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守屋毅 『中世芸能の幻像』

「中世を乱世といい下剋上というが、それは階級関係の上下の攪乱であったばかりでなく、常民的価値と異端のそれとの確執という側面をもっていたことを否定できない。」
守屋毅 『中世芸能の幻像』 より


守屋毅 
『中世芸能の幻像』


淡交社
昭和60年7月29日 初版発行
238p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円



本書「中世芸能史覚書―あとがきにかえて―」より:

「本書のもとになった原稿は、茶道誌『淡交』の昭和五十八年七月号から五十九年十二月号まで十八回にわたって連載した「中世芸能の世界」である。」
「それと並行して、同じ題材を、大阪大学文学部で行っている〈芸能史〉の講義で扱い、また筑波大学の集中講義〈日本文化論〉でも話した。その間、もとの原稿は大幅に加筆・改訂がくりかえされ、そしてそれをさらに整理しなおしたのが、本書なのである。」



本文中図版10点、扉挿図6点。


守屋毅 中世芸能の幻像 01


帯文:

「時代と終焉をともにした
真に中世的なる
芸能を求めて」



帯背:

「異形が乱舞する
独自の芸能史論」



帯裏:

「真に「中世的」と呼びうるものは、むしろ中世という時代と運命をともにして滅び去った芸能にこそ求められるのではあるまいか―と著者はいう。中世芸能史を能楽形成史と同一視する風潮に対し、本書では意識的に能楽に関する叙述を省き、田楽・散楽・さるごうといった中世にのみ存在するさまざまな芸能にスポットをあてる。その分析と叙述には「中世芸能にかかわる用語とその用法に注目することにより、言葉の喚起するイメージを芸能世界に接近する通路とする」独特の手法を用いる。
祭礼という非日常と芸能という反秩序に彩られた中世舞台に乱舞する異形の姿を鮮やかに再現、中世芸能史を新たな展開に導く意欲作である。」



目次:

もう一つの中世芸能―田楽―
 永長大田楽
 田楽という芸能
 成立と芸態
服飾にみる傾奇―風流―
 芸能とその衣裳
 禁色・過差・傾奇
 風流の源流から
芸能という行為―物狂―
 芸能の不思議さ
 「狂ふ」「走る」「舞ふ」
 「遊び女」と「狂女」のあいだ
祭礼の場の暴力―印地―
 祭礼と飛礫と禁制
 印地の周辺
 印地の党
滑稽の芸脈―猿楽―
 稲荷祭の風流と猿楽
 「さるごう」と「をこ」の系譜
 「狂言」の原像
中世における「異形」の系譜―ばさら―
 「ばさら」の出現
 異形・悪党・ばさら
 「ばさら」群像

中世芸能史覚書―あとがきにかえて―
中世芸能の幻像・略年譜



守屋毅 中世芸能の幻像 02



◆本書より◆


「もう一つの中世芸能―田楽―」より:

「嘉保三年(永長元、一〇九六)の夏、京都は異様な興奮につつまれていた。
 この年、五月から八月にかけて、「田楽(でんがく)」という芸能が爆発的に流行し、京都の住人がこぞって田楽にうかれ狂うという大騒動がつづいたからである。おそらく、その間、京都の政治は一時的な麻痺状態に陥っていたにちがいなかった。」

「そしてまた、田楽の騒動は「永長大田楽」で終ったわけでもなかった。」

「なお類似の事件は、枚挙にいとまがなかった。
 これらの記事はなかなか意味深長である。―というのも、これらは、田楽という芸能が、不思議なことに、ややもすれば、集団的な混乱―ひいては一種の暴動状態さえ惹起せずにおかなかったことを示唆しているからである。」

「芸能というものは、程度の差こそあれ、そもそも誘惑的なものであって、大なり小なり人をとりこにせずにはおかないものであるが、こと田楽についていえば、それが人々を深く魅了したこと、およそ他の芸能の及ぶところではなかった。」
「田楽は、その文字面からして、いかにも田園・牧歌的な芸態を想起させるところがある。(中略)しかし、残された歴史史料が示す田楽の光景は、騒然として物狂わしく、我々のそうした先入観を裏ぎってあまりあるものがあったのである。」
「ひとたび田楽が流行するや、はてしなくその輪が広がり、ついには暴動状態にまでいきつくのは、まさに不特定の群衆を陶酔にまきこむ構造を、踊りである田楽が、本来的にそなえていたからだと考えて、大きな誤りはないはずである。」

「もっとも、田楽の不思議なところは、かならずしも集団的な熱狂にのみ認められるわけではなかった。田楽の流行とあいまって、田楽に魅いられて身を破滅させた―あるいは破滅させたと噂される人物が出現することになる。鎌倉幕府の滅亡をもたらした執権北条高時がその人であった。」
「鎌倉幕府がほろんだ直後、その原因が、政権の中枢にいた高時の闘犬と田楽への傾倒にあったとささやかれたというのであるから、もののたとえにもせよ、幕府一つを倒壊させるだけの力を、田楽という一芸能がもっていたということになる。」

「さらに興味深いことには、田楽への執心は天狗という妖怪を招きよせ、その報復をうけるという考えかたが、広く存在したようなのである。」
「田楽と天狗の連想は、「桟敷(さじき)倒れ」の異名で知られる貞和五年(一三四九)六月十一日の四条河原勧進田楽についてもみられる。この勧進田楽は、開催中に桟敷が倒壊して多数の死者をだしたことで知られるのであるが、口さがない京童たちのあいだに、桟敷を倒壊させたのは天狗のしわざだという噂が広がり、『太平記』はこれを称して「天狗倒し」と呼んだのであった(巻二十七〈田楽の事〉)。」



「服飾にみる傾奇―風流―」より:

「この時代、神事の領域は、世俗の規制の外にあるという観念が、なお生き生きとみなぎっていたのである。「神事と称し」「ことを神祀に寄せ」ることで、人々は日常では実現できない「過差」をためらわず敢行し、権力の頂点にいるものまでが無法の「傾奇(けいき)」に走りえたのであった。
 田楽に代表される中世の祭礼芸能が、今日の我々からみれば異様なまでに緊迫した雰囲気をはらみ、その結果、現実の社会秩序と鋭く対決せざるをえなかったのは、祭礼という場の保証した、この無法性・倒錯性に起因していたといえようか。」

「平安時代中期の貴族たちのあいだに、人工的な造型物の出来ばえ―主としてその美しさ、意匠の妙、工芸的な精巧さなどについて、とくに「風流」という表現をあたえる用例が現れ、やがて貴賤を問わず、ひときわ人の目をひくような、趣向を凝らした人工的な造型物を、総じて「風流」の名で呼ぶようにもなる。」
「しかし我々が、当面の話題に関連して追跡すべき「風流」は、やはり祭礼と芸能にともなう「風流」でなくてはなるまい。
 ―というのも、祭りや芸能の場における「風流」には、単なる意匠・技能・趣向の妙味の域をこえて、また格別の意味あいがこめられていたとみられるからである。そこには、「過差」「美麗」「奢侈」「傾奇」にも通じあう、絢爛たる異相がみなぎっていたのであった。
 そしてその祭礼の「風流」の中核に、異様なまでに人の目をひきつける衣裳があったこと、(中略)そのような衣裳で装うことそのものが、すでに「風流」なのであったとみてよい。」
「したがって人々は、装束の「過差」「美麗」とともに、さらに「風流」を競うことで、己の存在をいっそう誇示しようとしていたのである。」



「芸能という行為―物狂―」より:

「古代や中世の人々のあいだには、なんらかの異常性がみなぎらないかぎり、芸能という行為も発動しないと信じられていたふしがある。」
「この時代の人にとって、芸能へかりたてられる衝動は、人間をはるかにこえた不思議な力の発動とでもいわねば、とうてい了解しようのないものであったようなのである。」

「中世において、芸能を演じることを、人々は「狂ふ」という言葉で表現する場合が、少なくなかったのである。」

「当時、「くるふ」という行為がつまりは憑依状態(トランス)の一形態と考えられていたことに、疑いをさしはさむ余地はないであろう。」

「そもそも「くるふ」という言葉の「くる」は、「くるくる回る」などという時の「くる」と同じで、したがって「くるふ」とは旋回動作―すなわち回ることを表すものであったと考えられる。」
「その旋回はとりもなおさず、人が「現し心」を欠いた時、つまり人の狂った際の動作にほかならなかった。あるいは、「現し心」を失った途端、我々は誰しも、等しく、ぐるぐると旋回をはじめるものなのであろうか。
 しかもそれは、これまでの議論のおもむくところからして、人間以外のなんらかの「もの」が、人をして回らしめるという理屈になる。人間以外のなんらかの「もの」が、人をして回らしめる場といえば、さしあたり、それは祭式の場の「神懸り」を想定するのが適当であろう。「狂ふ」とは、そうした行為を前提にした言葉だったと了解しておかねばなるまい。」

「つまるところ、「くるふ」といい、「まふ」「はしる」といい、中世において芸能を演じる様子を表すに際して用いられる動詞は、いずれも、もともと祭りの場における、非日常的な動作に発したものであったこと、そして中世芸能も、その深層においてその感覚をひきずっていたことは、まず間違いのないところであった。
 しかも、芸能そのものが、ほかでもない、憑依にともなう行為であったことの痕跡を、言葉のみならず、人々が意識のなかに、はっきりととどめていたのが、中世という時代の芸能の歴史的特徴であったのである。」

「『梁塵秘抄』巻二に収める神歌にいう―。
  遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ。
 芸能はその根源において、「遊び」でもあり「浮かれ」「戯れ」でもあったというわけなのである。
 そしてここで、遊女のはるかなる起源を巫子に求める有力な説のあることをいいそえておくのも、けっして無駄ではない。遊女と巫子をつなぐものは、ほかでもない、「遊び」にあった。遊女が、その稼業に「遊び」をともなわねばならなかったのは、彼女たちが、祭式の場で「遊び」を演じた巫子たちの末裔だったからだというのである。遊女は、零落した巫子であった。
 神につかえる巫子の「遊び」といえば、それは、まさしく心ここにあらざる神懸りということになる。我々は、「遊び」すなわち芸能の究極が神懸りのトランスにあったことに気づいておかねばならない。
 ―だとすれば、芸能にたずさわるという、その行動は、とりもなおさず、我れと我が身を、あえて、現実から心ここにあらざる状態に追いやることにほかならなかった―ということになる。」

「なるほど、中世の人にとって、狂うて、舞って、遊ぶのは、分かちがたく連動する、ひとつづきの行動なのであった。」
「なればこそ、中世には芸能者のことを、「舞ひ人」「遊び者」というとともに、また「狂ひ者」とも称していたのである。」



「滑稽の芸脈―猿楽―」より:

「『看聞御記』の応永三十一年(一四二四)三月十一日の条にみえる狂言の記事は、多少とも、実際に演じられた狂言の内容をうかがわせる記録として、かなり早い時期のものとみてよい。」
「伏見の御香宮の祭礼で、丹波矢田座による猿楽(この時代になると猿楽はいわゆる能楽を指している)が行われた。その時、狂言として「公家人疲労の事」(「落ちぶれた公家の物語」とでもいおうか)という演目が演じられた。伏見は、(中略)公家が大勢住んでいるところであった。
 そのような土地で、こともあろうに「公家人疲労」を主題にした狂言を演じるとは「尾籠の至り」というわけで、この一座は、あえなく追放されてしまったというのである。」
「『看聞御記』のこの記事において、筆者の非難は、かならずしも狂言の諷刺性そのものにあったのではなく、場所柄をわきまえぬ一座の態度にむけられていると解釈するのが正しい読みであろうが、創始期の狂言が、かつていくつかの猿楽がそうであったように、みるものの激しい怒りをかうほどの諷刺を含んでいたことだけは、これらの例によって、容易に肯けるところなのである。」



「中世における「異形」の系譜―ばさら―」より:

「もっとも、「ばさら」とは、かならずしも、我々にとって耳なれた言葉ではない。
 『建武式目』では「婆佐羅」とあるが、「婆娑羅」と書かれることが多いこの言葉は、もともと仏教の用語で、サンスクリットの Vajra を語源とするといわれている。それを漢訳すれば金剛―要するにダイヤモンドの意であった。金剛石がすべてを打ち砕くところから、密教で煩悩を砕き外部の魔神を降伏させる力をもつ象徴として用い法具を金剛杵(しょ)などともいう。」
「それが転じて、『続教訓抄』に「下郎の笛ともなく、ばさらありて仕るものかな」とあるのが例となるように、音楽・舞楽の調子はずれをいったりもし、さらに転じて、遠慮会釈なく驕慢・放埓にふるまうことを「ばさら」、あるいは単に「ばさ」というにいたったのであった。
 史料上の所見からすると、「ばさ」のほうが早く、中国においても『神女賦』(戦国時代の人、宋玉の作という)に「婆娑、放逸の貌」とあって、すでに日本中世の「ばさら」と同様に、常軌をはずれた行動を意味して「婆娑」という表現が行われていたことがうかがえるのである。」
「その「ばさら」が、祭礼の場の風流の「異形」とつながっていたことは、「風流」に「ばさら」というルビを施した『恩地左近太郎聞書』の例からして、容易に推察されるところであった。」

「あの風流の面目が、法をこえた過差の極限としての「傾奇(けいき)」にあったように、「ばさら」においても、その核心は、むしろその異常性―「物狂」に求められるのかもしれない。」
「一方の価値観の持ち主には「物狂」としかみえないものが、今日の目からすると、なんと颯爽として、潑溂たるものがあったか。」

「平安時代から鎌倉時代にかけて、祭礼のなかに「風流」の名で顕著にみいだされた「異形」は、実は、祭礼といった非日常の時間・空間にのみみられたものではなく、ある一群の人々にとっては、その集団を表示する風俗でもあったことを、ここで指摘しておかなくてはならない。」
「「風流」の「異形」が、祭りの場における無法―反秩序的行動を保証するものであったとするならば、無頼の徒は、みずから仮りの「異形」に身をやつすことで、社会秩序の埒外に生きる表象としていたということなのであろうか。」

「柳田国男の「鬼の子孫」には、かつて「年老いる迄童子を以て呼ばれ、又童子相応の風をして居た」人々の存在したことを指摘している。ここで「童子相応の風」といわれるのは、髪を結わずに、子供のようなかむろ頭のザンバラ髪のままの姿を指しているのである。」
「童子の名をもち、童形によって特色づけられる集団に「鬼」があった。」
「しかして、これらの「鬼」のイメージが形成されていく背後に、山間に居所をかまえる人たちの姿が想起されていたことは、確かであった。山中異界の住人にとって、その童形は異界性の象徴であったということになろう。」

「田楽における「異形」は、芸能というその場かぎりの逸脱行為にすぎなかったが、「年老いる迄童子を以て呼ばれ、又童子相応の風をして居た」人々は、まさにその「異形」を常の風体とする人々なのであって、童形であることをその集団の表示としていたのである。」



「中世芸能史覚書―あとがきにかえて―」より:

「筆者が本書で明らかにした事実のなかには、既存の祝祭論の安易な適応を拒むものがある。つぎにそれを二点ばかり指摘しておく。
 第一に問題となるのは、従来の祝祭論が、表現こそちがえ、その機能を社会秩序の刷新・回復・再生に求めていることである。しかし中世日本についてみれば、祝祭の混乱がただちに現実世界―常民の生活領域の混乱に直結する場合があったのである。それは、すでに本書で指摘したごとく、田楽の騒乱がしばしば現実の合戦に拡張し、芸能の異常な流行が乱世の予兆と観念された事実などから、疑いを入れないところであった。その都度、社会秩序は混迷に陥るのであって、その刷新・回復・再生は、祝祭とは別の、いちじるしく世俗的な力の発動によってはかられざるをえないのである。
 日常的秩序と非日常的反秩序は、対立的に乖離するものではなく、日常的秩序は非日常的反秩序の側から挑発をうけ、攪乱されることがあったというのが真相ではなかったか。筆者はむしろその点に、祝祭の一般理論の枠組に収まりきらない、中世の芸能や祭礼の歴史的特色を認めるのである。 
 第二に考慮したいのは、祝祭にみられた反日常的な逸脱行為―とりわけ「異形」を日常のものとしている集団の存在をどう理解するかである。それは、摺衣(しゅうい)をまとった双六・博奕の徒であり、ザンバラ髪の盗賊や京童であり、異相の印地の党であり、照りかがやくばかりの美装の悪党たちであった。しかも、彼らの集団の表象は、祝祭の場の聖なる「異形」の表出と共通していたのである。
 彼らは祝祭の場にのみ許容された反秩序を祝祭の場以外の時と場所で行う集団にほかならなかった。あるいは、祝祭の混乱が、現実世界に結びつくに際して、この種の集団がそれを媒介する場合があったと考えることもできる。」
「彼らは、間違いなく異端として反秩序の側におり、常民の生活領域から忌避される存在であったが、南北朝期の「ばさら」大名のように、時として世の常ならざるものが時代の英雄になりうる現実があったのである。秩序と日常性によって保護される常民の領域のすぐとなりにあって、しかも現実世界を侵犯する可能性をもつ集団の存続したことが、筆者には日本中世の特色の一つであったように思える。
 さらに付言しておくなら、中世を乱世といい下剋上というが、それは階級関係の上下の攪乱であったばかりでなく、常民的価値と異端のそれとの確執という側面をもっていたことを否定できない。」





こちらもご参照ください:

守屋毅 『日本中世への視座』 (NHKブックス)






































































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