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石井美樹子 『中世劇の世界』 (中公新書)

石井美樹子 
『中世劇の世界
― よみがえる
イギリス民衆文化』
 
中公新書 728 

中央公論社
昭和59年5月15日 印刷
昭和59年5月25日 発行
iii 214p
新書判 並装 ビニールカバー
定価500円



本文中図版(モノクロ)33点。
本書はやや疑問点もありますが(バフチーンの引用が多すぎることとか、「四つの共観福音書」と書いたりしていることとか、文体とかです)、それはそれでよいです。


石井美樹子 中世劇の世界 01


帯文:

「中世再評価のなかで復活上演されている演劇空間への道案内」


帯裏:

「演劇史上の奇蹟、シャイクスピアの時代はどうして突如出現したのか。この問いに駆られて著者のたどりついた所は、中世劇の世界だった。中世後期の聖体祭の頃に、イギリスの諸都市で演じられた祝祭劇は、題材を聖書にとった全民衆的催し物であった。現在の中世再評価のなか、イギリスの四都市でイエスの降誕受難劇が復活上演されるようになった。本書は、留学中に実際の上演に接した著者による、中世劇の最初の紹介書である。」


目次:

プロローグ 中世的世界の復活
  中世史研究のダイナミックな認識変更
  シェイクスピア演劇から中世演劇へ
第一部 中世劇はどのように演じられたか
 第一章 中世の唯一最大のマス・メディア
  信仰・教化の手段としての宗教劇
  新約聖書「外典」の再生
  レマールの画家による『イエス降誕』
 第二章 中世の聖体祭と演劇
  中世のサイクル・プレイ
  聖体祭の時期
  なぜ、プレイと呼ばれたか
  コーパス・クリスティ・プレイと謝肉祭劇
 第三章 中世イギリスのサイクル・プレイ
  組合の上演台帳
  台本が完全に残っている四都市とサイクル・プレイの上演
  中世民衆劇の本質――聖性と俗性
第二部 降誕劇
 第一章 キリスト降誕節の意味
  イギリス中世のクリスマス
  ウェイクフィールドの劇作家
  十字架上のイエスと盗賊
 第二章 泥棒マックとシーツの儀式
  ヨークシャーの羊泥棒マックと女房ジル
  降誕劇の喜劇的パロディ
 第三章 マリアの夫、寝とられ亭主のヨセフ
  処女マリアの無原罪の受胎
  中世劇に現われたヨセフの疑い
  『カンタベリー物語』との類似
  画家たちの描くヨセフ像
  サイクル・プレイでのヨセフの意味
 第四章 幼な子イエスの降誕
  マリアの処女分娩を信じない産婆と悔悛の奇蹟
  聖ビルジッタの黙示
  幼な子イエスに合掌し、ぬかずくマリアの画像
  ヨーク劇に描かれた降誕
  コヴェントリー劇の降誕劇
 第五章 羊飼いたち、その饗宴、音楽、贈り物
  三人の阿呆な羊飼いたち
  羊飼いたちの饗宴
  天使の音楽と羊飼いの音楽
  天使の音楽を真似る羊飼いたち
  東からきた三博士の贈り物
  三人の羊飼いたちの贈り物
  豆の王と道化祭
第三部 受難劇
 第一章 死と滅びのグロテスク・リアリズム
  コミック・リアリズムとグロテスク・リアリズム
  中世後期のゴロテスク装飾
  冬の王の死と春の王の復活
 第二章 ヘロデ王、「死」、悪魔
  ヘロデ王の幼な子殺し
  「死」の登場
  ぽっかりとあく地獄の口
 第三章 ゲツセマネからゴルゴタへ
  イエスに対するユダヤ警吏の殴打
  イエスの戴冠と奪冠
  大祭司カヤパ
  十字架にかけられるイエス
  死と再生の中世的ドラマ
 第四章 イエスの地獄征服と復活
  一大スペクタクル・地獄の征服
  復活を信ずる人、信じない人
エピローグ 現在のイギリス中世劇上演を観て
  イギリスでの中世劇復活上演
  わたしの観たヨーク劇とコヴェントリー劇
  イギリス中世劇の現代性

あとがき



石井美樹子 中世劇の世界 02



◆本書より◆


第一部より:

「中世劇といっても、さまざまの形態の劇があります。(中略)わたしがこれから取り上げますのは、「奇跡劇」 miracle play あるいは、「神秘劇」 mystery play と呼ばれていた劇です。内容からして、「聖史劇」と呼ばれることもあります。「神秘劇」、「奇跡劇」とカッコでくくったのには理由があります。(中略)この劇が上演された当時、mystery という言葉には、「神秘」という意味はありませんでした。mystery はフランス語の mystere に由来します。これは craft という意味です。つまり、mystery play とは、実は職人さんが上演する劇という意味だったのです。
 しかし、イギリスにおいては、この外来語は当時一般にはなじみのない言葉でした。もともと、主として、コーパス・クリスティ・フィースト(聖体祭)に上演された劇であることから、コーパス・クリスティ・プレイとも呼ばれていました。ちなみに、「奇跡劇」は、キリストや聖人の生涯をあつかった劇のことで、別のジャンルに入ります。
 コーパス・クリスティ・プレイは数十のエピソードから成ります。(中略)小さなエピソードのテーマはたがいに呼応しあって、主題を少しずつ強く奏でながら発展させてゆきます。コーパス・クリスティ・プレイは、これらの小さなエピソードから構成され、全体で一つの群れ(サイクル)を成しています。このようなことから、中世学者のあいだではサイクル・プレイとも呼ばれています。」

「コーパス・クリスティ・プレイは、復活祭のあとに行われましたから、本質的にはキリストが復活して死を勝利したことを祝うものです。謝肉祭の時と同様、人びとはすべての禁忌や禁止から解放されました。(中略)飽飲飽食、聖なるものの格下げ、価値の転倒、猥雑な言葉、道化等々、聖体祭の劇の世俗性、生の享楽性は、謝肉祭劇のそれに匹敵するものであります。」
「カーニバルのドラマの笑いが猥雑な言語に依存しているのなら、コーパス・クリスティ・プレイにも同様のことがいえます。悪魔の道化芝居は、その極端な例ですが、アダム、カイン、ヘロデ、ヨセフ、羊飼い、アンナスとカヤパ、処刑人、下僕や下級役人などが、悪口雑言を吐きに吐き、観客を大いに楽しませます。」
「罵言、誓言、卑猥な悪口は、観客と俳優とのあいだの壁を取り払うことができます。壁が取り払われたあとは、両者には、一つのドラマの世界をともに生き、ともに生活する道が開かれます。劇中の人物たちは、観客に心情を切々と訴えたり、判断をあおいだりしながら、舞台の出来事に参加するよう積極的に呼びかけ誘います。ここにも「体験する」というカーニバルの形式が生かされているといえます。」



第三部より:

「福音書は、イエス逮捕の時、イエス連行の時、イエスの裁判の時、どの場面でも名もなき下役の兵士たちがイエスに加えた暴力について語っています。イエスを打ったのは大祭司ではなく、その下役兵士でした。(中略)卑劣さと残虐さは、集団となると、とどまることなくエスカレートし、集団ヒステリー症状をおこします。イエスをいじめた下役兵士の或る者はイエスにつばきをかけ、かれを目隠しにし、こぶしでたたいて「言いあててみよ」と言いはじめたことをマルコは記しています。」
「イエスの肉体を殴打し、言葉によって徹底的にイエスを呪詛する下役兵士の行為は、サイクル・プレイの受難劇のもっともきわだった特徴です。
 ウェイクフィールド劇二十一番、二十二番に登場する二人の兵士は、(中略)イエス逮捕からカヤパ邸での訊問まで、終始ぴったりイエスに付き添い、イエスを屠場に曳かれる小羊のごとく追いたてながら、カヤパ邸に連行してゆきます。そして、イエスを徹底的に責めさいなみます。」

「ヨーク劇の『磔刑』の場に登場するのは、処刑人である四人の兵士とイエスだけです。イエスは釘づけにされているあいだも、丘の上でさらしものにされているあいだも、終始黙して一言も言葉を口にしません。(中略)イエスは徹底的に屈辱と激痛に耐えしのびます。」
「イエスの刑の執行とその死に立ち会っている観客は、実は、旧と新、死ぬものと生まれるものとの交替の儀式に臨んでいるといえましょう。この埋葬の儀式こそ、再生とよみがえりを演ずる中世の祝祭劇の、全民衆的儀式の真髄と言ってよいでしょう。イエスの最後の言葉は、「主よ、わたしを苦しめているこれらの者をおゆるしください。かれらは、何をしているのかわからずにいるのです」(ヨーク劇『磔刑』二六一―二六二行)。今はの際においても人間の罪の重荷を取り去る祈りをするイエス。(中略)キリストの敵は勝ったと信じました。だが、勝利の頂点にいる瞬間にかれらの情けなく卑しむべき計画は、最後に、逆転劇へめがけて歯車をものの見事に大回転させられたのです。」





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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