FC2ブログ

C・G・ユング/W・パウリ 『自然現象と心の構造』 河合隼雄・村上陽一郎 訳

「ケプラーにとっては、地球は人間のように生き物である(中略)。生き物には毛髪があるのと同じで、地球には草や木が生えており、蟬はそのフケのようなものである。生き物が膀胱に尿を析出するように、山は泉を湧かせる。硫黄や火山生成物は排泄物だし、金属や雨水は血液や汗に当る。」
(W・パウリ 「元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響」 より)


C・G・ユング
W・パウリ 
『自然現象と心の構造
― 非因果的連関の原理』 
河合隼雄・村上陽一郎 訳


海鳴社
1976年1月14日 発行
viii 270p 別丁図版(モノクロ)6p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,600円



「本書について」より:

「本書は、元来「C・G・ユング研究所研究報告」第四号として、『自然の解明と精神(プシュケー)』《Naturerklärung und Psyche》(Rascher Verl., Zurich, 1952)の標題で発表されたものである。この書物は、ユングの「非因果的連関の原理としての共時性」《Synchronizität als ain Prinzip akausaler Zusammenhänge》と、パウリの「ケプラーにおける自然科学理論の形成に関する元型的理念の影響」《Der Einfluss archetypischer Vorstellungen auf die Bildung naturwissenchaftlicher Theorien bei Kepler》という雙の論文から成っていた。三年後の一九五五年、(中略)この書物の英語版が、『自然の解釈と精神(プシュケー)』《The Interpretation of Nature and the Psyche》のタイトルで出版された(Bollingen Foundation Inc., New York および Routeledge Kegan Paul, London)。」
「本訳書は、書き換え、訂正を受けている英語版を、底本として採用している。したがって、論文のタイトルも含めて、完全に英語版の表現に従っている。翻訳はユングの論文を河合が、パウリの論文を村上が担当している。」



本文中図・表。


ユング パウリ 自然現象と心の構造 01


カバーそで文:

「精神界と物質界の究極を探索した著者たちが、共通の問題意識、すなわちこの世界を如何に認識すべきか、科学の範疇を如何に考えるべきかを論じた問題作。
 心的過程の深奥には、およそ因果的な説明では捉えきれない様々な事象――単なる偶然としては片づけられないものが存在する。それを永年の治療経験や自己の体験から、誰よりも痛切に感じていたユングは、現代物理学からの要請を踏まえながら、心的現象や占星術といった非因果的諸事象をも包摂したこの世界を、統一的に解釈可能な壮大な構想を提示する。
 一方、現代物理学の行き詰りを早くから察知していたパウリは、近代科学の黎明期に遡って、その方法論の根源を探る。そして世界像の差異、つまりケプラーの「元型」概念と彼の論敵フラッドのそれとの差異が、現代の科学を方向づけたことを論証する。
 著者たちの交流から生み出された本書は、反科学論など、多くの分野に影響を与えた科学史的にも重要な論文である。」



目次:

本書について (訳者)

共時性: 非因果的連関の原理 (C・G・ユング/河合隼雄 訳)
 序
 第一章 はじめに
 第二章 占星術の実験
 第三章 共時性の観念の先駆者達
 第四章 結論
 要約

元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響 (W・パウリ/村上陽一郎 訳)
 はじめに
 元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響
 付録Ⅰ 人間の霊魂が自然の一部であるという命題に対するフラッドの反論
 付録Ⅱ 四という数の特性についてのフラッドの論点
 付録Ⅲ プラトン主義的、ヘルメス主義的傾向: ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ


解説 (村上陽一郎)
訳者あとがき
人名索引



ユング パウリ 自然現象と心の構造 02



◆本書より◆


「共時性: 非因果的連関の原理」(ユング)より:

「偶然の集合あるいは連続は、少くともわれわれの現在の考え方からすれば、無意味であり、一般原則としては、確率の限界内に入るように思われる。しかしながら、その「偶然性(chancefulness)」が疑わしい出来事もある。多くの中から一つだけ例をあげると、私は、一九四九年四月一日に、次のようなことを記録している: 今日は金曜日である。私達は昼食に魚を食べる。誰かがたまたま、誰かを「四月の魚」(エイプリル・フールでこけにされる人のこと。フランス語〈訳者〉)にする習慣のことを述べる。その同じ晩、私は次のような文句を書き記す。「人間は全体として、塵から生まれた中途半端な魚(引用者注: 「魚」に傍点)である(Est homo totus medius *piscis* ab imo)」。午後、私の以前の患者の一人が、それまで何ヵ月も会っていなかったのに、その間に彼女が描いた至極印象的な魚の絵を数枚見せてくれた。晩には、魚のような怪物が編まれている一枚の刺繍を見せてもらった。四月二日の朝、別の患者が、何年も会っていなかったのに一つの夢――彼女が湖の岸に立っていると一匹の大きな魚が出てきて、彼女の方に向ってまっすぐ泳いできて、彼女の足元に上陸する――を報告した。私はこのとき、歴史における魚の象徴の研究に取り組んでいた。」
「これを意味のある偶然の一致(引用者注: 「意味のある偶然の一致」に傍点)(meaningful coincidence)つまり非因果的連関(acausal connection)の事例に違いないと思うのはきわめて自然である。(中略)それは私にとって、一種のヌミノース(ルドルフ・オットーの著作『聖なるもの』の中の用語。表現し難く、神秘的で、おそろしく、直接的に体験され、神性についてのみふさわしいものに対する言葉〈訳者〉)な性質をもっているように思われた。」

「ここで私はショーペンハウエル(A. Schopenhauer)の「個人の運命における明白な計画について」という論文――もともと私が現在発展させている見解の代父となっているのだが――に注目したいと思う。それは「因果的には結びついていないものの同時性、つまりわれわれが〈偶然〉と呼んでいるもの」を取り扱っている。ショーペンハウエルはこの同時性を地理学の類比によって例示している。すなわち、平行事象は経線間の結びつきを表現しており、それらは因果的連鎖と考えられているのである。」
「彼はそれを彼の哲学の一般的な傾向に従って、一つの超越的前提、つまり意志(Will)ということから引き出したのである。この意志は、あらゆるレベルにおいて生命と存在を創造し、それらのレベルの各々を調節して、その生命存在が共時的な平存者(synchronous parallels)と調和するだけでなく、運命あるいは摂理という形で将来の事象を配置するようにしていると彼は考える。」

「作家ウィルヘルム・フォン・シォルツ(Wilhelm von Scholz)はなくなったり盗まれたりした物が、不思議な具合に持主に帰ったいくつかの話を集めている。なかでも彼は、自分の幼い息子の写真をブラック・フォレストという所で撮ったある母親の物語を伝えている。彼女はフイルムを現像してもらうために、ストラスブルグに出しておいた。しかし、戦争勃発で彼女は取りに行くことができず、なくなったものと諦めていた。一九一六年に彼女はその間に生まれていた娘の写真をとるためにフランクフルトでフイルムを買った。フイルムが現像されると、それが二度感光されているのがわかった。だが何と下に映っているのは彼女が一九一四年に自分の息子をとった写真だったのである! 昔のフイルムは現像されずに、どういう具合か新しいフイルムの中にまぎれこんでいたのであつた。著者は、あらゆるものは「関わりのあるもの同士の相互誘引」あるいは「選択的親和性」を目ざしているという結論に至っている。彼はそれらが「未知のより偉大でより包括的な意識」の夢ではないだろうかと考えている。」

「ここで、「共時性」という用語のために起こるかもしれない誤解に注意を向けたいと思う。私がこの用語を選んだのは、意味深くはあるが因果的にはつながっていない二つの事象が同時に生起するということが、本質的な規準であるように思われたからである。それゆえ私は、単に二つの事象が同時に生起することを意味するにすぎない「並時性(synchronism)」と対照的に、ある同一あるいは同様の意味をもっている二つあるいはそれ以上の因果的には関係のない事象の、時間における偶然の一致という特別な意味において、共時性という一般的概念を用いているのである。
 従って、共時性は、ある一定の心の状態がそのときの主体の状態に意味深く対応するように見える一つあるいはそれ以上の外的事象と同時的に生起することを意味する。」

「ストックホルムにおいて火事が起こっているという幻視がスェーデンボルグ(E. Swedenborg)の内に起こったとき、その二者間に何も証明できるようなもの、あるいは考えられるようなつながりすらないのに、その時、そこで実際に火事がいかり狂っていた。私はもちろんこの場合、元型的なつながりを証明することを引き受けようとは思わない。ただ私は、スェーデンボルグの伝記には、彼の精神状態に顕著な光を投げかけるある種のことが存在するという事実を指摘しておくだけにしよう。彼を「絶対知識」に接近させた意識閾の低下が存在したと、われわれは想像する。ある意味で、ストックホルムにおける火事は、彼の心の内でも燃えていた。無意識の精神にとって空間と時間は相対的であるように思われる。つまり、空間はもはや空間でなく、また時間はもはや時間でないような時-空連続体の中で、知識はそれ自身を見出すのである。」

「ライプニッツの予定調和、および上にのべたショーペンハウエルの考え、すなわち第一原因の統一によって、諸事象がそれ自体において因果論的に結合しなくても、それらの同時性や相互関係が生ずるという考えは根底においては、古代のアリストテレス学派の見解の反復にすぎないものであり、ショーペンハウエルの場合には現代的な決定論的色彩をおびており、また、ライプニッツの場合には先行的秩序によってその因果性を部分的に置き換えているのである。彼にとって神は秩序の創造者である。彼は魂と肉体を二つの同期しあう時計に比喩しており、さらに単子あるいはエンテレキーの間の諸関係を表現するために同様の比喩を用いている。単子は相互に直接的に影響しあうことはできない。なぜなら、彼が言うようにそれらは「窓をもたない」からである(これは因果性を相対的に破棄している!)。けれどもそれらの単子は、相互に知り合うことなしに常に調和の中にあるように組織づけられている。各々の単子は「ひとつの小さな世界」であり、ひとつの「分割できない生きた鏡」であると彼は考える。人間が自分自身の中に全体性を包括している小宇宙であるというだけでなくて、すべてのエンテレキーあるいは単子は実際上そのような小宇宙である。各々の「単一の物質」が結合しあっており、この結合性が「すべての他者を表現している」。それは「宇宙を映す永遠に生きた鏡」である。彼は生きた有機体の単子を「魂」と呼んでいる。すなわち「魂はそれ自身の法則に従い、肉体もまた同様にそれ自身の法則に従い、そして両者はすべての物質の間に確立された予定調和によって協和し合っている。なぜなら、それらは同一の宇宙のあらわれであるからである」。これは明らかに、人間がひとつの小宇宙であるという観念を表現している。ライプニッツはこう言っている、「魂は一般に創造された事物の宇宙を映す生きた鏡であり、映像である」。」

「これらの引用から、ライプニッツが因果的結合の外に、単子の内および外で起こる諸事象の中に完全な予定された平行性を想定していることは明らかである。かくして、内的事象と外的事象とが同時的に生起するところでは、すべての場合に共時性の原理がその絶対的な法則になるのである。」

「共時性原理が仮定していることは、ある意味が人間の意識への関係の中で先験的に存在していること、そして明らかに人間の外部に実在しているということである。かかる仮定は中でも特にプラトンの哲学の中に見出される。それは経験的事物の先験的イメージあるいはモデル、つまり εἴδη (形象・種)が実在していて、それの反映(εἴδωλα)を、われわれはこの現象の世界の中で眺めているのだということを容認している。初期の時代にはこの仮定は(中略)完全に自明なことであったのである。」

「共時性は哲学的見解ではなく、ある知的に必要な原理を仮定とする経験的概念である。」
「空間、時間、因果性という古典物理学の三つ組みは、共時性要因によって補われて、全判定を可能にする四つ組み、四元数(引用者注: 「四元数」に傍点)(quaternio)となるであろう。」



「元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響」(パウリ)より:

「ケプラーにとっては、地球は人間のように生き物である、ということはすでに述べた。生き物には毛髪があるのと同じで、地球には草や木が生えており、蟬はそのフケのようなものである。生き物が膀胱に尿を析出するように、山は泉を湧かせる。硫黄や火山生成物は排泄物だし、金属や雨水は血液や汗に当る。海水は地球の養分である。生き物として、地球は霊魂つまり地球霊(引用者注: 「地球霊」に傍点、以下同)(anima terrae)をもっており、これは、人間霊(引用者注: 「人間霊」に傍点)(anima hominis)に相当程度類似していると考えられる性質をもっている。それゆえ、個別的な霊魂というものを、人間の霊魂と同じように地球霊や惑星の霊のことでもあると考えることができる。同時に、地球霊は、地球内部における形成力(引用者注: 「形成力」に傍点)(facultas formatrix)でもあり、例えば宝石や化石で五種類の正多面体を表現するものである。この点ではケプラーは、パラケルススも支持していた見解に従っている。パラケルススは「アルケウス」(archaeus)という概念を自然の形成原理と考えた。これはまた徴表者(引用者注: 「徴表者」に傍点)として、徴表(引用者注: 「徴表」に傍点)を創出するものでもある。当然のことながら、ケプラーはその議論の中で、フラッドの地球霊を「アルケウス」と呼ぶことも必要とあらば可能であるという考え方を支持している。ケプラーの意見として、地球霊が大気現象や天候などにも関係している、と考えられている点は重要である。例えば、雨が多過ぎるという場合には、地球が病気であることを意味している。」





































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本