塚本邦雄 『百珠百華 ― 葛原妙子の宇宙』 (新装版)

「詩歌とは視てはならぬものを、敢へて視ることの證ではなかつたらうか。」
(塚本邦雄 『百珠百華』 より)


塚本邦雄 
『百珠百華
― 葛原妙子の宇宙』


砂子屋書房 
2002年5月3日 初版発行
238p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価2,800円+税
装本: 倉本修
カバー装画: 「一角獣のタピストリー「私の望みに従う」(仏 中世博物館)」


「本書は昭和五十七年七月三十日、株式会社花曜社より発行された『百珠百華――葛原妙子の宇宙』を底本とした。」



『葛原妙子全歌集』の刊行をひかえて新装復刊された塚本邦雄の葛原妙子百首鑑賞本。正字・正かな。


塚本邦雄 百珠百華 01


帯文:

「戦後短歌史に燦然と輝く孤高の歌人、
葛原妙子の豪奢にして玄妙、華麗にして破格な文体、
大胆な歌柄の中に
内面の飛躍と感覚の明滅を持った作品世界を解く。」



帯背:

「絢爛な
解説・論評」



目次:

百韻朗朗

百珠百華
1 アンデルセンのその薄ら氷(ひ)に似し童話抱きつつひと夜ねむりに落ちむとす
2 あらそひたまへあらそひたまへとわが呟くいのちのきはも爭ひたまへ
3 わが繼母(はは)が白き額に落ちゆきし山川いづことおもふにもあらず
4 すごき聲に山鳩鳴けりといにしへも歌ひたらずやわが谷深し
5 水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし
6 さびしもよわれはもみゆる山川に眩しき金(きん)を埋めざりしや
7 「老辻音樂師(ライエルマン)」歌ひつつくる霧の人もと軍人(いくさびと)山をくだると
8 とり落さば火焰とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ
9 花ひらくこともなかりき抽象の世界に入らむかすかなるおもひよ
10 殲滅といふは軍(いくさ)言葉なれ鏖殺といふは魔の言葉なれ
11 早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ
12 ちちのみの父を葬りし日の晩夏濃かりしことはのちも思はむ
13 奔馬ひとつ冬のかすみの奧に消ゆわれのみが累々と子を持てりけり
14 わがうたにわれの紋章のひつじいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる
15 卑下慢、といへる佛語の辛辣をおもひつつやさしさやぐあきぐさ
16 鴉のごとく老いし夫人が樹の間ゆくかのたたかひに生きのこりゐて
17 鸚鵡の嘴(はし)わが肥大せる心臟の影と重なるときのまなるを
18 みだれざる人の眠りにみだれをり硝子の劃(かぎ)る黒き濱木綿(はまゆふ)
19 魚網(ぎよまう)の影きれぎれにまひなたを過ぐかのマラリヤの影にあらじか
20 ヴィヴィアン・リーと鈴ふるごとき名をもてる手弱女の髪のなびくかたをしらず
21 傅(かしづ)きし唇赤き少年を打ちしことありやレオナルド・ダ・ヴィンチ
22 わが死(しに)を禱れるものの影顕(た)ちきゆめゆめ夫などとおもふにあらざるも
23 絲杉がめらめらと宙に攀づる繪をさびしくこころあへぐ日に見き
24 襞ふかき麻の服はもはつかなるわれの矜持をいま記念(かたみ)せん
25 廢車の窓に朱(あか)きゆふぐも流れたり喪ひしものをかぎりなく所有す
26 くるしみのしづかなるとき荒妙の黑布(ぎぬ)に裹む暗紅の石
27 菟名日處女(うなひをとめ)の悲劇の獨白にわらひたるをとめを暗き座席に懲(ちょう)しき
28 うはしろみさくら咲きをり曇る日のさくらに銀の在處(ありか)おもほゆ
29 人を憎しみねむる睡りのゆれてをりこのねむりなぜにかくも搖るるか
30 虚空より薔薇(さうび)を掴みとらむ指揮悲しくぞも老いにけるらし
31 墓を清むるさまうつくしみ見守れどわが死後にしもおもひおよばず
32 むかしにて癌ありとせばかなしからむたとへばかのモナ・リザと癌
33 寺院シャルトルの薔薇窓をみて死にたきはこころ虔しきためにはあらず
34 獵銃のごと美しき弟(おと)あらば風吹ける夜のいづこを歩む
35 寒き椅子離るる深き外套に「緋の研究」つつみもてるも
36 椿の花落ちて腐れし泥の窪ミノタウロスの落命おもほゆ
37 生ける鷹旋囘しつつ虚空なる高き朴の香(かをり)に遇ひけむ
38 寒き皺立つる潦(みづたまり)越えむとしいつぱいの藍われに充つるよ
39 百合は不吉の花なるやも蒼白き百合の紋無き紋帖を閉づ
40 亂立の針の燦(きらめき) 一本の目處(めど)より赤き絲垂れてをり
41 星ぞらの薄明みゆる 幾百の時計置かれしケースにちかづき
42 雉の鋭(と)ごゑおこりくさむら戰ぎたりこころ異變に飢うるさびしき
43 おほき翳り菜畑の黄金(わうごん)に落ちゐたり 突如聽くなる魔王のうたを
44 おみなへし微粒きらめく晝あるのみ めぐり災厄のごとく人ゐぬ
45 ゆきずりの麺麭屋にある夜かいまみし等身のパン焼竃を怖れき
46 雪しづか終世(ひとよ)めとらぬわが兄をゆめ純潔とおもはざれども
47 草上昼餐はるかなりにき若者ら不時着陸の機體のごとく
48 忘れゐし肉親のひとりローマの街角を曲る暑熱のローマ
49 ピレネー越えむとなして書きにけむ一枚の葉書もの斷つごとし
50 ヘロデの王座冷えて遺らん 砂荒れてひろき死海のほとり
51 星は怒りてゐるにあらじか、漆黑のそらに呟き男は去りたり
52 卓上にたまごを積みてをへしかば真珠賣のやうにしづかにわれはゐる
53 いまわれはうつくしきところをよぎるべし星の斑(ふ)のある鰈を下げて
54 みちのくの岩座(くら)の王なる藏王(ざわう)よ輝く盲(めしひ)となりて吹雪きつ
55 麦の針きらきらと光り永世、中立あるごときまひるか
56 飲食(おんじき)ののちに立つなる空壜のしばしばは遠き泪の如し
57 懐胎女(みごもりめ)葡萄を洗ふ半身の重きかも水中の如く暗きかも
58 フランシスコ・ゴヤの息子の肖像は清水灑(すす)ぎしごとき目をせり
59 ありがてぬ甘さもて戀ふキリストは十字架にして酢を含みたり
60 椅子にして老いし外科醫はまどろみぬ新しき血痕をゆめみむため
61 夏澄むに悲痛せむかなあたらしき中國に老殘の宦官ありとして
62 人なき手術臺上に漂へりかの水上の城シュノンソオ
63 疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りあ、りあ、りあ
64 あけがたのわが寝臺にちかづける帆船(はんせん)ありて人死に給ふ
65 若き力士に憂愁のありありと立つ澄む映像のたまゆらながら
66 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水
67 暴君ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな
68 薔薇酒(ばらしゅ)すこし飲みたるわれに大運河小運河の脈絡暗し
69 熨斗のごと水上にかかる橋ありてひとたびわたる われは旅人
70 水仙を切らむに 古代ギリシャ人(びと)おほよそは弱年に果てにき
71 人のこゑ絶ゆる日なかの流れぐも天涯をゆくうすみづごろも
72 こよひわがかたはらにして彈きたまふ父疾風のごとうるはしき
73 雪降ればロレンツォ・デ・メディチの墓かの滑石(なめいし)の塋域なやまし
74 火葬女帝持統の冷えししらほねは銀麗壺中にさやり鳴りにき
75 けいとうの群れゐしところ薄赤き空気をのこし鶏頭みえず
76 天上縊死・松の葉のうたをそらんずる天のゆふぐれひとごゑもせず
77 卑しきことおもひしならずたふときことおもひしならず白き夏至の日
78 鷺・白鳥・鶴の類食ふべからずと舊約聖書申命之記
79 玻璃鉢にシャロンの薔薇の泛けりけるさびしきろかも めぐりもとほる
80 ほのぼのとましろきかなやよこたはるロトの娘は父を誘(いざな)ふ
81 しみじみと聞きてしあればあなさびし暗しもよあな萬歳の聲
82 人あれば妻をたづさへあらはれて遠街に妻の人はかぎろふ
83 銀杏(ぎんなん)の乳の匂ひの淡くして夕月は出づ あはれノア・ノア
84 日暦はみづのとひつじ 北の方(かた)美しき羊一匹がゐる
85 女(め)の雛(ひひな)ほろびにけりな雪ながれ雲のしりへに瓔珞流る
86 おほきなる屑籠ありてやはらかきみどり兒を容るるに足らむ
87 死(タナトス)と囁くこゑすけむりぐさいつくしきけむりぐさをぞ喫ふ
88 ストーヴの火口見えをりちひさなる蜥蜴は烈火の炎にをりぬ
89 寄席(ヴァリエテ)、と入日に思へばかの古き獨逸のわざをぎ存へをりや
90 男子二體ひとつ棺に納めたる葬(さう)の古記録ありて傷めり
91 憂愁ただならざるを戀はむかな古書(ふるふみ)に「むかし男ありけり」
92 枇杷は人の病呻吟(びゃうしんぎん)に育つとふおそろしき説なしとせなくに
93 微笑せる猫の如きはゐたりけり星ある空の曇りゐにけり
94 障子戸を染めし楓(かへるで)さにつらふわが紅葉賀(もみぢのが)きはまらむとす
95 怪蝶青光り赤光り翔ぶ 臺北市中山北路の蝶店
96 自轉車に乘りたる少年坂下る胸に水ある金森光太
97 靑白色(セルリーアン) 靑白色(セルリーアン) とぞ朝顏は をとめごのごと空にのぼりぬ
98 千七百六十四年四月一日名馬日蝕(イクリプス)英國に生(あ)る
99 花帽子冠りし老畫家アンソールほの暗き日蝕の街をよぎりぬ
100 ゆふぐれの手もてしたためし封筒に彦根屏風の切手を貼りぬ

遺珠百五十撰
 


塚本邦雄 百珠百華 03



◆本書より◆


「百韻朗朗」より:

「先蹤のない文學はない。すべての短歌は廣義の本歌を持つてゐる。眞の獨想・獨創を期するならば、作家は、たとへばエスペラント語のやうな「新しい言葉」の創造から始めねばなるまい。また、たとへば、そのエスペラントすらラテン語といふ先蹤もしくは本歌があることに思ひ到れば、潔癖にそれらを拒み通す時、少くとも詩歌人は唖になる他はないだらう。」
「絶對的な獨創が不可能であるゆゑに、かつはまた、相對的な獨創にしろ至難の技と知るからに、人はその壘を摩さうとする、個性横溢、歌風鮮烈の作品を戀ふる。その、絶對にひたと身を寄せた相對、本歌はありつつ、本歌を凌がうとする本歌取りにあくがれ、稀に現れるその典型的な作品を絶唱と呼び、その作り手に天才の名を獻ずる。」
「私が、葛原妙子作品解釋鑑賞に際して意を用ゐ、かつは苦慮し、なほその上に、かへつて興に乘り、愉樂の限りを盡したのも、この本歌探索であつた。」
「葛原妙子は齋藤茂吉と、見えざる線で結ばれてゐる。かつて私は兩者についての見解を「紅衣光驅」〈「短歌」55年5月〉にしたためた。そして意の半ばは盡したやうに思ふ。殘る「半ば」のその七割方は滿たさうと、この「百珠百華」の執筆を思ひ立つた。」
「妙子の歌に茂吉の本歌取りが、有る無いなどと論つてゐるのではない。歌はその作者の、怖るべき渾沌の中から湧き上る、魔の韻律であることを、この二人くらゐまざまざと感じさせてくれる歌人は稀であることの、側面的な解明として、私は筆を走らせた。そして、それはそのまま、自分自身の作品へ懸ける夢でもあつた。」
「思へば「われの紋章いまだあらず」を當時の「短歌研究」編輯長中井英夫氏に教へられてから、既に三十年の歳月が流れた。今日私は、この「百珠百華」の紋章として、ルイ王朝の貴婦人よりも豪奢な百合花紋、たとへば銀の百合文樣を捧げたい思ひしきりだ。紫の地に、六辨六雄蘂の聖花を、この書のための文庫の黑漆地に象眼することを幻想しつつ私はまた、新しい旅に立たう。」



「ゆきずりの麺麭屋にある夜かいまみし等身のパン燒竈を怖れき」:

「ゆきずりの麺麭屋にある夜かいまみし等身の
パン燒竈を怖れき
          『原牛』「灰姫」(雪藏)

 深夜、あまりの息苦しさに目を薄く開いて見ると、自分は鐵製の容器の中にすつぽりと嵌めこまれてをり、出口と覺しい扉は、外から閂がかけられてゐるらしい。ああ、これは今夜、ふと街の麪包屋(パンや)の裏通りを歩いてゐて見かけた、あの麪包燒きの竈(かまど)に違ひない。必死になつて救ひを呼ばうとするが、既に火氣のために咽喉が腫れ上つて聲が出ない。
 結句の「怖れき」を、かうまで穿つて解釋してしまつては身も蓋もあるまい。作者は單に「怖れき」と、自分自身にさへ聞えぬくらゐの小聲で呟いてゐるのみである。何も、あの等身大の麪包燒竈で、自分が故意にか誤つてか、燒かれるといふ被害妄想に、一瞬陷るとなど言つてはゐない。勿論、自分が、誰かを麪包代りに燒き殺す危惧と、その豫感に戰いてゐるとも、ここでは洩らしてゐない。讀者に判斷をゆだねたのでもない。
 明らかに、彼女自身いづれとも判斷のつかぬ、得體の知れぬ懼れである。更に、加ふるに、あの麪包燒竈では、アウシュヴィッツの瓦斯室擬きに、夜夜誰かが次次と、誰かを燒いてゐるのかも知れない。人間と等身の竈を造る必然性はあるのか。身長の二倍、あるいは二分の一であつたら、效果が惡いとでも言ふのか。思へば思ふほど面妖である。さて、人人は、あの童話「ヘンゼルとグレーテル」の大團圓に近い凄慘な魔女殺しの場面を記憶してゐるだらうか。魔女がグレーテルを殺すのではない。その逆なのだ。
 魔女が竈の中の温まり具合を調べて來いとグレーテルに命ずる。惡意を覺つた少女は、入り方が判らないからとしぶる。魔女が身を以て垂範しようと、頭を突込んだ時、グレーテルは力任せに彼女を押し、竈にはまりこんだのを見澄まして鐵扉を閉ぢる。「等身のパン燒竈を怖れき」とは、あるいは、魔女の惡夢だつたのかも知れない。
 私にも麪包燒竈の作が、實はある。歌集『綠色研究』の「反神論」中の一首、「麪包屋竈に薔薇色の舌つみかさね けぶりたつロートレアモン忌日」。人間の舌を千枚集めて、こんがりとローストするのに、「等身」である必要はない。「料理長(シェフ)殿、ご用心」なるラッド・コッチェフの映畫では、世界の名だたる名料理人達が、厨房で、しかも蒸燒竈(オーヴン)その他の料理用設備や器具で、燒き殺されたり壓し殺されたりする。なかなか樂しい趣向がたつぷり見られた。食人趣味(カンニヴァリズム)が復活したら、少女の桂剥(かつらむ)きなどいかがであらう。」



「他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水」より:

「他界より眺めてあらばしづかなる的となるべ
きゆふぐれの水
          『朱霊』「夕べの聲」(夕べの聲)

 まさに、「夕べの聲」といふ標題の掉尾に置かれるにふさはしい一首であつた。掉尾、それはしかも最終歌の前の「大き雨戸わが立ててをり谷あひより芒の群の光りいづれば」の次に星形印(アスタリスク)を置き、おもむろに「他界より」は据ゑられたのだ。
 一見間然するところのない、玲瓏として昏く、縹渺として淡淡しい、たぐひ稀な調べではある。名歌と言ふべきであらう。世の人も、これを妙子の代表作として頻りに引く。引かれて然るべきだ。歌とは、生れ出るもので、造り上げるものではないと、この歌は低く囁くやうに、歌人に教へてゐるやうな気がする。それは重重承知の上で、それゆゑになほさら、私はこの歌をつぶさに檢べ、その方法論を究明してみたくなる。
 何よりも、「しづかなる的」が訝しい。一體この世に、「騷がしき的」や「しづごころなき的」が存在するのだらうか。あるなら、その的こそ、敢へて數へ立てるべきで、常態常識の的を、今さら事事しく「しづかなる」と修辭することもあるまい。次に「あらば」の「ば」、すなはち假定順接の助詞を受ける「べき」の、その連體形が氣になる。連體形にして、第五句を修飾する限り、この「べき」は「行くべき道」「死すべき命」「あるべき所」と同じく、當然もしくは義務・使命の趣を、はつきりと帶びるのだ。
 推量であらう。「『あらば』=『べき』」ゆゑに、さう讀むのが自然なのかも知れぬ。にもかかはらず、これが「しづかなる的となるべし」と四句切にした場合のやうには、素直に推量とは取りかねる。「しづかなる的としならむ」「しづかなる的となりなむ」等、推量への道は數多ある。「べし」ならば、その強い響きが、一首の、微光を放つやうな、はんなりとした眺めと響きを殺してしまふ、そのやうな配慮のあり得ることは想像できるが、他の場合はその咎めからも外されるのではなからうか。
 だが、彼女は、この歌を、死後の世界に想定して「創つた」のだ。この世の他に身をおいて、決して見ることのできないものを見ようとした。この歌は、決して、水母(くらげ)なす漂へるやうに「生れ出た」のではない。それゆゑに、きびしい語法修練、添削、推敲の痕跡を感じさせぬやうに、まるで不用意のままで、そこにさりげなく置いたやうに、何か注文をつけたくなる文體のままで、一首そのものを「しづかなる的」として示したのだ。」



塚本邦雄 百珠百華 02


「紫の地に
六辨六雄蘂の
聖花を」


印・署名。



◆感想◆


本書は興味深い本ではありますが、塚本さんと葛原さんとでは資質がだいぶ違うので、これはこれとして塚本さんの本としてよむとよいです。
ちょっとへんなところもあって、たとえば序文で茂吉の歌との関連を云々しておきながら、「暴君ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな」の歌について、「氣管を百粒の石榴が塞ぐのも、美しい話ではあるまいか」などと評しつつも、茂吉の歌集『寒雲』収録歌「むらさきの葡萄のたねはとほき世のアナクレオンの咽を塞ぎき」について一言も言及がないことです。また、「ストーヴの火口見えをりちひさなる蜥蜴は烈火の炎にをりぬ」の歌について、小栗虫太郎(「虫」は原文通りです)『黒死館殺人事件』のサラマンダーの呪文に言及ながらも(ここで虫太郎を出してくる必然性はまったくないです)、その呪文の出典であるゲーテのゲの字も出てこないし、ゲーテによるドイツ語訳もある『チェッリーニ自伝』の火蜥蜴を見るくだり(つとに澁澤龍彦による紹介があります)さえ無視していることです。これらは、ないものねだりのようですが、しかし著者の論旨にそって考えれば、当然言及がなされてしかるべきでした。呪文など唱えるまでもなく、なにげない日常のうちにふと火蜥蜴(サラマンダー)を見てしまうというのは、見えないものを見る幻視者としての生得の能力の証であるというべきではないでしょうか。




塚本邦雄 百珠百華 チラシ


『葛原妙子全歌集』広告チラシ。




こちらもご参照下さい:

『チェッリーニ自伝 (上)』 古賀弘人 訳 (岩波文庫)








































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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