FC2ブログ

アンブローズ・ビアス 『生のさなかにも』 中村能三 訳 (創元推理文庫)

「一八六一年秋の、ある晴れた日の午後、西部ヴァージニアのとある道ばたのシャクナゲの茂みのなかに、一人の兵士が身をよこたえていた。爪先を立てて両足の踵(かかと)をあげ、左腕に頭をのせて、ながながと腹這(はらば)いになっていた。のばした右手にはライフル銃をゆるく握っている。(中略)帯革のうしろの弾薬盒(だんやくごう)がわずかに律動的に動いていなかったら、死んでいるのかと思われかねないところだった。その兵士は歩哨の部署についたまま眠ってしまったのである。」
(アンブローズ・ビアス 「空を飛ぶ騎手」 より)



アンブローズ・ビアス 
『生のさなかにも』 
中村能三 訳
 
創元推理文庫 545-1 

東京創元社
1987年12月11日 初版
346p
文庫判 並装 カバー
定価530円(本体515円)
カバーデザイン: 矢島高光
カバー絵: ブリューゲル「反逆天使の墜落」部分


「本書は一九七〇年十二月創土社から刊行されたものである。」



Ambrose Bierce: In the Midst of Life, 1891


ビアス 生のさなかにも


カバー裏文:

「砲声とどろく南北戦争の戦場、そこでは一兵卒から将軍にいたるまで、いつ襲ってくるとも知れない死と向かい合っていた。そして平生の市民生活を送っているときでも、人々は死神にもてあそばれているのだ。人生の辛辣な観察者であったアンブローズ・ビアスが、類まれな技巧をもって描き上げた生と死の悲喜劇26編を完全収録した傑作短編集の決定版。」


扉文:

「辛辣な筆致で数多くの作品を書いたビアスは、ポオに比肩すると評され、また日本への紹介者芥川龍之介からも賞賛されたが、最晩年には革命下のメキシコへ赴き、そのまま消息を絶つという、あたかも自らの作品を地でいくような謎の生涯を送った。本書は、南北戦争の戦火のなかという極限状態で人々をいとも容易にその顎(あぎと)に銜(くわ)える死や、平常時にあっても人々の暮らしのなかになに食わぬ顔をして陥穽をしつらえ、舌なめずりして待ち構えている死――それら死の種々相に翻弄される人間の悲喜劇を驚嘆すべき技巧で描き出したビアスの傑作短編集である。」


目次:

兵士の物語
 空を飛ぶ騎手
 アウル・クリーク橋の一事件
 チカモーガ
 神々の子=現在形による習作
 ある失踪兵士
 レサカでの戦死
 コウルター・ノッチの戦闘
 止めの一撃
 悟った男パーカー・アダスン
 前哨地点での出来事
 ある良心の物語
 将校の一タイプ
 将校一名、兵一名
 ジョージ・サーストン=ある男の生涯の三つの事件
 ものまね鳥
市民の物語
 鼻から出る男
 ブラウンヴィルの奇妙な事件
 その名も高きギルソンの遺産
 入院志望者
 死者に付添う番人
 男と蛇
 恐るべき女
 ふさわしい環境
 ふさがれた窓
 レッドホースの貴婦人
 豹の目

解説 (中村能三/1970年11月)
 付記 (中村凪子)
 収録作品原題




◆本書より◆


「アウル・クリーク橋の一事件」より:

「彼はもう肉体的感覚を完全にとりもどしていた。その感覚は、まったく異常なほど鋭く敏感だった。肉体組織にひどい違和が生じたとき、なにものかがその感覚を昂進させ精緻にしたので、以前には感じられなかったものまで記録した。顔をうつさざ波を感じ、それがぶつかる音を一つ一つ聞きわけた。河岸の森を見ると、一本一本の樹、その葉、一枚一枚の葉の葉脈が――そこにとまっている昆虫までが見えた。セミ、きらきら光るハエ類、小枝から小枝へと巣をはる灰色のクモにいたるまで。数知れぬ草の葉にやどる露の玉すべての、虹の七色も眼についた。流れの渦の上でおどるブヨの羽音、トンボが羽をふるわせる音、ボートを進めるオールに似たアメンボが脚で水をかく音――こうしたものすべてが耳で聞くことのできる楽の音であった。眼の下を魚が一匹すいと泳いでいったが、そのからだが水を分けて進む音が聞こえた。」

「そして、砂のなかに指をつっこみ、両手にいっぱい握り、それをからだじゅうに振りかけては、声をあげてその砂を祝福した。それはダイヤモンドにもルビーにもエメラルドにも見えた。これにくらべられるほど美しいものを思いつくことができなかった。岸の樹々は巨大な庭木だった。その並び方に一定の秩序があるのに気づき、その花の芳香を胸いっぱい吸いこんだ。ふしぎなバラ色の光が、樹の幹と幹のあいだの隙間から射し、枝のなかでは風が風奏琴をかなでた。彼は最後まで逃げきりたいとは思わなかった――ふたたび捕まるまで、この恍惚(こうこつ)境に満足してとどまっていたかった。
 頭上はるかに高い枝のあいだを、葡萄弾が唸りながら飛んでいく音に、彼は夢からさめた。(中略)彼は跳ねおきるなり、岸の斜面を駆けあがり、森のなかへ飛びこんだ。
 空をめぐる太陽の位置で方角をきめながら、その日一日じゅう歩いた。森は果てしなくつづくかと思われ、どこまで行っても切れ目がなく、樵夫(きこり)の通う路すら見つからなかった。これほど未開の土地に住んでいたとは、いままで知らなかった。そうだとわかると、なんとなく気味がわるくなった。
 日が暮れるころには、疲れはて、足は痛み、腹がへった。妻や子供のことを考えて、無理にも足を急がせた。やっとのことで、間違いないと思われる方向に通じる道が見つかった。それは都会の街のように広くてまっすぐだったが、それでいながら人の通った跡もないようだった。道に接する畑もなければ、どこにも家一軒なかった。犬の吠え声すら聞こえず、人が住んでいようとは思えなかった。樹々の黒い群れが、道の両側でまっすぐな壁をつくり、最後は遠近画法で習う作図のような、地平線の一点で終わっていた。樹々の壁のあいだのこの切れ目から見あげると、頭上には、見覚えのない大きな金色の星が輝き、見なれない星座となって集まっていた。それらの星は、秘かな、悪意ある意味をもった順序に配列されているのにちがいない、と彼は思った。両側の樹々は得体のしれない物音にみち、そのなかで――一度、二度、そして、またふたたび――未知の言葉でささやく声を、彼ははっきり聞いた。」



「チカモーガ」より:

「それは人間だった。四つん這いで進んでいるものもあった。足を引きずり手だけ使っているものもあった。腕は両脇にだらりとさげて、膝だけ使っているものもいた。立ちあがろうと努力するものもあったが、そうするうちに俯伏(うつぶ)せに倒れるものもあった。同じ方角に一歩一歩進んでいるだけで、みんなの行動は不自然で、みんなてんでばらばらのことをしていた。一人っきりで、あるいは二人一組になり、あるいは少人数の一団となって、薄闇のなかをやってきては、ほかのものがそばをゆっくりと這って通りすぎるあいだ、ときおり立ちどまっては、また動きだすものもあった。彼らは何十人何百人とやってきた。両側には、深まっていく宵闇のなかで、眼のとどくかぎり彼らはひろがり、その背後の黒い森は果てしないように見えた。大地そのものが小川に向かって動いているかと思われた。ときおり、足をとめて、それきり動かず、身動きもせず横たわるものもあった。頭を抱えこみ、ときどき公衆礼拝で見かけるように、手のひらを上にむけてひろげたりしているものもいた。
 こういうことを、すべて男の子は気をつけて見ていたわけではなかった。(中略)この連中は大人のくせに、赤ん坊みたいに這っているということしか、彼にはわからなかった。見なれない服装こそしていたが、人間だったので恐ろしくはなかった。男の子は彼らのあいだを自由に歩きまわり、つぎつぎと男たちのところに行き、子供らしい好奇心をもって、彼らの顔をのぞきこんでいた。彼らの顔はすべて妙に白く、多くのものは赤い血の條(すじ)や塊りがついていた。こうしたもののなにか――おそらくは、彼らの奇怪な態度と動きのなかのなにかによって――この夏、サーカスで見た、顔を塗りたくった道化師のことを思いだし、彼は彼らを見て笑った。しかし、こうして、傷つき血をしたたらせた男たちは、男の子の笑いと、彼ら自身の不気味な厳粛さとのあいだの劇的な対照に、男の子が無頓着なのと同様、自分たちも無頓着に、いつまでも這って進みつづけた。男の子にとって、それは楽しい光景であった。彼は父が所有している黒人たちが、彼を喜ばせるために四つん這いになって這って歩くのを見たことがあったし――彼らを自分の馬と「見なして」背中に乗ったことがあった。いま男の子は、こうして這っている人影の一つに背後から近づき、すばやい身のこなしで、その上に馬乗りにまたがった。男は胸が地面につくほどぺしゃんこになったが、またもとの姿勢にもどると、まるで、まだ馴らされていない仔馬ならやりそうなふうに、はげしく男の子を地面に振り落とし、それから、男の子に下顎(したあご)のなくなった顔を向けた――上の歯から喉にかけて、肉のきれはしと骨の片(かけら)がぶらさがって縁どりされている、大きな、赤い穴があいていた。鼻が不自然なほど突きだし、顎がなく、眼は猛々しく、こういうもののために、見たところ、この男は、獲物の血で喉も胸も朱にそまった肉食類の大きな鳥のようであった。男は膝で立ち、男の子は足で立った。男は子供にむかって拳を振りあげた。とうとう恐ろしくなった子供は、近くの一本の木へ駆けて行き、その木の向こう側にまわり、もっと本気になって状況をうかがった。こうして、ぶざまな大集団は、鳥肌たつような無言劇を演じながら、ゆっくりと、苦しげにからだを引きずっていった――動いていく物音一つたてず、大きな黒いカブトムシの群れのように前進していった――深い、完全な静寂のうちに。」



「ものまね鳥」より:

「そう思いながら、兵卒グレイロックはついに午後のものうい気分に負け、かぐわしい茂みのなかから聞こえてくる、静かで単調な虫の音に睡気を誘われて、合衆国の利益のことなどとんと念頭になく、ついに居眠りをして捕虜になる危険に身をさらしてしまった。そして、眠っているあいだに彼は夢を見た。
 夢のなかの彼は少年の昔にかえって、大河の岸の遠く美しい土地に住んでいた。その川面を、大きな蒸気船が渦を巻いて立ちのぼる黒煙をなびかせながら威風堂々とのぼりくだりし、その煙が目印となって、船が川の曲がり角をまわって姿を現わす何マイルも先から、その動きが手にとるようにわかるのだった。船を見守る彼のそばには、常に彼が精魂こめて愛した相手――双生児の兄弟の姿が見られた。彼らはともに川岸を散歩し、ともにその流域に広がる野原を探検し、小高い丘の上で舌にぴりっとくる薄荷(はっか)を摘んだり、芳香をはなつ楠の枝を集めたりした。その丘の向こうには「推測の国」がよこたわり、そこから南を向いて大河の向こう岸を見はるかすと、「魅惑の国」がかすかに望まれるのだった。夫に先立たれた母親の二人っきりの子供であるこの双生児の少年たちは、手に手をとり、心と心を触れあいながら、平穏の谷間を通って光の小径を歩み、新しい太陽の下でさまざまの新しい物を見た。これらの黄金の日々を通じて、休みなしに聞こえてくる一つの音があった――彼らの住む田舎家のドアのそばにさげられた鳥籠のなかの、豊かで胸の躍るようなものまね鳥の鳴き声である。それは祝福の妙音のように、夢を見ていた精神の休息時間を隅々までみたしていた。その陽気な鳥はいつでも歌っていた。その無限の変化に富んだ音色は、とくとくと湧きでる泉の水のように、心臓が鼓動のたびに泡立つ小川となって、苦もなく喉から流れだすように思えた。その生き生きとした澄んだメロディは、まさに夢のなかの光景の精髄であり、生命と愛の神秘の意味および感覚への通訳であった。
 しかし、夢のような日々が涙の雨のなかで悲しみに曇るときがやってきた。優しかった母親が死に、大河のほとりにある牧場のそばの一家は崩壊し、兄弟は別れ別れに親戚に引きとられていった。ウィリアム(夢を見ている男)のほうは「推測の国」のにぎやかな都市に住むようになり、川を越えて「魅惑の国」へ渡ったジョンは、人々が奇妙な意地の悪い生活を送っていると噂される辺鄙(へんぴ)な土地へ連れてゆかれた。死んだ母親の財産分けにあたっては、二人がいちばん大切にしていたもの――ものまね鳥がジョンに与えられた。(中略)鳥は見知らぬ土地へ連れてゆかれ、ウィリアムの世界はものまね鳥のその後の運命についてなにも知ることはなかった。しかしながら、その後の彼の孤独を通じて、その歌声は夢をいっぱいにみたし、いつも彼の耳と心に響いているように思えた。」

「太陽は赤く染まって西に傾いていた。真横からさしこむ光が、大きな松の幹一本一本から、金色の靄をつらぬいて東のほうへ黒い影の壁を突きださせていたが、やがて、その光と影も渾然と青色にとけあって、見分けがつかなくなっていた。
 兵卒グレイロックは立ちあがって注意深くあたりを見まわし、銃を肩にかついで野営地のほうに帰りかけた。およそ半マイルほど進んで、月桂樹の茂みにさしかかったとき、その中央から一羽の鳥が飛び立って上方の木の枝にとまると、喜びにみちみちた胸から、生きとし生ける神の創造物のなかで、ただそれだけが造物主を称えて歌うことのできる、尽きることのない歌声の洪水を注ぎかけた。それはべつになんということはなかった――ただくちばしを開いて息をするだけのことだった。だが男は雷に打たれたように立ちどまった――立ちどまって思わず手に持った銃をとり落とし、その鳥を見あげて両手で目をおおい、子供のように泣きだした! そのときの彼は、事実気持のうえでも思い出のなかでも完全に子供にもどって、ふたたび「魅惑の国」を望む大河のほとりに住んでいたのだ! やがて意志の力でその思いを断ち切ると、武器をひろいあげて、ばかなやつと声に出して自分を叱りつけながら、ふたたび歩きだした。その小さな茂みの奥まで見とおせる切れ目の前を通るとき、そのなかをのぞいてみた。すると、地上にあおむけになり、両手をひろげ、鼠色の軍服の胸をぽつんと一ヵ所血に染め、血の気の失せた顔を激しくのけぞらせて彼とそっくり同じ人間が倒れているのだ!――銃弾で傷を負って死んだ、まだぬくもりの残っているジョン・グレイロックの死体だった! 彼はついにさがし物を見つけたのだ。
 不幸な兵士が、この内戦が生んだ傑作のかたわらにひざまずいたとき、頭上の枝で鳴いていた鳥がぴたりと歌うのをやめて、輝くばかりの夕焼けの赤に染まりながら、厳粛な森の空間を音もなく飛び去った。」





こちらもご参照ください:

ふくろうの河 (ウィキペディア)
手塚治虫 「生けにえ」 (手塚治虫のすべて)

A・ビアス 『死の診断 ― ビアス怪奇短篇集』 高畠文夫 訳 (角川文庫)
































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本