FC2ブログ

守屋毅 『日本中世への視座』 (NHKブックス)

「世に京童(きょうわらべ・きょうわらわ)という。(中略)童とはいえ、子供ではない。京中無頼の徒の謂である。それが童と呼ばれたのは、おそらく彼らが童形のザンバラ髪のまま生涯をおくったからであろう。」
(守屋毅 『日本中世への視座』 より)


守屋毅 
『日本中世への視座
― 風流・ばさら・かぶき』
 
NHKブックス 459 

日本放送出版協会
昭和59年6月20日 第1刷発行
vi 250p
B6判 並装 カバー
定価750円
装幀: 栃折久美子



本書「はじめに」より:

「古代と近世のはざまにあって、中世という時代は、いかにも影が薄い。
 ただ、私にとって中世という時代のイメージは、きわめて鮮明である。
 それは、一つには、平安時代の「風流(ふうりゅう)」に始まり南北朝期の「ばさら」を介して近世初期の「かぶき」をもって終わる時代にほかならない。すなわち、異類・異形の風俗が荒々しく歴史を彩る時代だったということなのである。そして本書は、〈「風流」から「かぶき」まで〉という、私の中世像に忠実に構成されている。
 そして二つには、都市的な性格と風貌をもった人間群像が出現し、文化と風俗の主役を演じる時代だったということである。それは平安時代の「京童」に萌芽し、南北朝期の「ばさら大名」を経て、やがて「かぶき者」に屈折していく異端者の系譜をなすとともに、室町時代の「町衆」から近世の「町人」、近代の「市民」に至る都市民の系譜をつくり出すものでもあった。
 もっとも、私がこの本のなかで展開しようとしている中世像は、正直なところ、かなり我流というべきものであって、極端な偏向をきたしている。」
「私は、偏向を承知のうえで、中世という時代の魅力を、あえて、この角度から語ってみたいと思うのである。」



図版(および図表)47点。


守屋毅 日本中世への視座 01


目次:

序章 ふりゅう・ばさら・かぶき
  洛陽の田楽
  田楽の狂気
  乱世の予感
  風流と傾奇
  ばさら大名
  豊国の祭礼
第一章 都市の風景
 一 京童の風貌
  東人と京童
  京童の口遊
  印地の冠者
  世知の京童
 二 『方丈記』のなかの京都
  長明の時代
  大火
  遷都
  飢饉
  地震
 三 町と町家の形成
  「町家」の源流
  市町の構造
  色好・祭礼・聖
  平安京の「町」
  町小路と「町座」
  「町」の変遷
  街路の意味
  「町」の住民
  町衆の「町」
第二章 町衆の文化
 一 「町衆文化」論
  中世文化と都市
  都市文化のにない手としての「町衆」
  「マチシュウ」か「チョウシュウ」か
 二 「市中の山居」とその周辺
  町衆と「わび茶」
  「雑談」の場
  村田珠光
  「下京茶湯」と「市中の隠」
  武野紹鷗
  「市中の山居」と「堺普請」
  「有徳者」の文化
  「わび茶」その後
 三 町衆と能と謡
  勧進興行
  大和猿楽と町衆手猿楽
  町衆手猿楽と謡の流行
  光悦謡本
第三章 室町生活誌
 一 乱世の群像
  百姓
  女
  遊女
 二 生活の意匠
  花
  扇
  唐物
  紙
  筆
  表具
  畳
  釜
  盆踊り
  油
 三 食事の源流
  庖丁
  酒
  茶
  そうめん
  豆腐
  味噌・醤油
  納豆
  かまぼこ
 四 物と情報の流通
  行商
  道
  車
  船
  貨幣
  金・銀
  カルタ
  地図
 五 武の造型
  刀
  鉄砲
  城
第四章 芸能史――京都と地方
 一 鷺舞と小京都
  津和野の鷺舞
  祇園会の笠鷺鉾
  山口の鷺舞
  鷺舞のたどった道
 二 村里の風流
  政基下向
  日根野庄の一年
  風流と猿楽
  雨乞いと宮座の伝承
  翁そのほか
  地方芸能史の試み
 三 広場の芸能史
  四季と風俗画
  賀茂の競馬
  祇園御霊会
  盆の夜の風流踊
  風流の旋風
  踊る民衆
  華麗なる建設
  普請と風流
  豊国の祭り
  「かぶき」
  六条三筋町
第五章 中世の終焉
 一 天下人と京都
  二つの「天下」
  洛中洛外図屏風を欠く時代
  信長と町衆
  上京焼打
  幻の安土屏風
  聚楽第と方広寺
  秀吉の京都改造
  その後の京都
 二 秀吉と町衆と芸能
  黄金の茶室
  城中の山里
  町衆の文化
  太閤と能楽
  太閤の笑顔
終章 異端としての天下人
  「うつけ」「たわけ」の正体
  描かれた武将たち
  安土城の威容と異様
  異端者の南蛮好み
  お馬揃えの風流
  天下人より「かぶき者」へ
  描かれた「かぶき」

解題
あとがき



守屋毅 日本中世への視座 02



◆本書より◆


「異端としての天下人」より:

「時は天文二十年(一五五一)春であった。所は織田家菩提寺尾張万松寺。折りしも亡き織田信秀葬儀の場での出来事である。
  其時、信長公御仕立、長柄の大刀・脇差を三五縄にて巻かせられ、髪は茶筅にて巻立て、袴も召し候はず、仏前へ出有て、抹香をくハつと御つかみ候て、仏前へ投げ懸け、御帰る。
 『信長公記』の伝える信長の、その場における形振りのあらましである。『公記』はつづけて、
  御舎弟勘十郎ハ、折目高なる肩衣、袴召し候て、有るべき如くの御沙汰也。
 と尋常にふるまった弟信行の様子を対比し、信長の奇行をいっそう強調する文飾を忘れていないし、さらにはまた、席に居並ぶ面々が、
  例の大うつけよ
 ととりどりの評判をするなかに唯一人、筑紫の客僧だけが、
  あれこそ国は持つ人よ
 とつぶやいた。――といったと、もっともらしいエピソードを挿入して、話の首尾をととのえている。
 信長にして十八歳の春であった。
 当面の話題の中心は、凡人の眼には必ずや「うつけ」としか映らなかったにちがいない、信長の、その「うつけ」の意味にある。
 信秀の葬儀における信長の奇行は、周囲の警戒心をかわすための演出であったとか、あるいは亡父への精一杯の愛情の吐露であったとかいわれる。それも、たしかにあるであろう。しかし、果たしてそれだけが真相であったのか。
 信長のこのような出で立ちは、実は、このときに限ったことではなかったのである。ふだんから信長は髪を茶筅に結って湯かたびらの片肌脱ぎ、半袴に朱鞘の大小を差し、町を歩く時には人に寄りかかって肩にぶらさがり、あまつさえ、歩きながら食べ物をほおばる有様であった。異形の振る舞いといわねばなるまい。」
「すでに先学の指摘もあるが、もしこれらの奇行が策略ゆえの偽装であったとすれば、すでにそれを必要とせぬ時期に至った信長が「天人の御仕立に御成候て、小鼓遊し、女おどりを被成候」といった行為は、どう説明すればよいのであろうか。
 つまるところ、信長の、少なくとも若き日の信長の実像は、掛け値なしの「うつけ」「たわけ」そのものであったにちがいないというのが、私見なのである。むろん「うつけ」とか「たわけ」とかいうのは、ある偏見にもとづく表現であって、今日風に表わせば「異端」とでもいうべきであろう。
 すでに史料を引いて示した風体はまさしく傍若無人の無頼漢にふさわしい。」
「そして一挙に飛躍して申すなら、その「うつけ」「たわけ」こそが、信長をして天下人の覇道を進ましめた原動力の、少なくとも一つにほかならなかった。」
「時代は人を人とも思わぬ無頼によって、切り開かれようとしていた。無頼はさっそうと戦国の野を駆けていた。」
「しかして、その「うつけ」「たわけ」が、やがて天下人としての権力によろわれた時、都の常識人の目には王法・仏法に刃向かうとしか思えぬ数々の蛮行が、彼の政治史に刻まれて、その先に本能寺の変を自ら招きよせる結果となるのである。
 もっとも、ここでは政治史上の信長を扱おうというのではない。風俗史上の人物としての信長を考えてみたいのである。」
「ふたたび飛躍して勝手な推測を働かせば、いわゆる無頼の風体こそは、下剋上の世相の生み出した新しいトップ・モードだったといえなくもない。下剋上という歴史の動向は、権力争奪の局面に矮小化すべきではなく、文化や風俗のあらゆる分野においても著しい現象だったことに、あらためて注意を促しておこう。
 信長の異形も、そうした流れのなかで、はじめて正当な位置を与えられるものと思うからである。」

「信長が陳腐な旧風俗に対して示したあからさまな侮蔑の表情は、いくつもの挿話にうかがえる。おそらく、有職故実にしか依るべき価値をもたぬ人びとには、「うつけ」「たわけ」としか見えぬ、彼の生涯を貫いた奇行こそ、信長の天下人としてのアイデンティティーなのであった。」

「これまで、信長について多くを語りすぎたようである。そして異端を信長個人についてのみ強調しすぎたように思う。
 信長における異端は、彼にとっていささか激烈に過ぎたとはいえ、大なり小なり、下剋上の世をたくましく生きようとしたものに共通の、そして不可避の行動様式だったのであり、信長は偶々、その頂上をきわめたにすぎないともいえようか。
 それにしても、ものの本に記されることなく、しかし、したたかに下剋上を実践した多くの異端の栄光の存在を、われわれは記憶にとどめておかなくてはならないであろう。」





こちらもご参照ください:

守屋毅 『中世芸能の幻像』












































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本