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白川静 『初期万葉論』 (中公文庫 BIBLIO)

「古代的なことだまの文学は、律令体制のなかではもはや展開の道をえないのみでなく、文学としての生命を持続することも困難であった。」
(白川静 『初期万葉論』 より)


白川静 
『初期万葉論』
 
中公文庫 BIBLIO B 20 2 

中央公論新社
2002年9月15日 初版印刷
2002年9月25日 初版発行
292p
文庫判 並装 カバー
定価857円+税
カバーデザイン: EOS Co., Ltd.

「『白川静著作集11 万葉集』平凡社、二〇〇〇年七月刊
(初出は『初期万葉論』中央公論社、一九七九年四月刊)」



本書は出たときに買おうとおもって忘れていたのをおもいだしたのでアマゾンマケプレで最安値(『初期』『後期』二冊セットで1,000円+送料257円)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。小口がほどよくヤケていましたが紙質のせいなのでしょうがないです。


白川静 初期万葉論


カバーそで文:

「万葉集の「見る」という語は、自然に対して交渉し、霊的な機能を呼び起こす話であった。人麻呂の解析を中心に、呪歌としての万葉歌、秘儀の方法としての歌の位置づけを明らかにする。」


目次:

第一章 比較文学の方法
 一 古代歌謡の時代
 二 発想と表現
 三 人麻呂の位置
第二章 巻頭の歌
 一 巻頭歌の問題
 二 草摘み歌の展開
 三 巻頭歌の条件
第三章 呪歌の伝統
 一 安騎野の冬猟
 二 遊猟と招魂
 三 天皇霊の継承
 四 安騎野冬猟歌の解釈
第四章 叙景歌の成立
 一 吉野讃歌
 二 山川の祭祀
 三 見れど飽かぬ
 四 人麻呂と赤人
 五 叙景歌の成立
第五章 挽歌の系譜
 一 最初の作歌者
 二 天智挽歌
 三 挽歌と相聞
 四 短歌の展開
第六章 万葉の軌跡
 一 白鳳と天平の間
 二 『人麻呂歌集』について
 三 依羅と丹比
 四 万葉歌の展開

あとがき




◆本書より◆


「第一章 比較文学の方法」より:

「『万葉』を前期と後期とにわけて考えることは、『万葉』の全体的な理解の上に必要なことであろうと思う。そこにはいわば連続と非連続ともいうべきものがあり、両者は万葉様式の展開のうちに、それぞれ文学として異質なものを発展させ、完成させている。比較文学的な立場からその特質というべきものを規定すると、前期は巫祝的呪誦の文学をその本質としており、高貴のそれは士丈夫の詠懐的文学であるということができよう。前期の作者として確かなものとしてはまず人麻呂をあげるべきであろうが、人麻呂は古歌謡の伝統に立って、その呪的儀礼歌を宮廷文学として完成させた人であり、またその文学は、その死とともに終っている。人麻呂はその様式の完成者であり、また同時に最後の歌人であった。その文学が、旅人、憶良、家持らの後期の文学と甚だしく異質なものであることはいうまでもないが、それはそのような文学を生んだ文学的基盤、また生活者としての時代意識の相違が、すでに異質なものであったことを示している。人麻呂的古代は、人麻呂の死とともにすでに滅んだのである。後期の文学は、前期の文学の自然な推移展開によるものではなく、そこには明らかに変革がある。急激な律令的体制への移行の結果として、いまいうところの周辺革命的な激動が、このときその文学の上にも突出し表面化したのであった。
 人麻呂の位置を、もし比較文学的に中国の古代文学の展開のうちに求めるとすれば、そこにはやはり巫祝文学的な伝統が考えられてくる。すなわち『楚辞』の文学が、性質的にはかなり近いものといえよう。」



「第四章 叙景歌の成立」より:

「古代においては、「見る」という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである。国しぬびや魂振りには、ただ「見る」「見ゆ」というのみで、その呪的な意味を示すことができた。」


「第五章 挽歌の系譜」より:

「『万葉』の最も充実した作品がみられる時期は、人麻呂を中心とする持統期であり、またその時期には多くのすぐれた挽歌が作られており、挽歌の時代ともよびうる時期でもあった。挽歌は呪歌の伝統の上に立つもので、祝頌や予祝など古代呪歌のいわば結束をなすものともいいうる。しかし挽歌は天智挽歌、つづいて人麻呂の作歌ののちには、また間もなくその伝統が絶える。(中略)やがて火葬の施行とともに挽歌も衰落し果てるが、それは古代的なことだま文学の終焉を意味する。古代的なものが滅び、律令的国家の体制が急速に進行しつつあることを示す事実でもあった。
 古代的なことだまの文学は、律令体制のなかではもはや展開の道をえないのみでなく、文学としての生命を持続することも困難であった。」



「第六章 万葉の軌跡」より:

「『万葉』の歌をその成立基盤の上から区分すると、持統期の人麻呂を頂点とする古代的な呪歌の伝統のきわめて濃密な時期と、聖武以後、旅人、憶良や家持などの生活体験を直接に歌う生活的な歌の時期とに、大きく分つことができよう。いわば白鳳と天平である。」
「白鳳の文学と天平の文学とは、いわばハレの文学とケの文学という関係として規定することもできよう。前者においては、古代氏族的な原則の強い遺存が認められ、哥はその共同体的な場において成立した。しかし後者においては、個我の内面にあるものが、その文学の内容をなしている。文学におけるこのような場の転換の基盤には、古代的なものの崩壊と滅失とが、前提となる。すなわち氏族制を基盤とする古い秩序に代って、律令的官人制というべきものが、その政治秩序の基本となるのでなければならない。」
「人麻呂から旅人、憶良の時期までの二十数年間を特に問題とするのは、この間に歌の位相が一変するとともに、歌の流れが古代的な呪歌的なものから、相聞的な抒情性にはげしく傾斜してゆくこと、またその文学革命ともいうべき急激な変貌が、どのような条件のなかで進行していったかという問題を考えようとするためである。」

「白鳳の文学に対して、旅人・憶良の文学がきわめて異質なものであることは、その歌材や表現の様式の上からも著しいものがある。その文学には儀礼歌がほとんどなく、また相聞の歌がない。思想的な立場や社会的姿勢を歌うものが多く、白鳳の文学が呪歌的伝統のなかにあるのに対して、理性的・現実的でありながら、また同時に虚構の風雅に遊ぶ精神に富んでいる。」
「きびしい官人制的な秩序のなかにありながら、しかもなお個我の自由があるというのが、士人の意識であった。それが共同体のなかに自己を埋没させる古代的な集団の意識と、本質的に異なるところである。」
「古代氏族的な共同体的なものと、律令官人制的な個我の意識とは、はげしく矛盾し対立するところの古と今との世界である。しかしわが国における律令的なものは、官制的にはいちおうその方向をたどったとしても、藤原氏の専権後の律令制は、有名無実というにひとしいものであった。壬申の乱に大功のあった雄族大伴氏も、律令官人制のもとでは、その体制に順応しかねて蹉跌をくりかえし、次第に衰落する。そのような衰落感は、天平の華麗な時代の風潮のなかに、激情的な多くの相聞歌を生んだ。その相聞歌の母胎は、『人麻呂歌集』などの古歌集であり、それらの歌を伝承する地下的な集団である。その底流は家持らの後にも国風暗黒の時代を生き抜いて、やがて六歌仙につづく国風の復興を迎える。人麻呂が歌聖とされるのは、『万葉』における人麻呂作歌によるものではない。むしろ『人麻呂歌集』における、地下人たちの伝承歌の系譜によるのである。
 『万葉集』における歌のこのような展開を、その文学史的展開の相において中国の古代文学と比較するとき、人麻呂とその伝承歌の占める位置は、中国における巫祝文学の最もかがやかしい担持者とされる屈原と、『楚辞』の作品にあたるものとすることができよう。楚の巫祝集団は、巫風のさかんなこの国の古代的な祭式儀礼のすべてを掌握しており、その統領には王族のものがあてられていた。それが屈原の名において伝えられている人物であろう。この巫祝者の集団は、王権が神権的な性格を保有していた時期には、政治に対しても絶大な影響力を行使することができた。しかし楚が列国と対峙し競合するために、古い氏族制的な形態から法家的な専制王政を志向したとき、この古代的集団は都を追われ、諸処の聖地を彷徨しながらついに崩壊する。屈原の作品と伝えられている辞賦の文学は、その集団の衰落崩壊の過程において成立するのである。
 人麻呂刑死説は、おそらく人麻呂の属したであろう遊部的な集団と、その周辺にある依羅・住吉などの古代的な語部や信仰集団の性格と、急激に律令国家を志向する当時の権力集中のしかたを考えるとき、そこにある必然性というべきものを認めることができよう。」
「ともかくその死はその集団の人びとに深い哀惜悲傷の感をもって迎えられ、その死後には複数の『人麻呂歌集』などの古歌集が生まれた。その歌集にはその集団の関係の歌が多く集録されており、そのような歌の成立の背後に、やはり大きな組織の力がはたらいていたことを思わせる。『楚辞』の作品が屈原の名において結集されているのと同じ事情があったのであろう。『楚辞』の作品も、特定の巡遊的な伝承者によって、楚言をもって諷誦されていたものである。」



「あとがき」より:

「戦後の万葉学は、近年に至って未曾有の盛況を示している。しかし比較文学的な方法には特にみるべきものがなく、中国文学との関係においても、ただ作品や修辞の上での影響関係だけが問題とされているようである。第一章でふれたように、比較文学の方法は、その文学史的展開において対応する全体のなかで位置づけられた関係が、比較の対象となる。その意味でここでは、人麻呂の位置を問うことを試みた。それはまた『万葉』全体の理解にもかかわる問題を含むからである。
 第二章には巻頭の歌を問題とした。このような古代詩歌集の巻頭歌には、規範的な意味が与えられることが多く、そのため詞章の改編が行なわれることもある。(中略)雄略歌にもそのような伝承中の改変のあとがあり、伝承者の介在が考えられる。
 第三章には万葉前期の歌の本質がなお呪歌的なものであることを、人麻呂の安騎野冬猟歌によって実証することを試みた。安騎野冬猟歌の歌うところは、継体受霊の秘儀的実修とみるべきものであり、その歌もまたその儀礼実修の方法である。(中略)安騎野への山尋ね、そこでの旅宿り、そして冬至払暁の受霊の儀式は、大嘗会即位儀礼の実修形式に外ならない。「東の野に炎(かぎろひ)の」一連の歌は、天皇霊の現前とその受霊という、荘厳にして絶対的な祭式的時間を歌うもので、叙景ではない。
 第四章には叙景歌の成立を論じた。叙景の名歌とされるものには、人麻呂や赤人など前期に属するものが多いが、その吉野歌などはいずれも呪歌的儀礼的なものであって、自然詠ではない。これを自然の生命的実相にせまる叙景歌として鑑賞するのは、近代人の自然観を古代の文学に投影させた錯覚にすぎない。
 万葉後期の歌の呪歌性は、挽歌においても著しい。第五章には挽歌の成立とその系譜とを考えた。挽歌は特定の人の死に対するものであり、そこに人格感情の結晶される契機をもつ。すなわち創作歌成立の契機を含むものであり、まず短歌の律調がそこに成立する。(中略)その様式的完成者は人麻呂である。その伝承様式の完成は神権的大王の時代と時期をひとしうしているが、人麻呂の死とともにその時代も終る。
 第六章には人麻呂以後の『万葉』の軌跡を考えようとした。人麻呂の死後にもなお伝承歌の時代はつづく。伝承者は人麻呂の属した柿本氏人のほか、その妻依羅の出自である依羅神の氏人たち、また依羅神の本宗である丹比の氏人たちであった。みな巡遊者としての集団性をもち、そのような集団が前期万葉歌の淵叢をなしている。略体・非略体といわれる簡略表記は、そのような特定集団の内部で行なわれ、『人麻呂歌集』などもその集団のなかで生まれた。やがて士人社会に言志的文学が生まれるが、それは伝承歌の世界と全く異なるもので、ここにはじめて創作歌の時代を迎える。」



































































































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