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熊谷守一 『蒼蠅 増補改訂版』 

「紙でもキャンバスでも何も描かない白いままが一番美しい。」
(熊谷守一 『蒼蠅』 より)


熊谷守一 
『蒼蠅 
増補改訂版』 


求龍堂
2014年8月8日 発行
318p 
口絵(モノクロ)8p
図版(カラー)20p
21.7×15.5cm 
角背紙装上製本 カバー
定価2,900円+税
巻頭写真: 土門拳



口絵に土門拳「ある日の熊谷守一」(1948年11月3日撮影)8点、「もの語り年譜」中にモノクロ図版21点。

初版は1976年(黄色函入)、図版を入れかえた新装改訂版は2004年(白カバー)、本書はさらに年譜を入れかえた増補改訂版です。

本書は新装改訂版が出たときに買おうとおもってうっかり忘れていたので今回増補改訂版がヤフオクで1,200円(+送料450円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。字が大きくてたいへんよみやすかったです。


熊谷守一 蒼蝿 01

帯文:

「一九七六年から
読み継がれる
仙人熊谷守一の
精神が宿る
「言行録」

土門拳撮影
《ある日の熊谷守一》掲載

増補内容
 加筆訂正を施した
 熊谷榧「もの語り年譜」収録
 家族、日常写真20点掲載」



帯背:

「仙人の言行録」


帯裏:

「わたしってしみったれですから幾つになっても命は惜しいです。命が惜しくなかったら見事だけれど、残念だが惜しい。長く生きていたいです。どういうわけなんですかね。生きていたってたいしたことないでしょう。ここに坐ってこうしているだけなんだから。

紙でもキャンバスでも何も描かない白いままが一番美しい。日本画でも墨だけで描いたものの方がわたしはいいと思います。

(本文より)」



熊谷守一 蒼蝿 02


目次:

わたしのことなど
九十六の春
硯墨筆紙
美校まで
かまきり
友人

わたしたちの日々 (熊谷秀子)
熊谷守一 もの語り年譜 (熊谷榧)



熊谷守一 蒼蝿 03



◆本書より◆


「わたしのことなど」より:

「絵を描くことは、ごく小さいときから好きでした。」

「貧乏時代からの友達には、長谷川利行がいます。長谷川は酒が好きで、飲んではくだを巻き、酔いがさめては恥ずかしがっていました。」

「メリヤスのシャツも嫌いです。のどもとや手首、足首を締められるのがどうにもいやなので、着なくてはならないときは、その部分を切りとって着ています。」

「普段は朝八時に起きます。昼の一時頃から四時半頃までは昼寝をします。昼寝中は誰がきても起きないことにしています。」

「絵を描くより、ほかのことをしているほうがたのしいのです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです。
 石ころ一つそばにあれば、それをいじって何日でも過ごせます。」



「九十六の春」より:

「以前はよく庭に筵を敷いてそこに寝ました。地面の高さで見る庭はまた別の景色で、蟻たちの動きを見ているだけで夕方になったときもあります。」

「何年も前に、垣根の外の道で、工事用に積んであった石の中から、気に入って拾ってきた石が、何かで落としたときに欠けたのを接着剤でつけておいたのが、この間その接ぎめがはがれてしまいました。」
「今までにこれを見せて、誰一人いいですねといったことがない。鶉の卵をちょっと大きくしたぐらいの軽石みたいな、どうってことない石だからですかね。わたしにはそのどうってことのないのがいいんですから、アトリエに置いたり炬燵に持ち込んだりして眺めている。欠けたら欠けたで、欠けない前には見えなかった部分が見えてね。あっちから見たりこっちから見たりして、一日が終わります。」



「硯墨筆紙」より:

「絵には色がない方が上品です。もっといえば白いキャンバス、白いままの紙の方が何か描いたものよりはずっとさっぱりして綺麗です。それよりよくはできないです。そこが凡人のかなしさで、何か描いたり、塗ったりする。ばかばかしいことですね。」

「展覧会では売れないで残る「蒼蠅」という字は、よく書きます。わたしは蒼蠅は恰好がいいって思うんだけれど、普通の人はそうは思わんのでしょうね。」



「美校まで」より:

「小学校の頃は日がな一日、小川の深みで泳いでいるか、そうでないときはいたずらをしている。いたずらはかなりはげしかったんです。
 障子の張り替えに入っていた経師屋のあとに回って、立て掛けてあるのを片っ端からひっくり返してしまって、経師屋をかんかんに怒らせたことがあります。」
「勉強は面白くなかったから学校でも盛んにいたずらをしたし、授業中に窓の外を見ていたといってはよく立たされました。」
「家にあった刀で、枯れ竹を斬りそこなって足の指をやってしまったのはこの頃です。
 刀は親指をつけ根まで斬り、下駄の台で止まった。刀の血を拭いて鞘におさめ、自分では消毒のつもりでランプの灯油をかけ、手拭いでしばって一人で医者へ行きました。」
「剣道は中学になっても続け、町の道場に通いかした。突きが得意で、稽古のときなら先生もたじたじさせるほどでしたが、試合になると負ける。試合には何度も出されましたが、勝ったことは一度もありませんでした。
 これはわたしに勝とうという気がなかったからです。」

「父はわたしを商人にしようとしていたので、銀行の使いをさせたり、まだ子供のわたしに仕事上の愚痴をいったりしました。」
「父の仕事を通していろんなものが見えました。」
「生糸の仲買人は百姓をごまかして買い叩き、番頭は台秤をごまかして仲買人から安く買う。それが番頭の忠義心であり、手腕だったわけです。
 そうやって人の裏をかき、人を押しのけて、したり顔のやりとりを見ているうちに、商売のこつをのみ込んでいく代わりに、わたしはどうしたら争いのない生き方ができるだろうという考えにとりつかれていったのかも知れません。」



「かまきり」より:

「わたしって余程生活を変えるのがいやなんですね。」

「わたしは、わたし自身も、仕事もそんな面白いものではないと思います。
 わたしの展覧会をしたって、どうっていうことはない。
 やる人もやる人だし、見る人も見る人だと思います。」

「川には川に合った生きものが棲む。」
「いくら時代が進んだっていっても、結局、自分自身を失っては何にもなりません。
 自分にできないことを、世の中に合わせたってどうしようもない。川に落ちて流されるのと同じことで、何にもならない。」

「絵を描くより遊んでいるのが一番楽しいんです。石ころ一つ、紙くず一つでも見ていると、全くあきることがありません。
 火を燃やせば、一日燃やしていても面白い。でもときに変わったことがしてみたくなります。
 だいぶ昔、やっていたバイオリンがひきたくなって、一番安いのを見つけました。恥ずかしいのでまだ人前では駄目で、寝床でときどきひいています。」

「まえに写生に行ったとき、描く風景が見つからないので、仕方なく、畑のわきのひがん花を描いていました。
 横でお百姓さんが、黙って畑を耕していました。
 どこからきたのかわからないが、そのひがん花にかまきりが、大きな鎌を振りながら上ってきた。かまきりも入れてまとめると、そう嫌いじゃない絵ができました。
 するとお百姓さんがそばにきて、絵をのぞき、よくできたねとほめてくれました。」



「熊谷守一 もの語り年譜」(熊谷榧)より:

「一九一〇年(明治43) 三十歳
 五月、第十三回白馬会に「轢死」を出品する。この絵は、先に文展に出品しようとしたが、題材のために搬入を拒否されたもの。夜の踏切で本当に飛び込み自殺の女の人を目撃して、スケッチしたものから油絵を描いた。月夜の下に自分で作った彫刻の裸婦を置いて描いたり苦心して仕上げたという。」

「小学校何年の頃だったか、冬の灰色の空のある日、アトリエでストーブにくべる石炭を、バケツで運び入れていたモリに私はきいた。
 「生きているってどういうこと?」「そうだな。むずかしいが、このストーブの燃えている石炭だって生きているともいえる。」とモリがいっていたのを思い出す。」



熊谷守一 蒼蝿 04



◆感想◆


クマガイモリカズさんの世界観はまるで「デルスー・ウザーラ」ですが、最も近いタイプの人はエドワード・ゴーリーなのではないでしょうか。石ころや生きもの(特に猫)が好きだったり、ひきこもりだったりする点もそうですが、猫や人形はたいへん表情豊かに描くのに、人を描くと無表情だったり、死んだ子供だったりお葬式だったり轢死体だったりする点も似ています。


























































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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