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『コレクション 瀧口修造 4 余白に書くⅠ』

「ある画家の作品について何かを書くことができるのは、その余白の如何にかかっているのだろうか……」
(瀧口修造 「白の骨法」 より)


『コレクション 
瀧口修造 4 
余白に書くⅠ』

監修: 大岡信・武満徹・東野芳明・鶴岡善久・巌谷國士

みすず書房
1993年10月12日 印刷
1993年10月22日 発行
379p 目次xi 
欧文135p 目次iv
20.5×15.5cm
丸背バクラム装上製本 貼函
定価7,210円(本体7,000円)

月報 (8p):
ああニルああ荒野における瀧口修造先生との七つ目の密儀(松澤宥)/透明な笑み(堂本尚郎)/瀧口=明恵説あるいは夢の通底(野中ユリ)



本書「解題」より:

「本巻と第五巻には、生前と歿後の二回にわたって刊行された『余白に書く』および、これに類する文章を収録した。活字化されたもののほかに、ノートなどに書かれた未発表の文章、自作のデカルコマニー、ロト・デッサンなど絵画作品に付された言葉、スケッチ・ブックに遺された言葉などからも採録した。本巻は一九五一年から一九七〇年まで、第五巻は一九七一年から一九七九年までに執筆されたものである。」
「『余白に書く』は、(中略)展覧会のカタログに寄せた短文や私信として友人に贈られた言葉などが主として採録されている。これはたまたまその種の短文が集められたのではない。当時の瀧口修造の内部にあった「書く」ことへの根本的な変化によって、意識的にこの種の短文が選択された。」
「本巻編集にあたって、瀧口修造の執筆対象となった展覧会、作品などから適宜図版を載せた。」



第10回配本。本文中図版(モノクロ)多数。「解題」は二段組です。


瀧口修造 コレクション 04 01


帯文:

「この本は、書くということの理由をさがしている私の触手の定まらぬ動きそのもの…」


目次 (初出):

瑛九へ (ノートから、1951)
ロジェ・ヴァン・エック氏は…… (ロジェ・ヴァン・エック作品展、フォルム画廊、1953・5)
杉村恒氏は日本画から写真の世界に…… (杉村恒フォトグラム展、松島画廊、1954・9)
写真は光線の言語だと…… (瑛九フォート・デッサン展、日本橋・高島屋、1955・1)
靉嘔君は純粋に戦後派の画家…… (靉嘔個展、タケミヤ画廊、1955・2)
河原温「物置小屋の中の出来事」 (美術手帖、1955・3)
写真というメカニズムを通して (大西茂写真展、なびす画廊、1955・3)
この画家が生活し、仕事をしているのはどこか?…… (今井俊満に 「みづゑ」、1955・12)
冬の仕事場 (美術手帖、1956・2)
PCLの想い出 (国立近代美術館「現代の眼」、1956・5)
記号について (サロン・ド・ジュワン七回展カタログ、銀座画廊、1956・11)
ひとりの奇妙な画家が (ジョルジュ・マチュウ個展、白木屋、1957・2)
もう一つの画法 (読売新聞夕刊、1957・9・16)
けれども人工衛星はまわっている (みづゑ、1958・1)
戦後の小山田二郎の仕事は…… (美術手帖、1958・1)
河原温の世界は (美術手帖、1958・1)
「ヴィトリーヌ」は…… (美術手帖、1958・1)
福島秀子の作品は…… (美術手帖、1958・1)
加納光於「紋章のある風景」 (美術手帖、1958・3)
序にかえて (杉村恒写真集『女流』 新潮社、1958・3)
夏扇 (アンリ・ミショーへの私信に添える。1958・8)
福島和夫君の新しい作曲が…… (「二つの舞台作品と室内楽」に寄せて、脳性小児マヒ者の会「青い芝」慈善公演パンフレット、産経国際会議場、1959・1)
私たち日本人は石で (木村賢太郎展、南画廊、1959・3)
絵画と印刷とは…… (河原温印刷絵画案内状に寄せて、1959・3頃)
アムステルダムの市立美術館の (カレル・アペル展、現代画廊、1959・5)
今日の絵画は極度な無形象の (斎藤義重展、東京画廊、1959・9)
絵画の世界はいま (小山田二郎展、東京画廊、1959・9)
私は南画廊主の案内で (クリスト・クッツシア展、南画廊、1959・10)
セルパンの絵は線の世界だと (セルパン展、現代画廊、1959・11)
海を渡ってきたコンフェッティ (グラフィックデザイン、1959・11)
風を額に…… (フォートリエに、1959・11)
阿部展也と写真 (阿部展也写真展、白木屋、1960・2)
広告 (「池田龍雄作品・安部公房文」(昭森社)のための序文として書かれたがこの本は未刊、1960・4)
奇妙な職業 (三田文学、1960・4)
白の骨法 (堂本尚郎展、南画廊、1960・5)
宿命的な透視術 (加納光於展、南画廊、1960・5)
ムナーリのシルエット (グラフィックデザイン、1960・5)
ダダは諸君をくすぐるだろう (ネオ・ダダ展、吉村益信アトリエ、1960・7)
私の手帳から (サトウ画廊月報、1960・8)
曹良奎のこと (『曹良奎画集』 美術出版社、1960・9)
立会人の言葉 (第二回 650 EXPERIENCE の会パンフレット、日比谷第一生命ホール、1960・11)
プエブロ・インディアンたちは (自作展〈私の画帖から〉 南天子画廊、1960・9)
野田好子さんは…… (大阪フォルム画廊、1960・11)
アニメーション考 (SACジャーナル〈別冊三人のアニメーション〉、1960・11)
クルト・シュヴィッタース (クルト・シュヴィッタース展、南画廊、1960・12)
なぜの彫刻 (荒川修作展、夢士画廊、1961・1)
詩人のカレンダー (バーナード・チャイルズ銅版画展、東京画廊、1961・2)
失われた秘密の国から (利根山光人展、南天子画廊、1961・3)
サム・フランシスとともに (サム・フランシス展〈Blue balls〉 南画廊、1961・5)
ある日の彫刻 (辻晉堂彫刻展、日本橋画廊、1961・5)
長谷川彰一君が…… (長谷川彰一・順展、日仏学院講堂、1961・7)
はじめに (山田美年子銅版画展、南天子画廊、1961・6)
いわば「他人の絵」に (自作展、大阪・北画廊、1961・8)
土方巽が儀式といい、体験というとき (土方巽〈Dance Experience の会〉のために、1961・9)
絵画はどこから (若狭暁男展、日本橋画廊、1961・9)
靉光を想う (靉光遺作展、文芸春秋画廊(南天子画廊主催)、1961・10)
Kを探そう (工藤哲巳展、文芸春秋画廊、1961・11)
これは普通の絵の展覧会とは…… (志賀丈二展、南天子画廊、1961・11)
NONはとらわれない…… (写真展〈NON〉に寄せて、銀座・松屋、1962・1)
なんという冒険! (人形劇団ひとみ座公演パンフレット、草月ホール、1962・2)
抽象とは何か (小野里利信展、南画廊、1962・3)
詩人は死んで絵を…… (斎藤広志展、南天子画廊、1962・3)
影像人間の言葉 (美術手帖増刊〈現代のイメージ〉、1962・4)
私はちかごろ、絵画を時間として (時間派展、サトウ画廊、1962・5)
写真とは何だろう? (吉岡康弘写真作品集の推薦文、1962・5)
今井俊満がパリに定住してから…… (今井俊満展、南画廊、1962・5)
加納光於「星・反芻学Ⅰ」 (読売新聞夕刊、1962・10・6)
日附は絶えず…… (土方巽に、デカルコマニーに添えて、1962)
私の心臓は時を (自作展〈私の心臓は時を刻む〉 南画廊、1962・10)
詩人の肖像 (みすず、1963・2)
百の眼の物語 (美術手帖、1963・2)
一九一九年以来バウハウスが…… (バウハウス展、草月会館、1963・2)
白紙の周辺 (みづゑ、フォトインタビューに寄せる、1963・3)
物を言わぬ物たちの (ケイト・ミレット展、南画廊、1963・4)
そうだ。これがあなたの最初の (宮城輝雄展、夢士画廊、1963・4)
暗黒のなかから (平野遼への私信(地方展のために)、1963・4)
魚炎 (フランスから帰省した前田常作の個展(東京画廊)に際して、1963・5)
ノック! ノック! ノック! (利根山光人展、メキシコ市ミスラチ画廊、1963・6)
恋、それは (加納光於への私信から、1963・7)
絵の魔 (集団α展、新宿第一画廊、1963・8)
アーシル・ゴーキーの「素描」 (アーシル・ゴーキー素描展(西武百貨店)に際して、読売新聞夕刊、1963・8・7)
クオ・ヴァディス (北脇昇遺作展、青木画廊、1963・9)
曲り角から彼が (始めて渡欧する大岡信のために作った LIBERTY PASSPORT に書く、1963・9)
松沢宥に招かれて (松沢宥展、青木画廊、1963・9)
朝食のときから始まる (池田満寿夫銅版画展、日本橋画廊、1963・9)
愛の秘蹟 (シャガール展、西武美術館、1963・10)
時に岸辺なし (読売新聞夕刊、1963・10・4)
なぜだろう? 水が流れるのに (元永定正展、東京画廊、1963・10)
「日本のシュールレアリスム」という標題は…… (飯島耕一『日本のシュールレアリスム』序文、1963・12)
落ちこぼれ (自作のスケッチの扉に、1960―63)
加納光於、水谷勇夫の二人の作家展が…… (加納光於・水谷勇夫展、愛知県美術館、1964・3)
夢から (『武満徹←1930……8』序文、草月出版部、1964・3)
太陰暦の画家 (ゾンネンシュターン展、青木画廊、1964・3)
弧について (武満徹への私信から、1964・5)
黄よ。おまえはなぜ…… (サム・フランシス展、南画廊、画家との詩画集として出版された、1964・11)
黄よ、おまえはなぜ…… (読売新聞夕刊、1964・2・30)
星は人の指ほどの―― (野中ユリ展(ルミナ画廊)に際して詩画集として出版された(野中ユリ私家版) 1965・2)
プサイの座敷から (松沢宥の〈反文明〉プサイの秘具体入水式、内科画廊)
ブルーノ・ムナーリは…… (ブルーノ・ムナーリ展、新宿・伊勢丹、1965・3)
夜想 (夜想展〈六人の画家〉、青木画廊、1965・4)
物々控 (美術手帖増刊号〈おもちゃ〉、1965・4)
自由な独創性 (朝日ジャーナル、1965・4・11)
訪問者 (合田佐和子展、銀芳堂画廊、1965・6)
「習作集」以後 (野地正記展、青木画廊、1965・10)
裸身のルオー (読売新聞夕刊、1965・11・4)
戦後二十年にして日本の画壇は…… (田辺三太郎展、1965 初出不詳)
一角獣の変身 (エルンスト・フックス展、青木画廊、1965・12)
野菊一輪 (みづゑ〈大下正男追悼〉、1966・4)
わがガラスの記 (太陽、1966・5)
音楽がいうこと (オーケストラル・スペースに寄せて、1966・5)
通りすぎるもの…… (瑛九の会編「眠りの理由」No. 14 付録、1966・5)
人の子が絵を描く…… (纐纈敏郎展、夢士画廊、1966・6)
失われぬ足跡 (鶴岡善久『日本超現実主義詩論』序文、思潮社、1966・6)
追想 (富ノ井政文遺作展、日本橋画廊、1966・6)
廃墟の破片から生れる…… (海藤隆吉に、デカルコマニーに添えて、1966・7・10)
芸術のなかのジュエリー (太陽、1966・7)
イラストレーションの十字路で (『年鑑イラストレーション 1963-66』 三和図書株式会社、1966・7)
アンリ・ルソー「石切場」 (読売新聞夕刊、1966・9・7)
「愛奴」に寄せて (テアトル・ユマニテ、1967・1・1)
主として鳥髪に (いけばな草月、1966・11)
デッサンは万人によって作られる…… (土方巽に、ロトデッサンに添えて、1966)
啓示 (松沢宥展、京都・アヅマギャラリー、1967・1)
ハンス・ベルメール (ハンス・ベルメール展、南天子画廊、1967・2)
短い夢 (篠原佳尾銅版画展、銀芳堂画廊、1967・3)
この極東の国に…… (ミリアム・バット・ヨセフ展、青木画廊、1967・3)
《半島状の!》 (加納光於展、1967・4、大阪・南天子画廊、1967・6)
ちいさな ちいさな…… (ちいさな、ちいさな展覧会、銀座・松屋、1967・5)
ONNA (宮下芳子展「女」に寄せて(自動筆記のこころみ)、大倉画廊、1967・7)
不知抄 (『不知抄』、雲母版、二部限定、野中ユリ造本、画餅荘、1967・9)
舞踏よ (笠井叡舞踏写真集 'Androgyny Dance' に寄せて、蘭架社、1967・10)
透明人間の音楽 (佐藤慶次郎のエレクトロニック・ラーガに寄せて、南画廊、1967・10)
アリス以後 (中央公論、荒川修作の作品について、1967・12)
マッタについて (マッタ版画展、大阪・南天子画廊、1968・4)
遠方の友 (西村計雄展、上野公園内日本美術協会、1968・7)
もうひとつの生命 (木村直道スクラプチュアー展、銀座・松屋、1968・9)
ガラス世界 ('Space Modulator' 第32号、1968・11)
自在諺抄 (土方巽のための詩画集『あんま』、アスベスト館私家版、1968・11)
アルプそしてヴァザレリ (アルプ、ヴァザレリ版画展、南天子画廊、1968・12)
序にかえて (中村義一『日本の前衛絵画』序文、美術出版社、1968・12)
ケート・ミレットのTRAP(罠) (1968頃)
 横尾忠則の未だ見ぬ傑作について (1968)
もしもこの世に…… (唐十郎『ジョン・シルバー』への序詞、天声出版、1969・1)
志問糸文 (四谷シモンのために、1969頃)
失題 (松沢宥展、青木画廊、1969・6)
曖昧な諺 (本の手帖〈瀧口修造特集号〉、1969・8)
薔薇の葬列は迫る (アートシアター、70号〈薔薇の葬列〉、1969・9)
一人の画家の誕生と歩みは…… (利根山光人展、銀座・三越、1969・9)
黒と白のシカゴ (石元泰博写真集『シカゴ、シカゴ』への序、美術出版社、1969・10)
人は薄明のうちに…… (漆原英子展、日本画廊、1969・10)
ファン・ゴッホは絵と手紙とを残した…… (『ファン・ゴッホ書簡全集』内容見本、みすず書房、1969・10)
真空の巣へ (細江英公写真集『鎌鼬』への序、現代思潮社、1969・11)
壁をミロ…… (大阪にてミロに、1969・11・28)
扉のように (佐藤雅子に、1970・1)
胎内の瞳 (宮下芳子「新宿の目」に寄せて、1970・1)
笑いの理由 (美術手帖、1970・2)
人形餞 (太陽、1970・2)
木々はそのとき (青木一平「木々展画集」に寄せて、夢二画廊、1970・2)
ヨーコとジョンにおくる歌 (ぶっく・れびゅう創刊号〈特集ジョン・レノンと小野洋子〉、1970・4)
手づくり諺 (PROVERBIOS EN MANO ポリグラファ出版社、1970・5)
「手づくり諺」ノート (都市、第4号、1970・10)
石化するか木魂 (塚原琢哉展、壱番館画廊、1970・7)
巽、易象曰…… (土方巽に、1970・8・28)
地上のきみの守護天使より (ぴえろた〈冨士原清一特集〉、1970・9)
白い断想 (アートシアター、80号〈煉獄エロイカ〉、1970・9)
掌と鳥 (武満徹に、1970・10)
微視的に巨視的に…… (サルバドール・ダリに、1970頃)
双生の巣はどこへ…… (飯島耕一に、デカルコマニーに添えて、1979)
炎と瞳と…… (大岡信に、デカルコマニーに添えて、1970)

悪循環あるいは曖昧な諺 (1969)

解題 (鶴岡善久)
初出一覧

Marginalia I
 Où ce peintre vit-il...
 à Henri Michaux
 CHIMEI HAMADA
 Fautrier
 DOMOTO
 East meets West in the teacup
 Hommage à André Breton
 COETZEE
 Blotting papers is something...
 why sculpture
 poet's calender
 Along with Sam Francis
 When Mr. TATSUMI
 Beyond painter's hours
 KOTOBA pour Imaï
 Balthus
 Let's try to sing
 Fragmentary thoughts and impressions after hearing Cage-Tuder recitals
 Tick-tack my heart-the watch
 Tinguely
 Things and Kate Millett's things
 Fumio Yoshimura
 Maéda
 VERBES TAJIRI
 Kojin Toneyama
 Hideko Fukushima
 It begins with breakfast time
 Parable of Time and Timeless
 is to sam francis
 You the Yellow
 Munari
 for Chieko Shiomi's Spatial poem
 En compagnie des étoiles de Miró
 Myriam Bat-Yosef
 Fragmentary thoughts on Mitsuo Kano
 Through-the-Looking-glass-match
 Raison de rire
 Regardez le mur Miró!
 A Song to Yoko John Lennon
 Hans Richter
 JOANET ARTIGAS
 To Dear Minako
 L'etoile scellee se perpetue
 BON VOYAGE POUR MA POUPEE CHERIE
 On bamboo or Take

 MA DE PROVERBIS
 PROVERBIOS EN MANO
 PROVERBES À LA MAIN
 PROVERBI A MANO
 HANDMADE PROVERBS
 SPRÜCHE AUS MEINER HAND

 notes



瀧口修造 コレクション 04 02



◆本書より◆


「けれども人工衛星はまわっている」より:

「筆者の生まれたのは、調べてみたらライト兄弟がはじめて飛行機を飛ばした記念すべき日の十日前に当っている。幼いころ、田舎の練兵場へ奈良原式という飛行機を見にいったが、油紙のように光った複葉の機体が振動しているのにひどく感動したことをおぼえている。」


「戦後の小山田二郎の仕事は……」:

「戦後の小山田二郎の仕事は画壇のエコールの型から隔たった異色の世界を見出したといってよいだろう。それは夜の世界、というよりもむしろ昼と夜との谷間のような時間、それは底深い孤独の生きものたちの棲息している世界を否応なしにのぞかせたといってよいだろう。しかしその世界にも天国や地獄があり、さまざまなドラマが演ぜられる。容易ならぬ世界である。この世のものでない情景によって、この世のものが「諷刺」される。小山田の特長は、ひとり歩きする魔物をもっていることだ。かれはこの魔物を自画像のように描くことのできる稀れな素質をもっている。私はかれの絵から抽象される、何ともいいようのない幽霊のような色調に反撥し、限りなく魅惑される。そして次の瞬間、画家としてのかれはあくまでこの世のものであることに気づくのである。」


「奇妙な職業」より:

「詩人とか画家というものは奇妙な職業である。
 むろん詩人や画家といっても実業家はだしの歴とした職業の名に値いする人びともある。しかし職業として成りたつかどうかを度外視して、絵を描き詩を書きはじめる相当数の種族がこの世の中に存在することは事実である。
 つまり言葉や、線や色彩に憑かれる無償の行為のことであり、きわめて稀れな天才や呪われたものたちがランボォやヴァン・ゴッホのように、それで身を焼きつくしてしまう。」
「ここで自分のことをいうのはおかしいが、私自身も無償の言葉の魔力にとり憑かれることから始めた種族の一人だと言えるかも知れない。そのもっとも大きな影響力はシュルレアリスムであった。それは決して売れる代物ではなかったし、また売ろうとも思ったことはなかった。私がもっと純粋だったとしたら、とっくに餓死していたはずである。」



「サム・フランシスとともに」より:

「この気狂いじみた行為、それはなんと静寂そのものに満ちみちていることだろう。」


「白紙の周辺」より:

「私の部屋にあるものは蒐集品ではない。
 その連想が私独自のもので結ばれている記念品の貼りまぜである。時間と埃りをも含めて。石ころとサージンの空鑵とインドのテラコッタ、朽ちた葉、ミショーの水彩、あるいは「月の伝説」と命名されたデュシャンからの小包の脱け殻、サイン入りのブルトンの肖像、ムナーリの灰皿、マッチの棒、宏明という商標のある錐……etc., etc. そのごっちゃなものがどんな次元で結合し、交錯しているかは私だけが知っている。
 それらはオブジェであり、言葉でもある。永遠に綴じられず、丁づけされない本。壁よ、ひらけ!」



「太陰暦の画家」より:

「ゾンネンシュターンの作品の前で、私たちはふたたび絵というものの「もうひとつ」の根源に接した思いがするだろう。それはいつか見た記憶があるようでいて、どこでも見たことのないものなのだ。実際、この絵を見た瞬間、そこには私たちの心を底から搔き乱してやまないものと太古の湖水のような沈静とが、また怪火のように燃えたつ昂奮といわば秤のような均衡とが同時に心を領してしまうのを感じないであろうか。
 その前に立って、呪文のようなものを唱える以外に手のないものが、絵のなかにまずあって、その前に出没することを余儀なくされる、といった絵を想像してみるがよい。ゾンネンシュターンの絵には、絵の故郷のひとつがあるのだろう。だが、そこで否応なしに赤や青の鬼どもと立ち向かわねばならぬ故郷なのである。」

「既成の社会は変りものを適当にあしらう態度を持ち合わせているし、それが限度を超えれば、いつも檻が準備されている。かれもそういう扱いの人物のひとりであったようだ。近代絵画にも、プリミティーフとか、狂人の絵とか、近くはアール・ブリュット(生(き)のままの芸術)といったような、適当な特別室がつくられている。かれがどの室をあてがわれるかは問題ではない。」

「みずからを「月の精の画家」と呼び、「私のモチーフはすべて月光の精霊と幽霊」といっているかれは、おそらく太陰暦のもとに生きているのであろうか。その作品がひとまわり古風な寓意画めいてくるのもそのためであろうか。だが、そこには月に憑かれたものの真紅の笑いが、耳まで裂けた笑いがある。」

「ところでゾンネンシュターンの絵の前でいささかたじろぐのは微笑ましいことだとしても、わいせつの名を被せるものがあれば、それこそわいせつの罪に問われるべきだろう。たとえ桃の種子の核のごときものが絵の中心に晴ればれと描かれてあるとしても、この人生において、星よりも純粋な、あの究極の点から、あなたの清らかな眼を一刻でも外らすなどということはありえないではないか。
 私はゾンネンシュターンの絵の前で、私流に呪文らしいものを唱えながら、実は私を惹きつける何かひとつのものが、まだルビーのようにかたく秘められているのに気附いているのである。」



「物々控」より:

「私は世の蒐集家ではない。ガラクタに近いものから、「芸術作品」にいたるまで、すべてが私のところでは一種の記念品のような様相を呈していて、一見雑然として足許まで押しよせようとしている。
 それらは市場価値の有無にかかわらず、それには無関心な独自の価値体系を、頑なにまもりつづけているように見える。」

「しかし、かれら物たちのすべてが、私の認識の枠のなかで、飼い馴らされ、おとなしくしているわけではない。ある物たちは絶えず私に問いかける。いや、私に謎をかけるのである。
 私はかれらを鎮めるために、言葉を考えてやらねばならない。それがいまかれらに支払ってやれる私のせい一杯のものだ。

 奇妙な話だが、いつの頃からか、私に「オブジェの店」を出すという観念が醗酵し、それがばかにならない固執であることに気づきはじめた。いうまでもなく私は企業家や商人とはまったく異なったシステムで、それを考えていたのだ。
 私はまずその店名と、その看板の文字を、既知のマルセル・デュシャンに依頼すると、かれは快く応じてくれた。こうして、その店の名は“Rrose Sélavy”(ローズ・セラヴィ)ということになった。これはデュシャンが一九二〇年頃から使いはじめた有名な偽名で、あのレディ・メードのオブジェに署名するためだったらしいが、またかれがしばしばこころみる言葉の洒落にもこの署名を使っている。
 「セラヴィはフランス語の C'est la vie (これが人生だ)をもじったもので、ローズは一九二〇年、彼女が生まれたときには女のもっとも俗な名前でした。私はそれにRを二つ重ねてもっと俗にしたのです……」とデュシャンはその名の由来を私への手紙に書いている。
 こうして、いまは架空だが、「ローズ・セラヴィ」という店の名が、デュシャン自身の命名によって誕生し、いま私は看板を試作中であり、おそらく近日中には少なくとも看板だけは私の書斎に掲げられるだろう。」

「流通価値のないものを、ある内的要請だけによって流通させるという不逞な考え、あるいはライプニッツ流に、これも「変な考え」のひとつであろうか?」



「わがガラスの記」より:

「――そこで私はまず幼時からガラスについての記憶の糸をたぐってみる。すると私は私なりにガラスの世界が意外に深く刻みこまれていることに気付く。最初の印象は悲しいことに薬瓶であったようだ。あのでこぼこのガラスを透して見る世界はやはりでこぼこで、妙にメランコリーを含んでいた。それからいろんなガラスのかけらを集めて、なんでも世界を覗いて見る遊びを覚えた。また瓶の底の面白いのを見つけて、それを種板にして幻灯会のようなことをして遊んだこともある。(中略)私はしばらく勉強も忘れてガラスの屈折の面白さに夢中になった。顕微鏡も例外ではなかったし、蛇腹の写真機と乾板時代の写真術を小学生の私が秘かにこころみようとして、現像からPOP紙の焼付けにまで手を出したのだった。少年時代にこれだけの接触がありながら、自然科学者や物理学者はむろんのこと、写真師にもなれず、ついに医者にもなりぞこなったのだから、私はただガラスを通してぼんやり何かを夢みていただけであるらしい。」

「さて考えてみると、ガラスの破片の小さな泡やでこぼこの屈折のなかに覗いたものも、やはりひとつの小宇宙であり、実は立ちどころに世界のイメージを変える小さな魔法ではなかったか。(中略)私は私で、安物のガラスの欠けらのなかに、ガラス本来の魂が住んでいるような気がしてならないのである。」



「イラストレーションの十字路で」より:

「私は近頃、本そのものの機能や形式すらもっと変えたいという欲望がしきりに起る。活字による原稿の複製から抜けだして、活字によって書く、いやもっとちがった活字で書きたい。さらに文字と絵とが近親姦を犯すような本をつくりたい……などと空想している。」


「自在諺抄」より:

「陰の毛、ひなたの毛

瞳知りの夢見知らず」



瀧口修造 コレクション 04 03
















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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