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バルザック 『セラフィタ』 蛯原徳夫 訳 (角川文庫)

「彼はセラフィタが天界から追われた者で今その故郷に歸る途中にいるのではないかと思つていた。」
(バルザック 『セラフィタ』 より)


バルザック 
『セラフィタ』 
蛯原徳夫 訳
 
角川文庫 493 

角川書店
昭和29年12月20日 初版発行
平成元年11月15日 再版発行
216p
文庫判 並装 カバー
定価440円(本体427円)
カバー・デザイン: 鈴木一誌



Honoré de Balzac: Séraphita
角川文庫限定復刻 リバイバル・コレクション PART II
旧字・新かな。


バルザック セラフィタ


カバーそで文:

「男女の性質が融合し、
肉欲を離れた両性具有の裡に実現される
天使のような恋愛を描いた本書は、
バルザックの「神曲」とも
「ファウスト」ともいわれる
「神秘の書」である。」



目次:

獻辭
一 セラフィトゥス
二 セラフィタ
三 セラフィタ・セラフィトゥス
四 聖所の雲
五 告別
六 天に至る道
七 昇天

譯註
解説 (譯者)




◆本書より◆


「――スウェーデンボルグは」と牧師は語りつづけた。「セラフィッツ男爵をとくに愛していました。この名前はスウェーデンの古い習慣に從つて何時の頃からかラテン語のウスという語尾を取つています。男爵はあのスウェーデンの豫言者の最も熱心な弟子で、あの豫言者も彼に内面的(引用者注: 「内面的」に傍点)なる人間の眼を開かせ、天上からの命令に應じた生活をするように彼を仕立てたのです。彼は多くの女性の中に天使的な靈を探し求めたのでしたが、スウェーデンボルグが幻想の中でそれを彼に見出してやつたのでした。その花嫁はロンドンの靴屋の娘で、スウェーデンボルグによれば、彼女には天上の生命が輝いていて、前生の試煉はすつかり濟んでいたということでした。(中略)夫人は一七八三年に二十六歳で子供を生みました。その懷姙は重大な喜びなのでした。二人はそれによつてこの世に永遠の別れを告げるのでした。なぜかと云いますと、子供は自分で生きる力が與えられるまでは肉の衣を着せられて二人の世話を受けていなければならないが、子供がいよいよその肉の衣をぬぐ時に二人は必ず變容するにちがいない、と夫妻が私に語つていたからなのです。子供は生れましたが、それが今われわれの問題にしているセラフィタなのです。彼女が胎に宿ると父親と母親は前よりもいつそう孤獨な生活をして、祈りによつて天界に激しく憧れていました。二人はスウェーデンボルグに會いたがつていましたが、その望みは信仰によつて叶えられました。セラフィタの誕生の日にスウェーデンボルグがヤルヴィスに現われて、子供の生れた部屋を光で滿しました。彼はこう云つたと傳えられています。『仕事は成し遂げられ、天界は喜んでいる』家の人は旋律のような不思議な音を聞きましたが、それは風に乘つて四方から響いてくるように思われたということです。スウェーデンボルグの靈は父親を家から連れ出してフィヨールドの上へ導き、そこで父親と別れました。ヤルヴィスの幾人かの人はその時セラフィトゥス氏に近づき、次のような聖書の美しい言葉を氏が口にするのを聞いたのでした。『主が我らに遣(つかわ)し給う天使の足は、山の上にていかに美しく見ゆることぞ』 私は家を出て、洗禮や命名やそのほか法律に定められていることを果しに館へ行こうとすると、途中で男爵にばつたり會いました。『貴方にお勤めをして頂かなくてもいいのです』と彼は云いました。『私たちの子供はこの地上では名をつけてはならないのです。それにもう天上の火で授洗を受けましたから、地上の教會の水で洗禮なさらないで下さい。あの子供はいつまでも咲きつづけていて、萎れることはないでしよう。ただ變つてゆくだけなのです。貴方がたは過渡的な存在(引用者注: 「存在」に傍点)をお持ちですが、あの子供は生命を持つています。貴方がたには外面的な感覺がおありですが、あれにはありません。あの子供はすつかり内面的なのです』そういう聲には超自然的な響きがあつて、私はそれに強く打たれました。(中略)セラフィタは他の子供のように裸の姿を見られるということは決してありませんでした。また男の人の手にも女の人の手にも觸れたことがありませんでした。母親の懷に抱かれて純潔無垢に生活し、泣いたこともないのでした。(中略)彼女は教會では他の信者たちと遠く離れています。もしその離れ方が少いと彼女は落ちつかないのです。ですから彼女はたいてい館に籠つています。彼女は姿を見せないのでその生活の詳細も分りません。彼女の能力も感覺もすべてが内面的なのです。彼女はたいていの時は神秘的な冥想に耽つています。そういう冥想はカトリック教徒に云わせるとキリストの言葉の傳統の保たれていた孤獨な初期キリスト教徒に絶えず見られたものだということです。彼女の悟性も魂も肉體も、彼女のすべてのものはわれわれの地方の山の雪のように純潔なものです。十歳になるともう現在貴方がご覽になつているような彼女そつくりになりました。彼女が九歳の時に兩親はそろつて死んだのですが、苦しみもなく、これという病氣もなく、この世を去る時間をあらかじめ告げたのでした。彼女は兩親の足元に立つて、悲しみも苦しみも喜びも好奇心も示さずに、平靜な眼つきで眺めていました。」」

「三人がダヴィッドに案内されて家に入つてみると、セラフィタは食卓の傍らに立つていて、食卓にはお茶のお支度ができていた。(中略)セラフィタは三人の客をこの世の世間並みにもてなそうとして、ストーヴに薪をくべるようにダヴィッドに云いつけた。
 「今日は、皆さん」と彼女は云つた。「ベッカーさん、よくいらつしやいました。私の生きている姿をご覽になるのもこれが最後かもしれませんよ。この冬はもう私は死にそうなのです。――どうぞおかけ下さい」と彼女(引用者注: 「彼女」に傍点)はウィルフリッドに云つた。「ミンナさんもそこへおかけ下さい」と彼(引用者注: 「彼」に傍点)は自分の傍らを指さして云つた。」
「「貴女は昨日もまたお苦しみだつたのですか」
 とウィルフリッドは尋ねた。
 「なんでもありません」と彼女は云つた。「ああいう苦しみは私好きです。生命から脱け出るには必要なのですから」
 「死ぬことは怖くはないのですか」
 ベッカー氏は微笑んで云つた。彼は彼女を病氣だとは思つていなかつた。
 「怖くはありません。人には二つの死に方があります。或る人には死が勝利であり、或る人には死は敗北です」
 「貴女は勝つたとお思いになつていらつしやるでしよう」
 とミンナが尋ねた。
 「どうですか」と彼女は答えた。「もう一歩というところでしよう」
 彼女の乳のように白い顏の輝きは消え、眼に瞼がゆつくりとかぶさつた。このほんのちよつとした變化にも好奇の心に燃えた三人は心を打たれ、身體が縮まるような思いであつた。しかしベッカー氏はいちばん勇敢にこう云つた。
 「貴女は純眞そのものでもあり、また神のように善良でもあります。今晩私はお茶の御馳走より外のものをご所望するのですが。或る人たちの話によると貴女は不思議なことをご存じだということです。もしそうだとすれば、私たちの疑いの幾らかでも消して頂ければ有難いのですが」
 「ああ」と彼女は微笑んで答えた。「私は雲の上を歩きます。フィヨールドの深淵の上にもよく參ります。海は轡をはめた私の乘馬です。私は歌をうたう花がどこに生えているか、ものを云う光がどこに射しているか、匂いのある色がどこにきらきらと輝いているか、知つています。(中略)私は仙女です。私が風に命令を與えると、風は奴隷のようにそれを行ないます。私は地中の寶も見抜きます。私は眞珠が身體の前に飛び散る處女です。それから……」
 「それから私たちはファルベルクにも平氣で登れますわね」
 とミンナが口を入れて云つた。
 「貴方だつてそうですよ」と彼女はミンナを輝かしい視線で見やつたので、ミンナはおどおどしてしまつた。それから彼女は三人を刺すような眼ざしで見渡しながら云つた。「貴方がたがなぜここにいらつしやつたかを、もし私が貴方がたの額の中に讀み取ることができないとしたら、私はもう貴方がたがお考えになつているような者ではないわけです」ダヴィッドはこれを聞くと滿足そうに手を揉みながら出て行つた。彼女はしばらく默つていてから云つた。「貴方がたは子供のような好奇心に驅られておいでになつたのです。ベッカーさん、貴方はこの十七歳の少女に分るかどうかと思つていらつしやるのです。學者が眼を空に向けずに鼻を地面につけて探しまわつている、多くの秘密の一つでも分るかどうかと。もし私がどのようにして、又どういうところから植物が動物と通じ合つているかということを申し上げたら、貴方はご自分の疑つていらつしやつたことをまたお疑いになるでしよう。貴方は私にいろいろお尋ねになるおつもりだつたのでしよう。正直におつしやいまし」
 「そうですよ、セラフィタさん」とウィルフリッドが答えた。「けれどもふつうの人間がそう思うのも無理はないでしよう」
 「それでは貴方がたはこの兒に退屈な思いをさせるおつもりですね」
 と彼女はミンナの髪を可愛らしそうに撫でながら云つた。
 若い娘は眼を上げたが、セラフィタの中に融けこんでしまいたいようなふうであつた。」

「「精神にとつては事實、時間も空間もないのです。空間と時間は物質のためにつくられた相對的な大きさなのであつて、精神と物質とにはなんら共通するものがありません。(中略)天使的な靈は死ぬべきものの數から除外されているのです。そして死ぬべきものの言葉を聞いてももうその意味が分らなくなつているのです。またそういうものの動き、たとえば政治と云われているものや、物質的な法律や、社會などというものを見て、驚くのです。(中略)一度も後ろを振り返らず、一言も後悔の言葉を洩さず、もろもろの天體を眺めてその運命を見透すような人々は、口を噤んで、待ち、そして最後の鬪いをじつと堪え忍びます。最も苦しい鬪いは最後の鬪いであり、また最高の德は諦念(引用者注: 「諦念」に傍点)です。追放たれてしかも歎かず、地上のものに氣を惹かれずに微笑み、神のものとなりながら人間たちの間に留つていること、です。(中略)歎くことは墮落なのです。諦めは天國の入口で熟す果實なのです。(中略)どれほど多くの赦された天使たちが殉教から天上へと歸つて行つたことでしよう。シナイもゴルゴタも特定の場所ではありません。天使は至るところで、またあらゆる世界で十字架にかけられるのです。」」





こちらもご参照ください:

高橋和夫 『スウェーデンボルグの思想』 (講談社現代新書)












































































































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うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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