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斎藤忠 『木内石亭』 (人物叢書 新装版)

「終日奇石中に遊ぶ」
(木内石亭)


斎藤忠 
『木内石亭』
 
人物叢書 新装版
日本歴史学会編集

吉川弘文館
昭和37年10月25日 第1版第1刷発行
平成元年8月1日 新装版第1刷発行
9p+265p 口絵(モノクロ)4p
四六判 並装 カバー
定価1,760円(本体1,700円)



本文と同じ用紙に口絵7点、本文中モノクロ図版38点。
本書は木内石亭のほぼ唯一の評伝本なのでよみたかったのですが、品切れゆえに古書価が定価より高くなっていたので購入を見合わせていたところ、アマゾンマケプレで定価より安く出品されていたので(1,300円+送料257円)、注文しておいたのが届いたのでよんでみました。


斎藤忠 木内石亭 01


カバー裏文:

「木内石亭の名は、一般にはほとんど知られていない。“石の長者”と呼ばれ奇石の蒐集家であったその生涯を、この一事に傾け尽した彼は、決して偏ったマニアではなく、厳密な研究態度は近代考古学に生きて伝えられたのである。本書は石亭の人柄と業績とを広く採訪された資料により、見事に構成された江戸中期一異才の伝である。」


目次:

はしがき
第一 石亭の一生
 一 おいたち
 二 茶道の修業
 三 若き日の家庭
 四 物産会における活躍
 五 弄石の旅
 六 『雲根志』前編・後編の刊行
 七 弄石の友
 八 老境に入って
 九 古稀の祝い
 一〇 その死
 一一 彼の性格
第二 石亭の業績
 一 蒐集
 二 著作
 三 学問上の見解とその業績
おわりに
木内家略系図
略年譜
主要参考文献



斎藤忠 木内石亭 02



◆本書より◆


「はしがき」より:

「寛政九年(一七九七)に刊行された『東海道名所図会(ずえ)』は、(中略)東海道地域の名高い山川や神社仏閣や旧跡などを紹介しているが、(中略)その巻二に、(中略)異彩ある一つの記事のあることに気付くであろう。すなわち、「石亭」と題する項目であって、山田の渡口(とこう)の村中に居る木内小繁(きのうちこはん)という村翁についてくわしく紹介しているのである。
  此人、生得(しょうとく)若年より和漢の名石を好んで、年歳諸国より聚(あつ)めこれを翫(もてあそ)ぶ事数十年に逮(およ)べり。
と説き、
  海内其名高く、四方好事(こうず)の輩(ともがら)、貴となく賤となくここに駕(が)を枉(まげ)て、数の石を見る事多し。予も巡行の序(ついで)に立寄て石を観(み)る人の員(かず)に入ぬ。
と述べ、
  山田石亭翁は古今の名石家にして、奇石怪石数品(すひん)を蔵(おさ)めて都(すべ)て二千余種あり。
といっている。
 名所図会の内容からいえば、ある個人のことを紹介しているのは珍しいところであるが、木内石亭と彼の居住する邸宅とは、当時一つの名所的な性格をもっていたものとも見られよう。いわば当時、木内石亭は「時の人」でもあったのである。」
「石亭を知ることは、日本の考古学史を明らかにする上にも重要なことである。しかも、おのれの趣味を徹底させ、ただ一すじにおのれの道を邁進した石亭の人間像を知ることは、人物史の上においても意義あるものであろう。」



「石亭の一生」より:

「恐らく、幾六は、幼年のころ、母にともなわれて、しばしば母の実家をも訪れ祖父の膝下にもいだかれたことであろう。木内家の当主重実に嗣子がない関係から、その孫にあたる幾六を養子として迎えることが正式にきまったのは、(中略)幼年期から少年期にかけたときと見てよい。」
「このようにして、幾六は木内家に迎えられた。そして、この土地で人々から尊敬され、経済的にもめぐまれた木内家で、不自由のない生活をつづけ、新しい人生が展開したのである。
 幾六は、幼いときから、早くも、珍奇な石を愛玩するという性癖をもっていた。後年に、石亭はみずから、(中略)「予十一歳にして初めて奇石を愛し云々(うんぬん)」と述懐している。」
「将来、石の長者として全国的に知られた芽生えは、すでに幾六の名をもった幼少のとき、この琵琶湖のほとりの閑村ではぐくまれたのであった。」
「十八歳のときの一つの挿話がある。これは、彼の収集した葡萄石についての入手の由来の物語で、『雲根志』前編(巻五)や同後編(巻三)に記しているものである。後編の記事をそのまま引用しよう。
  予、十八歳の正月十八日の夢に何処(いずこ)も知らず市中を過るに、小き古鉄店(だな)に此石を糸にて釣下(つりさげ)たり。近寄て手に取見れば、真の葡萄にして実は石なり。乃(すなわち)、賤価に求得たりと見て覚(めざめ)ぬ。翌日、同志の人々に語りて一笑とす。さて其翌年正月十八日、偶(たまたま)、大津高観音へ参詣するに、去年夢に見しごとき古鉄店に此石を釣下たり。賤価に買去る事すべて夢のごとし。豈(あに)奇遇にあらずといはざらんや。
 『雲根志』前編には、二十年前正月五日の夢となっており、その翌年の某月某日商人より葡萄石を求めたが、去年の夢に少しも違わず符合していると記しているだけであるが、同一事項をとりあつかったことは明らかである。」
「二十歳という年を迎えたとき、(中略)彼の一身に家庭的な変化があった。すなわち、幾六は、分家の身となったのである。」
「一体どんな事情のためであったろうか。(中略)表面的に考えられることは、木内家という、この土地の名門の家に迎えられた幾六にとっては、その性格上、相容れないものが多かったのではなかったかということである。すでに、石に愛着を覚え、同志の友をもち、夢にすら奇石の収集を忘却しなかった少年期から青年期への多感な石亭にとって、木内家の社会的な地位のもつ役割や経理面の経営などは、到底よくなし得ることではなかったろう。彼は、むしろ、その性格上、このような俗事にかかわらずに、彼の趣味を生かしたかったのであろう。木内家の周囲にとってもまた、すでに若くして石の魅力にとりつかれたような変人的な存在に、あるいは次第に好感がうすらいだこともあったのでなかろうか。(中略)しかし、(中略)もっと、大きい直接の原因もあったのでなかろうか。この際、石亭の若いころのかくれた一つの事件があったことを忘れてはならない。(中略)畑維龍(これたつ)の書いた随筆『四方(よも)の硯(すずり)』の中に記載されているものである。(中略)この中に、
  小繁(こはん)年少(わか)き時に、里正(りせい)のつかさして家富り。その頃、貪吏(どんり)罪あるに連及(れんきゅう)せられて、禁錮の身となる。三年の星月(せいげつ)をふるに、その同僚皆々やまひにかゝりて死す。小繁その妻と、つとに起、夜はいねるまで石玩(もてあそび)し、起居動止(ききょどうし)まめやかにして、三年の星月(せいげつ)ふる事を忘れて、石を手すさみ楽みければ、身にいさゝかのなやみなく、夫妻ともにすこやかなり。其後に罪ゆるされて、石を好事もとの如し。常に人に語りて曰、吾石を玩する癖なくば必ず病にかゝりて、身なくならましを、石の我を冥助(めいじょ)することいとあつしと、ものがたりぬと。
 小繁(こはん)とは、(中略)幾六を改称した通称である。(中略)これが二十歳前後とすると、禁錮という事件が、分家をいそがせた一つの直接の動機となったことも考えられよう。」
「むしろ、幾六にとっては、禁錮という事件も、あるいは分家という問題も、彼の性癖であった奇石の愛玩を一層助長させる上に、めぐまれた大きいチャンスでもあったのであり、二十歳前後のこれらの事柄によって、いよいよ彼の眼前には、新しい世界が展開されてきたのである。」

「元禄を過ぎてから次第に勃興した物産学は、石亭が三十歳の前後、すなわち宝暦のころには、実学として広く世間にみとめられ、多くの学者が輩出していた。」
「石亭は、二十八歳のころ、(中略)津島恒之進を師としたのである。当時、恒之進の弟子には、木村蒹葭堂(けんかどう)があった。」
「石亭が三十一歳のとき、(中略)津島恒之進が没したので、(中略)江戸の物産学者田村元雄の門に入った。(中略)その門人に平賀源内がおり、石亭は、源内とも交わりをむすぶことになった。」
「これらの人々は、物産学という実学を生かす意味で、しばしば物産会を開催したのである。」
「石亭は、大坂や京都の物産会には、異常な熱心さをもって出席し、この機会を利用して、同好の士とも交わった。そして、みずからも、その収集品を出陳した。」
「しかしながら、もともと物産会は、本草学あるいは物産学を背景として、植物や動物や鉱物を中心としたものであり、石亭のように、奇石を集め愛玩するというゆき方とは異なるものであった。そこに、石亭としてあきたらぬもののあったことはいうまでもない。石亭を中心とした奇石愛好の人々は、物産会から遊離して、別に奇石会をつくった。そして、やがて「弄石の社を結んで已(すで)に数百人」(中略)と石亭みずから述べたような弄石の人々の大きいグループの母胎となったのである。」

「彼は、広く各地に旅行した。」
「勿論、これらの旅行は、単なる物見遊山ではなかった。あるいは山野を跋渉(ばっしょう)し、奇岩を訪れ、奇洞に入り、あるいは各地の弄石の仲間をたずねて知識を交換し、あるいはみずから奇石を採集し、または譲りうけたり、彼にとっては、実地研修のよい機会であった。」
「彼が四十八歳のとき、水晶や雲母の採取の目的で、近江の国田上谷羽栗山に行ったが、道に迷って桐生村という山奥にはいってしまった。しかも、意外にも、その谷底で大きい白水晶を拾うことができた。」
「またわざわざ採取の目的で土地を訪れたのにかかわらず、求める石は手にいらなかったので、近くの民家にあるものをたのんで求め得たこともあった。」
「なお、彼の旅行中の一つの奇談が伝えられている。彼は、かつて、陸奥の国の金華山の金砂を手に入れようとして、はるばるこの地を訪れた。船に乗った際、あらかじめ舟子は、次のことを乗客に注意した。「金華山の神は、古くから金砂の他に移動することを許していないので、帰るときには、履物(はきもの)の底に粘(ね)りついている砂をさえ払いとるならわしにしている。そうでなければ、たちどころに風波がおこって、舟をくつがえすおそれがある」と。石亭は金華山につき、神社に詣で、金砂を若干懐中にして帰航についた。果たして、一天にわかにかきくもり、風浪が高くおこった。舟子は、乗客をしらべたところ、石亭が金砂をかくしていたことを知り、罵倒して船をもどし、石亭をして神殿に返還させた。石亭は舟子の隙を見て、再び金砂を懐中にし、社前に額(ぬか)ずき、自分が千里を遠しとせずしてきたのは、金砂少量を得たいばかりの目的であり、願わくはこれを許されることを祈った。再び帰航についたが、幸いにも、この航路は安穏であり、その目的を果たすことができたというのである。」
「これは、(中略)私は何にもとづいたかを知らない。(中略)とにかく、石亭の旅行にちなんだ一つの伝説として紹介しておきたい。」

「石亭は、早くすでに十一歳という年齢のときから石を愛し、そのながい生涯を通して石に執心した。「石よりほかに楽しみなし」とみずから語り、晩年には、人がたずねてきても、石よりほかに話することを禁じさせ、その人を二日も三日も逗留させて、石を見せ、石の話のみをなした。」



「石亭の業績」より:

「さて、『雲根志』の雲根の名には奇異を感ずる人もあろうが、雲根は、雲は山より生ずるというので山の高処を意味するとともに、雲は岩石の間より生ずるというので石をも意味し、石の別名である。したがって、その名の如く、全国における石に関する集成的なまとめである。」
「前編は、霊異類・采用類・変化類・奇怪類・愛玩類と区別している。霊異類には、民俗学的な資料が多い。采用類には、各国の名産鉱石をあつめており、鉱物学的に興味深い。変化類は木化石・貝化石等を記している。奇怪類の男鹿(おが)半島(秋田県)の連理石や神石窟とか、江州(滋賀県)浅井郡伊吹山の麓のチギリ石とか、その他鼠喰石や鸚鵡(おうむ)石などの例を記している(中略)。愛玩類は、碁盤(ごばん)石等愛玩に適する珍奇なものをあつめている。
 後編もまた光彩類・生動類・像形類・鐫刻(せんこく)類に分類している。光彩類では水晶・瑪瑙(めのう)・琥珀(こはく)等を収録し、生動類では、生きものの如く動く石という意味で、飛ぶ石などの例を掲げる。しかも前編と異なった新たな特色は、像形類で、霹靂碪(へきれきちん)(雷斧の類)や石人(せきじん)や車輪石・鍬形石等を加えている。また鐫刻類では、鏃石・曲玉・仏足石・天狗飯匕(てんぐのめしかい)・神代石・石弾子・神の鑓(やり)等に触れている。とにかく、考古学上の資料が含まれていることに、前編に比して、彼の一段の精進のあとが見られる。」
「石亭が、考古学の面で示した業績の中心は、今日でいう繩文式文化関係の石器や、古墳文化関係の石製品に関してであった。この種の石のものに、彼の研究の新面目(めんぼく)があり、独擅場があった。」
「彼は、(中略)地名表的な集成図的な基礎仕事をなすとともに、みずから進んで、石器・石製品を中心として、その用途や性格や時代をも考証し、学問の世界に突入した。彼の考証には、一つの勘のよさをもっていた。たとえば石鏃や石斧や勾玉等の年代観について、「人もなき時、今より七-八千年程も昔と思召(おぼしめ)せ」などと、二木長嘯に示している。(中略)また、石器等に関して、一見まちまちのように見えるものでも、形もそなわっており、それぞれの用法もあるもので、決して、めったやたらのいい加減のものでないということを、二木長嘯への手紙にしばしば説いている。しかも、
  只今の人の心にて、只今の遣ひ方、用法により考申候は、違可申(ちがいもうすべく)候。
といっているように、今日の人の気持や、今日の用例で考えることには間違いもあるものだとする意見も面白い。」
「晩年に、彼が、格別な関心をよせ、たくましい意欲を向けたものに、神代石があった。(中略)当時、全国にわたって弄石家の間に神代石が流行した。彼は、この風潮の中にあって、神代石の収集研究の中心的な存在をなしたのである。」
「神代石は『雲根志』三編の目次の中に「じんだいせき」と振り仮名をつけているので、そのよみ方がわかる。神代石の説明について、石亭は随所に、「上古の神石」とか「古今数なき奇石なり。古代神工の物にていかなる物とも知る人なし」とか、「古代の神物、何たるものとも知る人なし」とか、「異形の神石」とか、というような表現をしている。」
「すなわち、神代石といわているものは、自然のものではない。さればといって人間のつくったものでもない。神代といわれる悠遠な時代に神のつくった神物なのだという考えが、通念であったようである。」
「石亭自身の本意は、繩文式文化関係の石棒・石冠・独鈷石など、古墳文化関係の鍬形石・琴柱形石製品などのように、要するに当時その用途や命名に苦しむかなりつかみどころのない石器や石製品を、神代石と命名したようである。」



斎藤忠 木内石亭 03




こちらもご参照ください:

種村季弘 『不思議な石のはなし』
中沢厚 『石にやどるもの』
フィリップ・ボーサン 『石と信仰とのたわむれ ― ロマネスク芸術の魅力』 小佐井伸二 訳































































































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