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網野善彦 『東と西の語る日本の歴史』 (講談社学術文庫)

「とすれば、さきの通説のような水田中心史観にそのまま従っていることは、おのずから支配者中心の史観に導かれざるをえないであろうし、さらに畿内(きない)中心史観に陥る危険をもつといわなくてはならない。」
(網野善彦 『東と西の語る日本の歴史』 より)


網野善彦 
『東と西の語る
日本の歴史』
 
講談社学術文庫 1343 

講談社
1998年9月10日 第1刷発行
340p
文庫判 並装 カバー
定価960円(税別)
カバーデザイン: 蟹江征治
後三年合戦絵詞(東京国立博物館蔵)



「学術文庫版まえがき」より:

「「そしえて」から本書を刊行して以来、すでに十五年以上の年月が経過しようとしている。」
「この機会に、かなり前から御指摘をうけていた明白な誤り(中略)については訂正し、文章の不自然なところや文字の誤りなどを直したほか、この文庫の編集慣習に従って、漢字を仮名に改め、(中略)多くのルビを付するなどの手を加えたが、基本的な叙述、論旨については全く変更していない。」



本文中「図」29点、「表」5点。
本書はまだよんでいなかったので日本の古本屋サイトで注文しておいたのが届いたのでよんでみました。400円(4,000円以上購入で送料無料)でした。


網野善彦 東と西の語る日本の歴史


カバー裏文:

「日本人は同じ言語・人種からなるという単一民族説にとらわれすぎていないか。本書は、日本列島の東と西に生きた人々の生活や文化に見られる差異が歴史にどんな作用を及ぼしてきたかを考察し、考古学をはじめ社会・民俗・文化人類等の諸学に拠りながら、通説化した日本史像を根本から見直した野心的な論考である。魅力的な中世像を提示して日本の歴史学界に新風を吹き込んだ網野史学の代表作の一つ。」


目次:

学術文庫版まえがき
一 はじめに
 くらしのなかの東と西
 単一民族説への疑問
 ゆがめられた日本史像
 地域への視点
二 「ことば」と民俗―東と西の社会の相違―
 二大方言の対立
 人口の移動
 習俗の相違
 イエとムラ
三 考古学からみた東と西
 石器の語る東と西
 縄文(じょうもん)の地域差
 弥生(やよい)の東進と縄文の抵抗
 古墳の拡大
四 古代の東国と西国(さいごく)
 大和と西日本
 大和と東国―統合と自立―
 「通説」への疑問
 古代東国の役割
 西の海と船、東の弓と馬
 東国と東北の「蝦夷(えみし)」
五 「僦馬(しゅうば)の党」と「海賊」
 「海賊的武者」と西日本
 「弓射騎兵型武者」と東日本
 東国の製鉄
六 東の将門(まさかど)、西の純友(すみとも)
 「東国の乱」
 西国の海賊
 「本天皇」と新皇将門・海賊純友
 東国人の二つの道―自立への志向―
七 源氏と平氏――東北・東国戦争と西海の制覇――
 「鼓を打ち、金を叩いて」
 「亡弊の国」―東国の叛乱―
 東北の国家―東北人の二つの道―
 東北・東国戦争―東の源氏と東北の藤原氏―
 「海賊的武者」の主―西の平氏―
八 東国国家と西国国家
 平氏と西国国家への道
 西国国家の基盤―海の道―
 海民の世界
 西国国家の海洋的性格
 源氏と東国自立路線
 西国国家機構創出の試み
 義仲と「北国政権」
 東国国家の「日本国」支配
九 荘園(しょうえん)・公領(こうりょう)の東と西
 「おやもうたれよ子もうたれよ」
 荘園・公領の単位と規模
 年貢(ねんぐ)―東の絹布、西の米―
 東の畠作、西の水田
十 イエ的社会とムラ的社会
 東の豪族的武士と西の中小武士
 人間・社会の関係―タテの論理とヨコの論理―
 西の「職能国家」と東の「主従制的国家」
十一 系図にみる東西
 女系系図の世界
 男系系図の世界
 東西、婚姻のかたち―結合と拒否―
十二 東は東、西は西
 東国自立への模索
 東国の勝利と御成敗式目(ごせいばいしきもく)
 二つの国家、二つの都
 モンゴル襲来と東西関係
十三 東と西を結ぶもの
 東と西の交流
 海の道
 陸の道と山の道
 東国武士の西国移住
 諸地域の対立と連合―東国・九州と西国・東北―
 東アジアのなかで
十四 東国と九州、西国と東北
 飛礫(つぶて)と騎馬武者
 東国・尊氏(たかうじ)・九州―西国・後醍醐・東北
 直義と尊氏。師直(もろなお)の対立
 諸地域の出現―中国と四国―
 山の民、海の民
 日本海沿海地域と「倭寇(わこう)」
 東西の結びつきと対立
十五 東の文化と西の文化
 東国国家と日光
 元号(げんごう)と叙位任官
 祭祀・年中行事の体系
 花押(かおう)の東西
 「関東八州国家」と後北条氏
 印判と書状の様式
 東西の里制
 東西、都市の形成―渡・津・泊・市・宿―
 「職人」と地域の意識―東の馬・西の船―
 天皇と頼朝―「由緒」と特権―

 九州の「職人」と頼朝
 西国と朝鮮半島
 東国・西国戦争―関ヶ原から「鎖国(さこく)」へ―
 江戸時代の東と西
 日本史学の二潮流
 現代の東と西―新たな日本人像を求めて―
あとがき(原本)
解説 (山折哲雄)
索引




◆本書より◆


「三 考古学からみた東と西」より:

「日本の文化が縄文(じょうもん)時代からはじまるなどといわれていたのは、もう昔話で、いまでは大陸の一部であった日本列島上で人類の活動がみられはじめるのは、少なくとも三万年よりもはるかに以前の前期旧石器時代からはじまっていたことが確実といわれるほどになっている。芹沢長介(せりざわちょうすけ)氏はそれから一万三千年前ごろまでを後期旧石器時代と規定しているが、東日本と西日本の違いはすでに、二万―一万五千年前のころから明らかになっているというのである。」

「こうした考古学や民族学・民俗学、さらに農学・生態学などの研究をふまえて、佐々木高明(ささきこうめい)氏は、自然の豊かな東日本では、定着的な「成熟せる採集・漁撈(ぎょろう)民社会」が発展したのに対し、資源の貧困な西日本には、縄文後期・晩期になると、雑穀(ざっこく)・イモ類を主作物とする焼畑農耕(やきはたのうこう)を中心に、採集・狩猟活動によってその経済を補う、いわゆる「初期的農耕社会」が、照葉樹林帯を中心に成立したと考えている(中略)。」
「縄文時代に入ると、さきの旧石器時代の東日本と西日本の違いはさらに深化し、鮮明の度を加えただけでなく、そこに一種の「先進地域」と「後進地域」ともいうべき地域差の関係――その場合、東日本が明らかに「先進地域」である――が見いだされるようになってきた点に、注目しておかなくてはならない。しかしよく知られているように、水稲耕作(すいとうこうさく)を基礎とし、鉄器(てっき)・青銅器(せいどうき)などの金属器製作とも結びついた弥生(やよい)文化が、縄文晩期の北九州に流入するに及んで、この状況は一転する。」
「そしてさきの「先進」と「後進」の関係は、ここにいたって完全に逆転し、それがその後の歴史をさまざまなところで規定していくことになるのである。」
「一方、すでに縄文晩期、一つの文化圏となりつつあった北海道は完全にこの文化の外にあって続縄文文化といわれる状況にとどまった。東北の北端部がその中に入るか否(いな)か、なお両説あるといわれているが、東日本の北部と南部―東北と東国の地域差も、ここに萌(きざ)しはじめる。そして沖縄には弥生文化との交流をもちつつ、すでに固有の「南島文化」が生まれており、日本列島の主要な諸地域は、ほぼこの時期に形を成(な)すにいたったのである。」



「六 東の将門、西の純友」より:

「この海賊が伊予(いよ)国日振(ひぶり)島を本拠とする、千余艘(そう)にもおよぶ大集団であったことは、承平(じょうへい)六年(九三六)にいたって明らかになってくる。もともと海賊追捕(ついぶ)の命をうけて伊予国警固使(けいごし)として現地に下(くだ)った伊予掾(いよのじょう)藤原純友(ふじわらのすみとも)は、このとき伊予守(いよのかみ)となった紀淑人(きのよしと)とともに懐柔(かいじゅう)政策をもってこれに対し、衣服を与え、種子を下して田地の耕作に当たらせ、海民の農民化をはかったので、多くの海賊はいったん帰伏(きふく)したといわれているが、それはまったく一時のことでしかなかった。なにより、警固使であった純友自身が、やがて海賊の首領(しゅりょう)として立ち現れるのである(中略)。」
「東国ではその前の年から平将門(たいらのまさかど)が一族との何回かの私戦を通じてその武威をふるっていた。よく知られているように、「侘人(わびにん)を済(すく)ひて気を述べ、便なき者を顧(かへり)みて力を託せり」――たより所のない人や世にいれられない人に力をかしてやるといわれた将門は、頼ってくるものをたすけつつ武蔵介源経基(むさしのすけみなもとのつねもと)を追い、天慶(てんぎょう)二年(九三九)十一月、常陸国府(ひたちこくふ)を襲って国守(こくしゅ)を追放、ついで下野・上野の国府を占拠し、従者たちの歓呼(かんこ)のなかで、新皇(しんのう)の地位についたのである。(中略)東国の新国家がこのときはじめて呱々(ここ)の声をあげたことは確実といわなくてはならない。」
「これよりさき、九〇七年、中国大陸では長年にわたって絶大な勢威をふるった唐(とう)帝国が滅び、五代十国の争乱期がはじまり、朝鮮半島でも新羅(しらぎ)が分裂、九一八年に王建が高麗(こうらい)を建国し、将門(まさかど)・純友(すみとも)の乱が最高潮を迎えようとしていた九三六年、新羅にかわって半島を統一した。
 東アジアの世界はここに大きな転換期を迎えたのであるが、この中国大陸、朝鮮半島、日本列島における動乱は、単に一般的な動揺というだけでなく、もっと深いところでの関連があり、おそらくはさきに新羅の海賊と瀬戸内の海賊についてみたような、多少とも具体的なつながりがその間にあったのではあるまいか。」
「たとえわずか三ヵ月の短期間であったとはいえ、畿内の天皇による統治が分断され、東国において自立した国家が誕生した意義は、はかりしれないものがあるといわなくてはならない。なによりも東国人にとってみれば、それははじめて畿内の統治からの自立を多少とも現実的な方向として模索するうえに、はっきりとした道をひらいたのである。
 もちろん、畿内の朝廷に結びつき、天皇、摂関(せっかん)家などに屈従しつつ、みすからの実力を現地で養う道―将門(まさかど)の国家を崩壊させた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)や平貞盛(たいらのさだもり)の選択した道のほうが、はるかに「現実的」であったことは間違いない。とはいえ、巨大な圧力に抗し、それ以外の自立の道を選んだ人が現にあり、小さくともその方向が、ごく一時的にせよ、はっきりとした実を結んだという事実が、そうした「現実的」な道を決定的に相対化させた点にこそ、ことの重要さがある。
 それゆえ、これ以後長く、東国人の進路の前には、つねにこの二つの道―西につながる路線と東国自立路線との岐路(きろ)があり、東国人の指導者、支配者たちは、しばしばそのいずれを選択するかに悩み、また相互に対立しなくてはならなかったのであるが、しかしそうした選択の余地をはっきりとつくり出したのが、この内乱であったことを知らなくてはならない。
 そして将門自身は、伝承の世界のなかで、東国人にとっての英雄となっていった。」



「八 東国国家と西国国家」より:

「西国―京都と東北とが、九州とつながる東国に対抗して結びつく。(中略)この形はこれ以後、中世の政治過程のなかで、しばしば現れる。」































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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