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早川孝太郎 『猪・鹿・狸』 (角川ソフィア文庫)

「鶏卵大のやや淡紅色を帯びた玉で、肌のいかにも滑らかなそれは紛れもない鹿の玉であった。」
「土地の言い伝えによると、たくさんの鹿が群れ集まって、その玉を角に戴き、角から角に渡しかけて興ずる事がある。これを鹿の玉遊びと謂うて、鹿としては無上の豊楽であると謂う。」

(早川孝太郎 『猪・鹿・狸』 より)


早川孝太郎 
『猪・鹿・狸』
 
角川ソフィア文庫 J-121-2/角川文庫 20662

KADOKAWA
昭和30年5月30日 初版発行
平成29年11月25日 改版初版発行
平成30年1月20日 改版再版発行
254p 編集部付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,000円(税別)
カバーデザイン: 大武尚貴
カバーイラスト: 田尻真弓


「本書は、一九五五年に角川文庫として刊行されました。
旧仮名遣いを現代仮名遣いに改め、一部の漢字はひらがなに直し、新たにルビを付しました。」



著者による挿絵7点。


早川孝太郎 猪鹿狸 01


カバー裏文:

「九十貫を超える巨猪を撃った狩人の話。仕留めた親鹿をかつぐ後から子鹿がついてきた話。村で起きる怪しい出来事はいつも狸の仕業とされた話……。奥三河・横山で見聞、古老から聴き溜めた猪・鹿・狸の逸話が縦横に語られる。芥川龍之介・島崎藤村も絶賛っした文学性の高い文章は、伝説や昔話も織り交ぜて独自の伝承世界を形づくっている。暮らしの表情を鮮やかにすくい取る感性と直観力から生まれた、民俗学の古典的名著。」


目次:

凡例、その他
改訂版の序


 一 狩人を尋ねて
 二 子猪を負うた狩人
 三 猪の禍
 四 猪垣の事
 五 猪の案山子
 六 猪と文化
 七 猪除けのお守り
 八 空想の猪
 九 猪の跡
 一〇 猪に遇った話
 一一 猪狩りの笑話
 一二 昔の狩人
 一三 山の神と狩人
 一四 猪買いと狩人
 一五 猪の胆
 一六 手負い猪に追われて
 一七 代々の猪撃ち
 一八 不思議な狩人
 一九 巨猪の話

鹿
 一 淵に逃げこんだ鹿
 二 鹿の跡を尋ねて
 三 引鹿の群
 四 鹿の角の話
 五 鹿皮の裁付
 六 鹿の毛祀り
 七 山の不思議
 八 鹿に見えた砥石
 九 鹿撃つ狩人
 一〇 十二歳の初狩り
 一一 一つ家の末路
 一二 鹿の玉
 一三 浄瑠璃姫と鹿
 一四 親鹿の瞳
 一五 鹿の胎児
 一六 鹿捕る罠
 一七 大蛇と鹿
 一八 木地屋と鹿の頭
 一九 鹿の大群


 一 狸の怪
 二 狸の死真似
 三 狸の穴
 四 虎挟みと狸
 五 狸を拾った話
 六 砂を振りかける
 七 狸と物識り
 八 狸の火
 九 呼ばる狸
 一〇 真っ黒い提灯
 一一 鍬に化けた狸
 一二 狸か川獺か
 一三 娘に化けた狸
 一四 狸の怪と若者
 一五 塔婆に生首
 一六 緋の衣を纏った狸
 一七 狸依せの話
 一八 狸の印籠
 一九 古茶釜の話
 二〇 旧い家と昔話
 二一 狸の最後

終わりに
鳥の話 附録

猪・鹿・狸 (芥川龍之介)
解説 (鈴木棠三)
解説――新装にあたって (常光徹)



早川孝太郎 猪鹿狸 02



◆本書より◆


「改訂版の序」より:

「狩りの作法の一つとして豊後大野郡の狩人社会では、獲物があるとまず臓腑(ぞうふ)を割(さ)いてその心臓を取り出し、かねて用意の白紙の中央に、その心臓すなわちかれ等のいわゆるこうざきをもって、紅(あか)くまんまるく染める。出来上がった物は日本ではどこでも見る例の日の御旗であった。これを串(くし)に付けて地に挿し祀(まつ)る。そうしてこのこうざきで染めた旗の翻る所がやがて神の所在で、見方によると一つの塚処(つかどころ)でもあった。(中略)あるいは十二の染木(そめき)(十二クシ)などと称して、獲物の血をもって串を染め、これを神の標として祀ることを、土佐の本川(ほんがわ)村(土佐郡)の狩人たちは行っていた。」


「猪」より:

「山の姿が以前と較べてひどく変わった事は、私などの記憶を辿ってみても、著しいものがあった。わが家の裏手の杉木立へ入れば、一丈もある歯朶(しだ)の茂みが続いて、筧(かけい)の径に覆いかかった奇怪な恰好の杉の古木(じゃんか)には、毎年木鼠が巣喰ったのでも想像される。前の畑の畔(くろ)には、夕方になると畑中を一面に影にするような榎(えのき)の大木がそそり立っていた。屋敷内にあった榧(かや)の大木の根際は、近づく事もできないほど、蔓草類が絡み合っていた。そうしてその榧の枝が、表の庭にまで覆いかかった所は、その木一本でも充分山村の風趣があった。これ等は私の家だけの事であるが、村全体を見渡しても、ほんとに山を分けてわずかに家が在った感が深かったのである。」

「撃ち取った猪は、その場で臓腑を抜く事もやったが、多くは池や沢のほとりへ舁ぎ出したのである。今でもはっきり目に残っているが、日の暮れ方にがやがや話し声を前触れにして、泥まみれになった狩人達が、屋敷の奥の窪から出てきた事がある。(中略)その中に肢をしっかり棒に結え着けられて、逆さに吊るされた猪が、二人の狩人に舁がれていた。傍を犬たちが元気よく走ってゆく。一匹の赤毛の犬は、牙に掛けられたのか横腹が破れて腸が少しくはみ出していた。」
「猪の臓腑を抜いて、猪買いの来るまで川水に浸(つ)けておく場所があった。そこを猪漬(ししう)てと謂うた。」
「次の話はもう五十年も前であるが、暮れ方を多勢の狩人が集まって臓腑を抜いていると、犬たちが向こう岸から、頻りに鼻を鳴らしていた。それを見た狩人の一人がホラと言うて臓腑の一片をそこに投げてやった。と、その瞬間であった。いつどこから来ていたのか、傍の柿の枝から鷹が翔い下って、アッという間に宙に攫(さら)っていった。(中略)こうした光景なども、獣がいなくなった今日では、もう想像も能(あた)わぬことである。
 その頃は冬になると、いつ行っても、猪の二つ三つは漬けてあった。」
「その頃は、捕った猪はそのまま売ってしまって、肉を食ったり切り売りにするような事はない。そうして獲物のあった夜は、山の神祭りをやるが、これを日待(ひまち)といって、臓腑を煮て喰ったのである。肉を喰う時には、信州(しんしゅう)の諏訪(すわ)神社から迎えてきた箸を使う。諏訪神社の箸を使えば穢(けが)れがないと謂うのである。」
「猪の臓腑を抜く時、第一に目指すのは、その胆(い)であった。猪(しし)の胆(い)というて、万病に霊験ありと信じられた。村でも物持ちと言われるほどの家には必ず購(か)って貯(たくわ)えてあった。また狩人自身も貯えていた。糸で結えて陰乾(かげぼ)しにしておいて、必要に応じて小刻みに刻んで用いたのである。しかし多くは肉と一緒に、猪買いの手に購(あがな)われていった。それで時とすると肉全部よりも一個の胆の方が高く売れたそうである。」



「鹿」より:

「ある時麓(ふもと)に住む狩人の一人が、鹿を追うて山中にわけ入って、鹿はついに見失ったが、別に谷を隔てて一頭の大鹿の眠っている姿を見た。
 直に矢を番(つが)えて放したがさらに手応えはない。幾度くり返しても変わりがないので、不審に思って近づいてみると、実は鹿と見たのは巨きな一塊の砥石(といし)であった。それを見てたちまち神意を感じ、神として祀ったのが砥鹿(とが)明神であるという。」

「鶏卵大のやや淡紅色を帯びた玉で、肌のいかにも滑らかなそれは紛れもない鹿の玉であった。」
「かようの物が、いかにして鹿の体内に生じたかは別問題として、土地の言い伝えによると、たくさんの鹿が群れ集まって、その玉を角に戴き、角から角に渡しかけて興ずる事がある。これを鹿の玉遊びと謂うて、鹿としては無上の豊楽であると謂う。」

「開創の始めから、鹿とは格別に因縁の深い鳳来寺であったが、世が明治に改まったのを機会に、もう何もかも忘れて、鹿を弄(なぶ)り殺しにした話がある。
 前にも言うた岩本院の、本堂の西方寄り、俗に大難所と呼ぶ高い岸壁を背にして、白木造りの立派な建物であった。いつの頃からか、その岸壁の上を、毎朝きまって通る五、六匹の引鹿(ひきじか)があった。(中略)寺男はある日麓の門谷に下って、無法者の若者達を語らって生け捕りの相談を決めた。まず青竹を籠目(かごめ)に組んで、鹿が踏み込んだら動きの取れぬような罠(わな)を拵えたのである。そうしてこれを鹿の通る路(みち)に掛けておいた。翌朝行ってみるとはたして十四、五貫もあろう雄鹿が一頭掛かっていた。それを多勢して寄って集って頸から肢にめちゃくちゃに縄を掛け、口には馬にするような轡(くつわ)を嵌(は)めてしまった。二人の男が鼻綱(はづな)を把(と)って、多勢の若者が後から鹿の尻を打ち打ち、九百幾段に及ぶ御坂を引き下して門谷の町へ牽(ひ)き出してきた。軒ごとにその鹿を見せびらかしながら、正月初駒を曳(ひ)くような気分で、町を引っ張り廻した。鹿はいかにも観念したように、もはや抵抗もしなかったそうである。町の有力者の庄田某が、さすがに見かねて、その鹿は助けてやってくれと、いくばくの金包みを若者達に取らせたという。しかし若者達は、その場だけを承知して、やがて村はずれから再び山の中へ引き込んで、そこで殺して煮て喰ってしまったとは酷(ひど)い話である。これを聞いた者はよくよく鳳来寺も没落の時節が来たとひそかに語り合った。」

「鹿の胎児(はらご)をサゴともまた胎籠(はらごも)りとも謂うて、その黒焼きは産後の肥立ちの悪い者などに、この上の妙薬はないと言われた。」
「明治初年頃、普通の鹿一頭が五十銭か七十銭の時代に、サゴ一頭が七十五銭から一円にも売れたというから、狩人は何を捨てても孕み鹿に目をつけたのである。」
「胎児(さご)は旧暦の春三月、親鹿が肢に脛巾(はばき)を穿いた季節が最も効験があると謂う。脛巾を穿くとは畢竟(ひっきょう)鹿の毛替わりを形容した言葉であった。(中略)毛替わりは肢の蹄(ひづめ)の付け根から始まって、だんだん上へ及ぼすので、あたかも膝まで替わった時が、言わば脛巾を穿いた期であった。この時期に遠くから望むと、いかにも柿色の脛巾を着けたように見える。月で言うと、その時サゴは五月目であった。鼠よりも心持ち大きかったが、肌にははや美しい鹿(か)の子(こ)の斑が表れている。」
「晩春花が散り尽くした頃は、サゴははや猫ほどに成長して、もう誕生に間もなかった。そうなると効験が薄いとされて高価には売れなかった。そこで猜(ずる)い狩人などは、今一度皮を剝(は)いで形を小さくした、真っ赤な肉の塊のような物を、さすがに気が咎(とが)めるか、遠い見知らぬ土地へ持ち出して売ったのである。
 鹿の肉も薬だと言うたが、角(つの)も熱さましになるとて、小刀などで少しずつ削って持薬に用いる者もあった。」

「その朝に限って脚下の窪の底一帯に深く霧が立ち罩(こ)めていた。某は仲間の者とは一人離れて立って、窪を埋めた霧を茫乎(ぼうこ)と見ていた。ぼんやり見ている間にその霧がモコモコと湧き上がるように上へ上へと拡がってくる。そうして雲のように近づく霧の色がだんだん淡紅色に変わってきたように思われた。(中略)見ると今まで霧とばかり思いこんでいたのが、それは何千何百と数限りない鹿の群である。次から次へ湧いてでもくるように、先登から脇の峰へ向けて、風のように一斉に走っている。その時は他の仲間の者もみんな気がついていたが、誰一人声を立てる者もなかった。じっと突っ立ったまま、それ等の鹿がことごとく通り過ぎるまで、立ちすくんだように見とれていた。」



「狸」より:

「正月薪伐(もやぎ)りなどに行って、山の上で一人働いていると、どこともなくホイと呼ぶ声がするそうである。雨にでもなりそうな、とろんとした温かい日などに多かった。また女が一人でいたりすると、きまって呼ぶと云う。
 ホオイと、気のせいか、出ない声を無理に絞(しぼ)り出しているようにも聞こえる。こちらが鉈(なた)でタンタンと木を伐ると、向こうも同じような音をさせる。ザーッと木を倒すとやはりさせる。明るい陽がかんかん照っている時刻だという。誰だと呼んでも返事はなくて、暫くするとまたホイと呼ぶ。果ては気味が悪くなって帰ってきたなどと言った。」

「ある男が日暮れ方に通りかかると、道の脇の石に腰をかけている人があった。傍へ寄ってみたら、それが男だか女だか、また前向きだか後ろ向きだかさっぱり判らなかったなどと言うた。
 何もここに限ったわけではないが、真夜中などよりかえって日暮れ方の方が気味が悪いという。ぼんやり人顔の見える時刻に、とかく不思議な事が多かったらしい。」

「村を出離れて、長篠へ越す途中の馬崩(まくずれ)の森は、田圃を三、四町過ぎた所に、一叢(ひとむら)大木が繁っていて、日中でも薄気味の悪い所だった。ここからずっと長篠の入口まで山続きになるのである。(中略)私などのここを通った経験でもそうであるが、暮方などまだ明るい田圃道から、暗い森の中へ足を運んでいくと、地の底へでも入るようで自ずと心持ちが滅入ってきた。また反対に暗い森の中から、田圃道へ出るとほっとするが、それだけになんだか後ろから引っ張られでもするような不気味を感じたものである。」

「狸が人を取り喰らった話の一方には、女を誘拐して女房にしていた話もある。宝飯(ほい)郡八幡(やわた)村千両(ちぎり)の出来事であった。娘が家出して行方が知れなくて、方々捜していると近所の病人に狸が憑(つ)いて、俺が連れていって女房にしていると言う、場所はこれこれと、村の西北に聳えている本宮山の裏山に在る事を漏らしたので、人を雇って山探しをすると、はたしてひどく嶮(けわ)しい岩の陰にいた。そこは雨風など自然に防ぐように出来ている場所であった。後になって様子を問い訊(ただ)すと、狸か何か知らぬが、山の木の実や果物の類を、時折運んできて食わしてくれたと語ったそうである。その娘は平生から、少し足りぬような様子があったと謂う。」



「終わりに」より:

「えてして冬にありがちな天候であった。夏分にある油日(あぶらび)というのとも異(ちが)って、どんより落ちついて晴れとも曇りとも、境目の判らぬような空合(そらあ)いである。こうした日に限って、ものの隈(くま)がくっきりと浮いて、遠くの山の木の葉も、一枚一枚算(かぞ)えられる。大小さまざまの恰好(かっこう)をした山に囲まれた村の中は、まるで水の底のような静かさを保って、次の瞬間に迫るであろう何事かを待ち受けてでもいるようである。こうした折であった。体中の血も暫(しばら)く流れを止めたように懶(けだる)くて、肉体が表面からだんだんぼかされ溶かされて、まわりの空気から土の中へと、沁(し)みとおってでもゆくかと思うような一刻である。しずかに、どこからか――それは地の果てからでも湧(わ)いてくるような――幽(かす)かな喧噪(けんそう)に似たものが次々に迫ってくる。そうしたものが一度、肉体のどこかに触れたと思うと、人々の心の糸に、にわかに異常な緊張が蘇(よみがえ)ってきた。それがどういう性質のものか説明もできない中に、アァ、どこかで猪を追(ぼ)っている、と口の端へはもう出てきたのである。」



◆感想◆


本書は芥川龍之介もほめているし梨木香歩さんもほめていたのでずっとよみたかったのですが学術文庫版が絶版状態だったので再刊を気長に待ちつつ失念していたものの、アマゾンで縄文関係の本を探していて本書が角川文庫で再刊されているのに気づいたので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。
これらの生きものたちが神さまと関係があると考えられているあいだは狩猟の対象とされつつもエコロジー的に保護されていましたが、文明開化以降、生きものはモノ=商品とみなされるようになり、乱獲され、この本が出るころ(大正十五年)には、すでにその姿をみかけることも稀になっていたようです。それがいまでは空家に狸が棲みつき、ちょっとそのへんを散歩すれば猪に体当たりされ鹿の角でつつかれカラスに阿呆よばわりされる世の中になりました。本書には山犬の恩返しの話が出てきますが、これは犬の恩返しならぬ猪鹿狸の仕返しというべきでしょう。復興すべきは狩猟技術よりもむしろ人間でない存在への畏敬の念であるかもしれません。




こちらもご参照ください:

柳田国男 『遠野物語』 (新潮文庫)
谷川健一 『神・人間・動物』 (講談社学術文庫)
多田智満子 『動物の宇宙誌』
ダニエル・ベルナール 『狼と人間 ― ヨーロッパ文化の深層』 高橋正男 訳










































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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