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久保田淳 『藤原定家 ― 乱世に華あり』 (王朝の歌人 9)

「このような性質や物の感じかた、考えかたは、社会への適応という点ではマイナスの要因となりかねないであろう。(中略)けれども、歌人として生きるうえでは、それはかならずしもマイナスではなかったかもしれない。病的なまでに研ぎすまされた神経の持ち主、繊細な感受性の持ち主だけが見いだし、そして表現しうる美というものがあるにちがいないからである。」
(久保田淳 『藤原定家』 より)


久保田淳 
『王朝の歌人 9 
藤原定家
― 乱世に華あり』


集英社 
1984年10月23日 第1刷発行
256p 口絵(カラー)2p
四六判
丸背紙装上製本 カバー
定価1,400円(発刊記念特別定価1,200円)
装幀: 菊地信義
カバー画: 小山進



評伝。本文中図版(モノクロ)5点。


久保田淳 藤原定家 01


帯文:

「現実へのはげしい絶望感、
無力感は、定家の心をしだいに
歌の世界へと駆りたてた。

王朝の歌人|集英社版 全10巻|第1回配本第9巻|藤原定家――乱世に華あり」



帯裏:

「野分きめいた風が京の街を吹き荒れた日、伴侶を失ってぽつねんとしているにちがいない老父を見舞おうと思いたち、家を出た定家は、そのときすでに自らの姿を『源氏物語』の夕霧とかさねあわせてしまっているのである。そして、老父は源氏となってしまっている。それは見たてというべきではないであろう。『源氏物語』の叙述が、この悲しい体験に遭遇したことによって人生の真実として了解され、定家はおのずとそのような行動をとらされているのである。(本文より)」


カバー裏:

「王朝の歌人 全10巻
1 柿本人麻呂 稲岡耕二
2 大伴家持 橋本達雄
3 在原業平 今井源衛
4 紀貫之 藤岡忠美
5 伊勢 秋山虔
6 和泉式部 清水好子
7 藤原公任 小町谷照彦
8 西行 有吉保
9 藤原定家 久保田淳
10 後鳥羽院 樋口芳麻呂」



目次:

第一章 天才児として
 紅旗征戎吾事に非ず
 歌人定家の誕生
 才媛の姉たち
 歌合への出場
 初学百首
 恋愛と結婚

第二章 新風の時代
 九条家サロンの歌人として
 西行と定家
 千載和歌集成立のころ
 花月と詠物と
 速詠歌のなかから
 母を喪う
 六百番歌合

第三章 豊饒の時代
 建久の政変
 春の夜の夢の浮橋
 正治初度百首の詠進まで
 「あしたづ」の父子
 老若対抗の歌合

第四章 大成の時代
 和歌所寄人としての日々
 批評の時代
 千五百番歌合
 水無瀬殿での定家
 釈阿九十の賀、その死と新古今和歌集成立
 後京極良経の急逝

第五章 円熟の時代
 最勝四天王院障子和歌
 将軍源実朝の和歌師範
 建保期の歌運隆昌
 「連連三百首」から
 作品の整理
 院勘をこうむる

第六章 古典の世界へ
 九重の外重の樗
 返らぬ浪の花の陰
 最後の百首と新勅撰和歌集撰進の下命
 新勅撰和歌集の撰進まで
 老いを養う

藤原定家関係図
定家略年譜
参考文献
定家和歌索引



久保田淳 藤原定家 02



◆本書より◆


「天才児として」より:

「病気がちであることは、定家の性格形成にかなり影響をおよぼしたと思われる。彼は悲観的、厭世(えんせい)的人生観の持ち主であった。無常観が社会全体を覆っているような時代であるから、時代社会の影響も当然考えなければならないが、始終病魔におびやかされていることが、悲哀に敏感な傾向や神経質で潔癖な性質を助長したのではないかと想像される。
 このような性質や物の感じかた、考えかたは、社会への適応という点ではマイナスの要因となりかねないであろう。事実、定家はそのために激して人とあらそうといったたぐいの失敗もしている。けれども、歌人として生きるうえでは、それはかならずしもマイナスではなかったかもしれない。病的なまでに研ぎすまされた神経の持ち主、繊細な感受性の持ち主だけが見いだし、そして表現しうる美というものがあるにちがいないからである。」



「豊饒の時代」より:

「夕暮はいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ

これはきわめて難解な歌である。花橘(はなたちばな)を詠んだ夏の歌であるが、まず橘は、
  さつき待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖(そで)の香ぞする  読人しらず (古今和歌集・夏)
という古歌によって、懐旧の思いをさそう景物であるということをおさえておく必要がある。それから、和歌での雲や霞は、しばしば人のなきがらを荼毘(だび)に付した煙が立ち昇ってできたものとして歌われる伝統があるということが思いだされる。
  ふるさとに君はいづらと待ち問はばいづれの空の霞といはまし (後撰和歌集・哀傷)
  見し人のけぶりを雲とながむればゆふべの空もむつましきかな (源氏物語・夕顔の巻)
  雨となりしぐるる空の浮雲をいづれの方とわきてながめむ (同・葵の巻)
などはその例である。定家のこの歌も、それら和歌表現の伝統にそって解すべきであろう。
 「初夏の夕暮れは、花橘に風が吹いて、かぐわしい香りを運んでくる。その香りは昔なれ親しんだなつかしい人の袖の香を思いおこさせる。すると、この風はどこの空に漂う雲のなごりの風であろうか。もしかして昔の人の荼毘の煙が凝った雲から吹いてきた風なのではないだろうか」――だいたいこのような重畳した意味のたたみこまれた歌と考えられる。」

「ひとり聞くむなしき階(はし)に雨落ちてわが来(こ)し道をうづむこがらし

 「むなしき階」とは漢語「空階(こうがい)」をやわらげたいいかたで、人のいないがらんとしたきざはしの意である。独りそのようなきざはしにしたたる雨の音を聞いている「わたし」は旅人なのであろう。その「わたし」が旅してきた道は、こがらしが吹き散らした落葉で埋まってしまっている。さびしい異郷での秋のおわりの風景である。」
「この歌は『和漢朗詠集』の次の詩句の面影を詠んだものなのである。
  三秋ニシテ而 宮漏正ニ長シ 空階ニ雨滴(しただ)ル
  万里ニシテ而 郷園何(いづくん)カ在ル 落葉窓深シ
これは「愁賦」という詩賦の一部であるという。その全体は失われて、この対句しか伝えられていない。定家が愛唱してやまない詩句であった。」



「大成の時代」より:

「古代の天文学では、天変、すなわちふだんと異なった天文現象を、国家的重大事件の予兆と考えて、ひどく恐れた。天文博士はそのような天変に気づくと、朝廷に勘文(かんもん)をさしだし、朝廷では攘災(じょうさい)のための祈禱(きとう)を行わせた。
 元久(げんきゅう)三年(一二〇六)二月の末ごろ、三星合という天変が起こった。太白(たいはく)(金星)・木星・火星の三つの惑星が異常接近するという現象であるが、これは重大な天変と考えられていたので、朝廷では慈円(じえん)に祈禱を命じた。慈円は後鳥羽院(ごとばいん)の御所五辻殿(いつつじどの)で薬師法(やくしほう)を修して、天変が消えることを祈った。現代の科学的知識では、このような惑星の異常接近は一定の時日がたたなければ解消しないことがわかっているから、祈禱が効果あるとは考えられないであろうが、当時のことであるから、雨が降って三星合が一時的に見えなくなったことをも祈禱の効験と解していたようである。雨は降ったりやんだりをくりかえし、そのたびに三星合は消えたりあらわれたりしていたが、やがて消えた。
 このことがあってまもなく、摂政太政(だいじょう)大臣藤原(ふじわら)良経が急逝した。三月七日未明のことである。この少し前、良経は往時の風雅な遊宴である曲水の宴を復活させようという計画を立てていた。」

「先に父俊成(しゅんぜい)を喪(うしな)い、今また主(あるじ)良経に別れた定家は、たしかに頼むべき陰を失ったのである。これ以後定家がたとえ失策をおかしても、それをとりなしてくれる人びとはいなくなった。」
































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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