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『コレクション 瀧口修造 8 今日の詩と造形』

「早く、自分に帰りたい。」
(瀧口修造 「短歌に因む私見」 より)


『コレクション 
瀧口修造 8 
今日の詩と造形』

監修: 大岡信・武満徹・東野芳明・鶴岡善久・巌谷國士

みすず書房 
1991年9月20日 印刷
1991年9月30日 発行
vi 461p 
20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 
定価5,459円(本体5,300円)

月報 (10p): 
瀧口修造先生と私(佐谷和彦)/白と黒の時代精神(山口勝弘)/瀧口さんとスタイン事始め(金関寿夫)/図版(モノクロ)2点



第5回配本。本文中図版(モノクロ)多数。「解題」及び本文の一部(翻訳等)は二段組です。


瀧口修造 コレクション 08 01


帯文:

「ぼくが絵の世界に入ってきたのは、詩を書く者の立場から、詩の世界からの使者としてでした。」


目次:

Ⅰ 詩について
 海外詩消息
 現代詩と絵画
 詩と造形の世界
 結晶の造形詩
 詩と音楽によりて フランス・タピスリの再興
 パリのスタイン嬢
 エリュアールの声
 詩とタイポグラフィ
 E・E・カミングズと私
 TRANSITION をめぐって
 『青猫』の幻像
 スタインと私
 短歌に因む私見
 追想

Ⅱ 造形論
 抽象と具象 抽象芸術ノート
 アメリカにおけるバウハウス運動
 フランス絵画の新世代について
 新しきエコール・ド・パリ
 前衛絵画の実体
 海外前衛絵画の動向
 ヘンリイ・ムアとベン・ニコルソン
 アメリカ美術の消息
 フランス現代版画の話
 抽象芸術とピューリスム
 サロン・ド・メェを迎えて
 抽象芸術の論争
 素朴な画家たち
 モダン・アートをめぐって
 ダダ、シュールレアリスムと三人の幻想画家
 アブストラクト・エージ
 螢光燈革命
 幻想と超現実 誌上現代美術館
 コラージュの美学
 絵画のデモン
 国際彫刻コンクール顛末記 「知られざる政治囚」をめぐって
 モダン・アートの四万年
 現代絵画
 戦後のイギリス
 エキゾティズム
 現代の宗教美術
 レジェとル・コルビュジェの近作
 第三回日本国際美術展
 現代のデッサン
 メキシコ美術の示唆するもの
 コラージュとは
 フランスの現代版画
 セザンヌとピカソ 二つの記念日に
 世界・今日の美術展 解説
 世界・今日の美術展
 アンフォルメルに対して
 イズムとしての二十世紀美術
 ムアの示唆
 ヘンリー・ムアの彫刻
 イタリア彫刻展を見て
 断想 イタリア彫刻展を見て
 二十世紀の絵画思潮
 芸術運動の軌跡
 抽象と具象の神話 カンディンスキーとクレー
 戦後美術の軌跡
 今日の世界絵画
 カポグロッシの作品について
   *
 エドゥアル・ピニョン 考える女
 米国の若い絵画
 近代派美術の見方
 アメリカからの珍客
 古代の感情を探る
 アーサー・オズヴァ 赤鉛
 サロン・ド・メェと日本美術
 グラント・ウッド 植木鉢を持つ女
 モダン・アートの世界 彫刻
 キリコ エクトールとアンドロマック
 ボーシュ 手品師
 国際美術展 イギリス
 両アメリカの画家たち
 マリー・レーモンとフレッド・クレーン
 ルオー 場末
 ロルジュ、モッテ二人展を見て
 イギリスの絵画
 今日の美 世界・現代芸術展から
 パリ・コラージュ三人展
 ガレーリとアセットオ
 ひきしまった空間 フランス美術展より

 I・ライス・ペレイラ (エリザベス・マッコースランド) (翻訳)
 フィリップ・ガストン (H・W・ジャンスン) (翻訳)
 わが友アンリ・ルソオ (ロベール・ドローネエ) (翻訳)
 別の美学について (ミシェル・タピエ) (翻訳)

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



瀧口修造 コレクション 08 02



◆本書より◆


「結晶の造形詩」より:

「芸術の形と、自然の形との間には、必然な関係がむすばれているものである。たとえば画家が人間をモデルにする。樹木を素描する。岩石のデッサンをする。それはただ再現するための便宜であるよりも、それをしながら形の理想像をもとめているのである。」
「中谷宇吉郎氏の『雪の研究――結晶の形態とその形成』(岩波書店刊)は、二十年間の労作の結果であり、(中略)その緒言に「雪は低温に於て水蒸気が或る種の核に昇華作用によって凝縮した氷の結晶である。その結晶は原則として、六花又は六角柱の繊細な構造を有し、その形には殆んど無限の変化がある」と書出してあるように、大部分は六花形の相称的文様である。日本の雪輪文様はいつごろから流行したものか知らないが、天保年間に『雪華図譜』が出ているそうだから、それ以後か、あるいはもっと古くからあったのかもしれぬ。とにかくこのアルバムは大自然の紋帖をくりひろげたようであり、また時にはカテドラルの大ロザースも顔色を失う。しかしその形の無限の変化を追っている中に、自然のふしぎな相対作用に慄然とせずにいられない、一つの核を中心に、鏡に写したように相称的デザインが反復されている。もちろん変形や、やり損いのおかし味もあるが、昇華作用が完全に果された場合の、端正な、ぴんと張った形には、一種の荘厳味すらある。しかし雪の造形美を分析するとすれば、いかにも気まぐれなものと、厳格な法則性との結合にあるといえるだろう。どれ一つでも同じものがないが、また単一無類なのである。もしこういう小動物が生存したとしたらどうであろうか。人間は限りなく愛したくなるだろう。その結晶のバランスが、ほんの一刻の緊張状態をたもちながら、くるくると輝き舞いおりる……これはもはや妖精の国の出来事としか思えないのである。」



「素朴な画家たち」より:

「セラフィーヌはサンリの町で女中をしていた貧しい女であった。絵具の油が切れると町のお寺の終夜燈から貰ってきたとつたえられている。素朴画家たちの有名な擁護者であるウィルヘルム・ウーデが一九一二年にこの町に滞在していたとき、毎朝掃除にくる婆さんがセラフィーヌであったというから奇縁であった。彼女のテーマはいつも花であり、花束であった。そこには人も天使も描かれないが、しかしその花や葉はなんと顔の表情にみちていることか。彼女はウーデのおかげではいった金をつまらぬことで消費した。額縁の四隅に天使を彫らせて、天使が世界の四方で彼女の栄光を歌っていると想った。一九三〇年の不景気がたたって、再びみじめな境遇に落ちた。彼女は世界の終末を予言した。しかし一九四〇年の大殺人戦を見ないで、クレルモン・シュル・オアーズの精神病院で死んだ。」

「素朴な画家たちの性格とその作品はいろいろであるが、その共通点は不器用さのなかにひらめいている、いきいきとしたレアリテ感であろう。ボンボアのように現実生活を描いても、ルソオのように夢を描いても、そこにあらわれた実感と感動のたしかさである。素朴な画家たちの今日の魔術はまだ解けない。彼らは社会の空隙からひょっこり生れてくる。それは造形芸術のふしぎであるが、社会学の、時には精神病理学のふしぎでもあるように思われる。」



「アブストラクト・エージ」より:

「ところがここに面白い発生学の図解がある。それは最も純粋な抽象派の代表作家とされているモンドリアンの絵の発展過程だ。誰れが見ても、最後の幾何学的な作品から、初期の静物画を想像することはできないだろう。卵がニワトリと似てもつかぬ形をしているようなものである。
 モンドリアンはオランダの画家で、ゴッホが自殺した一八九〇年にアムステルダムの研究所に入って、印象派、フォーヴ、立体派、新造型派と長い路を辿った。彼はしだいに色も形も削っていって、最後に垂直線と水平線の絵画に到達した。一生独身で暮し、印度哲学に凝ったこともある。しかし一九四〇年に長いパリ生活に別れて、ニューヨークへ移ったが、一九四四年に七十二歳で他界した。死の直前に描いた「ブロードウェイ・ブギウギ」は珍しく赤黄青が輝いていた。ところで、その絵の前に立った一人のオランダ人が、飛行機から見た故国のチューリップ畑にそっくりだといったというのである。これは抽象絵画の寓話になる値打がある。」



「コラージュとは」より:

「しかしコラージュを別の角度から見ると、絵画という長く固定した技術伝統にたいする反抗である。古新聞紙のような安っぽいもの、滅びやすいものを貼りつけたり、ボロ片れを貼りつけたりすることは、いかにも無謀のように見えるが、アラゴンがかつて「侮蔑の絵画」と呼んだコラージュから実はさまざまな意義深い造形上の革新が胚胎していたのである。それはまず画面――この仮説的なしかも同質的な二次元の上に、まったく異質な具体物をもち込むことによって、「オブジェ」への道をひらいたことがあげられる。コラージュは実際、抵抗のすくない紙や布きれをカンヴァスに糊づけしたものをいうだけでなく、鉄板や木片その他あらゆる材料を用いたレリーフ的な作品も含められ、絵画と彫刻の固定した前世紀的なジャンルの観念をうち破った功績があった。現代のオブジェの出現はコラージュなしにはとうてい考えられなかったとさえいえるだろう。また画面に異質物をもちこんだコラージュは、多くの画家たちの表現様式に大きな影響をあたえている。(中略)コラージュにおける異質な具体物のなまなましい衝撃とか偶然とかを、画家が創造的なフォルムに変形することが重要なのである。」
「しかしコラージュのもうひとつの注目すべき方向はダダとシュルレアリスムによって展開された。(中略)マックス・エルンストは既成の写真や十九世紀の銅版画挿絵の貼合せによって奇想天外の超現実的な絵物語をつくりだした。まったく他の用途をもっていたイメージがその画想から切断されて、思いがけないイメージと結合されるときに生じる不思議なレアリテは人間の幻想能力の秘密にふれるものである。」
「マティスは晩年にいろ紙による切紙絵を多くつくったが、それを自分の芸術のエッセンスのようなものだといっていた。この種の作品はとくにコラージュと呼ばず、「パピエ・デクペ」と呼んでいるが、あるいは「鋏のデッサン」といってよいかも知れない。要するにそれはコラージュの一種であるにちがいない。絵画は一定の絵具や材料によって表現するもので、そこにさまざまな技術や約束が生まれてくるのだが、それに捉われると表現の領域をみずから固定したり狭めたりしてしまう。そんなときにコラージュがあらわれたといってもよい。すくなくとも西欧の近代絵画のコラージュはそうした反抗の子であるといえるだろう。われわれは芸術の技術とそれが規定するジャンルのなかに首を突込んで、抜きさしのならないときに、東西古今のコラージュの示した自由な表現を想い起すべきだと思う。」



「抽象と具象の神話 カンディンスキーとクレー」より:

「ポーやホフマンらの幻想的な文学を愛読したクレーは、(中略)現代絵画のなかに一種の詩的なジャンルとでもいったものを創造したといえるだろう。クレーの作品はほとんど小さなものであるが、小さなものから出発しながら、そこに最もいきいきしたできごとをつくり出す喜びをもったのである。クレーは油絵も多く描いたが、同時に水彩やグァッシュ、その他あらゆる媒材を用い、また混用して、西洋の伝統的な技法による作品の形式的な差別を越えて、自由なヴィジョンを描き出している。
 クレーはまた激しい表現主義的な色彩を使わなかったが、色彩画家として、心理的なニュアンスの驚くほどの振幅をもっている。しかし同時に線描によってクレーの世界がどれだけ豊かにされているかしれない。バウハウス時代の幾何学的な碁盤目からも夢を描き出すことができたが、前期の針のように鋭敏な線から、晩年の書法のような線に至るまで、クレーは線の呪術師であった。そのなかで森羅万象が目ざめ、眠り、夢みた。シュルレアリスムの詩人ルネ・クルヴェルが「クレーの作品は夢の完全な博物館である。ほこりのない唯一の博物館である」と書いている。」
























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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