谷川渥 『鏡と皮膚 ― 芸術のミュトロギア』

「鏡は人影を映してはいない。そこには皮膚が、繊細で感じやすい皮膚があるのだ。」
(ミシェル・セール)


谷川渥 
『鏡と皮膚
― 芸術のミュトロギア』

is の本

ポーラ文化研究所 
1994年4月10日 第1刷発行
214p 図版(カラー)1葉 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,700円(本体2,621円)
デザイン: 鈴木成一



カラー図版(ベラスケス「侍女たち」)1点、本文中モノクロ図版多数。


谷川渥 鏡と皮膚


帯文:

「表層の
快楽

神話を通して、
鏡と皮膚という
「表層」の物語を
読み解く。

新しい
芸術論の
試み」



目次:

序 表層のバロック的遁走

Ⅰ オルペウスの鏡
Ⅱ ナルキッソス変幻
Ⅲ メドゥーサの首

Intermezzo 間奏 可能性の謎――ベラスケス「侍女たち」をめぐって

Ⅳ マルシュアスの皮剥ぎ
Ⅴ ヴェロニカの布
Ⅵ 真理のヴェール

結び 皮膚論的な想像力のために

参考文献一覧
あとがき




◆本書より◆


「ヴェロニカの布」より:

「ヴェロニカ伝説がわれわれになによりも示唆しているのは、ギリシア的なミメーシス論とは原理的に異なるそのイメージ産出の方法である。ギリシア的なミメーシス論は距離を前提としていた。イメージの定着される素材と対象そのものとの間に不可避的に距離が介在せざるをえないのが、伝統的ミメーシス論の特徴である。ところが、ヴェロニカ伝説では、イエスが直接に顔を布に押しあてる。文字どおり顔がうつしとられるのだ。これで思い出されるのが、シュルレアリスムにおいて開発されたデカルコマニーとフロッタージュという技法である。オスカー・ドミンゲスやマックス・エルンストの名と結びついたこれらの技法は、ヴェロニカの聖顔布の現代版の様相を帯びているといえるのではあるまいか。デカルコマニーとは、ガラス板やアート紙などに絵具を塗り、これに紙などを当てて上から押さえるか、こするかして色彩的図柄を現出させる方法である。フロッタージュとは、木片や石や木の葉や麻布など凹凸のある表面に紙を当て、木炭や鉛筆などで上からこすって、そこに見慣れぬ図柄を現出させる方法である。ともに表層の技法であるといっていい。
 シュルレアリスムの問題を考えるとき、人は夢や無意識について語りすぎるのではあるまいか。(中略)シュルレアリスムの真の意味とは、いささか乱暴に聞こえるかもしれないが、深さよりもむしろ浅さに、深層よりもむしろ表層にあるといったほうが妥当であるように思うのだ。」



「真理のヴェール」より:

「内臓ですらひとつの表面=ヴェールとなる。それがバロックというものであろう。ヴェールを剥ぎ、皮膚を剥いでも、そこにはまた新たなヴェール、新たな皮膚が現われるだけである。「主体」のありかを突きとめることなどできない。」




こちらもご参照下さい:

多田智満子 『鏡のテオーリア』
宮川淳 『鏡・空間・イマージュ』
川崎寿彦 『鏡のマニエリスム』 (研究社選書)
由水常雄 『鏡の魔術』 (中公文庫)
ミッシェル・セール 『五感 ― 混合体の哲学』 米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)
谷川渥 『図説 だまし絵 ― もうひとつの美術史』 (ふくろうの本)
































































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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