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『バルトルシャイティス著作集 4 鏡』 谷川渥 訳

「精密科学でありながら、逸脱した、夢幻的なヴィジョン。反射光学のコレクションはすべて、こうした矛盾のうちに考えられてきた。」
(ユルギス・バルトルシャイティス 『鏡』 より)


『バルトルシャイティス著作集 4 

― 科学的伝説についての試論、
啓示・SF・まやかし』 
谷川渥 訳


国書刊行会
1994年11月25日 初版第1刷発行
508p 索引xi
菊判 丸背紙装上製本 カバー
定価6,800円(本体6,602円)
装幀: 高麗隆彦

「逸脱の遠近法 4」 (8p):
鏡を成仏させるまで(多田智満子)/バルトルシャイティス書誌/図版(モノクロ)5点



Jurgis Baltrusaitis, Le miroir: Essai sur une légende scientifique, révélations, science-fiction et fallacies, 1978
本文中図版(モノクロ)多数。


バルトルシャイティス 鏡 01


帯文:

「鏡面の魔法、
光学の奇蹟

天の鏡、神の鏡、魔法の鏡、
アルキメデスの鏡、
アレクサンドレイアの燈台、
鏡占い、人工の幽霊――
神話から現代の太陽炉まで、
様々な鏡の科学と
伝説を博捜した驚異の書。」



帯背:

「鏡面の魔法、光学の奇蹟
幻想の科学史」



カバー裏文:

「鏡、このもうひとつの世界を召喚する道具は、神話時代より人々を魅了し、その想像力を刺戟しつづけてきた。天の鏡、神の鏡、アルキメデスの鏡、アレクサンドレイアの燈台、ロードス島の巨像、ピュタゴラスの鏡、魔法の鏡、人工の幽霊といったテーマを順次取りあげながら、古代から現代の巨大太陽炉・天体望遠鏡にまで至るさまざまな鏡の歴史を跡づける本書は、鏡の科学がたんに現実の再生の科学であるばかりでなく、さかしまの世界を現出し、人を幻視と錯覚へと導く超現実主義の科学でもあることを、二五〇余の図版と夥しい貴重なテクストによって論証する。「アベラシオン」「アナモルフォーズ」「イシス探求」の〈逸脱の遠近法〉三部作とともに多翼祭壇画(ポリプティック)を構成する四枚目の翼として、著作集の最後を締めくくるにふさわしい、稀代の碩学ならではの驚異の書である。」


目次:

諸言
序文

Ⅰ 反射光学博物館
Ⅱ 天の鏡
Ⅲ 神の鏡
Ⅳ アルキメデスの鏡
 1 エウクレイデスからビュフォンへ
Ⅴ アルキメデスの鏡
 2 ビュフォンから二十世紀の太陽炉へ
Ⅵ アレクサンドレイアの燈台の鏡
Ⅶ ピュタゴラスの鏡
Ⅷ 魔法の鏡
Ⅸ 人工の幽霊
Ⅹ 濫用・錯誤・まやかし
要約と結論

原注
解説 (谷川渥)
索引



バルトルシャイティス 鏡 02



◆本書より◆


「序文」より:

「ナイル河流域の住人たちは、鰐(わに)に食われる恐れのある範囲内に自分たちの影が落ちないように警戒していた。バスート族によれば、この動物は影を水中に引きずり込むことによって人間を殺すことができる。西洋では鰐は悪魔になって、シャミッソー(一八一六)にあっては、シュレミールの影を盗み、ホフマン(一八二七)にあっては、ひとりの娼婦を介して、後にホフマン自身と同一視されるエラスムス・シュピッカーの影を盗む。分身のテーマはロマン派文学以来繰り返し採り上げられる。アンデルセンにおいては、『影』(一八三一)という物語(コント)のなかでひとつの転倒がなされる。人間から分離したその影が人間を隷属させて、人間がついにはその影の影になってしまうのだ。「〈私〉の機能を形成するものとしての鏡像段階」(幼児の段階)を明らかにしながら、ラカンは精神分析学者として、肉体と、分身と、内界(Innerwelt)と環界(Umwelt)の幻影との戯れと重なりを再発見しているが、それは可視的世界の敷居に現われる鏡像によるものなのである。
 ヨーロッパのいくつかの国の民間伝承においては、分身への同じような信仰からこんなことが生じている。

  ――アルター・エゴ(もうひとつの自我)が失われるかもしれないので、夜中に鏡をのぞいてはならないこと。
  ――死体を鏡に映してはならないこと。
  ――死者のいる家では鏡に覆いをかけること。
  ――割れた鏡を恐れること。生者は自分の影の運命(さだめ)に従う。(中略)

 現実とその幻覚(イリュージョン)とが厳密に対称をなし、しかもそれらの境界が知覚しえないことから、両者の直面はつねに驚くべきものであった。それは絶えず人を驚嘆させてきたのだ。芸術家に鏡が模範として与えられてきたのも、けだし当然の事態であった。」

「幻覚の科学、科学と幻覚、そして科学の幻覚として、反射光学とそれを取り巻くあらゆる展開は、二つの面の上で規定される。そこでは計算されたまやかしと錯誤が、自己を完全に認識しようとする必然性と同等の深い必然性に応じるのだ。
 科学的伝説が神話の伝説に、形態の伝説に、そして歪曲された遠近法のアナモルフォーズに続く。それは思考と視覚の逸脱についてのわれわれのエッセーの多翼祭壇画(ポリプティック)の四番目の、そして最後の翼(よく)をなす。それは、これまでなされてきたように、詩的本質と結びついた不条理や誇張をなおざりにすることなく物語られるだろう。」



「反射光学博物館」より:

「精密科学でありながら、逸脱した、夢幻的なヴィジョン。反射光学のコレクションはすべて、こうした矛盾のうちに考えられてきた。」
「それは現実と虚構からなる奇抜なスペクタクルで、そこでは二重化された映像が、実在しないとはいえ視覚にとって有無をいわせぬ領域で繰り返しつくられ、絶対的なるものと結びつく。ひとつの別世界(alter mundus)が知的な遊びと演劇的な娯楽の彼方に出現し、仮象と生命とについてのある種の問題に新たな光を投げかけながら、きわめて多くの分野にまで広がっていく。」
「鏡にはみずからの特性、魔術的能力、そして濫用がある。ピュタゴラスの鏡は、夜間でも遠くの物が認められるくらいに明るく輝き、また技術的工夫がこらされていたので、月面に文字が読めると思われるほどだった。自然の最初の道具である火をつくり出すことで、鏡は人間に最大の喜びをもたらした。その発明者はプロメテウスだった。(中略)最初の地上の火が火打ち石によって獲得されたとする流布されている説は誤りである。」



「濫用・錯誤・まやかし」より:

「凸面鏡を図書室やアトリエのなかに吊るせば、部屋全体が、そこにあるあらゆる事物、あらゆる書物とともに、球の内部に現われる。庭園では、あらゆる樹、あらゆる花を見せてくれるだろう。壮麗な宮殿、無限の空間も、このガラス玉のなかに閉じこめることができる。それらは広大であると同時に微小な事物で、そこではごく小さなものが巨大なものを表現するのである。」
「凸面鏡はまた自画像のためにも用いられた。」
「風景、都市、教会、宮殿、家屋、人物……表象がどんなものであれ、縮減によって事物を変貌させる、形而上学的思考と結びついた魔術のなにほどかが、そこにはつねに存続している。カバラ学者でライプニッツの友人であったメルクリウス・ファン・ヘルモントは、宇宙(コスモス)、大宇宙(マクロコスモス)、小宇宙(ミクロコスモス)についての証明のためにそれを用いて(一六九一)、そこに星雲を見てとった。星雲は、人間によって組み立てられた装置のなかにではなく、自然によって提供された物体のなかに姿を見せる。液体金属が、水滴のように、その重さと密度によっておのずから凸面鏡の形態をとるのである。

  実際、鏡のような水銀の実験によって、これをはっきり証明することができる。それは円形あるいは球形の金属の液だからである。一定量の水銀を取って、それを露天に置けば、地平線全体がそのあらゆる部分とあらゆる事物とともにはっきりと見える。

実験は、それにとどまらない。

  この水銀を蒸留すると、無数の玉あるいは球体(拡大鏡によってしか見分けることができない)に分れて、大きな水銀の塊りの場合と同様に、同時にそれらのひとつひとつに水平線全体が収まっているのが見られる。

 肉眼では見えないけれども、水銀の粒は、ライプニッツのモナドのように、ひとつの完全な宇宙を含むのである。」



バルトルシャイティス 鏡 03


本著作集第2巻栞「バルトルシャイティス、自著を語る」より:

「◎『鏡』について
――『鏡』という本はどのようにお書きになられたのですか?
B――ごく普通の鏡から始めて、後に自然界の内にある鏡、すなわち「空」、「雲」、「月」を経て、「神の鏡」の研究に至ったわけです。そしてひとつひとつの章にミラーミの引用文を入れました。ラファエル・ミラーミは、十六世紀に生きたヴェロナのユダヤ人で、彼が書いた本の中には、のちの時代に展開されることになる鏡に関する全ての基礎的な思考がすでに表わされているのです。
――『鏡』の結語として次のように書かれていますね。「最高の幻視(ヴィジョネール)科学であった鏡学(カトプトリンク)は幻想世界を生みだすのに最もふさわしい精密科学であった。そしてそのなかに常に表われる二律背反、正調と乱調、によってその特異性と詩想が定義されるのである」
B――この一節は私の書いた全ての本にあてはめられるものです。正調と乱調とは、私の最も興味のある問題です。
――乱調のなかの正調ということですか。
B――ええ、それと正調の中の乱調ですね。」



バルトルシャイティス 鏡 04




こちらもご参照ください:

谷川渥 『鏡と皮膚 ― 芸術のミュトロギア』





































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

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