藤枝静男 『凶徒津田三蔵』 (講談社文庫)

藤枝静男 
『凶徒津田三蔵』
 
講談社文庫 A553

講談社 
昭和54年4月15日 第1刷発行
228p
文庫判 並装 カバー
定価280円
デザイン: 亀倉雄策
カバー装画: 辻村益朗



「私小説」作家藤枝静男による歴史小説二篇。「年譜」は二段組です。


藤枝静男 凶徒津田三蔵


カバー裏文:

「明治24年5月11日、来遊中のロシヤ皇太子ニコラスが、滋賀県大津京町筋を通過中、沿道警備の巡査に切りつけられ負傷した。この大津事件を起した津田三蔵の人間像をリアルに描いた表題作。大津事件をめぐって愛国者の名を後世に残した下手人津田三蔵、責任者明治天皇、他に畠山勇子、児島惟謙の四人を論じた「愛国者たち」を収録。」


目次:

凶徒津田三蔵
「凶徒津田三蔵」のこと

愛国者たち
孫引き一つ――二人の愛国無関係者
大津事件手記――児島惟謙

解説 (桶谷秀昭)
年譜 (伊東康雄 編)




◆本書より◆


「凶徒津田三蔵」より:

「彼は撃剣がうまかったが、つい気が散って無様に小手などをとられることがあると、突然異様な昂奮にかられて相手に打ちかかり、大上段から繰り返し繰り返し敵の面を殴りつけ、相手が殺気に怯えて道場の床にうずくまってしまうまで止めなかった。そして、そういう乱暴を働いた後、彼は(貴様等の腹の中はわかっとる。いかにも俺は親爺そっくりだろう、気違いの血筋じゃろう)と心に思った。後悔と孤独に胸を噛まれた。」

「陽が落ちて、左右は深い黒い山に包まれた夜になっていた。三蔵は五人の最後尾に入れかわって、凍った銃をかつぎ、九頭竜の渓谷を眼下に見おろす細い山道を一歩一歩のぼって行った。すこし離れた前方を、提灯を下げた小田と小隊長とが歩いていた。空腹と疲労と寒さで、みな一様におし黙っていた。頭上の厚い樹木の重なりの上に月がのぼったらしく、右側の熊笹につもった厚い雪が白い壁のように薄明かるく脚下をてらしていた。三蔵は前の兵の踵が時々濡れた小石や落葉に滑るのを、眠い頭でぼんやり眺めながら歩いていた。遙か下の方の闇の奥にゴーという引き込むような水声が絶えずしていた。このまま夜中歩き続けるのか、どこかへ出て泊まるのか、彼にはわからなかった。
 「崩れがあるぞ」
 隊長が提灯を振って前方に立ち止まり、三蔵らは近づき、身体を横にして、黒くクッキリと露出した土の上を渡って行った。
 (これから世の中はどう変って行くのだろう)、夜が三蔵を弱々しい消極的な気分に陥し入れていた。」
「不安と動搖に満ち満ちた新都東京の姿が暗く三蔵の想像を刺戟し、彼は(おれはそこで生れた)と思った。しかし彼の脳裡に蘇る東京は、どこまでも続く瓦屋根と、青い抜けるような空と、そこに輪を描いて啼いている鳶(とび)の記憶だけであった。
 (あそこではすべてが変ってしまったのだ)と彼は思った。(そこでは新しいものがやつぎ早に生み出され、何もかも変えてしまい、そして何もかもがいっしょくたに凄まじい速さで開化に向かって進んでいる)。彼は自分が今そこから遠く遠く離れた雪国の山の中に居、古い日本の薄暗がりの路を歩いていることを感じた。そして、遠花火が夜の深い沼に映って消え、そして暫らくすると鈍い低い爆発音が伝わって来るように、そういうふうにしか物事は自分に伝わらず、そのため自分はいつも淡い半ば死んだ光だけを受けて迷いつづけているのだ、と彼は思った。新しい広い世界とじかに肌を触れ合わせ生き生きとした空気の中に動いている青年たちに対する無限の羨望の念が三蔵の胸を締めつけた。」

「(どうして俺はいつも役にも立たぬことばかり考えるのだろう)と三蔵は思った。(ただどうどうめぐりするだけだ)。」

「三蔵の心を領しているのは依然として「おれには何もわからない」という絶望感であった。」
「(誰かにはその理由のすべてがわかっているのだ。俺にだけわからないのだ)と彼は思った。彼は、自分がいつもそういう世界と、空間をへだてて、おずおずと接して来たのだと思った。(中略)彼は自分が、いつも決してそこまで飛翔することのない、ただ畳の上を滑走だけしている不様な重たい蛾のような気がした。(おれは飛べるだろうか)と思い、やはりできないだろうと考えた。」

「彼は一間ほど前の硬く乾いた白い土を見ていた。(馬鹿な)と思ったが、(馬鹿なことじゃない)とすぐ思った。(夢の中でやるようにやれば、わけはない)」

「(そうだ。そうすれば俺はきっと解放される)」
「(しかし本当にそうだろうか)ふと彼は思った。彼はやはり濃い靄の中にいるようであった。」



















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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