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ディドロ 『盲人書簡』 吉村道夫・加藤美雄 訳 (岩波文庫)

「伝え聞くところでは、或る盲人は布地がどんな色彩のものかを触覚によって知るそうである。」
(ディドロ 「盲人書簡 補遺」 より)


ヂィドロ 
『盲人書簡』
  
吉村道夫・加藤美雄 訳
岩波文庫 青/33-624-4 

岩波書店
1949年10月30日 第1刷発行
2001年2月22日 第3刷発行
143p
文庫判 並装 カバー
定価500円+税



「ヂィドロ」ことディドロの「盲人についての書簡」(Diderot: Lettres sur les aveugles, 1749)の古い邦訳のリクエスト復刊(2001年春)です。法政大学出版局の『ディドロ著作集』にやや新しい邦訳「盲人に関する手紙」(平岡昇訳)が収録されていますが、「盲人書簡」という邦題は寺山修司さんのあれもあるので捨てがたいのではないでしょうか。

本文中挿画1点、図5点。旧字・新かな。


ディドロ 盲人書簡 01


カバーそで文:

「急に視力を得た盲人は眼前の対象を識別できるかどうかという問題をあつかい、ディドロ自身の唯物論・無神論的見解を展開する。」


目次:

まえがき (加藤美雄)

盲人書簡
同 補遺

譯者註
解説 (譯者)



ディドロ 盲人書簡 03



◆本書より◆


「盲人書簡」より:

「ソンダーソンが、ル・ピュイゾーの盲人と共通していた點は、大氣中に起るほんのわずかな移りかわりにも影響されたこと、とくに天候のおだやかなときに、數歩しか隔っていないところに物體があればそれに氣付いたことです。話に聞くと、同氏は或る日、さる庭園で行われた天文觀測に立合っておりましたが、時折雲があらわれて觀測者の眼から太陽の圓盤を覆いかくすときには、彼の顏面に及ぼす光線の作用にかなり著しい異變を惹き起したために、それだけで彼は觀測に都合のよい瞬間とその反對の場合とを悟ったとのことでした。」
「だから、ソンダーソンは皮膚でもってものを見たことになります。つまり彼にあってはこの被いはえもいわれぬ細かい感覺をもっていたものですから、少し馴れると、畫家が氏の掌の上にその似顏を描いてくれるだけで友達の一人を認め得たり、鉛筆によって刺戟された感覺の連續によって、それは某々だ、と言い切れるところまで達していたのだと、確言した人もあるほどだったのです。すると盲人にもまた繪畫があることになり、そうすれば彼らの皮膚がカンヴァスの役をすることになります。」

「彼らには、ソンダーソンになかった兩眼が立派に具っていたのですが、ソンダーソンの方が却って、彼らに缺けている淸らかな習性と率直なる品位とを具えていたのです。だから彼らは盲人として生き、ソンダーソンは眼の見えるもののような死に方をしたのです。」

「すでにこの手紙も餘りに冗長になったようですが、最後に一つ、隨分昔から提示されている問題をつけ加えたいと思います。ソンダーソンの特異な身の上を若干考察しているうちに、この問題が決して十全に解決されていなかったことに氣付いたのです。或る一人の完全に成年に達した生來の盲人に向って、同一金屬のほぼ同じ大きさの立方體と球體とを、その各〃に觸れた場合に、何れが立方體、何れが球體であるかが言い得るほどに、手觸りで識別することを教えたと假定してみましょう。その立方體と球體とが卓上に置かれているときに、その盲人が視覺を使い得るようになったと假定します。そこで彼に向って、手を觸れずに眼で視るだけで、それら二つの區別が出來、どちらが立方體、どちらが球體かを言い得るかどうか、という問いを出すわけです。」



「前掲書簡への補遺」より:

「一 自分の技術の理論にはあくまでも精通するとともに、實際の仕事では誰にも引けを取らぬ或る技術家が私に確言したところでは、彼が小齒輪の丸さを判斷するのは、觸覺であって、視覺ではないとのことだし、その小齒輪を拇指と人差指の間で靜かに廻轉させ、眼の見逃すわずかな凹凸を識別するのは、その連續的感觸によるのだそうである。
二 傳え聞くところでは、或る盲人は布地がどんな色彩のものかを觸覺によって知るそうである。
三 花束の色のニュアンスをいかにも微妙に區別する盲人のことを引き合いに出してもよい。その微妙な感覺は、J・J・ルソーが、眞面目にか或いは冗談半分にか、パリの花賣娘に授業をしてやる筈の學校を開きたいと、友人たちにその計畫を打明けたときに、自慢していたほどのものである。
四 アミアン市には、眼の恩惠に浴しているのと變らぬほどの聰明さで、多數の工房の指圖をしている盲目の織物仕上職人があった。
五 或る具眼の男は眼を用いると手の確かな働きが保證できなかったので、自分の頭を剃るためには、鏡を退けて素壁の前に位置した。盲人は危險に氣がつかぬので、そのため一層大膽不敵になるものだし、一つの斷崖の上に橋として架けられた狹い彈力性の板の上さえ、一層確かな歩調で進むことは疑う餘地がない。大した深淵の光景を見て眼の眩む思いがしない者は先ずないといってよい。
六 あの有名なダヴィエルを知らぬ人も、或いはその人のことを聞かぬ人もないにちがいない。私は幾度も彼の手術に立會ったのだ。彼は或る鍛冶屋の白内障を除去してやったことがあるが、その鍛冶屋はいつも爐の火にさらされ通しだったためにこの病氣に罹り、しかも視力を失っていた二十五年の間に觸覺に賴る習慣をすっかり身につけてしまったので、さて視覺が恢復してそれを用いさせようとすると却って彼を苦しめることになってしまったのだ。ダヴィエルは彼を打ちながらこう云うのだった。『しようがない奴だな、しっかり視るんだぞ!』彼は歩きもしたし、働きもしていた。われわれが眼を開いてすることは何でも、彼の方では眼を閉じてやるという始末だった。」



ディドロ 盲人書簡 02




































































































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