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フランツ・イルジーグラー/アルノルト・ラゾッタ 『中世のアウトサイダー』 藤代幸一 訳 

「偏見はなくなるかもしれないが、それは長い時がかかり、しかも新たな偏見を生み出すのが普通である。」
(フランツ・イルジーグラー/アルノルト・ラゾッタ 『中世のアウトサイダー』 より)


フランツ・イルジーグラー
アルノルト・ラゾッタ 
『中世のアウトサイダー』 
藤代幸一 訳 


白水社
2005年1月5日 印刷
2005年1月25日 発行
348p+33p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,400円+税
装丁: 田淵裕一


「本書は1992年に『中世のアウトサイダーたち』という表題で小社より刊行された。」



本書「あとがき」より:

「本書は左記の全訳である。」
「Franz Irsigler/Arnold Lassotta
“Bettler und Gaukler
Dirnen und Henker”
 (原題『乞食と大道芸人、娼婦と刑吏』Greven Verlag Koln, 1984)」
「本書は十四世紀から三十年戦争(一六一八―四八年)前夜までの、(中略)社会の下層階級の実態を、もっぱらケルン市において鋭くえぐり出そうとする。」
「この本の特色の一つは、未刊のものも含め、年代記、市参事会記録、塔牢獄調書などの貴重な史料を駆使し、アウトサイダーがどのように差別され、蔑視されたかを明らかにする点にある。」



新装版。表題は変更されていますが、内容は元版と同じです。カバーは「蛇を見せて、テリアク売りがその毒消しの効き目を証明しているところ」。「テリアク」は万能薬。本文中図(モノクロ)68点。
本書はまだよんでいなかったのでアマゾンマケプレで1,000円(+送料250円)で出品されていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。


イルジーグラー 中世のアウトサイダー 01


帯文: 

「乞食、大道芸人、娼婦、死刑執行人など「都市の不名誉な人」として、偏見と差別の中で生活した社会の最下層階級の実態を、豊富な資料を駆使して描く。」


帯背:

「中世ドイツでの
下層階級の実態」



帯裏:

「普通の市民は公文書に名誉ある誰某と記載される。この「名誉ある」の枕詞の意味は大きく、かつ重い。同じ市壁内に住み、同じ市民生活を送りながらも、名誉なき人びともいたからである。……それでも彼らは底辺の人間として、市内に住むことは許されていた。もっと悲惨なのは、そのさらに外側に位置するジプシー、旅芸人、娼婦、死刑執行人らで、彼らは定住を拒否されるか、厳重な監視下におかれ、はなはだしい差別と蔑視の対象とされた。(あとがきより)」


目次:

まえがき

第一章 周辺集団とアウトサイダー

第二章 乞食とならず者、浮浪者とのらくら者
 一 物乞いは天下御免の生き方
 二 中世後期の社会的なネット
 三 恥を知る者、知らぬ者、地元の貧者、よそ者の乞食
 四 「王さま」対乞食
 五 猫と鼠
 六 さげすまれた小路
 七 物乞いの技術
 八 兄弟団の乞食
 九 望みなき若者たち
 十 終わりに絞首台ありき

第三章 ハンセン病患者
 一 市壁のはずれの病人たち
 二 ハンセン病の検査
 三 生ける死者
 四 物乞いは鈴とガラガラをもって

第四章 心と頭を病む人びと
 一 狂人のつまった箱
 二 限りある同情
 三 奇蹟を期待する

第五章 風呂屋と床屋、医者といかさま医者
 一 浴場という名の待ち合わせ場所
 二 快楽と不安のはざま
 三 有名な医者――惨めないかさま医者
 四 不名誉から夢の職業へ

第六章 大道芸人と楽土
 一 野次馬根性、生活の基本的な欲求
 二 熊使い、芸人、そして化け物
 三 笛吹き、太古叩き、リュート奏者
 四 役者の時代

第七章 魔法使い、占い女、狼男
 一 ケルンの井戸端会議
 二 火をもてあそぶ
 三 魔法の書
 四 狼男
 五 子兎の魔術
 六 恋の魔術
 七 水晶とふるいで――未来を占う
 八 「カシサ、ハシサ、メシサ・メダントル」――失せ物探しの魔術
 九 嵐と虫と火事の呪文
 十 薬草の煮出し汁と病気平癒のお呪い
 十一 女子予言者たちの貧苦

第八章 ジプシー
 一 果てしなきさすらい
 二 ケルンの異教徒
 三 異教徒ペーターの「カルメン」

第九章 娼婦
 一 より小さな悪
 二 「美女の館」から「卑しい家」へ
 三 ベアリヒから足を洗えない
 四 赤いヴェール着用のこと
 五 口外できぬ黙せる罪
 六 取り持ち女の商売
 七 俗物人間、ヘルマン・ワインスベルク
 八 娼婦の悲惨――悲惨な娼婦
 九 娼婦と死刑執行人
 十 稼ぎ場所のトポグラフィー
 十一 傭兵の娼婦
 十二 娼婦の類型
 十三 暮らしを支える売春代
 十四 その世界から抜け出す道
 十五 自力による出世、ユダヤ女ウルズラ

第十章 刑吏とその仲間
 一 畏怖から恐怖へ
 二 ケルンの刑吏の権力
 三 「死の見世物」
 四 すぱっと斬り落とす技
 五 拷問台から刑場へ、ケルンの拷問
 六 罰は語る。処刑の象徴的な意味
 七 刑吏の仲間、獄丁
 八 刑吏風情の人びと――皮剝ぎ人、犬殺し、糞さらい

第十一章 結論でなく、いかがわしい人びととまともな人びと

あとがき (藤代幸一 1992年3月)


資料及び参考文献目録



イルジーグラー 中世のアウトサイダー 02



◆本書より◆


第一章より:

「今日なお庶子は不利な扱いを受け、世間は特定の職業や仕事についている人、日常的でない変わった暮らしをする人びとを、ひどく避けたがる。差別は偏見を正当化することにあり、合理、不合理を問わずその根っ子の中にひそんでいる。」

「彼らは一般に承認された職業集団特有の規範や価値基準に反する振る舞いのため、実にひどい社会的差別を受けた。だから彼らは一般の社会とは完全に隔たった、少なくともやや孤立した生き方を余儀なくされた。そのため彼らの生活と社会的な見通しははっきり、かつ永きにわたって侵害されたのである。その振る舞いが社会の期待に反するからといって、彼らにさらに偏見を抱き、贖いの山羊の役割を押しつけるのは楽だった。」
「自分とは違った反社会的と見られるグループや個人を拒否し、今も昔も大衆の「われわれという連帯感」が強まるにつれ、偏見は構造的に確立した。この偏見はペストの流行、飢饉、戦争のような大災害によって、しばしば増幅されるものなのである。拒否の姿勢をたえずもち続けるのは、どの社会的発展段階にもみられる特徴であるが、差別は脅迫となり、脅迫は社会的排斥へと進む。とりわけ偏見が宗教や人種にからむときは、ついに周辺集団の国外追放ということになる。」



第二章より:

「中世初期、盛期、同胞の援助に頼らざるをえなかった貧者でも、社会の外はおろか、周辺に置かれることすらなかった。むしろ社会に組みこまれた一員だった。彼は金持ちにキリスト教的な慈善の機会を与え、それと引き換えに金持ちは乞食の祈りによって、神の祝福を授かったのである。このように貧者も富者もともにキリスト教社会に組みこまれていた。」

「乞食とは貧者をひっくるめた階級ではなく、乞食にもさまざまあった。(中略)物乞いを生活の糧としたのは、ハンセン病患者、独自の物乞い特権をもった学生、それにベギン会士と乞食僧、聖地巡礼者、不具者と病人、――「路上に横たわる痘瘡やこぶのある貧者、歩行障害者に盲人」――、捨て子、首になった傭兵、トルコ軍の囚われの身から逃れて来た兵隊、戦争・飢餓・自然災害の犠牲者、働けない人、働く気のない人、失業者だった。」

「文字文献として現われた三冊の神学・哲学書にすべて共通するのは、乞食を本物と「にせ」者の二つのカテゴリーに分けることである。にせ乞食が物乞いするのは、個人的な借金や例の怠け癖と見る。」
「当人を貧困化させ、その結果自助措置として物乞いさせる、経済的、社会的メカニズムも考えられようが、それについては触れていない。そもそも最低生活のできる稼ぎと、(中略)仕事場所がたっぷりあったのかどうか、それも不問に付されたままである。偏見が結局現在まで生き残ったと同じように、批判的な考察を加えている上述の文献から、とりわけ今あげたような人びとに対する偏見の成立過程が明らかになる。」



第四章より:

「中世人は精神障害者に対して、とりわけ重症の場合、恐れ、無分別、好奇心、残酷さの入り混じった態度をとった。彼らは世間の笑い物の対象であり、恐怖心を起こし、自分の家族や仲間にかかわると恥のたねとなった。ヘルマン・ワインスベルクの報告によれば、ケルンのカルメル会修道院のオルガン奏者が、一五八八年「ひどい苦痛のうちに」死んだ。彼は「根っからの狂人」で、修道院から抜け出して「騒ぎ」、「ポルマーブッシュ」の辺りを裸で駆け回った。ついにわが身に手を当て、のどを切断しようとした。(中略)問題の修道院の院長や同僚は、ただでさえ聖職者の評判が芳しくないのに、この仲間のために世の噂話の肴になったことを恥じた。
 ヘルマン・ワインスベルクは精神病者に対し、偏見のない人間味ある態度を取った数少ない一人だった。平目(ブット)小路の聖ヤーコプ修道院の齢八十になろうかというモーン・エルゼに、「魔女」の評判がたち「気がふれて」死んだ際、彼はこう書いている。彼女になんだかんだと敵意を示し、修道院から追い出そうとする動きから、自分と弟は折にふれ、守ってやった。見ての通り、彼女は「気が触れて」いるが、それはどんな善人の身の上にふりかかるかもしれない。もし自分の妻が、母が、娘が、姉妹が、また逆に自分の夫が、父が、息子が、兄弟が、友人が、気がふれ、分別をなくしたときは、誰でもその面倒を見てやらねばならない。だから女性も修道女も、他人を耐え忍び我慢しなくてはならない。」



第七章より:

「小兎の魔術」
「ゲルトルートはちょうど六歳である。アーヘン生まれの彼女の母は二年半ほど前――今は一五九一年だが――この子を連れて、ケルンに越して来た。当地では聖クニベルト教会に近いホーヴェン通りの裏に住んでいる。ゲルトルートは「藁ぶきの家」に住む隣家の女中イエンネと馬が合った。時には彼女のもとに泊まり、一、二日まるきり帰宅しないこともあったが、母親はそれをひどく案じた。今となってはもう本当のところは分からないが、イエンネや隣家のおかみは「術」の心得があって、それをこの子にも教え込んだ。術とは「前掛け」で小兎を作るのである。それにはほうきの小枝がいる。(中略)「前掛け」の下の両端をとって、それに巻きつける。三度腕を打って、そのたびに「悪魔よ、かけ合わせろ」、「マリアのみ名によりて」と唱えれば、もう「術」は終わり。たちまち兎が飛び出したり、戻ったりして、子供と遊ぶ。」
「少女が術に通じているとの評判はたちまち広まる。母親はそのため近所の女から「ほうき屋の、魔法使い」とののしられ、(中略)誰一人現場を見た者もないのに、噂はいつまでも続く。ゲルトルート自身は取り調べに当たって、並みいる「お歴々」に対しても平気なもので、術は金曜日にはもちろん駄目です、ほかの日なら皆さんの目の前で喜んで小兎を作ってさし上げます、と言っている。」
「実験は八月二十四日朝――土曜日だった――行なわれたが、子供は泣き出し母親のもとに行こうとする。期限を延ばしてもうまくゆかない。塔牢獄書記は簡単に書きつけている。「それはいつまでもそのままで、何一つ生まれなかった」」



第八章より:

「「ブルドーザーの下で大勢のジプシーの望みは絶たれた」。こんな大見出しで一九八三年八月某有名日刊紙は、ある実験の挫折を解説した。実験とは一群のロマ族を近代的な都市社会に吸収しようとするもので、一九七九年に前途洋々と始まった。この試みが失敗に終わったのも、またしても吸収が同化と取り違えられたからであり、それはジプシーがみずからのアイデンティティーを捨ててしか実現できないからであった。ロマ族は高価な代償を払うことができず、その気もなかった。それ以後、警察と行政当局は他の住民と異なった振る舞い、ことに民族的なそれをもはや認めようとはしなかった。(差し当たっての)最後通牒が、ブルドーザーとパワーシャベルであった。ジプシーの仮宿泊所として斡旋した家と家財を、何度かもめごとが起こったあげく、公安当局が取り壊させた都市の名(ダルムシュタット)は重要ではない。というのも、この話の背後にひそむ問題は至るところで見られるからである。」


第十一章より:

「果てしなき呪い――(中略)――ジプシー、浮浪者、サーカス団員は依然として差別されている。(中略)アウトサイダーに対する変わらぬ差別、浮き草稼業の人びとに対する社会的侮蔑、(中略)われわれより自由で束縛されぬ、あるいはそう見える羨ましい魅力的な生き方と、(中略)われわれと違った行動をする人びとに対する侮蔑と中傷のはざまで揺れ動くのである――恐らく舞台やテレビ画面や競技場のレースのエンターテイナーは除外されるだろう。
 中世末期から重大な事柄は変わったろうか。やはり少しは変わっている。追放された職業は今日ではたいてい名誉ある手仕事となり、(中略)大学卒ですらその職につく。(中略)多くの国々で刑吏はお払い箱になった。死刑がなお存在する土地でも、彼の「副業」はまったく伏せられているので、社会的に差別されることもない。動物死体処理場の労働者、墓掘り人夫、牢番、廷丁、羊飼い、馬の屠殺者などと、誰も握手を拒むことなく挨拶するだろう――これらのタブーはなくなった。」
「ハンセン病患者も、やがてもう問題がなくなると思われるし、梅毒患者は永久に治癒可能だし、エイズの病原体もやがてけりがつくだろう。われわれの社会での「生ける屍たち」のことを考えると、中世ヨーロッパで建てられた数千ものあのハンセン病療養所のような、効果的な対策はあるだろうか。中毒患者、麻薬・薬物依存者の数はうなぎ登りであり、彼らを急激に差別し犯罪に走らせることは、わずかでしかも圧倒的に私立が多い救護施設にも影響を与えている。ジプシーはほとんど盗みで食っているとの抜きがたい偏見は、一体いつになったらなくなるだろうか。彼らのさすらいの生き方、閉鎖的だがきわめて機能的な規範体系は、いつになったら社会的に認知されるのだろうか。」
「フェルナン・ブローデルの説くような、非常に長い持続的な構造と取り組む社会史家は、ペシミスティックな見通しを立てざるをえない。とりわけ、ある社会体系が存在するそもそもの前提として、偏見という全社会的な機能を見ようとする時はそうである。偏見はなくなるかもしれないが、それは長い時がかかり、しかも新たな偏見を生み出すのが普通である。新たな偏見が生まれて変わるのは、「まともな人びと」の社会の周辺にいる、「いかがわしい人々」の社会の構成だけである。にもかかわらず、われわれは本書の読者が、ケルンの周辺集団とアウトサイダーにも思いを致し、一般とは違った振る舞いに対しても、歴史的に根拠のあるよりよき理解力を呼び起こせると期待する。」





こちらもご参照ください:

フランツ・シュミット 『ある首斬り役人の日記』 藤代幸一 訳 (白水Uブックス)
阿部謹也 『刑吏の社会史 ― 中世ヨーロッパの庶民生活』 (中公新書)
Isabel Fonseca 『Bury Me Standing: The Gypsies and Their Journey』
横井清 『的と胞衣 ― 中世人の生と死』
























































































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Author:ひとでなしの猫
ねたきり読書日記。

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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