国枝史郎 『八ケ嶽の魔神』 (大衆文学館)

「私としては、自分自身へこんなように云いたい。
 「ひどく浮世が暮らしにくくなったら、構うものか浮世を振りすて、日本アルプスへ分け上り、山窩国の中へはいって行こう。(中略)そうして小うるさい社会と人間から、すっかり逃避することによって、楽々と呼吸(いき)を吐(つ)こうではないか」と。」

(国枝史郎 『八ケ嶽の魔神』 より)


国枝史郎 
『八ケ嶽の魔神』
 
大衆文学館 く 1-2

講談社 
1996年4月20日 第1刷発行
380p 「おことわり」1p
文庫判 並装 カバー
定価820円(本体796円)
デザイン: 菊地信義



本書「人と作品」より:

「『八ケ嶽の魔神』は、大正十三年十一月から同十五年七月まで「文芸倶楽部」に連載された(中略)国枝の代表作である。」
「鏡葉之助は、母の呪詛(じゅそ)を一身に受けて育った幼少期に始まり、「水狐族」を殺戮したことによる「不死の呪い」、また母が血の中に秘めている「窩人」の怨恨など、あらゆる〈悪〉を背負った人物として造型されている。体内に〈悪〉の曼陀羅とでも呼ぶべきものを抱きながら、普段の生活では美丈夫でまっとうな武士、しかしいざ己の抱える〈悪〉が蠢動(しゅんどう)をはじめると、二の腕に「人面疽」という聖痕が刻印され、悪の限りを尽くす。」
「葉之助を〈悪〉のヒーローと位置付けた時、奇妙なことに作品の中に〈善〉玉がいないことに気付く。物語の主軸は、「窩人」と「水狐族」の闘争と、葉之助が母の仇をいかに討つかになろうが、この中で描かれるのは善―悪という二元論の対立ではなく、常に悪―悪の対立なのである。」



国枝史郎 八ケ嶽の魔神


カバー文:

「秘峰八ケ嶽を舞台に、姫をめぐる兄と弟の愛の確執と惨酷な結末が、果てもなく続く一族の血塗られた歴史の発端だった。憎悪は憎悪を呼び、復讐は復讐を生む。山窩族と水狐族に分れて争う末裔たちの呪詛と怨嗟の叫びは、時空を越え、いま大江戸の夜に凄然と谺(こだま)する! 近代劇作の手法もとりこんだ卓抜な構想力と無類の空想力で妖美幻想の世界を拓き、国枝三大伝奇長編の一つと評される豊饒な成果。」


目次:

八ケ嶽の魔神
 邪宗縁起
 高遠城下の巻
 怨念復讐の巻
 江戸市中狂乱の巻

巻末エッセイ (山内久司)
人と作品 (末國善己)




◆本書より◆


「宗介は腰の太刀を抜き、躍(おど)り上がり躍り上がり打ち振ったが、
 「栄えに栄えた城は亡び仇も恋人も等(ひと)しく死んだ! 俺は彼らに裏切られた。俺の怨恨(うらみ)は永劫(えいごう)に尽きまい。俺は一切を失った。俺には何一つ希望(のぞみ)はない! 俺はいったいどうしたらいいのだ!? ああ俺は恋を呪(のろ)う! 俺はあらゆる幸福を呪う! 俺は人間を呪ってやる! 俺は生きながら悪魔になろう! 山へ山へ八ケ嶽へ行こう! 水の上の生活(くらし)には俺は飽きた。俺は山の上の魔神になり下界の人間を呪ってやろう!」
 叫び狂い罵(ののし)る声は窓を通し湖水を渡り、闇の大空に聳(そび)えている八つの峰を持った八ケ嶽の高い高い頂上(いただき)まで響いて行くように思われた。」
「「さて」と杉右衛門は語りつづけた。「我らのご先祖宗介(むねすけ)様が正親町(おおぎまち)天皇天正(てんしょう)年間に生きながら魔界の天狗となりこの八ケ嶽へ上られてからは総(あらゆ)る下界の人間に対して災難をお下しなされたのだ。そしてご自分の生活方(くらしかた)も下界の人間とは差別を立てられ家には住まず窩(あな)に住まわれた。そのうち四方から宗介様を慕って多くの人間が登山して参ったが、それらはいずれも人界(ひとのよ)において妻を奪われ子を殺され財宝を盗まれた不幸の者どもで、下界の人間総(すべ)てに対して怨恨(うらみ)を持っている人間どもであった。」」


「五歳の猪太郎はその日以来全くの孤児(みなしご)の身の上となった。しかし彼は寂しくはなかった。猿や狼や鹿や熊が彼を慰めてくれるからである。
 こうして彼の生活は文字通り野生的のものとなり、食物(くいもの)と云えば小鳥や果実(このみ)、飲料(のみもの)と云えば谷川の水、そうして冬季餌のない時は寂しい村の人家を襲い、鶏や穀物や野菜などを巧みに盗んで来たりした。」


「諏訪湖(すわこ)にまたは天竜川に、二人の兄弟は十四年間血にまみれながら闘ったが、その間柵(しがらみ)と久田姫とは荒廃(あれ)た古城で天主教を信じ侘(わび)しい月日を送っていた。十四年目に宗介は弟夏彦の首級(くび)を持ち己(おの)が城へ帰っては来たがもうその時には柵は喉(のど)を突いて死んでいた。
 「俺はあらゆる人間を呪う。俺は浮世を呪ってやる!」こう叫んだ宗介が八ケ嶽へ走って眷族(けんぞく)を集めあらゆる悪行を働いた後、活きながら魔界の天狗となりその眷族は窩人(かじん)と称し、人界の者と交わらず一部落を造ったということは、この物語の冒頭において詳しく記したところであるが、一人残った久田姫こそ、いわゆる水狐族の祖先なのであって、父夏彦の首級を介(かか)えた憐れな孤児(みなしご)の久田姫は、その後一人城を離れ神宮寺村に住居(すまい)して、聖母マリヤと神の子イエスとを、守り本尊として生活(くら)したが、次第に同志の者も出来、窩人部落と対抗しここに一部落が出来上がり、宗教方面では天主教以外に日本古来の神道の一派中御門派(なかみかどは)の陰陽術を加味し、西洋東洋一味合体した不思議な宗教を樹立したのである。」
「彼ら部落民全体を通じて最も特色とするところは、男女を問わず巫女(みこ)をもって商売とするということと、部落以外の人間とは交際(まじわ)らないということと、窩人を終世の仇とすることと、妖術を使うということなどで、わけても彼らの長(おさ)となるものは、今日の言葉で説明すると、千里眼、千里耳、催眠術、精神分離、夢遊行(むゆうこう)、人心観破術というようなものに、恐ろしく達しているのであった。……
 「ふうむ、そうか」
 と葉之助は、写本を一通り読んでしまうと、驚いたように呟いた。」


「大正十三年の夏であった。
 私、――すなわち国枝史郎は、数人の友人と連れ立って、日本アルプスを踏破した。」
「案内の強力(ごうりき)は佐平と云って、相当老年ではあったけれお、ひどく元気のよい男であった。
 「こんな話がありますよ」
 こう云って佐平の話した話が、これまで書きつづけた「八ケ嶽の魔神」の話である。
 「ところで鏡葉之助ですがね、今でも活きているのですよ。この山の背後蒲田川の谿谷(たにあい)、二里四方もある大盆地に、立派な窩人町を建てましてね、そこに君臨しているのです。」

「私としては、自分自身へこんなように云いたい。
 「ひどく浮世が暮らしにくくなったら、構うものか浮世を振りすて、日本アルプスへ分け上り、山窩国の中へはいって行こう。そうして葉之助と協力し、その国を大いに発展させよう。そうして小うるさい社会と人間から、すっかり逃避することによって、楽々と呼吸(いき)を吐(つ)こうではないか」と。」
 





















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