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白川静 『詩経 ― 中国の古代歌謡』 (中公新書)

「ただかれらの抵抗は、(中略)逃亡がその手段であった。」
「しかしその地を去って、果たしてかれらは楽土をえたであろうか。地上のどこにそのような楽園があろう。」
「この鬱々として解きがたい憂愁は、住むべき地を失った漂泊者のものでなければならぬ。(中略)すでに故郷の地を去って、かれらはどこに安住の地を求めようとするのであろう。わが真情を知らぬ人は、何を求めてさまようぞという。ただ少数の人びとが、漂泊の旅をつづけるわが心の憂いを知るのみである。」

(白川静 『詩経』 より)


白川静 
『詩経
― 中国の古代歌謡』

中公新書 220


中央公論社
1970年6月25日 初版
1994年6月30日 12版
ii 266p 
新書判 並装 カバー
定価740円(本体718円)




白川静 詩経



カバーそで文:

「『詩経』は溌剌たる古代人の精神と豊かな生命の胎動を伝える中国最古の詩歌集である。にもかかわらず、儒教の聖典の一つとして特殊な解釈の上に早くから古典化し、詩歌本来の姿が見失われて久しい。この古代歌謡の世界を回復するため、その発想基盤の類似性をわが『万葉集』に求め、比較民俗学的な立場から古代人の風俗と生活感情に即しつつ、哀歓をこめて歌い上げられた民謡や貴族社会の詩のうちにある生命と感動を蘇らせる。」


目次:

序章

第一章 古代歌謡の世界
 古代歌謡の時代
 歌謡の起源
 発想の様式
 揚之水三篇
 草摘みの唄
 登高飲酒
 表現の問題

第二章 山川の歌謡
 南について
 遊女の追跡
 白駒の客
 鷺羽の舞
 歌垣のうた
 季女の歎き

第三章 詩篇の展開と恋愛詩
 宗廟のまつり
 君子讃頌
 恋愛詩の成立
 愛情の表現
 誘引と戯弄

第四章 社会と生活
 結婚のうた
 棄婦の歎き
 貧窮問答
 曠野の漂泊
 流離の詩
 蜉蝣の羽

第五章 貴族社会の繁栄と衰落
 詩篇の時代
 貴族社会の繁栄
 十月之交
 喪乱の詩
 危機意識と詩篇
 宮廷詩人尹吉甫
 西周の挽歌

第六章 詩篇の伝承と詩経学
 入楽の詩
 楽師伝承の時代
 賦詩断章
 詩篇と説話
 詩経学の展開
 詩篇の特質

あとがき・参考書
周王朝系譜
地図
春秋期略年表
詩篇索引




◆本書より◆


「第一章 古代歌謡の世界」より:

「ことばの呪能を託された歌は、すでに動かしがたい存在の意味を荷(にな)うものとして、客体化された。ことばは歌として形成されたとき、すでに呪能をもってみずから活動する存在となる。(中略)原始の歌謡は、本来呪歌であった。」

「歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに起源している。そのころ、人びとはなお自由に神と交通することができた。そして神との間を媒介するものとして、ことばのもつ呪能が信じられていたのである。ことだまの信仰はそういう時代に生まれた。
 神々との交渉は、神が人とともにある時代にあっては、ことば以外にもその行為のすべてを通じて行なうことができた。たとえば、神がその願いをかなえてくれるかどうかを、無意的な人のことばによって占(うらな)うこともあった。門(かど)べに立って、ゆきずりの人のことばをそのまま神託とみなす夕占(ゆうけ)や、一定の距離を歩いてその歩数で卜(うらな)う足占(あうら)などは、日常のことであった。神にそなえた初柴(はつしば)の一枝を水に流して、そのいざようさまで卜(ぼく)する水占(みなうら)は柴刈りの行事と関連して行なわれた。旅の無事を祈って、野草を摘み、草を結ぶなどの行為が、そのまま予祝の意味をもつとされた。」
「神霊はあらゆるところに遍在しており、その姿もさまざまであった。「草木すら言問(ことと)ふ」というとき、草木にもまた神が宿ると信じられていたのである。大きな樹は特に神聖であった。鉾杉(ほこすぎ)や蔦(つた)かずら・寄生木(やどりぎ)のある大木には、必ず神が住むとされた。青山のたたずまい、たぎつ川瀬も、みな霊的なもののあらわれである。その姿をながめているだけでも、そこにある霊的な力、自然のもつ神秘な力が人の魂をゆるがし、生命力をゆたかにした。ましてや、樹(こ)の間にたちさわぐ鳥の声、季節的にわたりくる鳥のふしぎな生態は、人びとに霊の実在を信じさせた。鳥形霊の観念は、わが国の古代のみならず、ひろく行なわれていた古代的信仰であった。
 『万葉集』にみえるこのような汎神論的な世界観とそれに基づく種々の呪的意味をもつ民俗が、それらの歌の発想の基盤をなしていることは、多くの研究者によってすでに指摘されていることであり、古代歌謡の解釈にこのような事実を無視しえないkとおは、いまでは常識といってよい。『万葉集』におけるあのつつましいまでの自然へのおそれと没入とは、近代短歌の立場から試みられた『万葉』の再解釈と実は無縁のものであった。古代歌謡のこのような古代的な性格を無視して、その文学を正しく位置づけることは不可能である。
 『詩経』の詩篇が、『万葉』とその絶対年代ははるかに異なるとしても、同じような歴史的条件の時期に成立したものであることは、さきに述べたとおりである。したがって詩篇の発想にもまた、『万葉』のような発想と同様の基盤に立つものがあると考えてよい。詩篇には、自然の景象や草摘み、采薪などの行為が多く歌われている。それらはおそらく『万葉』と同じように、呪歌的発想をもつものであろう。
 詩の興(きょう)とよばれる発想法は、その主題とのかかわり合いが明らかにされないために、詩の理解を困難にし、歪めていることが多い。従来の詩篇解釈に多くみられる説話的な附会は、そのために生まれた。後にくわしく述べるように、結婚の祝頌に、どうして束薪や魚などが歌われているのか。祭祀や征旅の詩に、どうして鳥や獣の生態がしばしばあらわれているのか。誘引の詩に果物を投げる行為が歌われ、哀傷の詩に衣裳のことがみえるのはなぜか。すべてこれらのことは、単なる比喩ではなく、それを歌うことに深い意味のあることが、十分に知られていなかったのである。
 詩篇のそのような興的発想は、わが国の序詞や枕詞のような定着のしかたを示さなかったけれども、本質的にはそれと同様に、神霊との交渉をもつための発想であり、表現であった。暗示的な発想といわれる「興」の本質は、歌謡が古く呪歌として機能していたころのなごりをとどめているものなのである。そしてそれは、当時の民衆の生活と直接に連なるものであった。人びとが、かれらを神々に強く隷属させていたその古代的な氏族制のきずなから解放されて、自由にその感情を表現しうる時代が訪れたのちにも、その呪縛は古代歌謡の発想法のうちに、その思惟の様式を規定する古代的な観念として、なお濃厚に遺存した。このことを把握するのでなくては、詩篇をその当時のあり方において理解することは困難である。『万葉』の研究が、従来の注釈学的、あるいは印象批評的な解釈から脱して、その発想の場を古代人の生活と心意のうちに追求し、その表現を一つの時代的様式としてとらえようとする民俗学的な方法の導入によって、急速な展開をみせたように、詩篇の研究にもその方法の適用はきわめて有効であろう。私はこの書の中で、詩篇をそのような立場から新しく見直してみたいと思うのである。」






































































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