『フランス中世文学集 2  愛と剣と』 新倉・神沢・天沢 訳

「ペルスヴァルが見ると、雁の横たわっていた雪の上に、血の痕がまだ残っていた。そこでペルスヴァルは、槍の柄にもたれてじっとその様子に眺め入った。というのも、その血と雪とがいっしょになって、あの恋人の顔の、鮮やかな色合いを思い出させたからである。そこでじっと思いに耽ってわれを忘れた。(中略)ペルスヴァルは、血の痕を見おろして思いに耽り、午前中いっぱいを過ごしたのだ。」
(クレチアン・ド・トロワ 「ペルスヴァルまたは聖杯の物語」 より)


『フランス中世文学集 2 
愛と剣と』

Poètes et Romanciers du Moyen Age
新倉俊一・神沢栄三・天沢退二郎 訳

白水社 
1991年6月25日 第1刷発行 
1992年3月25日 第2刷発行
410p 口絵(モノクロ)4p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価4,800円(本体4,660円)
装幀: 野中ユリ+古賀賢治



各篇ごとに短い「解題」と「訳注」が付されています。
本シリーズは当初「全三巻」として刊行されましたが、のちに増補されて全四巻になりました。


フランス中世文学集 02


目次:

まえがき (新倉俊一・神沢栄三・天沢退二郎)

クレチアン・ド・トロワ 『ランスロまたは荷車の騎士』 (神沢栄三 訳)
クレチアン・ド・トロワ 『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』 (天沢退二郎 訳)
マリ・ド・フランス 『ギジュマール』 (新倉俊一 訳)
マリ・ド・フランス 『ランヴァル』 (新倉俊一 訳)
ジャン・ルナール 『影の短詩』 (新倉俊一 訳)

解説 (天沢退二郎)
 一 韻文物語文学の出現
 二 アーサー王物語
 三 クレチアン・ド・トロワ
 四 ランスロと聖杯
 五 マリ・ド・フランスと「短詩(レー)」



フランス中世文学集



◆本書より◆


クレチアン・ド・トロワ「ペルスヴァルまたは聖杯の物語」より:

「そこで若者は森の方へ向い、ある小みちに入って、そこに、通って行った馬どもの、ま新しい足あとがあるのを見つけた。
 「ここを、とかれは言った、きっと私の探している人々が通ったんだ」
 そこで急ぎ足に森の中を、その足あとが続くかぎり、進んで行くと、やがて、偶然、ひとりの乙女が楢の木の下にいて、いかにも悲しくつらそうに涙を流し、泣き声をあげ、かきくどいているのを見た。
 「ああ! と彼女は言った、不幸なあたし! なんてまあわるい時代に生まれてきたんでしょう! あたしの生まれた時よ、呪われてあれ、だわ。だって、こんなに憤(いきどお)ろしいことってありっこないわ、たとえどんなことが起ったって。(中略)」
 こうして乙女は、膝の上に抱きかかえている騎士の死をいたみ、悲しんでいたが、その騎士は首を切り落とされているのだった。その前までやってくると、若者は乙女の姿を目にして、馬を止めた。そして、近寄ると、挨拶し、乙女のほうも礼を返したが、頭を垂れたままで、そのために嘆くのをやめはしなかった。」

「「ああ! それでは、あなたは漁夫王長者のところへお泊りになったんだわ!」
 「お嬢さん、われらが救い主にかけて、あの方が漁夫なのか王なのかは知りません。ただ、二人の人間が昨夕とてもおそい時間に、一艘の舟に乗っているのに出会ったのです。ゆっくりと舟を進めていました。二人のうちのひとりが漕いで、もうひとりが釣り針で漁をしていた。そして、釣りをしていたほうの人が、自分の館を教えてくれた。ゆうべのことだ。そして私を泊めてくれたのだ!」
 すると乙女が言った――
 「騎士殿、その人は王ですよ、これははっきり申し上げられます。ただ、あの王は、ある戦いで怪我をして、たしか、不具になってしまわれ、そのために、身体の自由が利かなくなられたのです。」」

「「で、あの方の傍にお坐りになったとき――言って下さいな、そのときごらんになりまして? 肉も血管もないのに穂尖から血の流れ出る槍を」
 「見たとしたらどうなんです? 見ましたとも、たしかに」
 「それで、お訊ねになりました? 何ゆえ血が流れ出るのか」
 「いや、一言も口を出さなかった」
 「なんとまあ! ほんとうにそれは、よくないことをなさったこと。で、グラアルをごらんになった?」
 「ええ、たしかに」
 「誰が捧げ持ってました?」
 「ひとりの乙女が」
 「どこから来ました?」
 「とある部屋から」
 「そしてどこへ行きまして?」
 「また別の部屋へ入って行った」
 「グラアルに先立って誰か行きました?」
 「行った」
 「誰が」
 「二人の小姓だけ」
 「その小姓たちは手に何を持っていて?」
 「蝋燭でいっぱいの燭台を」
 「で、グラアルのあとから、誰が来ました?」
 「もうひとりの乙女」
 「何を持って?」
 「小さな銀の肉切台(タイヨワール)を」
 「誰かにお訊ねになりまして? そうやってどこへ行くのかを」
 「わたしの口からは一言も出なかった」
 「なんとまあ、いよいよいけないこと! あなた、名前はなんとおっしゃるの?」
 さて、若者は自分の名前を知らなかったが、それをこのとき見抜いて、自分の名はペルスヴァル・ル・ガロワであるとこう言った。自分の言っていることが本当かどうかわからない。けれど彼の言うことは本当で、しかも自分でそれがわからない。
 さて、乙女はそれをきくと、彼の方を向いて立ち上がり、憤然としてこう言った――
 「あなたの名前は変ったわ」
 「どんなふうに?」
 「ペルスヴァル・ル・シェティス〔みじめな人〕っていうのよ! ああ! 不運な人ペルスヴァル! なんてまあ、ついてないひと! さっきのこと何もかも、ぜんぜん訊ねなかったなんて! せっかく、あの傷に苦しんでいる気高い王を、すっかり癒してさしあげられたのに。あの王さまは、身体もすっかり癒られ、領土をしっかりお治めになれたのに、そしてあなたにだっていいことがたくさん起ったのに!」」




◆感想◆


ケルトの伝説にでてくる「イスの都」の伝承と、「聖杯」の神話は、人が滅多にいくことのできないある場所に迷い込んだ主人公がそこの住人にある問いを発することによって、住人たちは呪縛された状態から解放される、というモチーフにおいて共通しています。これはたぶんケルト的なモチーフなのでありましょう。たいへんケルト的な思想家であるシモーヌ・ヴェイユは、不幸な人々はみずからの不幸を語る方途を奪われているゆえに不幸なのであり、不幸でないふつうの人々には不幸な人々の存在すら知ることができない、それゆえ、だれか(ヴェイユは「芸術家」といっています)が不幸な人々のところへ行って不幸な人々に問いかけ、あるいはみずから不幸になることによってその人々の不幸を知り、代弁することが必要なのだ、といっていたようにおもいます。もし不幸な人々がおのれの不幸を不幸でない人々に知らせることができれば、不幸な人々の不幸(おのれの不幸を他人とわかちあうことができないという根元的不幸)は解消されます。それがようするに「聖杯」神話の意味なのではなかろうか。
そのような、ふつうの人々がその存在さえ知らず、知っていても行こうとしない場所に辿りつくには、よほどの変わり者でなければならないです。ヴァザーリの芸術家列伝にでてくる芸術家が変わり者だらけなのにはちゃんと意味があるのです。その点、ペルスヴァルは積極奇異的変わり者であって、空気をよまないので、そんな場所に行くことができるのですが、残念なことに、おせっかいな先輩の騎士がペルスヴァルに騎士道の心得を教育してしまったために、せっかく聖杯の奇跡を目にしながら、マナーを身につけてしまったペルスヴァルは「なんで?」とずうずうしく問いかけることをせず、それゆえ、漁夫王を救うことができませんでした。
そこでこの物語の教訓はというと、世界を救うことができるのは変わり者だけである、しかしそのためには天然の変わり者でなければならない、それゆえ、せっかくの変わり者にゆめゆめマナー(ソーシャルスキル)など教え込んでふつうの人みたくしてしまってはならない、ということではなかろうか。いや、そうにちがいない。




こちらもご参照下さい:

『フランス中世文学集 1 信仰と愛と』 新倉・神沢・天沢 訳
アナトール・ル=ブラース 『ブルターニュ 死の伝承』 後平澪子 訳




















































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