塚本邦雄 『句風颯爽 ― 俳句への扉Ⅲ』

塚本邦雄 
『句風颯爽
― 俳句への扉Ⅲ』


毎日新聞社 
昭和57年9月25日 印刷
昭和57年10月10日 発行
325p 
四六判 
丸背紙装上製本 貼函 
定価3,000円
装幀: 政田岑生



くふうさつさう(くふうさっそう)。塚本邦雄歳時記全三冊の最終巻。今回は「星曜詞珠」と題して古今東西の書物からの引用と鑑賞が付されています。正字・正かな。


塚本邦雄 俳句への扉 03 01


帯文:

「四季折々の森羅萬象が鮮やかに浮出る
碩学の著者が、季節の移ろひの中から拾ひ出した秀句と詞珠――。それは、あたかも寶石凾から取出した、玉であり光である。心豐かな日日を送るために缺かせない座右の一冊。」



帯背:

「「俳句の扉」
全三冊完結」



目次:
 
睦月
如月
彌生
卯月
五月
水無月
文月
葉月
長月
神無月
霜月
師走

跋 夜ひらく朝顏
掲載俳人名索引




◆本書より◆


「跋」より:
 
「全面的に信賴してゐる「歳時記」の解説中にも(中略)過不足や缺落が無數にひそんでゐるのではあるまいか。植物學者が記述監修する專門書すら、必ずしも完全ではないのだから、事、森羅萬象、人文科學百般に及ばうとする歳時記に萬全を求めるのは、筆者・編者が超人であることを期待するに等しいが、それが無理なら、たとへささやかなことでも、機を得ては、みづから試み、確認してみるに及くはない。缺落(あら)探しの奨めではない。一人一人が、みづからの歳時記を編むのは樂しいことではあるまいか。たとへば俳句の引用にせよ、あの作品例で、果して滿足する人がゐるだらうか。各自が、意中の作を、あれに書き加へることからでも、この「わが歳時記」の再編纂は可能であらう。
 「サンデー毎日」連載の『俳句への扉』は、この第三冊に収録の五十回分を以て一應完結する。昭和五十六年八月十三日號〈101〉に始まる五十囘分には、「忌日暦」「誕生暦」に続いて、「星曜詞珠」と題する、言はば「言葉の寶石凾」を掲げた。同年七月一日から、毎日新聞に連載中の「けさひらく言葉」の兄弟版であり、引用文も解説鑑賞文も、數倍に及ぶ豐かな内容であると自負してゐる。」



「彌生」より:

「春は曙、秋は夕暮と「枕草子」に謳(うた)ひ、後鳥羽院はそれに異を稱へて「夕べは秋と何思ひけむ」と記しとどめたが、晝間の醍醐味は春・秋のいづれにあるかをあげつらつた例は聞き及んでゐない。
 私は晝は秋、それも木犀の咲き匂ふ頃を最高と思ひ、春は次位、早春、沈丁花の綻び初める三月上旬のみを尊しと、勝手に決めてゐる。もつとも、詩歌では朱夏・玄冬の白晝の、強烈・酷薄な印象の方がむしろ作品となり易いこともあらう。
  春晝やひとり聲出す魔法壜  鷹羽狩行
  春晝やきのふの位置の貨物船  不破博
  春晝やけものに五分の隙見せて  岡建五
  春晝や蓮如も越えし大峠  宇佐美魚目
  春晝や一水の光神の扉(と)に  磯崎實
  春晝や川波ひかる産卵場  畑村春子
  春晝や藍の繪皿のスペイン料理  瀧春一
  春晝や死ぬこと杳とゆるされて 仁藤さくら
  春晝の弔旗に指輪はずしいる  赤澤敬子
  春晝の赤毛の中に紛れこむ  橋本たみか
  春晝の生家つらぬく太柱  野見山ひふみ
  春晝の骨片榾(ほだ)のごとはさむ  沖山智惠子
  春晝の波音沖に逃げてなし  上村占魚
  春晝の白を遠ざけねむるかな  加藤朱
  春晝の指とどまれば琴も止む  野澤節子
  春晝の幹を出でても微連の帆  迫田白庭子
  春晝の伎藝天見る手が重し  菖蒲あや
  春晝を猫の反り身や一訃音  住素蛾
  春晝の位牌怖ろしひとり立ち  原田喬
  喪服まだ鏡中を出ず春の晝  小笠原靖和
  生身なる故の春晝恐ろしき  橋本隆正
  空轉のエスカレーター春の晝  里見宜愁
  老娼婦聖母なす繪も春の晝  馬場駿吉」



「神無月」より:

「  星曜詞珠

   このほかにも、まっ暗な獨房だとか、ひっぱたいたりガス・バーナーで皮膚や眼を燒いたり、爪を剥いだりするためカポ(收容所における勞働監督と拷問係。犯罪者上りをよく使った)が使った木製の拷問臺だとか、鞭、ゴム管、ブラック・ジャック、棍棒……といったようなものを見せられた。棟のそとには銃殺のときにたたせた煉瓦壁や絞首臺などがあった。
  親衞隊士官の勤務室。
  机と椅子と書類タンスのほかはなにもない。机のうえには電話器が一つ。むきだしの壁にハッタと睨んでほえたてているヒットラーの小さな寫眞が一枚かかっている。一枚のスローガンがあって、「國家は一つ、民族は一つ、總統は一人」
  ほかにはなにもない。
          開高健・小田實「世界カタコト辭典」

 ポーランドでアウシュヴィッツの所在を質(ただ)すと、不快げに、そんな所は知らぬと答へる人もゐるさうだ。オシュビエンチムなら知つてゐるが、ナチス訛など耳の汚れといふことらしい。親衞隊士官勤務室の「遺跡」は、ヒットラーの寫眞とスローガン以外は何もなく、板張りの床と裸の壁と窓があるつきりだといふ。「無をもって無をつくっただけなのだ」と著者は吐き出すやうに言ふ。
 それはさうと、このスローガン、とあるTVのコマーシャル・メッセージを思ひ出す。否酷似してゐると言つた方が正直だらう。否否、あのCMの方がもつと薄氣味惡いと思ふ人がゐるかも知れない。世界は千差萬別、人類は互に赤の他人……なのにと。」



塚本邦雄 俳句への扉




こちらもご参照下さい:

塚本邦雄 『句句凜凜 ― 俳句への扉Ⅰ』
塚本邦雄 『華句麗句 ― 俳句への扉Ⅱ』






















































































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