FC2ブログ

『コレクション 瀧口修造 9 ブルトンとシュルレアリスム/ダリ、ミロ、エルンスト/イギリス近代画家論』

「ナジャは世上では「頭のおかしな」女であったかも知れないが、ブルトンは彼女から絶えず謎をかけられながら、星のように魅せられつづける。」
(瀧口修造 「アンドレ・ブルトン『ナジャ』ほか」 より)


『コレクション 
瀧口修造 9 
ブルトンとシュルレアリスム
ダリ、ミロ、エルンスト
イギリス近代画家論』

監修: 大岡信・武満徹・東野芳明・鶴岡善久・巌谷國士

みすず書房 
1992年7月30日 印刷
1992年8月10日 発行
vii 493p 
20.5×15.5cm 
丸背バクラム装上製本 貼函 
定価5,974円(本体5,800円)



第8回配本。本文中図版(モノクロ)多数。「解題」及び本文の一部(講演、座談、翻訳等)は二段組です。


瀧口修造 コレクション 09 01


月報&帯は紛失しました。


目次:

Ⅰ ブルトンとシュルレアリスム
 最近のピカソとキリコ
 シュルレアリスムその後 パリ国際展とアンドレ・ブルトン
 シュルレアリスムの伝統
 マッタ
 アンドレ・マッソンの変貌
 近代美術とデザインの交流
 愛人ジュリエット
 レオノール・フィニ
 ヴィクトル・ブローネル
 クトオ偶感
 イヴ・タンギー 青い水底
 忘れられた人々
 ウィルフレッド・ラムについて
 シュルレアリスムその後
 シュールレアリスム
 現代作家一五〇人より
  はしがき
  エルンスト
  ダリ
  デルヴォー
  マグリット
  ミショオ
 芸術とエロス シュルレアリスム国際展をめぐって
 サド侯爵の遺言執行式
 刊行によせて [アンドレ・ブルトン著・稲田三吉訳『シュールレアリスム宣言』]
 シュルレアリスムの二〇年
 日本のシュールレアリスム
 モーリス・ナドー『シュールレアリスムの歴史』
 超現実主義との出会い ブルトン『シュールレアリスム宣言』
 変貌する家具 ステルピーニとデ・サンクティスの共同作品
 追悼 アンドレ・ブルトンの窓
 アンドレ・ブルトン『ナジャ』ほか
 アンドレ・ブルトンを読むために
 自由な結合・薔薇色の死・不寝番 (アンドレ・ブルトン) (解説・翻訳)
 シュルレアリスムの再発見 (翻訳・編集)
 シュールレアリスムとアンフォルメル (座談会)
 オブジェについて (座談会)
 演劇についての一問一答 (インタヴュー)
 アンドレ・ブルトン 永遠に封印された謎 (座談会)
 シュールレアリズムについて (講演)
 オブジェを中心とした近代美術の歩み (講演)
 今日の美術 オブジェを中心として (講演)
 速度 新しき悪徳 (ポオル・モオラン) (翻訳)

Ⅱ ダリ、ミロ、エルンスト
 異邦人
 絵のない絵の物語 アメリカにおけるダリ
 ダリとカルダー
 ダリ、ミロ、エルンスト
 サルヴエドール・ダリ
 ミロとダリ
 ホアン・ミロ
 ダリ周辺
 魔法の破片
 マックス・エルンスト 「絵画の彼岸」の画家
 ダリ芸術を迎えて
 回想のダリ
 ナルシスの変貌 サルバドール・ダリをめぐって
 ダリ現象
 ミロ
 ダリとポルト・リガト
 ミロと詩画集をつくって
 わが友ジョアン・ミロ 『ジョアン・ミロ―視覚言語』に寄せて
 ジョアン・ミロ
   *
 ミロ 太陽の前の女と鳥
 ミロの石膏像
 ミロの世界
 ホアン・ミロ 陶片
 サルヴァドル・ダリ『わが秘められた生涯』まえがき
 フリーダ・カロ テウァナの自画像
 グレアム・サザーランド いばら
 ウォルス グランド・パート
 ミロ 縄のある絵
 サルバドール・ダリ サンチアゴ・エル・グランデ
 ダリ 公会議
 ホアン・ミロ 森番・青
 ミロを迎える
 カタルーニャのミロ
 タンギー 青い水底
 エルンスト 森と太陽
 近代芸術の堕落 (サルヴァドール・ダリ)・ダリの近況 (翻訳・紹介)
 詩画集『ひとり語る』 (トリスタン・ツァーラ) (翻訳・紹介)
 マックス・エルンストの伝説的な生涯 (アンドレ・ブルトン) (翻訳・紹介)
 ミロのことば (翻訳・紹介)
 ジョアン・ミロは語る (翻訳・紹介)
 ダリ 偏執狂的批判と性倒錯の芸術 (座談会)

Ⅲ イギリス近代画家論
 十九世紀前半のイギリス絵画
 ラファエル前派とヴィクトリア期の画家たち
 十八世紀のイギリス絵画
 イギリス絵画の特質 霧の国の奇跡
 ホーガース 風刺画の先駆者
 ホーガース カレーの市門

解題 (鶴岡善久)
初出一覧



瀧口修造 コレクション 09 02



◆本書より◆


「現代作家一五〇人より ミショオ」より:

「「人はいつも思想を言葉に一致させている。言葉以外に表現手段がないかのようだ。……しかし言葉は非常に不完全で、お粗末で、不満足なものだ。しぐさ、身ぶり、音、線、色。そこに原始的で、純粋で、直接な表現手段がある」とかれはいっている。だからミショオのデッサンは文人の手すさびでなく、詩人にとってもうひとつの表現手段になっているところに意義があるのではなかろうか。詩人は未知な精神の「シーニュ」(記号、表徴)をもとめているといえるのである。」


「超現実主義との出会い ブルトン『シュールレアリスム宣言』」より:

「本とは、いや自分の進路にとって、何か深い決定的な契機となるような本とは、自分自身との出会いであり、秘かな発見であさえあると、私は痛感している。」
「私はこの本から多少とも学んだことを、一言でいえば、人間が真の自由を獲得するためには、絶えず未知のものに向う勇気と想像力とが必要であるということにつきるかも知れない。そして真実はつねに内面と外面との弁証法的な対立関係なしには存在しないということでもあろう。」
「私はこの本から、詩とか美とかいったものは、理想的な完結したものではなく、つねにこれから出会い、始まる何ものかであるはずだということを、少くとも自分流にひきだしたと思っている。」



「アンドレ・ブルトン『ナジャ』ほか」より:

「しかしいま私は机上に『ナジャ』の古るびた二八年版と六三年の改訂版、六四年のポケット叢書、それに日本語訳をならべて、ブルトンを偲んでいる。これは小説でも、評論でも、詩でも、随筆でもない。フランス人は「レシ」(物語)と呼ぶかも知れないが、すべてそうした文学的な埓から外れた、何か切迫した要求によって書かれた本なのである。これはブルトンが実際にパリの街路で出会った不思議な女の物語であるが、「私は誰れなのか?」という問いかけの言葉で始まる長い前文は、これから起る出来事の予感であると同時に、ふとした日常的なさまざまな経験の起伏から、何かしら未知の法則か、使命のようなものをまさぐっているかのようだ。ナジャは世上では「頭のおかしな」女であったかも知れないが、ブルトンは彼女から絶えず謎をかけられながら、星のように魅せられつづける。ナジャはまた象徴的なデッサンを描いたり、断片的な詩を書きしるしたりする。私などはナジャが口にした、これらのさりげない詩句の一節をふと思いだすごとに、脅やかされるような謎を感じるのである。ナジャはついに精神病院に強制収容され、ブルトンの前から消えてしまうのだが、ブルトンの精神病院に対する攻撃のくだりは物議をかもすことになる。いずれにしろ、この悲痛な結末と、「美は痙攣的……」という有名な言葉で終る「ナジャ」は、それに向うごとに、始めて接する新しい本のように感じさせる構造をもっている。この初期の『ナジャ』は、ブルトンがのちに展開する超現実理論のすべてを、透明な萌芽としてもっているのではなかろうか。」


「アンドレ・ブルトン 永遠に封印された謎」(座談会)より:

「ブルトンの仕事を全体として考えると、詩といわれる文学的なものを越えた何ものか、それは彼の絶対的な至上命令みたいなものかも知れないが、彼の思弁的といわれる要素もその展開にほかならない。主観と客観との絡み合いのようなもの、これがわれわれを非常に打つのですね。『ナジャ』などは初期のものですが、「私はだれか」という問いからはじまるでしょう。あれを読むとほとんど奇蹟ですね。実際に自分が体験したこと、パリの街なかで出会った不思議な女、それは最後に精神病院に入れられるのだが、ナジャという女の啓示が、すべての日常体験と一緒にこん然とした体系をかもし出してゆく。それが私はだれか? という問いから展開してゆく……。すばらしいですね。」


「シュールレアリズムについて」(講演)より:

「大別してシュールレアリズムの絵画は二つに分けることが出来ます。超現実的な画家と、画家のシュールレアリストです。つまり、画家として超現実的な世界を描いているものと、シュールレアリストとして、そういう思想をもって絵を描いているものとです。
 フォーヴィズムやキュービズムなどはその出発に於て、画家が皆同じことをやっている、勿論その期間は長くはありませんが、手法的に見て皆が殆んど同じ手法で描いている期間があります。その点シュールレアリズムは最初から皆作風がちがっている。たとえばオートマティズムの方法にしても、ダリ、エルンスト、その他、皆それぞれ異っている。最近の作家でも、マッタにしても、ラムにしても、皆異っています。つまりこれはシュールレアリズムはたんに絵画上のエコールだけでなく、意識内に於ける本質的な方法であるためです。シュールレアリズムは、作家の芸術的特徴は皆異って出て来るのです。だから私はシュールレアリズムはいろんな方法、いろんな時代を通して可能性を認められると思っています。」



「今日の美術 オブジェを中心として」(講演)より:

「しかし私はなぜか子供の頃から学校が嫌いで怖しくて、始めて小学校へ入るとき柱にしがみついて泣いたことを今もよく憶えております。それ以来どうも学校の先生に対するコンプレックスのようなものが離れないまま、どうやら大学を出ました。こんな生徒も世間にはいるのだということを知っていただきたいのですが、いま当地に来て二千数百の先生方が大会に参加されていることを知って脅威に似たものを感じました。」


「異邦人」より:

「しかしこの異邦中の異邦人をとらえて親しげな感じをもつのは、われながら不思議に思うことがある。だいいち僕はダリのようなパラノイアックな狂人のような世界に住む人間ではない。ごく当り前の日本人であることをおことわりする。その上、僕という人間は人一倍、異邦人にはシャイというか「チミッド」というか、苦手の方なのである。」
「やはりアメリカの雑誌で、ニューヨークの社交界を奇行であれほど騒がせた国際画家ダリの私的生活を読むと、これがまた少しく意外である。質素なバンガローに住み、はにかみ屋の彼は靴屋で足を脱ぐのが嫌やで、めったに靴も買わない。変化を嫌うので同じ路ばかりを散歩し、同じレストランにばかり行く。酒も飲まぬ堅造だ。そこがまた曲者たるところだろうが、彼の人柄が微笑ましくもなる。案外、僕なども気がおけずに附合える男かも知れない、と思う……。」



「ミロのことば」(翻訳)より:

「真に人間になるためには 虚像の自己から脱け出さなければならない
 わたくしの場合 必要なのはミロであることをやめること つまり国境と社会的因襲と官僚的機構によって 一線を画された社会に属する スペインの画家であることを やめることである
 別のいい方をすれば 無名になるように努めることが必要なのだ
 無名はつねに偉大な諸世紀に君臨していた 今日ますますその必要性が痛感されている 無名だからこそ普遍的なものに達することができる
 わたくしは深く確信しているが 地方的であればあるほど それは普遍的になるのだ」

「いまではかなり落着いたが 若いころ深い悲しみの時期があった
 わたくしの絵に なにかユーモラスなところがあるとすれば 恐らくわたくしが 自分の気質の悲劇的な面から 逃れ出る必要を感じているために生じるのであろう」

「浜辺で活動する海水浴の人たちよりも 動かぬ一個の石ころが わたくしの心を打つ
 静止した物体は壮大化する 動くものよりもはるかに壮大に」


















































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本