ラフカディオ・ハーン 『心』 平井呈一 訳 (岩波文庫)

ラフカディオ・ハーン 
『心
― 日本の内面生活の
暗示と影響』 
平井呈一 訳
 
岩波文庫 赤/32-244-2

岩波書店
1951年2月10日 第1刷発行
1977年3月16日 第22刷改版発行
1997年8月5日 第49刷発行
322p
文庫判 並装 カバー
定価560円+税


「本書は第二二刷の改版に際し、(中略)一九六四年九月、恒文社刊「小泉八雲作品集」第七巻を本文の底本にいたしました。」



Lafcadio Hearn: KOKORO, 1896


ハーン 心


カバー文:

「わが国をおとずれた外国人の中で、ハーンほど日本を理解し、また愛した人はないだろう。『骨董』や『怪談』の淋しい美しさにもまして、この『心』はわれわれが、うかつに見逃している身のまわりのことから、思いがけない深遠な思索のいとぐちを教えてくれる。小説、随筆、論文の要素が渾然一体となっているハーンの代表作。」


目次:

原序

停車場で
日本文化の真髄
門つけ
旅日記から
あみだ寺の比丘尼
戦後
ハル
趨勢一瞥
因果応報の力
ある保守主義者
神々の終焉
前世の観念
コレラ流行期に
祖先崇拝の思想
きみ子

解説




◆本書より◆


「コレラ流行期に」より:

「子どもを焼く費用は、たった四十銭である。二、三日まえに、やはり、近所の子どもが一人焼かれた。その子が、いつもそこへ転がしては遊んでいた小さな石が、いまでもそのままになって、日向にころがっている。……子どもが石を愛するというのは、まことにおもしろいことだ。貧乏人の子どもにかぎらず、どこの子どもでも、ある年ごろになると、たいていのものが石をおもちゃにする。ほかにどんな玩具があっても、日本の子どもは、よく石で遊ぶ。石というものは、子どもごころに、じつに不思議なものなのだ。これはさもあるべきで、専門の数学者の頭脳をもってしても、そこらにざらにあるつまらぬ石ころには、無限の謎と驚異があるのだから、子どもが不思議がるのは無理もない。そんな石ころに、ちいぽけな腕白小僧は、ただの見かけよりも、なにかそこに深いものがあることをちゃんと見抜いているのだ。この眼識たるや、なかなか目が高い。ばかなおとなが、なんだ、そんな下らないものと、いい加減な嘘を言いさえしなければ、おそらく子どもは飽くこともなく、その石のなかに絶えず新しいもの、驚歎すべきものを発見して行くにちがいない。石について子どもがもつ疑問に、一から十まで答えることができるのは、まず大学者のほかにないだろう。
 民間信仰によると、おとなりの愛児は、いまごろは賽の河原で、一生けんめいに石を積んでいる頃だろう。――きっと、冥途(よみじ)では物に影のないことを不審に思いながら。この賽の河原の伝説の中に含まれている、偽りない詩情は、その根本観念がまったく自然であるという点、つまり、日本の子どもたちが、だれでもみな石を弄ぶという、この石遊びの遊戯を、冥途(よみじ)の世界でもつづけているという点にあるようである。」


























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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