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J・K・ユイスマンス 『腐爛の華 ― スヒーダムの聖女リドヴィナ』 田辺貞之助 訳

「誰かが前のようにいつもなおりたいと思っているかと聞くと、「いいえ、あたしはただひとつのことしか願っていません。それはこの病気や苦しみがなくならないことです」と答えた。」
(J・K・ユイスマンス 『腐爛の華』 より)


J・K・ユイスマンス 
『腐爛の華
― スヒーダムの
聖女リドヴィナ』 
田辺貞之助 訳


薔薇十字社
1972年11月20日 初版発行
293p
A5判 角背紙装上製本 貼函
定価1,700円
装釘: 野中ユリ



本書は国書刊行会の「フランス世紀末文学叢書」版をもっていたのですがどこかへいってしまったのでアマゾンマケプレで野中ユリさん装幀の薔薇十字社版の最安値(送料込2,255円)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。定価より高い古本は基本的に買わないことにしているのですがこれは46年前の定価なので仕方ないのではないでしょうか。


ユイスマンス 腐爛の華 01


ユイスマンス 腐爛の華 02


ユイスマンス 腐爛の華 03


帯文:

「苛烈な醜悪のなかに神秘の極美を描く傑作!!
神との痙攣的な交感に没入し、身霊分離の清澄なドラマを生き、恍惚の奇蹟をなした腐爛の聖華リドヴィナの贖罪の生涯。悪魔主義から矯激な改宗を遂げた絶対の厭世者ユイスマンスの緊迫した玻璃の精神が漲る神秘小説。」



帯背:

「ユイスマンス
晩年の最高傑作」



帯裏:

「そのとたん、聖女の魂は極度の歓喜に押し潰されて液体と化した。しかし、神の子が両腕をのばしたと思うと、たちまち大人にかわった。そして、顔の色艶が消え、肉が落ち、頬には青白い溝がほられ、血走った眼に光が失せた。茨の冠が額のうえにそそけだち、その先から赤い血が真珠のように滴りおちた。足と手に釘の穴がうがたれ、熱っぽい傷口を青味がかった暈がとりまき、心臓のそばには、傷口の唇が生けるがごとく動いていた。ベツレヘムの馬小屋がいきなり磔刑の丘につづき、子供のイエスがいちどきに磔刑のキリストにかわった。
――本書94頁より――」



ユイスマンス 腐爛の華 05


目次

腐爛の華
 壹
 貮
 參
 肆
 伍
 陸
 漆
 捌
 玖
 拾
 拾壹
 拾貮
 拾參
 拾肆
 拾伍
 拾陸

凡例
訳註
あとがき




◆本書より◆


「壹」より:

「リドヴィナはどんな軍勢をも決起させず、どんな団体にも属さず、(中略)どんな僧院の援助も求めなかった。彼女はたったひとりで、ベッドのうえで、迷い児のようにひとりで戦った。しかし、彼女が耐えた攻撃の重味はまさに前代未聞の巨大さであった。彼女はただひとりで一軍に匹敵した。四方八方の敵に立ちむかわなければならない一軍に。」


「貮」より:

「リドヴィナはオランダのハーグのそばのスヒーダムで、一三八〇年の枝の主日に生れた。」
「十二歳のときにはすでにまじめな娘となり、友人や近所の女たちの遊びも好まず、散歩やダンスの楽しみにも加わらなかった。彼女は孤独のなかでしか心がくつろがなかった。」
「彼女をのぞむ青年たちは、財産といい家柄といい、いずれも彼女よりずっとすぐれたものであった。父親のペーテルはそういう望外の幸福をよろこび、心をきめるように娘をせきたてずにいられなかった。(中略)すると、彼女は叫んだ。
 「もしも無理にお嫁に行けとおっしゃるなら、神さまにお願いして、もらい手がみんな逃げだしてしまうような片輪にしていただきますわ」」



「參」より:

「十五歳の年まで、リドヴィナはかなり健康であったようだ。」
「そのころ、彼女はある病気にかかった。その病気は生命にかかわるほどではなかったが、非常に身体が弱り、薬屋のすすめる薬や当時の薬剤師もなおすことができなかった。驚くほど虚弱になり、全身の脱力感になやんだ。頬がこけ、肉も落ち、骨と皮ばかりになった。愛くるしい顔立ちもとがり、くぼみ、白と薔薇色の顔色が緑に、さらに灰色にかわった。彼女の念願はかなえられた。まるで骸骨のような醜さであった。」
「聖母マリアお潔めの祝日(二月二日)の祭りの数日まえ、知合の若い娘たちが見舞に来た。そのときは石も割れるほどに凍てつき、町をつらぬくスヒー川も、すべての運河とひとしく氷っていた。こういうきびしい寒さのときには、オランダ中がスケートに熱狂する。それで、若い娘たちはリドヴィナをスケートに誘った。リドヴィナはひとりでいたいと思って、身体の具合がわるいから一緒にいけないとことわった。それでも、娘たちは運動が足りないのがよくないのだ、外の空気にあたれば気分がよくなると、執拗にすすめたので、ついに彼女も友人たちの好意を無にするわけにいかなくなった。そこで、父親の許可を得て、家のうらにあった運河の堅い氷のうえへ降りていくことにし、椅子から起きあがって、スキー靴をはいて出かけた。しかし、勢いはげしくすべってきた仲間のひとりが彼女にぶつかった。彼女は身をかわす暇もなく氷塊のうえにたおれ、ぎざぎざした氷に胸をうちつけて、右胸の肋骨を一本折ってしまった。
 友人たちは泣きながら彼女を家に送りとどけ、彼女はベッドに横になったが、二度とふたたび起きることができなかった。」
「病気がますます進み、苦痛がどうにも我慢できなくなった。」
「洗者聖ヨハネの生誕の日の前日、苦痛は極限にたっした。(中略)引き裂くような痛みがさらに激しさをくわえ、彼女はベッドからとび出し、身体を二つに折って、そばに坐って涙を流していた父親の膝の上へおちた。そのために膿瘍は外へ破れずに内へ吹きだし、口が膿でいっぱいになった。彼女は頭から足の先まで顫わせながらその膿を吐いたが、膿は非常に多量で、鉢にあふれたのをバケツにあけるのが間にあわないほどであった。そして、ついに最後のしゃっくりとともに意識をうしない、両親は死んでしまったと思った。
 しかし、彼女はやがて意識をとりもどしたが、そうすると、想像もできないほど痛ましい生活がはじまった。両足で立つことができなくなり、しかもつねに場所をかえたいという欲求に駆られて、椅子や家具の角につかまって、膝でいざりあるき、腹ばいになって這った。身体が燃えそうに熱が高く、病的な嗜好にとりつかれて、行き当りしだい汚い水を飲み、ひどい悪心に襲われてそれを吐いた。こうして三年の歳月がすぎた。それまではときどき見舞に来ていた人々も彼女を見はなし、彼女の苦悩をいやました。苦しみ悶える様子や、呻き声や鳴き声や、泣きはらした顔のいまわしい表情が見舞客を追いはらってしまったのである。(中略)父親は根が善良だったので少しも態度がかわらなかったが、母親は看病に飽きて、癇をたかぶらせ、絶えず泣きわめくのを聞いて腹を立て、彼女を手荒くあつかった。」

「やがてリドヴィナは膝でいざることも、箱や椅子にしがみついて動くこともできず、ベッドのなかで寝たきりになったが、そういう状態が死ぬまでつづいたのであった。脇腹の傷が癒着せずに、いっそう悪化し、そこに壊疽ができた。そして腐爛した腹の皮のしたから蛆虫がわき、椀の底ほどの大きさの丸い三つの潰瘍のなかで繁殖した。そのふえ方は怖しいほどで、ブルフマンによると、まるで沸騰するようにうごめいたという。蛆虫は糸巻棒の先ほどの大きさで、身体は灰色で水気があり、頭が黒かった。
 呼ばれた医師たちは、この蛆虫の巣に、新しい小麦粉と蜂蜜と鶏の脂とで罨法をしろとすすめたが、どの医師もそれにクリームか白うなぎの脂をくわえ、そのすべてを炉にかけて乾燥させて粉にした牛肉でまぶすようにすすめた。
 この薬はつくるのに若干の注意を要したが――小麦粉が少しでも黴くさいと、虫は食べないからである――彼女の苦しみをいくぶんやわらげ、二十四時間に百ないし二百の虫を傷口からとることができた。」
「リドヴィナは、小麦粉と脂肪との罨法以外に、時として切ったばかりの林檎の薄片を傷の個所にはって、炎症をひやすことがあった。」
「しかし、そういう一時しのぎの療法がまったく効力を失うときがきた。病気が全身にひろがったのである。潰瘍は依然としてなおらず、寄生虫も、退治するどころか、かえって養殖する結果になったが、それだけでなく、腐敗した肩に腫瘍が現れ、さらにつづいて、中世で非常に怖れられた病気がはじまった。それは丹毒で、右腕をおかし、肉を骨まで焼きつくした。神経がねじれ、一本をのぞいて全部はじけてしまった。その一本は腕をおさえつけ、身体から腕を離すことができないようにした。それ以来、リドヴィナはその側へ寝返りをうつことができあず、頭をおこすにも左腕しか使えなくなったが、その頭もやがて腐ってきた。(中略)額は髪の生え際から鼻のまんなかまで裂けた。顎は下唇のしたではがれ、口が脹れあがった。右の眼が視力を失ない、左の眼はひどく敏感になって、わずかな光にも耐えられずに血を吹いた。しかもさらに激しい歯の痛みがはじまって、時によると何週間もつづき、ほとんど彼女を狂乱におとしいれた。最後に、喉頭炎で呼吸もできなくなったあとで、口や耳や鼻から血を流し、その夥しい分量で、ベッドがぐしょぐしょになるくらいであった。
 この痛ましい場面に立会った人々は、こんなに消耗しつくした身体からどうしてこんなに多量の血が出るのかと怪しんだ。」
「やがて、これらかずかずの病気のうえに、それまでは無難だった肺臓がやられはじめた。全身に紫色の皮下溢血がちらばり、それから赤銅色の膿疱と瘍ができた。少女時代から彼女を苦しめ、一時消え去った尿砂がまたはじまり、小ぶりな卵ほどの結石を排出した。次は肺臓と肝臓にカリエスが起り、それから下疳が鶴嘴のような穴をうがち、肉の奥深く進んで腐蝕させた。最後に、ペストがオランダを襲ったとき、彼女はまっさきにかかった。鼠蹊部と心臓部に腫瘍が二つできた。すると、彼女は「二つでもいいわ。けれども、わが主のお気に召すなら、聖なる三位一体を讃えて、三つにしていただきたいわ!」と言った。すると、三番目の腫瘍がすぐに頬にできてきた。」

「主は彼女に種々の責苦を課し、顔つきを変え、生来の明るい顔のかわりに脹れあがったひどい顔を与え、涙や血で溝のほれたライオンの鼻面のようにした。しかもまた骨と皮ばかりにし、呆れるばかりの痩身に水の満ちた腹の滑稽なドームをふくらませた。彼女の姿は外観だけしか見ないものには、醜悪極まりないものであった。しかし、神は彼女のうえに外見上のあらゆる不幸をつみかさねたとしても、繃帯の取換えを受持つ看護人たちが、傷口から必然的に発散するにちがいない腐敗臭のために、慈善の仕事を嫌って放棄することのないようにはからったのであった。
 神は不断の奇蹟を演じ、あらゆる傷口を芳香の香炉となした。膏薬をはがすと蛆虫がうようよしていたが、そこから馥郁と香りが漂いだした。膿汁もよい匂いがし、吐瀉物も快い香りを放った。彼女はおむつを当てられていたが、神はそういう病人を非常に恥かしがらせる哀しい要求を憐れみ、彼女の身体から東洋の香料に似た上品な匂いをつねに発散させた。その匂いは同時に力強くまたやわらかな芳香であった。それはあたかも聖書で語られ、またまったくオランダ的な、肉桂の香りに似たものであった。」



「伍」より:

「しかし、そのあいだにも、病気の群れは彼女を引き裂きつづけた。狂気のすさまじさで彼女に襲いかかった。彼女の腹は、まるで熟した果物のように、ついに割れてしまった。内蔵を押しもどして外へ流れだすのをふせぐために、毛布のクッションを当てておかなければならなかった。やがて、ベッドのシーツをかえるために動かすときには、手足をタオルやテーブル・クロスでしっかり縛らなければならなかった。そうしなければ、世話をする人々の手のなかで身体がばらばらに分解してしまう心配があったからである。」

「最後に、彼女はまったく何も飲まなくなり、眠りたい気持も次いで消えさった。」
「このような絶食と完全な不眠とは世人の残酷な侮辱と下劣な悪口をまねいた。若い娘が何も口にせず全然眠りもせずに、しかも死ぬ気配すらないという、不思議な病気のことが町中に知れわたり、その噂は遠くまで広まった。この不思議は多くの人々には真実とも思われなかった。(中略)彼らは好奇心にひかれ、ぞろぞろと彼女の家を訪れた。それで、彼女は絶え間なくしらべられ、質問を浴せられた。彼女を中傷する者は、ヨブの友人たちのように四人ではなく、一連隊であった! 大部分の者は額から鼻まで切り裂かれた頭や、柘榴のように割れた顔や、肉が溶けおちるので、ミイラのように細い繃帯でしっかりおさえておかなければならない身体しか見ず、そのようなすさまじい症状に嫌悪をおぼえるばかりであった。」
「他の人々はもっと無遠慮に彼女を罵り、「図にのるのはおやめ。わしらはその手には乗らないよ! お前さんは物を喰わずに生きている振りをしているが、人に隠れて何か喰っているのだろう。お前さんは嘘つきのペテン師さ」と叫んだ。
 リドヴィナはこういう悪口雑言に驚き、そんな嘘をついてなんの得になるのだと聞いた。そして、「食べるということは罪ではないし、食べないということは少しも光栄ではないのですから」と言った。」



ユイスマンス 腐爛の華 04



◆感想◆


署名入りでした。

著者はまずリドヴィナの生きた時代と社会の悪を詳細に記述し、そうした人間社会の罪を一身に背負わされたスケープゴートとしてのリドヴィナのねたきりの生涯を詳細に綴っています。著者によればそうしたスケープゴートはリドヴィナに限らずいつの時代にも連綿と跡絶えることなく存在し続けているので、本書の後の方ではそうした数々のねたきり病人修道女たちを列挙しています。
そこで問題になるのはリドヴィナの自己犠牲の根拠ですが、それは人間と世界に対する愛というよりはイエス・キリストただ一人に対する愛であって、責苦がひどくなればなるほどキリストに近づくゆえに、リドヴィナは健康よりも病気を選ぶわけです。
本書は小説(フィクション)ではなく聖者伝(ハギオグラフィ)ですが、世界文学でいうと『ヨブ記』~カフカの系譜に、フランス文学でいうと『ナナ』~『O嬢の物語』の系譜に、サブカルチャーでいうと諏訪縁起(甲賀三郎伝説)~日野日出志「蔵六の奇病」~山野一『どぶさらい劇場』の系譜に位置するのではないでしょうか。だからどうとかはないです。





こちらもご参照ください:

J.=K. ユイスマンス 『大伽藍』 出口裕弘 訳 (平凡社ライブラリー)
ティオフィル・ゴーチェ 『スピリット』 田辺貞之助 訳
フュステル・ド・クーランジュ 『古代都市』 田辺貞之助 訳 (新装復刊)







































































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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