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瀧口修造 『シュルレアリスムのために』

「このフォーストロル博士は、ジャリのいうところの PATAPHYSICIEN (パタフィジシアン)なのですが、パタフィジックとはいかなるものでしょうか。かれはこれを定義して――例外を統一する法則を研究し、この法則の補足となるべき全宇宙を説明する学問である――とか――想像的解決の科学である――とかいっています。」
(瀧口修造 「イマージュの反抗」 より)


瀧口修造 
『シュルレアリスムのために』
 

せりか書房
1978年5月15日 5版発行
358p 口絵(モノクロ)2p
21.6×14.8cm
丸背布装上製本 本体カバー 
機械函
定価3,500円
装幀: 下川敦子



本文中図版(モノクロ)。初版は1968年刊です。


瀧口修造 シュルレアリスムのために 01


「外函表: 偽似発狂状態のアンドレ・ブルトン」


瀧口修造 シュルレアリスムのために 04


「カバー: マックス・エルンスト/ポール・エリュアール〈A L'INTERIEUR DE LA VUE〉より」


瀧口修造 シュルレアリスムのために 05


本書「覚えがき」より:

「この本は、一九三〇年から一九四〇年までに、主としてシュルレアリスムについて、または多かれ少なかれその影響下にあった時期に書かれたものを集めたものである。(中略)それにしてもフランス語の読解力のいたって未熟な私が、なぜ好んでシュルレアリスムのアクチュアルな文献にとり憑かれなければならなかったか、誰れに問うすべもないことである。今日からみれば、この標題は「私のシュルレアリスムのために」といい換えるべきであったかも知れない。その多くはさまざまな外部の要請のもとに書かれているにもかかわらず、シュルレアリスムの客観的な紹介や解説にはおそらくなりえなかったのである。」
「本書は便宜的に五部に分けられている。第一部は主として詩または文学上の面から、第二、第三部は造形芸術の面から、第四部は日本の現実にふれて、第五部はシュルレアリスムと外部の諸問題といったように配列されている。」
「時代はつるべ落しに暗さを増し、発言の機会は抑えられつつあった。(中略)一九四一年の春まだ寒いころ、私は検挙されるにいたる。しかし私自身はすでにシュルレアリスムへの熱中期から十年のあいだに「シュルレアリスムは、いま日本の夜の中へ、溶解の一途を辿っているかも知れぬ。それは超現実がひとつの純粋性に達する一形式でもあるからだ……」といった、捨てぜりふともとれるような言葉でしか本音を吐けなかったところまで落ちてしまう。――しかもそのような言葉がいまの私にとっても、なお生きつづけているとは! 悔恨を通りぬけ、また何かあらたな脈絡を見つけたかのように、それが私のなかに坐り込みをつづけようとする気配である。」
「本文については、当時の文体をいちじるしく変えない範囲で筆を加えた。」



目次:

1
ダダと超現実主義
詩と実在
アルチュール・ランボー――小林秀雄訳「地獄の季節」
詩の全体性――上田敏雄著「仮説の運動」
ガートルード・スタイン嬢の肖像について
イマージュの反抗――シュルレアリストの文章
Le Surréalisme et...
詩と絵画について

2
超現実造型論
現代の美学的凝結――『アルバム・シュルレアリスト』緒言
シュルレアリスムの作家像――「海外超現実主義作品展」カタログのために
イギリスにおけるシュルレアリスム

3
思春期の自由――フランシス・ピカビア
調革の論理――マルセル・デュシャン
絵画の彼岸――マックス・エルンスト
内部の額椽――ルネ・マグリット
超物質的形態学――サルバドール・ダリ
謎の創造者――サルバドール・ダリ
苦行と童心――ホアン・ミロ
夢の博物館――パウル・クレー

4
白昼の秘戯――福沢一郎
超現実主義絵画の方向について
星の掌――飯田操朗
浮彫の花束――桂ユキ子
飾窓のある展覧会
前衛美術と文化的課題
影響について
或る年表への註釈
シュルレアリスム十年の記
物体の自発性――美術文化協会第一回展評

5
超現実主義の可能性と不可能性
フロイト主義と現代美術
ディドロのクラヴサン――ルネ・クルヴェルについて
シュルレアリスムの動向
前衛芸術の諸問題

覚えがき (瀧口修造)



瀧口修造 シュルレアリスムのために 02



◆本書より◆


「ダダと超現実主義」より:

「ダダは否定と肯定との同時的論理家である。たとえばトリスタン・ツァラの宣言書はあらゆる既成状態への否定意志の結晶であると同時に、その態度は高貴な論理によって、ひとつの精神構成によって飾られている。抽象的な極大の否定はひとつの純粋な肯定に到達するということがいわれないであろうか。ダダにおいて、反語は、ひとつの独特な真理を有している。すなわちあらゆるものを犠牲にして、ひとつの単純な活動性を、ダダは獲得したのである。」

「ダダ運動の迅速な過渡期に、それを象徴し、未来における新しい詩の方向を決定すべき影響を与えた二人の人間はジャック・ヴァシェとイジドール・デュカス(ロートレアモン伯)とである。ジャック・ヴァシェの運命はなにものをも生産しなかったことであった。」



「イマージュの反抗」より:

「ジャリの著作『フォーストロル博士の言行録』は新科学小説と銘打ったもので、フォーストロルとはもちろん、例のファウストをもじったものでしょう。このフォーストロル博士は、ジャリのいうところの PATAPHYSICIEN (パタフィジシアン)なのですが、パタフィジックとはいかなるものでしょうか。かれはこれを定義して――例外を統一する法則を研究し、この法則の補足となるべき全宇宙を説明する学問である――とか――想像的解決の科学である――とかいっています。」


「謎の創造者――サルバドール・ダリ」より:

「作品『眠り』(一九三七年)についてダリはつぎのような説明をつけている。
「偏執狂的批判的方法によって、正確な細部があたらしく得られた。眠りは真正な蛹的怪物であって、その形態とノスタルジーはどれをとってしらべても同じように蛹的な十一本の支柱によって支えられている。
唇がその正確な支えを枕の一端に見出すか、あるいは足の小指がほとんど気づかぬ程度に掛布団の襞にひっかかるだけで、眠りはそのあらゆる力でわれわれを締めつけてしまう。この瞬間に怖ろしい顔がせり出してきて、生物学的な渦巻の形をした鼻のやわらかい円柱にもたれかかり、しかも胎児の背部彎曲をかこむ筋肉の渦巻のなかに花咲く。羊歯の植物的渦巻と円柱の石の渦巻、すわっている胎児。
ミケランジェロ、正真正銘の蛹であるこの老人はわたしと一致している。彼はいう、〈眠りの渦巻〉は巨大で、筋骨たくましく、余念がなく、困憊し、勝ち誇り、重々しく、軽快で、没頭しきっている、と。つまりガウディはいっそう正しかったことになる。
右にはピエロ・デルラ・フランチェスカの疲れた夢に現われる有名な夏の街が見られ、右には支柱によりかかった犬が片眼をあけたまま眠りこけている。」
なおこの作品は、別のところでは『劇場の緞帳の図案』と題されている。」



「星の掌」より:

「あらゆるものは愛なしには成就されない。
ひとつの果実のなかにも、愛の構造があるであろう。ひとつの映像にも、愛のための、かなしみと、よろこびの、秘められた語句があるであろう。切断された手、切断された影の果実、膨れる星、唇のように語る雲、……人間のために発見され、解釈され、創造されたあらゆる影像のうちに、人は自己の運命を読み、書き綴ってゆくであろう。愛の影像――愛という言葉は、われわれの生命の意識と無意識との間の、いくつもの段階にしたがって、さまざまに解釈され、使用されているにもかかわらず、愛のもっとも不可解な一断章が、われわれの手をして思わずも綴らせてゆくのは何故であろう。日常生活は、愛を、いわゆる性的な、もっとも直接な、慣用語や習慣に還元するのがつねである。しかしわれわれの周囲には、夜のスクリーンのなかに、また〈大自然〉の直接の表現のなかにさえ、人間の驚きの結晶を見るのも稀れでない。そのなかに、愛の最終の意義を考えることは、われわれにとって許されなければならぬ。そして、この愛の未踏の距離に立つものが、最初に芸術家であることも許されなければならないであろう。」

「わたしはふと、忘れがたいアンドレ・ブルトンの言葉を思い出す。「芸術家の訓練にとって結晶をモデルとして描くことほど高いものはないように思われる。人間生活の一断片として、真にある意義を持つものとして考えるばあい、芸術作品は、結晶のような、外部からも内部からも、そのあらゆる面において、同様な堅さと厳密さと、正確さと光沢とを表わしていなければ、すべての価値において欠けるところがあるように思われる。このわたしの結論は、いうまでもなく、人間が形式的な美を、美的にも道徳的にも、その完成への任意の過程に基礎を置こうとするいっさいの企てと、つねに、そして範疇的にも、相反するのがつねである。しかも、いっぽう、わたしは創作と行動においても、その自発性のもっとも完全な表現こそ結晶なのだという持説を曲げないであろう。わたしの住む家、わたしの生活、わたしの書くもの、すべてが遠くから見られたとき、まさしく岩塩のキューブのように見えることを夢想する。」」










































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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