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ビュトール 『時間割』 清水徹 訳 (中公文庫)

「――驚くべき大胆さを持った精神が、ここでは、伝統的な主題や細部を暴力的に変質させている、そうして作られた作品はたしかに不完全なもの、ほとんど不具とさえ言えそうなものかもしれぬ、だがそこに否定できぬ深い夢が、秘められた発芽力が、より自由な、よりすばらしい成功への悲壮な呼びかけが、ゆたかにあふれていると。」
(ビュトール 『時間割』 より)


ビュトール 
『時間割』 
清水徹 訳
 
中公文庫 C 14 

中央公論社
昭和50年7月25日 印刷
昭和50年8月10日 発行
492p
文庫判 並装 カバー
定価480円
表紙・扉: 白井晟一
本文挿画: グレゴリー・マズロフスキー
カバー: 北一明 作(御沢徹 撮影)



本書「解説」付記より:

「この訳書の挿画は、訳者が一九六四年、中央公論社版《世界の文学》のためにこの小説をはじめて翻訳したとき、画家グレゴリー・マズロフスキーによって新たに制作されたものである。(中略)挿画を彼に依頼したのはビュトールの推薦による。」
「この小説の〈時間の迷宮〉に踏みこんでゆくための道しるべとして、『時間割』七曜表をつくってカバーに挙げておいた。」
「中公文庫に収録に際して、《世界の文学》版の訳文にいくらか訂正を施した。」



Emploi du temps by Michel Butor ©Les Editions de Minuit 1956
挿画9点。巻頭に「ブレストン市街図」、「解説」中に図2点、表1点。


ビュトール 時間割 01


ビュトール 時間割 02


カバー裏文:

「濃霧と煤煙につつまれた都市ブレストンが、現代の象徴として設定される。その底知れぬ暗鬱のなかで暮した主人公ルヴェルの一年間の時間割を、この作品は再構成する――その間の記憶と回想を巨大な輪唱(カノン)にひびかせて。鬼才ビュトールが、人間の根源にひそむ暗黒への立向いを作品を書く行為に結実させて、現代文学の古典としての地歩を確立した名作」


目次:

第一部 はじめの頃
第二部 予兆
第三部 「事故」
第四部 姉妹
第五部 さようなら

解説 (清水徹)



ビュトール 時間割 03



◆本書より◆


「第一部」より:

「何度も行ったり来たり、ためらいがちにうろつきまわったあげく、街燈に突然火がともされてみたら――街燈は数も少なく、間隔もあきすぎていた、しゅうしゅうガスの音がして、夜霧が暈(かさ)のようにかかり、それがまるで虹色(にじいろ)の羽をした白い蠅の群れのように見えた――しらずしらずのうちに、自分が27番バスのあのブランディ・ブリッジ街の停留所に、ぼくがたずね歩きはじめた出発点に舞いもどっていることが明らかになった。
 そのときぼくは、罠(わな)の歯金が急に口を閉ざしたような気がして、そのがちゃりと閉じる音が聞こえたかのように思わず跳び上がった。」
「すでにこの都市のかずかずの詭計(きけい)がぼくの勇気をすり減らし、窒息させていた、すでにこの都市の病いがぼくを包みこんでいたのだ。
 あれ以後のぼくは、ただの一度も、あのようにまっすぐ前へ前へと歩いてこの都市から遁走(とんそう)しようと試みたことはない、自分の欲する風景に到着するよりもはるかまえに、解放の感覚や脱出の確信の得られるよりはるかまえに、自分の力がつきはててしまうだろう、この都市の支配をかろうじて免れたわずかの時間もたちまち過ぎ去ってしまうだろうということが、あまりにも確実だったので。すでにあの日からぼくは理解したのだ、ブレストンとは、城壁や街道の帯ではっきりと区切られ、田野を背景にくっきりと浮かび上がった都市ではなく、霧のなかのランプにも似た、いわば暈(かさ)の中心なのであり、暈の拡(ひろ)がりゆく外縁はほかの都市の外縁と結びついているのだということを。」

「(オセアニアの風景に浮かぶ水掻(か)き車のついた船と、だれか知らぬが王位を失った王様が、マントを身にまとい、頭に冠をかぶって、狼の目が一面に光る深い森のなかをのがれてゆく絵)。」



「第二部」より:

「「なぜ、あの巨大なステンド・グラス全体が、神に見放された一人の男のことだけにささげられているのでしょう?」
 紫色を帯びた彼の顔、着ている服よりもう少し暗い色になった彼の顔の上に、その問いをずっとまえから期待していたような微笑が浮かんだ。
 「これがルネッサンス期の作品だということを思い出さなければなりません。ステンド・グラス職人は、カインのうちに、すべての芸術と技術の父を見てあがめていたのです……」」

「かつてのステンド・グラス職人たちは、いろいろな主題を配置するにあたって、なんという両義性をふくませたことだろう、まるで、彼らが、公認の聖書読解に挿画をそえながら、じつは自分はそこにべつの意味を見いだしているのだと示すことをのぞんでいたかのように。」

「――驚くべき大胆さを持った精神が、ここでは、伝統的な主題や細部を暴力的に変質させている、そうして作られた作品はたしかに不完全なもの、ほとんど不具とさえ言えそうなものかもしれぬ、だがそこに否定できぬ深い夢が、秘められた発芽力が、より自由な、よりすばらしい成功への悲壮な呼びかけが、ゆたかにあふれていると。そう、「ゆがんだ影(ディストーティド・シャドー)」とJ=C・ハミルトンは語る、だが、彼が見るすべを知らなかったこと、それは、このゆがみがどんなに貴重なものか、ということなのだ。」



「第三部」より:

「こうしてぼくは巨大な亀の壁掛けのまえに立っていた。右側の、この第三室のもう一つの壁面上には、鎧(よろい)に身をかためた同じ若者に殺された別の巨人が見えた、近景には楡(にれ)や白樺(しらかば)など背は高いが春なのでまだ葉の少ない木々、鞭(むち)の革ひものようにはねる木々、死刑道具である木々が、まるで吹き流しのようにはげしく空中に放り投げた残虐な果実、ひき裂かれ、まだぴくぴくうごめいている人間(シニスは旅人をとらえては、二本の若い木の幹をたわめ曲げてそのあいだに旅人を結びつけ、そうしてから手を放してバネのように木をはね返らせて、旅人の身体をまふたつに引き裂いていたのだ。左下の隅に、目はまだ生きているが、引き裂かれたシニスの頭の半分がある)、遠景には、亀のいる壁掛けと同じ城壁で防備した丘(引用者注: 「城壁で防備した丘」にルビ「アクロポリス」)が、水平線上に少し小さく見える。
 ぼくの左側には、亀のいる壁掛けと同じく入口に向き合った壁面の上、雨のギリシア街に面した窓のそばに、――その窓があってもあまり明るく見えないのだが――鎧に身をかためた同じ若者によって殺された、ずっと獰猛(どうもう)な顔の巨人が見えた、近景には秋の柏(かしわ)の木々、まるで飛梁のような形に曲がった太い枝から垂れる恐ろしいぶどうの房、腕でぶらさがり、頭を横にがっくりと曲げた、腹のところでちぎれた胴体、その下にはえる奇怪な草は、脚(あし)を地面にめり込ませた人間の下半身で、腹のあたりの大きな裂け目が花と咲いている(ケルキュオンは旅人をつかまえては、太く短い木に結びつけ、それから手を放して木をばね(引用者注: 「ばね」に傍点)のようにはね返らせ、旅人の身体を腹のところで引き裂いていたのだった)、遠景には同じアクロポリスが、水平線上に少し大きく見える。
 ぼくはギリシア街の角にあたる第四室へと進んだ、いま通って来た入口の右側に、鎧に身をかためた同じ若者に殺された、さらに獰猛(どうもう)な顔の巨人を見た、近景は黒々とした密林と洞穴、巻き取り機と庖丁(ほうちょう)のついた奇怪な鉄のベッドがいくつもならび、足や頭蓋(ずがい)を切られた人間が横たわっている、そのベッドの一つの上で巨人は殺されているのだ(プロクルステスは旅人をつかまえては、ベッドの長さに合わせて、その身体を切ったり引き伸ばしたりしていた)、遠景には同じアクロポリスが、水平線上にさらに大きく見える。」
「ついに、左側の入口、第五室に通じる入口をとおして、第十一番の壁掛け、(中略)いわばぼくにとってはこれらの壁掛けのなかで主軸をなすものの上に、鎧に身をかためた同じ若者が、握りに飾りの多い剣をふるってミノタウロスを殺している、つまり彼はテセウスなのだということをたしかめた、とすればほかのいくつかの壁掛けの上にこの十八世紀の織匠が表現しようと企図したあの都市はアテナイなのだということが、ぼくにわかった。
 ぼくは、迷宮の入口の開く海岸に立った背の高いアリアドネに近づいた、銀の縫い取りのある青い服を着たアリアドネ(中略)、そのアリアドネは、美術館通りとローマン街との角にあたるつぎの部屋では、山の多い島(ナクソス)の海岸に眠り込んだまま打ち捨てられ、岩陰に、べつの船から、一人の若い神が豹(ひょう)に牽(ひ)かせた戦車に乗り、一隊の行列をしたがえて上陸してきたのに気もつかずに横たわっている。」

「多くの文章が一本の綱となってこの堆積のなかにとぐろ(引用者注: 「とぐろ」に傍点)を巻き、五月一日のあの瞬間へとぼくをまっすぐに結びつけている、五月一日のあの瞬間、ぼくはこの綱を綯(な)いはじめたのだ、この文章の綱はアリアドネの糸にあたる、なぜならぼくはいま迷宮のなかにいるのだから、迷宮のなかで道を見いだすためにぼくは書いているのだから。ぼくの書いたこれらの行のすべては、すでに確認した道程に、ブレストンにおけるぼくの日々という迷宮のなかにぼくが立てた標識である。この迷宮は、ぼくが歩きまわるにつれてぼくの日々の数が増し迷宮自体も大きくなるものである以上、ぼくが探検するにつれて迷宮自体がかたちを変えてゆくものである以上、あのクレタ島の宮殿とはくらべものにならぬほどひとを迷わせる。」



「第四部」より:

「そのときだ、ぼくが書くことによって彷徨(ほうこう)のなかから道を見いだし、みずからの病いを癒(いや)そうと決意したのは、この憎い都市のなかでぼくの身に起こったことがらに光を当てよう、この都市の呪(のろ)いに抵抗しよう、この都市が、雨、煉瓦、きたない子供たちやひとけない区劃、スリー川、駅々、かずかずのバラックや庭を用いてぼくのなかに注ぎこんだ半睡状態から目ざめようと決意したのは、ぼくが触れてきたあの惰眠をむさぼる連中と似た存在にはなるまい、ブレストンの垢(あか)にぼくの血までは、ぼくの骨までは、ぼくの目の水晶体までは汚されぬぞと決意したのは。ぼくは、白紙の上に文字をつらねたこの城壁をぼく自身のまわりに築き上げようと決意したのだ、ぼくがすでになんと恐ろしい襲撃を受け、なんと精神が鈍り、どれほど多量の泥が頭蓋に侵入するのを甘受しなければならなかったか、そしてそのあげくいまのような愚かな境遇に立ち至り、なんと多くの惑乱を体験していることかを感じたので。」


ビュトール 時間割 04




こちらもご参照ください:

『The Gnostic Bible (Revised Edition)』


































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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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