佐藤輝夫 『叙事詩と説話文学 ― 研究余滴』

佐藤輝夫 
『叙事詩と説話文学
― 研究余滴』
 

早稲田大学出版部 
昭和60年9月30日 初版第1刷発行
iii 318p
四六判 丸背紙装上製本 機械函
定価2,900円



本書「あとがき」より:

「わたくしは元来不器用者で、何かに没頭するとあとはほかに何もできない性質である。(中略)それでも時たまには書かねばならぬときも、また書きたい意志もあって、幾つかの小さな研究ものも書いたし、また、雑文の類いもなくはない。そのうち、今年の春、ふと自分の気の向く主題のものの中から数篇を集めて一冊の本をつくり、これを旧知の方々に読んでいただければ、と思い立ち、幸い早稲田大学出版部に話したところ全面的に協力するという当局の好意を得た。そのことについての皮切りは古くからの友である詩人の窪田般彌君のご足労をえた。」


中世フランス文学の比較文学的研究です。


佐藤輝夫 叙事詩と説話文学


目次 (初出):

西欧の叙事文学との比較を通して見た『平家物語』 (高木市之助他監修『平家物語講座』第一巻、創元社、昭和29年)
平家物語の叙事詩的性格 (『比較文学年誌』第十号、早稲田大学文学部、昭和49年)
オシァンからヨーロッパ武勲詩まで (猪野謙二他編『岩波講座 文学』第四巻、岩波書店、昭和51年、「語りものの展開と小説の発生――ヨーロッパ武勲詩」を改題)
フランス叙事詩の風土――『ローランの歌』からヴィクトル・ユゴーまで (『文学』岩波書店、昭和27年1月号)
宇治橋合戦の語りもの的構造 (『軍記物とその周辺――佐々木八郎博士古希記念論文集』早稲田大学出版部、昭和44年)
『今昔物語』の世界 (芳賀徹他編『講座 比較文学』第一巻、東京大学出版会、昭和51年)
フランス十三世紀の伝綺物語“ポンチュー伯の娘”のテーマについて――説話の比較についての試み (『比較文学年誌』第三号、早稲田大学文学部、昭和41年)
今昔物語本朝篇世俗部の三つの説話と Fabliaux――説話の比較研究 (『比較文学年誌』第四号、早稲田大学文学部、昭和42年)
ペルシア十二世紀の物語『ヴィスとラーミン』と『トリスタン伝説』との対比 (書下し)
ジョフレ・リュデールの L'AMOR DE LONH について (『人文学部研究紀要』第十号、明星大学、昭和49年)

初出書誌一覧
あとがき




◆本書より◆


「ジョフレ・リュデールの L'AMOR DE LONH について」より:

「十一世紀の末から十二世紀の末葉にいたるかなり長い期間にかけて、ポアトゥー、ギュイエンヌ、アキテーヌ、プロヴァンスなど、主として南フランスの諸地域に、わが国では〈吟遊詩人〉という訳語をもって紹介されている一連の詩人群 Troubadours が出現した。これらの詩人は、オック語(Occitan または provençal)と呼ばれる方言で書き、これに詩人自らの作曲になる曲節をつけて、それを楽器に合せて宮廷または公廷を歌ってまわったということから、これに〈吟遊〉詩人という訳語が当てられたものと考える。が、本来はただ〈詩人〉という意味である。主題は民謡調の〈後朝(きぬぎぬ)の歌(うた)〉(恋人の朝の別れを歌ったもの)、〈牧歌〉(騎士が野に出て野良で働く娘たちに恋を語りかけるもの)、〈ロマンス〉、〈バラード〉、〈マル・マリエ〉(不幸な結婚をした女の嘆き歌)などいろいろあるが、宮廷優雅態の恋愛を主題にした〈シャンソン〉こそが、トゥルバードゥールの詩の主流をなしており、これがやがて十二世紀末には、北フランスに流行し、更にライン河を越えてドイツに栄えて、多くの愛の詩人(Minnesinger)たちを生んだ。また南してはカタローニャにまたイタリアに多くの等質の詩人を輩出せしめた。『新生』(Vita nuova)のダンテは元より、清新体派(Dolce stil novo)のグイドー・カヴァルカンチ(Guido Cavalcanti)、ペトラルカ(Petrarca)なぞもまた、ある意味に於いてその流れを汲むと申してもよい。(中略)十九世紀の初頭に始まるロマン派の文学運動は、そのスローガンの一つとして、自国の過去の伝統への回帰を唱え、中世の復興を実現しようとしたのであるから、彼らの詩の中には、中世ヨーロッパ抒情詩の源流であるところのトゥルーバドゥールの詩情とテーマを、数多くを見出すことができるのは、それはもう当然のことであろう。本稿はそういう源流のうちから、トゥルーバドゥールの全詩人のうちでも、妖しくももっとも光り輝く星の一つと考えられている、ジョフレ・リュデール(Jaufré Rudel)の第五番歌、Lanquan li jorn son lonc en may (五月(さつき)となりて昼(ひ)の長きころ)を採りあげて、そのテーマと詩情について考えてみたい。先ず最初に拙訳を掲げる。」

「一 五月(さつき)となりて昼(ひ)の長きころ
  鳥の囀り 聞くぞ怡しき
  歌ごえの 聞ゆる森を立ち去れば
  思ひぞ出づる 遙かなる国の恋人
  胸ふだぎ こころ沈み頂垂(うなだ)れゆけば
  歌の音(ね)の すれど聞えず さんざしの花も ま 見えず
  淋しきは 凍れる冬の季節のごとし

二 真(まこと)の 主 とぞ仰ぐべし 遙けき国の
  恋人に 目(ま)見へ得さしめたまひなば
  されど一つの祉(さいはひ)に 二つの禍(まが)の 降るとかや
  あまりにも 遠く遙けく 距たりてあらば
  ああ 彼方に 巡礼となりて 行かまほし
  旅の小杖と 肩衣を 見られま欲しく
  うるはしき きみがその目に

三 いかばかりなる歓喜(よろこび)を 眼(まみ)に見るらむ
  遙かなる一夜の宿(やどり)を 神の恵みぞ 下し給へと冀(こひねが)ふとき
  諾(うべな)ひ給へば 宿るべし きみがそばに
  いまはなほ遠く遙けく 離(さか)りてあれど
  遙けき国の焦男(こがれを)の みそばに在りて
  甘(うま)しく美(は)しき睦言(むつごと) を語らひえなば
  いかばかり ああ その対面の愉しかるらむ

四 遙けき国の恋人に 一度(ひとたび)かくて謁見(まみゆ)れば
  悲喜こもごもの 想(おも)ひぞすれど 辞去(さり)もゆかなむ
  ああ されど そはいつの日か
  二つの国を距つるは 余りにも遠く 遙けし
  海と陸(くが)との幾万里あれば――
  そはいつの日か 告ぐるすべなし……
  ひたすらに 神の御旨(みむね)に縋るのみ

五 遙かなる この恋の思ひの就(な)らざれば
  いかなる女人(ひと)に 想ひ懸くべき
  このひとに 勝りて美(は)しく優なるは
  いづくにもなし 近くまた 遠くにも
  その器量 奇(あや)にかしこく 無碍(むげ)なれば
  彼方 サラセン人(びと)の国に 行かまほし
  たとひ虜囚(とらはれ)の身と呼ばるとも

六 行きつ戻りつする なべてのものを
  この遙かなる恋人を 造り給ひし神よ
  冀くは われに力を――こはわが強き意志なれば――
  遠く遙けき恋人を まことこの眼に 見むものと
  鹿島立つ われに力を 与へ給へ
  その部屋も またその園も 日頃わが眼に
  宮殿と覚(おぼ)し来れる その御住居訪れて

七 遠く遙かな恋人を 直(ひた)に恋ふるよ
  憧るるよと 呼びたくは呼べ 真実(まこと)なれば
  遙けき国の恋人に若し慰まずば
  いかでこの世に 酣楽といふもののありなむ
  ああされど この悲願には 柵(しがらみ) のあり
  わがゆく末を 代父はかくも占ひたれば
  愛すとも 愛されはせじ と

八 ああされど わが悲願には 柵 のあり
  咀はれてあれ かくも占ひ立つるわが代父は
  愛すとも 愛されはせじ と」

「今日遺されていてシャンソンを主体とする大小二十余篇の『トゥルバドゥール大詩選』の写本のうち、この詩は十七の写本の中に収められているから、それが如何に当時広く賞翫されていたかがわかる。そのうちの五つの写本が、この詩の前にこの作者の〈伝〉(Vida)なるものを付していて、その詩人が Jaufré Rudel de Blaja ブライユのジョフレ・リュデールと記しているので、今日ではこの詩には専らこの人の名が冠せられている。」
「さて、その「伝」(Vida)なるものを訳文をもって示すと凡そ次のようなものである。」

ブライユジョフレ・リュデールハ極メテ高貴ノ人ニシテブライユノ領主ナリキ。
 アンチオキアヨリ帰リ来シ巡礼ヨリ、トリポリノ伯夫人ノイミジクモ艶(アテ)ナル由語レルヲ聞キテ、ナホイマダ見ルコトナクシテ恋シク思ホヘ、ソノ思慕ヲ多クノ詩ニモノセシモ、節ハメデタク、言葉ハナホ足ラザリキ。カクテソノ人ニ見(マミ)エンモノト思シ立チ、十字軍ニ加ハリテ船出シヌ。〔サレド〕航海ノ途中病ニ罹リ、死セルモノノ如クナリテ、トリポリノ旅籠(ハタゴ)ノ室二運ビコマレヌ。コノ由、伯夫人ノ許ニ伝ヘタレバ、夫人ハソコヲ訪レ、ソノ枕辺ニ到リテ、両腕ニ抱キ擁(カカ)ヘヌ。ジョフレハソガ伯夫人ナルコトヲ知リテ、直ニ聴覚ヲ取リ戻シ、ヨクソノ生命支ヘテ、伯夫人ニ見ユルコトヲ得サシメ給ヒシコトヲモテ、神ヲ誉メ称ヘヌ。カクテ彼ハ夫人ノ腕ニ抱カレタルママニ身罷リヌ。夫人ハソノ遺骸ヲ手厚クタンプルノ僧院ニ葬ラシメテ、ソノ日ノウチニ尼トハナリ給ヒヌ。ソノ死ヲイタク悲シビテナリ。」

「元来トゥルーバドゥールの詩は、詩人自身がそれに作曲して、その曲節に合せて宮廷または公廷で、歌って聞かせたものである。この場合本来なら詩人自身がそれをする、また詩人が身分の高い人であるなら、それに扈従するところのジョングルール(旅芸人またはお伽の衆)がそれに替って歌うので、そこには伝記はもとより歌われる詩についての解説などは、毛頭不必要なのであるが、詩人の死後長い年代が距たり、詩人についてもまた歌われる詩についても、聴衆にはあまり識られていないような場合には、ジョングルールは歌う前に、その詩人がどういう人であったのか、そして歌われる詩が如何なる状況下にあって、如何なる意味をそれに含めて書かれたのか、そういったものを報せる必要があった。そういう必要から、十三世紀の二〇年代から、トゥルーバドゥール最盛期(一一二〇―七〇)の詩人たちについての、〈伝〉(Vida)と詩の〈解説〉(Razo)が、彼らジョングルールの手によって、十三世紀から十四世紀初頭にかけて、実に数多く作られたのである。今日凡そ一〇一人のトゥルーバドゥールについて〈伝〉または〈解説〉が残されているが、そのうちで最も美しきものの一つが、本稿で紹介したジョフレ・リュデールの〈伝〉である。
 一般に伝と言っても、今日言うような資料を博捜し、それを検覈してその上で綴られた伝記ではない。人名とか地名とか、また凡その年代とかは、やや事実に近いが、その僅かな事実を点綴して、その間を埋める具体的な記述については、彼らは詩人の詩そのものを以てするという、むしろ創作に近いものである。ジョフレ・リュデールの場合もそれで、この〈伝〉を書いたジョングルールは、リュデールはフランスの西南部、サントンジュ州の小さな土地(ブライユ)の一領主で、十二世紀の中頃に生きた人、というただそれだけの、凡そ茫漠たるその輪郭の中に、詩人の詩の中に謳われている〈遙かなる恋〉を読んでひどく感激し、その感激を一つのドラマとして織り込んだのに過ぎない。然しその僅々一六〇字前後の小さなこのドラマが表現するものは、ある理想の追求という、ある種の人間の持つ執念と永遠の問題だる。リュデールはその〈遙かなる恋〉にむかって、ただひた向きに突っ走る。そしてやっとのことで、それに到達し得たその瞬間に於て、生命果てるというそのパセチックを捉えて、これを見事に描きえている。さればこそ、これは既に早くもペトラルカの心を捉え、十六世紀にはジャン・ド・ノストルダムスが〈伝〉を普汎し、近代に入ってウーラント、ハイネ、スウィンバーン、エドモン・ロスタンなぞ、数多くの詩人・劇作家の感興を撞き動かしたが、真の意味でのこの象徴の具現者は、ノヴァーリスとジェラール・ド・ネルヴァルとであろうことは申すまでもない。」





EVO - Lanquan li jorn (Jaufre Rudel)

















































































































































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Author:ひとでなしの猫
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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