ベディエ 編 『トリスタン・イズー物語』 佐藤輝夫 訳 (岩波文庫)

ベディエ 編 
『トリスタン・イズー物語』 
佐藤輝夫 訳
 
岩波文庫 赤/32-503-1

岩波書店 
1953年1月5日 第1刷発行
1985年4月16日 第32刷改版発行
1988年6月25日 第39刷発行
303p
文庫判 並装 カバー
定価500円



Le Roman de Tristan et Iseut, renouvelé par Joseph Bédier, 1890
各章扉カット19点、「解説」中図版(モノクロ)2点。


トリスタンイズー物語


カバー文:

「愛の秘薬を誤って飲みかわしてしまった王妃イズーと王の甥トリスタン。この時から2人は死に至るまでやむことのない永遠の愛に結びつけられる。ヨーロッパ中世最大のこの恋物語は、世の掟も理非分別も超越して愛しあう“情熱恋愛の神話”として人々の心に深くやきつき、西欧人の恋愛観の形成に大きく影響を与えた。」


目次:

プロローグ
1 トリスタンの少年時代
2 アイルランドのモルオルト
3 黄金の髪の美女をもとめて
4 媚薬
5 ブランジァン
6 大松
7 小びとのフロサン
8 御堂より身を跳らせて
9 モロアの森
10 隠者オグラン
11 難所の渡船場
12 灼鉄の裁き
13 鶯の歌
14 不思議の鈴
15 白い手のイズー
16 カエルダン
17 リダンのディナス
18 狂えるトリスタン
19 死
エピローグ

ガストン・パリスの序文
編者ノート

解説




◆本書より◆


「1 トリスタンの少年時代」より:

「トリスタンはかろうじて断崖をよじのぼった。見ると、丘が起伏して、人影のない荒野のかなたには森林が限りなくひろがりつづいていた。(中略)と、森林のはずれから、突然一頭の見事な鹿がとびでてきた。一群の猟犬と数名の勢子(せこ)が、鬨をつくりラッパを吹きたてて、その後から追いかけていた。けだものの肩口には、すでに幾匹もの猟犬が、房(ふさ)のように食いさがっていたので、けだものはどうすることもできなかった。鹿は、トリスタンのいるところから数歩のところで、脚をまげて倒れてしまった。一人の猟人が、槍でとどめを刺した。勢子たちが輪をつくって、勝利のラッパを吹いているあいだに、猟人頭は、そのまんなかで、鹿の頭を切りおとそうとでもするのか、首筋に刃物をぴたっと押し当てようとする。それを見たトリスタンは、驚いて、「なんとなさいます? このような見事なけだものを、まるで首なし豚のように、首を切りおとしてよいのでしょうか。でも、そうするのが、この国での慣(なら)わしででもございますか。」
 「若者よ」とその猟人は答えた。「なんでそのように驚くのだ? いかにも、わしはまず鹿の頭をうちおとし、それから、胴体を四つに裂いて、馬の鞍壺(くらつぼ)にひっかけ、君主マルク王さまのところに持って帰るのだ。それがわれわれのやりかたで、太古の猟人の時代から、コーンウォールの人たちは、いつでもそのようにしてきたものだ。が、若者よ、そちは、これよりもっと見事なやりかたを知っておるなら、見せてくれ。さ、この猟刀をとって、やってみるがよい。われわれは喜んで教わろう。」
 トリスタンはひざまずいて、解(と)く前に、まず鹿の皮を剥(は)いでいった。それから、大きな骨をつけたまま、適宜に四肢と胴体をばらばらにして、やがて、歯や、鼻さきや、舌や、睾丸や、心臓の血管を抜いていった。
 猟人も勢子も、トリスタンの上にこごみかかって、うっとりと、その腑分(ふわ)けのしかたを眺めていた。」



「9 モロアの森」より:

「「いやいや、わたくしは生きるのです。そして悔い改めはいたしませぬ。わたくしどもは森へ帰ってまいります。森はわたくしどもを保護し守ってくれましょう。さあ、イズーよ、恋人よ、行こうではありませんか。」
 イズーは立ち上がった。二人は手をとりあった。そして高く生い茂った雑木の中にわけいった。樹木は彼らの上にその枝を蔽いかぶせた。二人の姿は木の葉の繁みの中にかくれた。」

「夏はすぎて冬がきた。二人の恋人は岩穴のなかに日を送った。寒さのために凍った大地の上では、二人の寝床の枯葉のあいだに、霜柱が立ったりした。けれども彼らの強い愛の力は、二人のどちらにも不幸を感じさせなかった。
 やがて陽春がめぐってくると、彼らは大きな樹の下に緑の枝で小屋をつくった。トリスタンは子供のときから森の小鳥の啼(な)き声をまねる術(すべ)を心得ていた。駒鳥でも、山雀(やまがら)でも、鶯(うぐいす)でも、どんな鳥の声でも、自由にまねができた。そこでときどきそのまね声にひきよせられて、小屋の緑の小枝の上では、おびただしい鳥がきて、喉をふくらませつつ、陽の光をあびて、彼らの小唄をうたったりした。」



「18 狂えるトリスタン」より:

「トリスタンはイズーを両腕に抱くと、
 「恋人よ、もうやがて、わたしはここから逃げねばなりませぬ。やがてつかまりそうですから。逃げて、もう二度とあなたに会うことはかないますまい。わたしの死期は近づきました。遠くはなれていては、恋しさのあまり死んでしまうでしょう。」
 「トリスタンさま、このお腕をしっかと抱きしめて下さいませ。二人の心臓が裂けて、抱擁のなかで、いっそ死んでしまいとうござります。いつかお話し下さった、あの常世(とこよ)の国、そこへ行ったらかえられぬ、あの、常住(じょうじゅう)楽人が歌をうたっているという常世の国へ、連れていって下さいませ!」」



「19 死」より:

「マルク王は恋人たちの死を知ると、海を渡ってブルターニュにきたり、イズーのためには玉髄(ぎょくずい)づくりの、トリスタンのためには緑柱石の、二つの死棺を造らせた。王はこの可憐な二つの屍を、船に乗せてタンタジェルに運んでいった。そこで、御堂の後陣のほとり、右と左にしつらえた二つの墓にそれを納めた。けれど、夜のあいだに、トリスタンの墓からは、濃い緑色の葉の茂った一本の花かおるいばらが萌(も)えいで、御堂の上にはいあがり、イズーの墓のなかにのびてゆくのであった。コーンウォールの人々はそれをたち切った。けれど翌日ともなれば、同じ色濃い花かおる勢いの強い新芽がのびて、黄金の髪のイズーの墓にはってゆく。三度人々はそれを切ったがだめである。そこで人々は、このよしをマルク王の耳に達した。するとマルクは、その枝を二度とたち切ることを禁じた。」



◆感想◆


本書の編者であるジョゼフ・ベディエによると、「トリスタン」物語にはケルト起源の要素が見られるものの、物語としての成立はフランスにおいてであり(なぜなら、ケルトなら許されることがフランスでは許されないゆえに、トリスタンは嘆き、苦悩するのであるから)、ベディエは現在では断片しか残されていないフランス語による二つの系統の作品(ベルールによるものとトマによるもの)の共通の源泉であるフランス語による原「トリスタン」の存在を想定しています。本書はそれらの現存する断片を活かしながら、ベルールの系統(流布本系)に属するアイルハルトによるドイツ語版(これは「トリスタン」物語を完全な形で伝える最古のヴァージョンです)を参照しつつ失われた「トリスタン」物語を再構成し、擬古的な現代フランス語散文によって再話したものです。
本書の問題点については新倉俊一「モロワの森の恋人たち」(『ヨーロッパ中世人の世界』所収)および「ベディエ『トリスタン・イズー物語』をめぐって」(『フランス中世断章』所収)で論じられています。本書「モロアの森」の章でトリスタンとイズーが人間社会を捨てて森に入っていく場面のベディエによる描写(「二人は手をとりあった。そして高く生い茂った雑木の中にわけいった。樹木は彼らの上にその枝を蔽いかぶせた。二人の姿は木の葉の繁みの中にかくれた。」)を、新倉氏はベルールの原作に不忠実な「ターザン映画のフェイド・アウト手法」と批判していますが、ターザンはともかく、これこそが本書の要であり、これがなければわざわざ再話する必要などないです。
少年時代のトリスタンが鹿の腑分けが得意だったというエピソードは重要です。鹿=自然を人間の用途に合わせて〈モノ〉として合理的かつ儀式的に腑分けする作業とは、〈文明〉の謂いに他ならないです。それはどういうことかというと、孤児=自然児であったトリスタンは周囲の大人たちによって自らの自然に逆らって〈文明人〉として生きるよう教育されたということでありまして、物語の前半は孤児であるトリスタンが人間社会に適合しようとする試みの記録であり、後半はトリスタンが人間社会を捨てて自ら〈狂人〉たらんとする〈自己実現〉の物語であります。
思うに、ウィリアム・モリス/ラファエル前派の時代に刊行された本書は、ヒッピーの愛読書だったのではなかろうか。「夏はすぎて冬がきた。二人の恋人は岩穴のなかに日を送った。寒さのために凍った大地の上では、二人の寝床の枯葉のあいだに、霜柱が立ったりした。けれども彼らの強い愛の力は、二人のどちらにも不幸を感じさせなかった。」などというのは、典型的なヒッピー/フラワーチルドレン文学でありましょう。
そういえば森茉莉さんの短篇に「枯葉の寝床」というのがありました。
ガストン・パリス、ジョゼフ・ベディエをはじめとする「トリスタン」研究史については本書の訳者である佐藤輝夫さんの大著『トリスタン伝説』に詳述されています。




佐藤輝夫 『トリスタン伝説 ― 流布本系の研究』





































































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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