、二どこれとおなじ風が吹いたっけなと、そんな夢みたいなことをふっとわたしはその時考えてみたけれど、それはただ、ほんのおぼろな記憶にしかすぎない。
 そこではまた、雲のたたずまいが、じつにすばらしかった。だいいち、その色が、なんとも名づけようのない色をしている。わたしをいつも遠い、ひたぶるなあこがれに誘ってくれたものは、その雲の色だった。いまでもよく憶えているが、そのころは、いちんちの長さすらが、いまよりもずっと長くて、來る日も來る日も、まいにちまいにちが、わたしにとっては新しい驚異であり、よろこびだったものだ。しかも、その「小さな王國」と「時間」とは、ただもうわたしのことを樂しく仕合わせにしてやろうと、そのことばっかり考えていてくれた人たちによって、和(なご)やかに支配されていたのである。それなのに、わたしはどうかすると、その樂しく仕合わせにしてもらうのがいやさに、神さまのようなその人のことを、よく手こずらせたものであった。(中略)日が暮れて、月がまだ空へのぼらないまえ、月しろの靜けさがあたりにしっとりと降りると、やさしいその人は、わたしを頭の先から足の先まで嬉しさでぞくぞく疼(うず)かせるような、いろんな話をして聞かせてくれたものだ。あれからこっち、わたしはあのころの半分も美しい話すら聞いたことがない。わたしの嬉しがりようがはなはだしくなると、やさしいその人は、きまって、なにかこの世のものとは思われないような、ふしぎな歌をうたってくれたものだ。そうしてわたしは、その歌をききながら、いつとはなしに、うとうと眠りにおちてしまうのだった。そのうちに、やがてとうとう別れる日がやってきたのである。やさしいその人は、泣いて、わたしにひとつのお守り札をくれた。お前ね、このお守り札は、けっして失(な)くしてはいけないよ。このお守りを身につけていさえすれば、お前はいつまでたっても年をとらないで、若いまんまでいられるし、また、いつなんどきでも、歸ってこられる力を授けていただけるからね。……そう言って、その人は、こんこんとわたしに言いきかせてくれたのである。けれども、わたしは、それぎり、とうとう歸らなかった。歳月は過ぎた。ある日、わたしは、ふとそのお守り札を、いつのまにかどこかへ失(な)くしてしまっていることに氣がついた。それ以來、わたしは、われながらおかしいくらい、きゅうにめっきり年をとってしまったのである。」



「博多で」より:

「わたしは、いま、博多にきている。ここは帶織業者の町だ。なかなか大きな町で、町の中には、目のさめるような色彩のふんだんにある、夢の國のような狹い小路が、いたるところに通っている。歩いているうちに、わたしは、念佛小路という町で、ふと足をとめた。じつは、そこの、とある門の中から、通りがかりのわたしの方をむいて、なんだかにこにこ微笑している、とてつもなく大きな、靑銅の佛の首があったからである。門というのは、浄土宗の寺の門であった。そうして、その佛の首が、じつに美しいのである。
 ところが、あるのはただ首だけなのだ。その首を高くささえている柱は、寺の境内の石だたみの上に立っているのだが、その高い柱が、ちょうど夢でもみているような相好(そうごう)をした佛の大きな顏の、あごのへんのところまで、あたりにうずたかく積まれた數千の金屬製の鏡で、見えなくなっている。寺の門のわきに、立て札が立っていて、その立て札に、その説明がしるしてある。それによると、そこにうずたかく積まれてある鏡は、いまそこに安置してある蓮華の臺座をもこめて、高さ三十五フィートにもおよぼうというこの大佛に、おおぜいの婦人から寄進されたものなのだそうだ。そうして、ゆくゆくは、それらの寄進をうけた靑銅の鏡で、大佛さまの全身をすっかりこしらえようということになっているのだそうである。いまある首だけを鑄るのに、すでにもう幾百という鏡がつぶされたのだとかで、ぜんぶ竣工するには、おそらく何萬という鏡がいることだろう。」
「ところで、わたしはこの陳列品を目のまえにおいて、どうも心からうれしいという氣持になれない。(中略)そういう計畫によって、當然そこに、目(ま)のあたりおこる尨大もない破壞作用のことを思うと、せっかくの滿足感も、かえって傷つけられることが大きいからだ。なぜかというと、日本の金屬製の鏡というやつは、(こんにちでは、西洋出來の、言語道斷なガラス製の安鏡に追放されてしまっているが)あれは、もともと、りっぱな美術品と呼んで、けっして恥しくない品である。日本の古鏡のもっているあの優美なかたち、あれをいちどでも見たことのないものは、おそらく、月を鏡にたとえた、あの東洋どくとくの比喩のもっている雅趣を味解することは、まずおぼつかないだろう。そういう古鏡は、片面だけが磨かれている。鏡の裏には、木だの、花だの、鳥、けもの、蟲、風景、むかしの傳説、縁起のいい寶もの、神佛の像などを、浮き彫りにして、裝飾してある。(中略)そのなかでもごくめずらしいのは、西洋人が「魔鏡(マジック・ミラー)」と呼んでいるやつだ。これは、その鏡に光線を反射させて、それを幕か壁のうえに映すと、まるいその光りの反射のなかに、鏡の裏にある模樣がありありとうつってでるというので、そういう名があるのである。」
「こうした精巧な細工ものが、こんなふうに打ち捨てられたままになって、しかも、これがいずれはみな、跡方もなく消えてなくなってしまう運命にあることを、こうまざまざと目のまえに見せつけられては、うたた悲愁の感なきをえない。今後まず十年とはたたないうちに、日本における銀鏡・靑銅鏡の製作は、おそらく永久にあとを絶ってしまうことだろう。」
「いや、そんなことよりも、(中略)もっと神聖な意味が、日本の鏡にはつきまとっているのだ。むかしのことわざに、「鏡は女のたましい」といってあるが、このことわざの意味は、ふつう想像されるような、ただの比喩的な意味ばかりではないのである。それはなぜかというと、むかしから日本の傳説の中には、鏡が、持ち主の一喜一憂をことごとく感得して、それによって、あるいは曇り、あるいは光りして、持ち主のその時その時の心もちに、ふしぎな同情をあらわす、といったような話が、じつに數多くつたえられているからである。そんなわけから、日本では、むかしは――或る人に言わせると、こんにちでもそうだと言っているが――鏡は、人間の生き死にに或る力をあたえると信じられていた、いろんなまじないや巫術などにも用いられたものなのであった。そして、持ち主が死ぬと、鏡もいっしょに葬られたものなのである。」

「むかし、越後の國の松山というところに、名は忘れたが、若い侍の夫婦が住んでいた。夫婦のあいだには、小さな娘がひとりあった。
 あるとき、夫が江戸へのぼった。(中略)さて、歸國のみぎり、夫は江戸から、くさぐさのみやげものを持って歸ってきた。小さなむすめには、おいしい菓子と人形を(挿畫には、そう描いてある)、それから女房のみやげには、銀がけのからかねの鏡を一面。ところが、年のいかない女房には、みやげのその鏡が、まことにふしぎなものに思われた。というのは、鏡というものが松山に持ってこられたのは、あとにも先にも、それが初めてだったのである。女房は、鏡というものが、どういう役をするものやら、とんと知らなかった。そこで、なにも知らない女房は、なんだかこの鏡の中には、美しい笑顔が見えますけれど、あれはいったいどなたのお顏なのですかと、(中略)そう言って、夫にたずねた。すると、夫は大きに笑いながら、「はてさ、あれはぬしの顏じゃに。さてさて、阿呆なやつのい。」と答えた。女房はそれぎり恥じて、あとはなにも聞かずに、いそいで鏡をしまってしまった。が、しまったあとでも、鏡はふしぎなものだという思いは、なかなかもって去らなかった。」
「ところが、女房は、自分がいよいよこの世に暇(いとま)を告げる死病の床についたときに、かの鏡をじぶんの娘にあたえて、言った。「おらが死んだあとは、ぬし、朝に夕に、この鏡をのぞいて見ろよ。おらは、この鏡のなかに、ちゃーんといるすけの。だすけ、なにも嘆くことはねえだに。」そう言って、母は死んだのである。
 それからというものは、むすめは、朝に夕に、鏡をのぞいてみた。鏡のなかにうつる顏を、むすめは自分の顔とは露知らずに、自分がよく似ている、死んだ母親の顏だとばかり思っていたのである。そこで、むすめは、鏡の中の人にむかって、さながら生ける人に物を言うような心もちで、話しかけた。(中略)そうして、娘は、その鏡を、なにものにも增して、だいじにしていたのである。
 そうこうするうちに、このことが、とうとう父親の目にとまるところとなった。父親はふしぎに思って、むすめにそのわけを尋ねてみた。そこで娘は、いちぶしじゅうを父親に打ちあけて物語ったのである。日本の原作者は、ここのむすびのところを、こう言っている。「されば娘の心ねをいとあわれにおもいて、男はなみだに目をぞかきくらしける。」」
「娘のあの天眞そのままともいうべき無邪氣さ、あれは、わたしは父親の感懷などよりも、はるかに永遠の眞理に近いものだと思わざるをえない。なぜかというと、宇宙の法則からいえば、現在は過去の投影であり、未來は現在の反映であるはずだからだ。われわれは、ことごとくみな、ひとつのものである。悉皆一のものである。それはちょうど、光りというものが、それを構成する振動は、幾億萬という口にはいえないほど微塵無劫のものでありながら、光りそのものは、つねに一つであるのとおなじことだ。われわれは、ことごとくみな、ひとつのものである。しかし、無數なのだ。それは、われわれのひとりひとりが、めいめいひとりひとりに、無數の靈魂の總和であるからだ。むかしばなしの中のかの娘は、自分の若い眼(まな)ざしと唇との美しいおもかげを見ながら、きっとそこに母なる人のたましいを見つけて、思わずなつかしい言葉をかけたのにちがいない!」
「われわれ人間は、しんじつ、各自めいめいが、それぞれ宇宙のなにものかを映す明鏡なわけだ。いや、われわれ人間は、その宇宙に投影するわれわれ自身の影像までも映しだす鏡なのだ。そうして、おそらく、われわれ人類の運命は、いずれいつかは、かの偉大なる鑄物師「死」の手によって、或る巨大な、美しい、非情な一塊のかたまりに一丸となって灼き鎔かされることになっているのであろう。」



「赤い婚禮」より:

「日本の情死というやつは、これはなにも、あながちに苦しまぎれの、めくらめっぽうな、あわてふためいた、一時の逆上からおこるものではないのである。當事者同志は、きわめて冷靜だし、物の順序もちゃんと踏んでいるし、とにかく神聖なものだ。心中とは、死をもって起請とする結婚を意味するものなのである。一對の男女が、たがいに神前で起請をかわしあい、この世に書きのこす書置をしたためて、それからのちに死ぬのである。いかなる起請・誓文にしろ、これ以上あらたかなものはあるまい。そういうしだいであるから、かりにたとえば、思いもよらぬことから、ふいに外部から邪魔がはいったり、あるいは醫師の手當などで、ふたりのうちの一方が、思いもかけず、死の手からむりやりにもぎ戻される、というようなことが起ったばあいには、あとに生きのこった片われは、(中略)なんとかしてできるだけ早い機會に、自分の一命をどうしても絶たなければならないという義理に責められる。(中略)女の方は、これはかりに萬一誓紙にたがうようなことがあっても、この方は、いくぶん罪が輕い。けれども、男のばあいとなると、よしんばほかから邪魔がはいって、(中略)それなりおめおめと生きながらえでもしていようものなら、あいつは大嘘つきだ、人殺しだ、人畜にもおとる卑怯なやつだ、人間の面(つら)よごしだと、それこそ一生、死ぬまで人非人あつかいをうけるのである。」

「太郎が六つになったとき、兩親は、村からほど遠からぬところに建てられた新しい小學校へ、太郎をあげることにした。太郎のお祖父(じい)さんが、(中略)或る朝早く、太郎の手をひいて、學校へつれて行ってくれた。」
「太郎は、先生になにか言われたとたんに、きゅうになんだか怖(こわ)いような氣がしてきた。やがて、おじいさんが先生にむかって、いとまの挨拶をのべると、太郎はいよいよ怖(お)じけがついてきて、いっそ家へ逃げて歸ってしまいたくなってきたが、先生はしかし、そんなことにはいっこうかまわずに、太郎のことを、大きな、天井の高い、まっ白けな部屋へつれて行った。その部屋には、腰かけにずらりと腰をかけて、男の子や女の子たちが、目白押しにならんでいた。先生は、その腰かけのひとつへ太郎をつれて行って、ここへおかけと言われた。男の子や女の子たちは、みんないっせいに頸をふりむけて、太郎のことを見、そして隣り同志、なにかこそこそささやきあって、笑っている。太郎は、みんなが自分のことを見て笑っているのだと思うと、なんだかひどく心細くなってきた。」
「太郎は、さっきから、先生の話のほんの一部分しか聞いていなかった。太郎の小さな心は、さきほどこの教室へはじめてはいってきたときに、男女の生徒たちが自分のことを笑ったということで、ほとんどいっぱいになっていたのである。自分のどこを笑われたのか、それはよくわからないのだが、でもわからないなりに、ひどくそれが切なかったので、ほかのことなど、なにひとつ考える餘裕はなかったのである。そんなわけで、先生から自分の名をさされたときに、太郎は、まるで用意というものができていなかった。
 「内田太郎、お前はなにがいちばん好きかね?」
 太郎は、はっと起立して、正直に答えた。
 「お菓子です。」
 生徒たちは、またもや彼の方を見て、どっと笑い立てた。すると、先生は、叱るような調子で、かさねて、尋ねられた。「内田太郎、お前は何か、お父さんお母さんよりも、お菓子の方が好きなのか? 内田太郎、お前は、天皇陛下より、お菓子の方がいいのか?」
 太郎は、そのとき、これはなにかとんでもない間違いをしでかしたなと氣づいた。とたんに、顏がカーッと熱くなってきた。生徒たちは、みんな大きな聲で笑いたてた。」
「鐘が鳴った。先生は、生徒たちに、つぎの時間は、ほかの先生から、はじめてのお習字の授業がある、それまでみんな外へ出て、しばらく遊んでよろしいと言われた。(中略)生徒たちは、いっせいにみな、運動場へ遊びに走りでて行った。けれども、太郎のことをかえりみるものは、誰ひとりとしていない。こうまたみんなから無視されてみると、太郎は、さっき自分が衆目環視の的となったときよりも、いっそうまた心外な氣がした。先生以外のものは、誰ひとり自分に口をきいてくれるものもない。いや、その先生ですら、いまは、彼の存在なぞ、とうに忘れてしまっておられるようだ。太郎は、小さな腰かけに腰をおろすと、泣きに泣き入った。泣き聲をたてると、またみんなが戻ってきて笑われるといけないと思って、聲をしのんで泣いたのである。
 と、そのとき、ふいに誰かの手が、彼の肩にそっとかけられたと思うと、誰か知らないやさしい聲が、太郎にささやきかけた。太郎がひょいと振りかえってみると、そこに、生まれてまだ見たこともないような、やさしい、情のこもった眼がふたつ、じーっと自分のことを見入っている。太郎より年がひとつぐらい上の女の子の眼である。」
「女の子は、ただ、あはははといって笑ったと思うと、そのまま、すばやく太郎の手をひっぱって、教室から外へとびだして行った。小さな母性愛が、その場を察して、機敏にうごいたのである。「いいのよ。あんた、泣きたけりゃ、いくらでも泣いてなさい。だけど、遊ぶときには遊ばなくっちゃだめよ。」そうして、おお、ふたりは、なんとまあ、たのしく遊んだことであったろう!
 ところが、學校がひけて、おじいさんが迎えにきてくれたとき、太郎は、またしても泣きだした。こんどは、せっかく遊んでくれた自分の遊び相手と別れなければならなかったからである。
 おじいさんは、笑いながら、言った。「なんだ、お前、およし坊じゃないかよ! 宮原のおよしだろうがな。いいさ、いいさ、およしもいっしょにきて、家へよって行きな。どうせはあ、歸りみちのこんだで。」
 ふたりの遊びともだちは、太郎のうちで、約束のお菓子をいっしょに食べあった。およしは、そのとき、からかうように、先生の威嚴をまねながら、太郎に言った。「内田太郎、お前は、このあたいよりも、お菓子の方が好きか?」」

「ふたりは、たわいもない理窟をこねあっては、ときどき聲をたてて笑ったりした。いっしょにいるのが、それほどまでに嬉しかったのである。すると、およしが、きゅうにまじめな顏になって、言いだした。――
  「ねえ、聞いてよ。ゆうべねえ、あたし夢を見たの。なんだかねえ、見たこともないような川と海があるのよ。その川がねえ、どうどう、どうどう、海へ流れこんでいるの。そのすぐ川っぷちのところに、あたしが立っているのね。そのうちに、なんだかあたし、こわくなってきたの。なぜだかわからないんだけど、とてもこわくなってきてね。それからあたし、よく見てみると、その川に水がまるっきりなくなっちゃっているんじゃないの。海にも水がないのよ。水がないかわりに、佛さまのお骨(こつ)がいっぱいにあるの。そのいっぱいあるお骨がさ、ちょうど川の水みたいに、みんなごよごよ、ごよごようごいているのよ。
  「そのうちに、いつのまにかまた、あたしが家にいるのね。家にいて、いつぞやほら、あなたから着物にしろっていただいた絹地の反物ね、あれが仕立ができあがっていて、それをあたしが着るのよ。そしたら、びっくりしちゃったの。だってねえ、はじめはいろんな色模樣のあった着物が、いつのまにか白無垢(しろむく)になっているんじゃないの。それをさ、あたしも馬鹿よ、死んだ人が着るように、れいれいと左り前に着ているの。そうしてねえ、そのすがたで、ほうぼう親戚まわりをして、これから冥途へまいりますからって、いちいち挨拶に廻って歩いたの。みんな、どうしてだ、どうしてだって訊いてくれるんだけど、自分にもどうしてなんだか、返事ができなかったわ。」」

「いま、村の停車場で巡査がみとめて、のちに報告したものは、停車場を北に去る半マイルあまりのところで、ふたりの人間が、あきらかに村のずっと北西によった一軒の百姓小屋から出てきて、それが稻田をつっきって、鐵道線路のところまできたということであった。そのうちのひとりは女で、それも着物と帶の色あいからみて、ごく若い女だと巡査は斷定した。そのとき、もうあと數分で、東京發の急行列車が着驛する時間で、こちらへ煙の進んでくるのが、驛のプラットホームから見えた。例のふたりの人間は、汽車のくる線路みちをつたって、とっとと走りだしたが、ちょうど曲り角を曲ったところで、姿が見えなくなってしまった。
 このふたりの人物は、太郎とおよしであった。」
「曲り角のところを曲ると、もう煙のくるのが見えたので、ふたりは走るのをやめて、歩いて行った。列車のすがたが見えだすと、機關手を愕かさないように、ふたりは線路から離れて、手に手をとって待っていた。つぎの瞬間、低い轟音が耳にひびいてきた。ふたりは、さあ今だぞと思った。」

「村の人たちは、相對死(あいたいじに)をしたこのふたりのものをいっしょに埋めた墓石――比翼塚のうえに、いっぱい花をさした竹筒を立て、線香を焚いて、いまでもあいかわらず、參詣をくりかえしている。こういうことは、しかし、けっして正道なことではないのである。なぜかというと、佛教の方では、情死というものは禁制になっているし、しかも、ここの墓地は、佛教の寺のものなのだから。けれども、これには信仰が――深く尊崇するに足りる、ひとつの信仰があるのだ。
 心中をした死者などに對して、いったい、どうして祈念なんぞするのか、どんなふうに祈りごとをささげるのかと、西洋の諸君はさぞかし不審に思われることだろう。いや、だれもかれもが、ひとり殘らずかれらに祈願をかけるというわけではないのである。ただ、それは、戀をするものだけが、――とりわけ、ふしあわせな戀をするものだけが、願をかけるのである。(中略)かくいうわたしも、そのわけをわざわざ尋ねてみたことがあるが、その答えはあっさりしたもので、「死んだあのふたりは、たいそう苦勞をしたからです。」というのであった。
 おもうに、こうした祈念をさそいだす思想というものは、これは、佛教などよりもずっと古くからある思想であると同時に、また、それよりもずっと後年の新しい思想のようにも思われる。いってみれば、苦惱というものを永遠に信仰する思想なのであろう。」














































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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