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ミシェル・レリス  『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』  谷昌親 訳

「一度もわたしに起こったことはないし、おそらくこれからもけっして起こることのないこと、それを少なくとも紙の上で生じさせて歓ぶというのは、許されないことだろうか。」
(ミシェル・レリス 『囁音』 より)


ミシェル・レリス 
『ゲームの規則 Ⅳ
囁音』 
谷昌親 訳


平凡社
2018年2月23日 初版第1刷発行
477p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,800円(税別)
装幀: 細野綾子



Michel Leiris "La Règle du jeu IV: Frêle bruit" (1976)
第三巻と第四巻はネットオフにあったので注文しておいたのが届いたのでよんでみました。各2,398円(+代引手数料324円-クーポン割引100円)でした。


レリス ゲームの規則 4


帯文:

「フレール・ブリュイ
詩か革命か、その結び目をもとめて、
些細な出来事の断片を集めるレリス。
落穂拾いの如き彼の耳に響くかそけき物音」



目次:

囁音

訳者あとがき




◆本書より◆


「もし、くるりと輪を描き、そこから出発した虚無に立ち返らなければならないとしたら、人生全体を要約すると零――尾を咬む蛇あるいは環状鉄道――になってしまうのではないか。ただ、円環の内側の白さを黒く塗りつぶす何か、空虚を充実に転換させ、底なしの湖を島にする何かを書き殴る、という問題が残る……。とはいえ、この零は、わたしたちが拠り所とできるものが何もないと示しているのに、いったい何を書き殴ればいいのか。」

「それは、わたしが知らないでいた意味を担って、わたしの人生の一段階などではなく、ある局面をそっくり丸ごと予告していたのではないか。
 まだ年端のゆかないころ、台本は『ヴィルヘルム・マイスター』〔ゲーテの小説〕の一挿話から(かなり間接的ではあるが)着想を得ているオペラ=コミックの『ミニョン』〔一八六六年に初演されたアンブロワーズ・トマの歌劇〕に出てくる「卵の踊り」の場面を、姉が語ってくれたのを聞いて同情してしまったのだが、そのむずかしい踊りが自分に課せられた場合にほぼ匹敵するほどの不安を、わたしは感じていたのだ。その踊りを見せればもらえるいくばくかの金を欲しがったロマ人の団長たちに強制され、かわいそうな少女は、卵があちこちに置かれた狭い空間で、卵をひとつも割らずに動きまわらねばならないはめになり、もし割ろうものなら、ひどい虐待を目にすると怒るような人がその場からひとりもいなくなったとたん、すぐに叩かれてしまうのだ!
 やろうとした芸当をしくじっても、わたしがいかなる体罰も受けることがないのは確かだし、わたし以外の誰もわたしを精神的に鞭打ったり、叩いたりはしない。だがそれでも、眠っているときでさえ、わたしは自分の内的な曲芸を最後までやり遂げられないのではないかという恐れに悩まされるのだ。」

「取るに足らない気がかり(書かねばならない手紙やかけなければいけない電話、やっておくべきちょっとした働きかけ、実行しないといけないわずかな移動)でできた針穴から、不安だらけの世界がわたしのなかに入り込んでくる――それが原因であらゆることが問い直される、といった具合にそのささいな行為がつきまとい、死活問題並みに重要視するはめに陥るかのようにして――のと同様に、それに劣らずごく微細な事柄がきっかけで、不安がそっくりなくなってしまうようにも思えたりするのだが、その微細な事柄というのは、なぜだかよくわからないがわたしの心を打つ場所の眺めとか、束の間の出会いとか、散歩をしている人はそこらあたりのあれやこれやを楽しんでしまうものだが、それと同じで現実的な影響力をあまり持たないような外界の出来事とかだ……。驚くべきは、不安の巨大さとそれを引き寄せたり押しやったりするもののくだらなさのあいだの不釣り合いで、あたかもこうした場合、量的な価値は機能せず、何であれ数量化されるようなものとは関係のないままで、悪い結果や良い結果をもたらす性質だけが問題となるといった具合だ。」

「すべてが無駄で、できたこともできなかったことも意味がなかったと考えてみても悲しみは和らがず、自分の人生で記憶に残る価値のあるようなことはたいしてないと彼は思っていた。至るところで失敗を重ねていて、作家として失敗したが、それは自分に向ける視線を超えた境地に至ることがほとんどできず、詩に到達したのはごく稀にすぎなかったからだし、さらに、絞首刑や狂気、さもなければ永遠に帰ってこられない旅立ちといった宿命を背負った人間の器でないと自分でわかっていたからで、反抗者としても失敗したが、それはブルジョワの快適さをけっして避けなかったからだし、さらに、革命家となる意志を漠然とながらもずっと持ちつづけてはいても、暴力も犠牲も嫌いで、闘士の資質はまったく持ち合わせていないと認めざるをえなかったからで、愛人としても失敗したが、それは彼の人生のなかで恋愛に関する部分はきわめて平凡で、恋の激情はすぐに衰えたからで、旅行家としても失敗で、というのも、母語である唯一の言語に事実上閉じこもり、たとえ自分の国にいても、生物にしろ無生物にしろ何かを前にしてくつろぐのは誰よりもおそらく苦手だったからだ。民族誌学者という職業から彼が引き出したのは、ほんのわずかなことだけで、スーダンの秘儀加入者の言語に関しての、そしてエチオピアの儀礼的憑依に関してのきわめて特異な研究、「黒人芸術」についての間接的な研究と、恭しい意図を抱いてのものではあっても、たいして力を持たない反人種主義的な方向にむけられたその他の研究、そして最後に(これこそが、最も記録しておくに値する自分の業績だと、ひどく陰鬱な気分に襲われたときに彼は考えていたものだが)、民族誌学を、西洋の科学のためではなく、第三世界の人びとに役立つものとするという意思を示した何本かの論文があり、その意思はいかにも素朴なもので、それというのも当事者たちはもっと別のことを心にかけていたからだ……。
 非常にうつろな虚空のなかにあっても、自分を総合的に評価した場合に、いずれにしてもひとつはよいおこないに分類できるものがあったとそれでも考えることが彼にはあったが、それは、子どもを作るというおこないの否定だった。骨の髄まで反抗者であったわけではないが、少なくとも協力はしなかったという点を自慢にして、当時は誇らしく感じることのできた行動回避。」

「その主な――それどころか唯一の――効用は、おそらくは、源泉を見つけたいという望み、そしてその源泉を今度ばかりは霞のなかや幕越しにではなく正面から見据える力をわたしに与えてくれたことだった、とそう言ってもよさそうな複雑さを、あんなにもたくさん経て、単純さに(可能なら、馬鹿みたいな簡単さといったものに)到達しようとすること。そうした自己への回帰を、(以下略)」





Egg-Dance (Oil painting by John Collier)
The New Art Gallery Walsall

ミシェル・レリス 『ゲームの規則 Ⅰ 抹消』 岡谷公二 訳
































































































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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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