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巖谷國士 『アジアの不思議な町』

「それにしてもこのエネルギッシュな荒廃の感覚はけっしてわるいものではないなと思った。」
(巖谷國士 「慶州、扶余、儒城、利川」 より)


巖谷國士 
『アジアの不思議な町』


筑摩書房
1992年11月10日 初版第1刷発行
iv 287p 索引iii
21×13cm 並装 カバー
定価2,500円(本体2,427円)



本文中図版(モノクロ)多数。


巌谷国士 アジアの不思議な町 01


帯文:

「アジアの町へ、未知をもとめて
「不思議」な町が秘めている、美しく、野性的なエネルギー。
驚きの眼をもつ旅の魔法使いがふたたび贈る
〈夢幻のガイドブック〉」



帯背:

「魅惑の都市紀行」


カバーそで文:

「身近にありながらも、アジアは未知の世界だ。さまざまな町のさまざまな生活や風俗、文化、名所旧跡、あたりをとりまく野生の自然。そこには、既知のものを未知のものに美しく変貌させるにとどまらず、未知そのものの魅惑をも開示するエネルギーがひそんでいる。中国をめぐり、韓国、東南アジア、インドネシアの島々、ネパールからインド、そして東西の交わるイスタンブールへ。眼と感覚の「驚き」を求めて、不思議の旅はつづく。」


目次:

 Ⅰ
桂林――水と樹と少女と
昆明と雲南省の不思議
広州――エグゾティスムの市場
 Ⅱ
北京の位置と広さについて
杭州――「美女」としての町
上海という名のメトロポリス
 Ⅲ
プサンとふたつの温泉地
慶州、扶余、儒城、利川
ソウルの朝食
 Ⅳ
香港一九九〇年
バンコク・天使の都
シンガポール――あるユートピア島
 Ⅴ
ジャカルタ――陸と海の国にて
プランバナン、ボロブドゥール、ヨグヤカルタ
バリ島で「パリン」――デンパサール
 Ⅵ
カルカッタとバンヤンの巨木
カトマンドゥ――遍在する「眼」
パタン、バドガオン、ネパール盆地
 Ⅶ
ヴァラナスィ――ガンガーとともに
アグラ――「形」の魅惑
ジャイプルとその天文台
 Ⅷ
幻のインド――デリー、ニューデリー
ふたたびイスタンブール
東京の夜、朝、昼

あとあき
アジア地名索引



巌谷国士 アジアの不思議な町 02



◆本書より◆


「桂林――水と樹と少女と」より:

「山々は奥ぶかく重層する三次元の空間のなかに立体としてうかびあがり、ともすれば四次元時空の幻さえよびおこす歪みをおびる。これはすくなくとも、時間とともに移りゆく特異な大空間である。六時間のあいだ、私はたえず風景が偶然事として生起し変容してゆくひとつの世界、ひとつの宇宙のなかをすべっているような気がしていた。
 「なんだろうね、この感じは。時間というものが目に見えるようだ。はじまりとかおわりとかいったことが、妙に身近にあるような気もする」」
「Y氏にうながされて右の岸を見ると、もくもくと緑の雲のようにけむる竹林の根もとに痩せた老人がひとりかがみこみ、膝をかかえたままいっこうに動くけしきがない。
 「ああやって一生じっとしている。宇宙を体に感じてる。いいなあ」とY氏。」
「「こんなところでくらしていたら、どうなっちゃうんだろう」とY氏。「でも、これがほんとう、ふつう(引用者注: 「ふつう」に傍点)なんだろうね」」
「それは現実が夢に似ているからだけではない。ここでは夢と現実の区別など、もうどうでもよくなっているらしいのである。」

「だがおおかたは暗くて静かな裏道で、行きあたりばったりに角をまがってみると、ふいに水の匂いが立ち、榕湖に近い、くずれかけた白いビルの正面に出た。
 そのビルの一階のぽっかり口をあけた倉庫のような空間に、老人たちがつどい、手に手にもった琵琶や一弦琴や太鼓や笛をあやつって、のんびりと、たのしそうに、だが物悲しい民歌をかなでている。
 ビルの壁に反響してそのひなびた楽音はエコーを生じ、外を歩く人々を思わず立ちどまらせる。これはいったい何なのだろう。やがて楽士たちの列のなかから青い人民服すがたの老婆がひとり、中央にすすみでて歌をうたいはじめる。彼女だけでなく、老人たちがみな盲目であるらしいことに私は気づいた。ほのぐらい裸電球の下のこのときならぬパフォーマンスは感動的だった。」



「広州――エグゾティスムの市場」より:

「広州人は「空とぶものなら飛行機以外なんでも、四足のものなら机以外なんでも」食べるという。さらに「二本足のものなら両親以外なんでも」というジョークさえある。犬や猫にしろ鼠にしろ猿の脳味噌や蚊の目玉にしろ、日本人にとってはひどいゲテモノの範疇にはいる。けれどもそういった食の素材が、ごく自然に、あらゆる偏見をこえて、ひたすら旨味と滋養のために渉猟されてゆく状態そのものは、ゲテモノではない。話は別の次元にすすむだろう。これは文化の厚みの問題にかかわるかもしれない。」


「シンガポール――あるユートピア島」より:

「ユートピアというのは奇妙な言葉で、本来「どこにもないところ」を意味するものだが、いまや高度成長をとげた地球上の一部の国々では、「どこにでもありそうなところ」の意味になりさがっている。もともと古代ギリシアのプラトンをはじめとするヨーロッパ人が考えていた理想都市国家のことなので、アジア各地に語りつがれる「桃源郷」のような夢幻世界とはわけがちがう。ユートピアは夢幻ではなく理性によって周到に組みたてられている統制の行きとどいた小世界の謂なのだ。夢幻はもともと無秩序でいいかげんで自然とつながっているものだが、理性はむしろ自然をこえた人間社会の秩序を追いもとめる。ヨーロッパ都市文明の永遠の理想であったユートピアは、じつは施政者の強権を正当化するものでしかないということが近ごろわかってきた。ユートピア主義者のうたいあげる合理性、画一性、清潔さ、健康さ、人工的自然、クリーン・グリーンといった紋切型のスローガンはいつも、法による統制や抑圧を前提とせざるをえない。」



「カルカッタとバンヤンの巨木」より:

「そしてこの不思議な靄のなかに、ありとあらゆる生き物たちがうごめいて見えた。
 各地方の民俗衣裳や、現代西欧ふうの服をきた人々、あるいは衣裳とよべるようなものをなにも身につけていない人々、子どもたち。杖をつく人、荷物をかつぐ人、車をひく人、地べたにすわる人、しゃがみこむ人、寝そべる人、立ちつくす人。天をあおぐ人、眼をぎらつかせる人、歌う人、髪をふりみだす人。這いまわる人、手さぐりで進む人、進まない人。
 そして、いわゆる人間とはどこかちがう形をしていながら、それでいてどんな人間よりも人間らしく見える人。
 彼らだけではない。(中略)ときには人間以上の威厳をもって闊歩する聖なる牛たち。犬に山羊に水牛に象。この町の街路では、人間とそれ以外のものとの区別などなさそうだ。だれもかれも、なにもかもが、統制も自粛もない不思議なアナーキーの靄のなかで、文字どおり、右往左往をくりかえしている。」



「カトマンドゥ――遍在する「眼」」より:

「クマリとはここでは生き神さまのことだ。」
「暗闇のなかからあらわれたクマリの顔は、蒼白く、髪がみだれ、不機嫌そうで、なるほど、つねの少女のものではなかった。やるせなげに窓にもたれ、首と肘をゆっくり動かしている。
 なによりも印象的だったのは彼女の眼だ。くまどりのできたまぶたの奥から、あらぬかたを見ている。あるいは、なにも見てはいない。
 クマリは中庭にいる私たちのほうには一瞥もくれず、まもなく暗闇のなかへ引っこんでしまった。」
「クマリはたとえ幼年期のあいだだけではあったにせよ、ヒンドゥー教のシヴァ神の一化身を生き、演じていたのである。彼女の体には、すでにシヴァ神の霊がはいってしまっている以上、元クマリの夫になった男は、その霊に殺されることだってあるという。」



「ジャイプルとその天文台」より:

「綿密な計画にもとづく十八世紀ふう擬似ユートピア都市だったジャイプルにも、やがてインド的・反ユートピア的な迷路や混沌やアナーキーが住みつくようになった。美しい孔雀や象や女神をえがく精巧きわまる象嵌細工にかこまれたあの扉のひとつをあけることができれば、そのなかにはあらゆる色と形と音と匂いをもつ森、迷宮、雑踏があらわれ、だが同時に、それがなにもないがらんどうの大地のように見えたりもするというのが、この箱世界としてのインドの不思議であろう。」










































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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