FC2ブログ

C・G・ユング 『個性化とマンダラ』 林道義 訳

「マンダラは円を意味している。(中略)それらの基本的モチーフは人格の中心・いわばこころ(ゼーレ)の奥底にある中心的な場所・の予感である。そこにすべてが関係づけられ、それによってすべてが秩序づけられ、それは同時にエネルギーの源泉である。中心点のエネルギーは、推し止めがたい勢いをもって現われてきて、その人本来の姿になろうとする。」
(C・G・ユング 「マンダラ・シンボルについて」 より)


C・G・ユング 
『個性化とマンダラ』 
林道義 訳


みすず書房
1991年9月14日 印刷
1991年9月26日 発行
280p 図版12p 
著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,678円(本体2,600円)
カバー: ユングの分析を受けたX夫人の描いた絵



別丁カラー図版24点、本文中モノクロ図版59点。


ユング 個性化とマンダラ 01


カバー裏文:

「一見、円の中に花のようなものが描かれているだけの絵が、ユングの手にかかると、深い意味が付与され、生き生きと立ち現われてくる。
 「個性化とマンダラ」は、ユング心理学の中でも最高の秘儀とも言うべきものである。ここにわけても重要な5論文を収め、一書となす。
 ユングのいう「個性化」とは、無意識を統合し、個性的で自立した個人をつくるということである。もともとサンスクリットで「円」という意味をもつマンダラこそ、この「個性化」のシンボルである。ユングは自分の分析を受けたX夫人や他の人々のマンダラの絵を数多く紹介し、卓抜な解釈を加えていく。マンダラに現われる元型の個性的な意味の解明は、人間の豊かな可能性をまざまざとわれわれに示している。心の核心に迫るユングの達人的なわざは、見事というほかない。」



目次:

1 生まれ変わりについて
2 意識、無意識、および個性化
3 個性化過程の経験について
4 マンダラ・シンボルについて
5 マンダラ

原注
訳注
訳者解説
訳者あとがき



ユング 個性化とマンダラ 02



◆本書より◆


「生まれ変わりについて」より:

「ここで例として挙げようと思うのは、イスラム神秘主義のなかで重要な役割を果たしている人物像、すなわちハディール、緑の男である。彼はコーランの第一八章に登場するが、この章は生まれ変わりの秘儀を含み、「洞窟」と題されている。洞窟は生まれ変わりの場所、秘密の空間であって、そこに閉じ込められると、卵のように抱かれて暖められ、新しく生まれることができる。」
「あの七人の者たちはまさにこの洞窟のなかで眠り込んだのである。そのとき彼らは、ほとんど不死と言えるほどの生命の延長を獲得することになろうとは、夢にも思っていなかった。彼らがふたたび目覚めてみると、三〇九年間眠っていたのであった。
 この言い伝えの意味するところはこうである。あの洞窟、すなわち誰もが自らのうちに持っている、言い換えれば自らの意識の背後にある闇のなかに持っている洞窟のなかに落ち込んだ人は、はじめのうちは無意識のうちに進む変容過程のなかに巻き込まれるということである。無意識のなかへ入っていくことによって、彼は自らの意識を無意識の内容と結びつける。すると彼の人格の重大な変化が、肯定的な意味か否定的な意味かは別として、生ずる。この変容はしばしば、自然な生命の延長を意味するものとして、あるいは不死への期待を抱かせるものとして、解釈されている。前者は多くの錬金術師、とくにパラケルスス(中略)の場合であり、後者の古典的な例はエレウシスの秘儀である。」



「意識、無意識、および個性化」より:

「私は個性化という表現を、心理的な個体・すなわち他から分離した分割しえない単位・一つの全体・を作り出す過程という意味で使っている。一般には意識(引用者注: 「意識」に傍点)が心理的な個体の全体に当たるものだと考えられている。しかし無意識的な心の過程が存在しているという仮定によってのみ説明できるような経験をすべて考えあわせてみると、自我とその内容だけで本当に「全体」と言えるかどうか疑わしくなってくる。もし無意識的な過程というものがそもそも存在しているとすると、それは意識的自我の一部分ではないとしても、全体としての個体に属していることは確かである。(中略)一度も考えたことのないことは心のなかには存在していないと仮定するのは偏見である。意識が心の全体を把握することなどとうていできないという証拠は山ほどある。多くのことが半ば意識的に起きるが、同じくらい多くのことが完全に無意識のうちに経過していく。たとえば二重人格や多重人格の現象がくわしく研究された結果、そのことを証明する観察の資料がたくさん得られている。」
「ともあれ医学的心理学は、ありとあらゆる心的および生理的症状を引き起こす、そうした現象が重要であるという強い印象を受けた。こうした状況のもとでは、自我が心の全体を表現しているという仮説は維持できなくなった。反対に、全体は無意識的出来事からなる見通すことができない領域と、意識とをともに含んでいるはずであり、自我は意識の中心でしかありえないことが明らかとなった。」
「われわれは無意識を無と呼ぶが、しかしそれは潜在している現実(引用者注: 「潜在している現実」に傍点)である。われわれが考えることやすること、さらには明日嘆くことになる運命はすでに今日無意識のなかに存在している。激情によってさらけ出された未知のものは、いつでもすでにそこにあったものであり、いずれは意識のまえに現われるはずのものであった。それゆえわれわれはいつも、まだ発見されないものが存在していることを考慮に入れておかなければならない。それはすでに述べたように未知の性格特性であるかもしれない。しかしまたそのようにして未来の発展可能性が現われるかもしれず、もしかするとそれは激情の爆発という形を取って、ときには状況を根底から変えてしまうかもしれない。無意識はヤヌスの顔を持っている。一方ではその内容は意識以前の先史時代の本能世界に根ざしており、他方ではそれは潜在的に未来を先取りしているが、それはまさに運命を決定する要因が本能的に待機していることに基づいている。初めから個人のなかに無意識のうちに存在している基本的な見取り図を完全に知ることができれば、その人の運命を長期にわたって予言することができるであろう。
 無意識の傾向は、過去を表わすイメージの形をとるものもあれば未来の先取りの形をとるものもあるが、夢のなかに現われるかぎりでは、過去数千年のあいだつねに、圧倒的に過去への退行としてではなく、みしろ未来の先取りとして理解されてきたし、それはある意味では正しかった。すなわち現われてくるものはすべて、存在していたものや、記憶の痕跡として――意識的であれ無意識的であれ――つねに存在しているものを基にして起こってくるのである。ところで人間は完全な新発明として生まれてくるものではなく、最終的に到達した発達段階[までのプロセス]を繰り返すものであるかぎり、彼は無意識のうちに、祖先の系列のなかで進化の方向であれ退化の方向であれ次第に発達してきた心的構造の全体をア・プリオリな所与として保持している。この事実は無意識に対して特徴的な「歴史的」性質を与えているが、しかしこの性質は同時に特定の方向へ未来を形成していく《必要条件》でもある。」



「マンダラ・シンボルについて」より:

「すでに述べたように、マンダラは円を意味している。いま述べたモチーフには多くの種類があるが、しかしいずれをとっても円の四分割を基礎にしている。それらの基本的モチーフは人格の中心・いわばこころ(ゼーレ)の奥底にある中心的な場所・の予感である。そこにすべてが関係づけられ、それによってすべてが秩序づけられ、それは同時にエネルギーの源泉である。中心点のエネルギーは、推し止めがたい勢いをもって現われてきて、その人本来の姿になろうとする。(中略)この中心は、自我としてではなく、もしそう言ってよければ、自己として感じられ考えられる。この中心は一方では最深部の点であるが、他方ではそれは周辺ないし周囲であり、自己に属するすべてのものがそのなかに含まれる。すなわちそれは組になった対立物であって、それが人格の全体を形成しているのである。それに属するのはまず意識であり、つぎにいわゆる個人的無意識があり、そして最後にどのくらいの大きさを持つか分からない集合的無意識があり、その諸元型は人類に普遍的である。」

「私は世界のさまざまな地域からのもっと多くの絵を示すことができるし、そうすれば皆さんはそれらのシンボルが個人のマンダラで見たのと同じ基本法則から生まれたことが分かって驚くことであろう。ここに示されたケースはすべて他から影響を受けていない新しい現象であることを考えると、意識のかなたに個人にとっては無意識の要因がいわば普遍的な広がりをもって存在しているにちがいないということを、どうしても確認せざるをえない。その要因はあらゆる時代のあらゆる場所において原則として同一の、あるいは少なくとも非常に似たシンボルを作り出すことができるのである。この要因はたいてい個人には意識されていないため、私はそれを集合的無意識と名づけ、それがシンボルを作り出す基礎として原初的なイメージの存在を、元型の存在を、仮定している。無意識の個人的な内容と民族的な類似の内容との同一性が、描かれた形において見られるばかりでなく、意味についても見られるということは、いまさら付け加えるまでもないであろう。」
























































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本