馬場あき子 『式子内親王』 (ちくま学芸文庫)

「もし、式子が待つ心の緊張を失ったなら、全く生きながらむくろと化してしまったろう。」
(馬場あき子 『式子内親王』 より)


馬場あき子 
『式子内親王』
 
ちくま学芸文庫 ハ-2-1 

筑摩書房
1992年8月6日 第1刷発行
272p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価780円(本体757円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 大柳久栄


「本書は一九六九年、紀伊国屋書店より刊行された。」



馬場あき子 式子内親王


カバー裏文:

「「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへばしのぶることのよわりもぞする」の歌に代表されるように、式子内親王の作品には、鬱と激情の交錯する、特異な審美性にあふれた作品が多い。その個性的な詠嘆の底には、どのような憂鬱の生涯がひろがり、いかなる激情にあやなされた思慕があったのか。――歌と生涯を辿りつつ、沈鬱と激情の歌人、式子内親王の内面に鋭く迫る。」


目次:

第一部 式子内親王とその周辺
 はじめに
 四宮の第三女式子の出生
 斎院卜定前後
 み垣の花――斎院式子の青春の夢と失意
 前小斎院御百首のころ――平氏全盛のかげの哀傷
 治承四年雲間の月――以仁叛乱と式子の周辺
 贄野の池――以仁敗死とその生存説の中で
 建久五年百首のころ――後白河時代の終焉と式子の落飾
 軒端の梅よ我れを忘るな――病苦の中の正治百首
第二部 式子内親王の歌について
 宇治の大君に通う式子の心情
 式子は多量の霞を求めねばならなかった
 梅のおもかげ
 花を見送る非力者の哀しみ――作家態度としての〈詠(なが)め〉の姿勢
 式子を支配した三つの夏と時鳥
 落葉しぐれと霜の金星
 巷説「定家葛」の存在理由
 忍ぶる恋の歌
 式子と定家、ならびに宜秋門院丹後
 梁塵秘抄は作用したか

年表
あとがき

解説 (俵万智)




◆本書より◆


「第一部」より:

「ふるさとをひとり別るる夕べにも送るは月の影とこそ聞け」
「「送るは月の影とこそ聞け」の詠歎は、多くの近親者の死を見送った式子のかなしみであったとも取れる。式子は年齢も三十歳に近かった。かつて斎院退下後、「泡雪のあはれふりゆく」と詠った式子であったが、残されたかなしみは年齢を思うと共に深かったと考えられる。(中略)式子は生きながらひとり死者への親しみを感じていたのかもしれない。自分だけが、あらゆるものから取りのこされ、古り埋もってゆく、という過度の疎外感覚は式子の一生をつきまとうノイローゼ現象の一つではあるが――。」



「第二部」より:

「式子の歌には「源氏物語」が宇治大君について描写する時に、しばしば特色的な形容として使った「ほのか」という語がひじょうに多く出てくる。そして、「ほのか」であることは、式子の美意識を支配した主要素の一つであった。そしてそれはまた、「人にだにいかでしらせじ」とはぐくまれた大君のもつ美しさの象徴でもあったといえる。」
「「人にだにいかでしらせじ」という、大君ふうの引きこみがちな物づつみの反面に、ほのかな、におやかな情緒を、花の香や香(こう)のけはいに漂わせたくらし。そこには、すきのない美意識に律しられた古典的な対人意識や、誇りがあったのである。まことにはかない、滅びゆく精神生活であったともいえよう。(中略)世の中に全く不用な存在以外のなにものでもない、老いゆく内親王、老いゆく前斎院にとって、それでもなお世に存在せねばならぬとすれば、せめて美しく、存在する以外に何があったろう。生きながら形骸化してゆく、その稀薄な存在感の中で、式子が大君の生き方を切に具現しようとした努力は、むしろ悲壮で美しかったというべきかもしれぬ。」
「平氏が栄えようと、源氏の世になろうと、いつも春におくれてしまう式子は、その春の歌において、殊にしみじみした〈詠(なが)め〉の姿勢をとりやすい。そして、にもかかわらず、その深い鬱情をなぐさめ得ることにおいて、よその春をよそながらながめることを、式子は決して嫌ってはいない。よその春をながめることは、とこしえに〈魂の冬〉に棲む現実を意識することでもあったから。式子の春の歌は、ゆえに、ほのかな、ひとりぽっちの艶(えん)をたたえ、豊かな霞にとりまかれているのである。他人の春を羨むというのではないが、身の非運がしみじみと味わわれているのが、その春の歌である。」
「病気がちで、苦痛の方が多かったであろう日常の中で、式子が反芻していたものは、やはり、それ以外に生きられなかった非運な一生と、その中でほのかに心暖まる思い出をなした少数の人々との交流のことではなかったろうか。言葉少なく耐えることのみであった五十年を顧みるとき、年ごとに擬人化の度を加えてゆく梅の花にでも托する以外、誰に言いようもない思いなどが、深く積っていたことであろう。」
「〈詠め〉は式子の美意識の拠点であったと共に、強固な作歌上の姿勢であり、対象に一定の距離を保つことを条件としている。それは婉曲な拒否の姿勢とも受け取れるが、断絶を求めているのではない。そのしみじみと見つめる物思いの中には、自己をも肯定せず、見ている現実をも肯定できない式子のかなしみがあるように思う。式子もまた時代の人として若い日から仏教に関心を寄せたが、このような対象への〈詠め〉の姿勢は、ちょうど中有の世界に迷うような、あてどない孤独なものであったようだ。」
「式子における〈詠め〉の姿勢は、そうした見る人としての、頑なな非力への固執でもあった。それは「紅旗征戎非吾事」という、動揺を秘めた定家の決意より粘り強く一貫しており、しかも、定家以上に頑固な拒否の姿勢であったと思う。」

「もし、式子が待つ心の緊張を失ったなら、全く生きながらむくろと化してしまったろう。」

































































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