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ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳

「最後は、もうほとんど何もしゃべらなくなり、見たところ絶えず幻覚に従事しているかのようであった。その沈黙の理由を一度、自分はテレパシーによって全世界と交信しているのであって、何も話す必要はないのだと、はっきりと説明している。」
(ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか』 より)


ハンス・プリンツホルン 
『精神病者はなにを創造したのか
― アウトサイダー・アート/
アール・ブリュットの原点』 
林晶/ティル・ファンゴア 訳


ミネルヴァ書房
2014年9月30日 初版第1刷発行
xiii 462p 索引10p 著者紹介1p
口絵(カラー)16p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価8,000円+税
カバー図版: フランツ・ポール「死の天使」



本書「訳者解説」より:

「本書は、Hans Prinzhorn, *Bildnerei der Geisteskranken. : Ein Beitrag zur Psychologie und Psychopathologie der Gestaltung,* Verlag von Julius Springer. Berlin, 1922. の全訳である。翻訳のタイトルは『精神病者はなにを創造したのか――アールブリュット/アウトサイダーアートの原点』となっているが、直訳は『精神病患者の創造』である。さらに『造形の心理学かつ精神病理学への一貢献』というサブタイトルがついている。」


口絵カラー図版16点、本文中モノクロ図版187点。
「パラレル・ヴィジョン」展図録では本書のタイトルは『精神病者の芸術性』と訳されています。
本書はヤフオクで5,010円(+送料700円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 01


帯文:

「〈交差する芸術〉の起源
シュルレアリストのバイブルとして、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンストを魅了し、日本では、芥川龍之介、古賀春江の作品に影響を与えた。アール・ブリュット、アウトサイダー・アートにおける古典の全訳。」



帯裏:

「レンブラントのきわめて卓越した絵画においても、麻痺患者のきわめて貧弱な殴り書きにおいてもまた、その核となる事象は本質的に同じである。すなわち、それは心的な表現だという事実である。あらゆる価値付けから開放されて、だれかある者がどのようにしてこうした極端な価値の矛盾に無条件に身を委ねられるかを理解するためには、おそらく造形された物へ立ち入る美学的かつ文化的入り口を完全に理解しておかねばならないだろう。
(「はしがき」より)」



そで文:

「本書は、一九二二年にドイツの精神科医で美術史家のハンス・プリンツホルンが一五〇余枚に及ぶ図版とともに精神病患者の創作物を紹介した記念碑的著作である。その後、シュルレアリストをはじめ、ヨーロッパの芸術界と文化行政に多大なインパクトを与えた。また、大正末期の日本にも伝播され、芥川龍之介、古賀春江などが自身の作品に取り込んだ。アール・ブリュット、アウトサイダー・アートの原点の全訳。」


目次:

はしがき

A 序章
B 理論の部 造形的創作の心理学上の基礎
 Ⅰ 造形の形而上学的な意味
 Ⅱ 表現の欲求と造形傾向の図式論
 Ⅲ 遊戯本能(活動への衝動)
 Ⅳ 装飾本能(環境の豊饒化)
 Ⅴ 秩序への傾向(リズムと規則)
 Ⅵ 模写への傾向(模倣衝動)
 Ⅶ 象徴への欲求(含意性)
 Ⅷ 直観像と造形
C 作品群
 Ⅰ 精神医学上の前書き
 Ⅱ 対象を欠いた無秩序な殴り書き
 Ⅲ 秩序への傾向の著しい遊戯的素描(オーナメントとデコレーション)
 Ⅳ 模写への傾向の著しい遊戯的素描
 Ⅴ 生々しい幻想性
 Ⅵ 高められた意味――象徴的表現
 Ⅶ 精神分裂症の造形美術家、十人の経歴
  1 カール・ブレンデル(カール・ゲンツェル)
  2 アウグスト・クロッツ(アウグスト・クレット)
  3 ペーター・モーク(ペーター・マイヤー)
  4 アウグスト・ネーター(アウグスト・ナッテラー)
  5 ヨハン・クニュップファー(ヨーハン・クニュプファー)
  6 ヴィクトル・オルト(クレーメンス・ヴォン・エルツェン)
  7 ヘルマン・バイル(ヘルマン・ベーレ)
  8 ハインリッヒ・ヴェルツ(ヒアチント・フライヘル・ヴォン・ヴィーザー)
  9 ヨーゼフ・ゼル(ヨーゼフ・シュネッラー)
  10 フランツ・ポール(フランツ・カール・ビューラー)
D 結論と問題点
 Ⅰ 造形作品に関する個々の考察のまとめ
  1 殴り書きと最も単純な素描の特徴
  2 より複雑な造形作品の造形の特徴
  3 表現欲求の心的基盤
 Ⅱ 比較の領域
 Ⅲ 精神分裂症的造形の特徴
 Ⅳ 精神分裂症的造形と芸術
 Ⅴ 精神分裂症的世界感情と我々の時代
 Ⅵ 要約


訳者解説 (林晶、ティル・ファンゴア)
人名・事項・作品索引



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 02



◆本書より◆


「序章」より:

「ここで、わたしたちの資料の種類と由来について簡単に述べておきたい。第一に、資料のほとんどが施設の住人の、すなわち、その精神病が疑いの余地のない人間の作品である。第二に、これらは、誰かある他の者のいかなる要求もなしに、患者自身の欲求から生じた自発的な作品である。第三に、これら患者の大多数が、スケッチ、絵画、等々の素人であり、学校時代以外は美術のいかなる教育も受けたことがない。従って、コレクションの内容を主として形成しているのは、美術教育を受けていない精神病患者が、自発的に作り出した造形作品である。」

「患者たちの造形作品は、造形の試みであり、この点では心理学的に『芸術』と共通している。(中略)さらに昔から、これらの造形作品と子供や原始民族のそれとの驚嘆すべき類似性が強調されてきた。(中略)最後に繰り返し強調されてきたことは、患者の作品が、他の比較領域のどの作品よりも現代芸術とより親密な関係にあるという事実である。」



「C 作品群」より:

「精神分裂病の自閉的症状の特別なところは、外部からは何も影響されず、いかなる現実感覚も受け入れないという点である。(中略)とりわけ強調されてしかるべきことは、自閉症は、単純な心的機能(知覚、記憶、論理的な関連づけ)の障害なしでも発生するばかりではなく、まさしくこの機能正常こそが自閉症にとって本質を成しているのである。ただ機能正常と言っても、この概念は、外的に左右されなくなった独断的自我の恣意的な法則のもとで、『機構』としてのその機能のなかで妨害されない心的事象の関連づけと使用に関連しているにすぎない。そしてそのためには、とりわけ、『現実』と『非現実』との従来の区別は破棄され、そしてこの自我の管轄下に置かれる必要がある。この自我は、いかなる体験をも、それが感覚的印章、着想、記憶像、夢、幻覚、あるいは連想であれ、その一切を意のままに支配している。――この自我は誰にも責任を負わない専制君主であり、この自我がそうと望めば、あらゆるものが現実に存在していると見なされる同等の権利を有することになる。(中略)こうして精神分裂症患者は、ただ独りで、自分自身の内部に沈潜して、衝動的な思いつきから勝手気ままに自らの世界を構築するのである。――これが精神分裂症患者の自閉症である。」


プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 03


「C 作品群」より:

「スイス西部の田舎出身の労働者M氏(中略)の作品である。」
「図版51の『山羊の前でお辞儀をする牧童』(中略)の最も奇抜なところは、山羊の足のモティーフが、絵の全体に無条件に使用されている点である。このモティーフは、牧童の両足や、木と灌木の根として再現されているばかりではなく、牧童の両腕さえも代用し、彼の膝の飾りにもなっている。ここでは、一個のフォルムのモティーフが、自然に即した生来の関連性を度外視して、これ以上ないといったやり方で自由に使われている。これは、音楽的、ライトモチーフ的方法と言ってよい。ただ残念ながら、ここでのそれは現実との結びつきをまだ払拭しておらず、オーナメント-デコレーション的結びつきも見出していない。」
「図版52の『死んだ少女』で、M氏は素朴でぎこちない描き方で感動的な魂の表現に成功している。消え入りそうな慎ましい小さな体、砕けそうな輪郭と、斜めに平行したアーモンド形の大きな目を持つ大きな頭、それに左側の豊かなブドウの木と、右側の幻想的な果実をつけた灰かぶり姫のキンチャクソウ――こうしたすべてが奇妙に混じり合って、この絵は、何かしら理屈ぬきに感動的な印象を与えている。」



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 05


「C 作品群」より:

「事例26 図版57 『大気現象』 幻覚(鉛筆)」

「図版57の絵について彼のカルテはこう報告している。『同封の「幻想的スケッチ」は、彼が「空気のスケッチ」とも呼んでいるなかの一枚である。これらはそもそも「空想の産物」ではなく、すでに数世紀前の人々の絵に描かれ、「空気の流れ」によって彼に受け継がれたものだそうだ。彼によれば、彼は時々これらを空気のなかに見出し、そあれからそれを描くと、彼はもはやそれを見ることはなく、それから空気の新たな展開が始まるのだそうだ。(中略)それは空気の流れによって吹き消され、別な人たちの手に渡り、その人たちがふたたびそれを描くのである。彼はあれこれ考えたりはせず、空気が彼に生じさせるものを描くのみである。つまり空気がその絵を生じさせるのである。彼の他の絵でも事情は似たようなもので、沼地がそのような絵を生じさせている。時には、この「空気の絵」に、彼は自分の先祖を認めることができるそうだ』。」



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 04


「C 作品群」より:

「事例27 図版58 『水の精』 幻覚(鉛筆)」

「彼は教養のない日雇い労働者であり浮浪者でもあった。彼に得体の知れない姿が最初現れたとき、それが夢であったのか、目覚めていたときの体験だったのか、彼にはいまだに定かではない。『ベッドに腰を下ろしていたとき、水の中からそんな――何て言えばいいのか? ――そんな動物ばかりが出て来たのだ。そのなかにおれのお袋もいた。そいつらは、半分は人間、半分は動物だった。おれははっきりと見たのだ。おそらく妖術が関係していたのだろう。お袋はおれを一緒に水の中に引きずり込もうとしていた。こうしておれもくたばってしまうのかと、今にしてみれば思う。――静かに横になっていると、そいつは今でもときどき姿を現すのだ。――空気のなかにおれはそいつを見るし、薄暗がりであれば、なおさらのことさ』。」



プリンツホルン 精神病者はなにを創造したのか 06


「C 作品群」より:

「事例18 図版123 『奇跡の羊飼い』 (鉛筆)」

「『最初に、メガネヘビが、綠と青に色を変えながら空中に立っていた。そしてそこに足が現れた(蛇に寄り添って)。それから別の足がそれに加わった。その足はカブ(Rübe)から作られていた(私の質問に答えて)。山の精のリューベツァール(Rübezahl)のメルヘンだ。後悔を償え(Reue bezahll)ということだ! ――この二番目の足に、Wの私の舅の顔が姿を見せた。世界の不思議だ。額に皺を寄せていた。――そして皺の一つひとつがそれぞれの季節となった。それから一本の樹木となった。木の樹皮が先の方で剝ぎ取られており、その裂け目が顔の口を形作っていた。髪の毛が木の枝を成していた。それから脛と足の間に、女性の生殖器の一部が現れ、これが男の足を折り取っている。(中略)――もう一方の足は、天に逆らって突っ張っている、これは地獄へ落ちることを意味している(中略)。それから一人のユダヤ人が、羊飼いが、やって来て、彼は羊の毛皮を羽織っていた。その表面には毛織物(Wolle)が付いており、それはWだけで成り立っていた。すなわち、それは多くの痛み(Weh)がやってくるということだ。――このWは狼たち(Wölfe)に姿を変えられた。肉を食らう狼たちだ。そしてこの狼たちは羊に姿を変えられた。羊の衣を着た狼たちであった。それから羊たちは羊飼いの回りを走り回った。この羊飼いとは私のことだ――善良な羊飼い――神だ!』」



「C 作品群」より:

「ハインリッヒ・ヴェルツ」

「彼の妄想はこうした魔術的連関で充満していた。例えば、彼は一日中目を閉じていなければならなかった。もし彼が目を開ければ、彼は兄弟姉妹たちからその力強さを奪ってしまうからだ。あるいは彼は、庭の樹木に家族の名前や社会学的概念の名前をつけていた。そして、このさまざまに規定された樹木にいろいろな方向から目を向けることで、彼は思いがけない関連性を発見し、それをすぐに現実性を持った認識として使用していた。あるいは彼は、何時間も窓辺に立ち、手にはスプーンを握って、『私の意志で、私は星の位置を変えるのだ』と言いながら、空をじっと見上げていた。」

「最後は、もうほとんど何もしゃべらなくなり、見たところ絶えず幻覚に従事しているかのようであった。その沈黙の理由を一度、自分はテレパシーによって全世界と交信しているのであって、何も話す必要はないのだと、はっきりと説明している。」

「ヴェルツの晩年は、まったく口もきかず彼は自分自身の殻に引きこもってしまった。それに応じて、絵も描かなくなった。わたしたちの往診に興奮して、一度、久々に口を開いたことがあった。そして彼は、話すことを放棄した同じ理由で、描くことも放棄したのだとそっと教えてくれた。その理由は、もはや彼にそれが必要でないからであった。これからは、紙の上に石墨の粉を無造作にふりかけ、目でその上を軽くなぞりながら、その粉を線や形に仕上げていくという話であった。」

「ヨーゼフ・ゼル」

「『病的な状態のとき幻影を正当に評価した人だけが、健康状態でもまた、幻影を期待することができるでしょう。――しかし、幻影の獲得、奇跡の働き、そして隠されたものの真相を徹底して究明するこの世で最高の学問に携わっていながら、ただ現世の仕事のためだけに働いている人には、これはいつまでも立ち入りが不可能な門のままであり続けることでしょう。――私はただ、超自然的な存在は、何ものにも邪魔されず接近可能であるということを言いたいのです。しかもそれは、抽象的な現象としてではなく、抽象的なものからざわめきのうちに生きた具体的な天使に姿を変えて現れるのです。(中略)私の宗教の礎石は、ざわめきのうちに姿を現した天使の到来だったのです。
 同様のことが医師の先生たちが病的だと見なしたいわゆる幻聴についても言えるでしょう。なにしろ動物の言葉を理解したり、摩擦が原因で引き起こされたあらゆる音からその言葉を聞き取ったりすることほど興味深いものはないのですから。例えば、木の葉の葉擦れの音、泉や小川のせせらぎの音、風や嵐の吹きすさぶ音、夕立のときの雷鳴、砂利や床を踏みしめるときの音、教会の鐘の音、そして楽器が奏でる旋律。ならびに自らの肉体の筋肉が動くとき、そこから発せられる言葉を聞き取ることも素晴らしいことです。つまり、私にとって死んだ肉体というものは存在しません。あらゆる肉体は、そして石さえも、原子の構成物として言葉を語っているのです。そう、石はかつての生命の原子が構成され、一つにまとまった存在なのですから。従って、異教徒が石を崇拝してきたことは決して笑うべきことではありません。神にとっては最高に評価すべきことなのです。なぜなら、石はたいていの人間に対しては沈黙を守っていますが、神自身からは有機的な物体と見なされており、他のあらゆる物体よりもはるかに長い生涯を証明できる存在であるからです。』」

「『来世からは私は認められ、現世では私は軽蔑されているのです。』」



「D 結論と問題点」より:

「『精神分裂症的』世界感情に心を惹かれるこの傾向は、前の世代から横行していた合理主義からの救済を、二十年前に子供と未開人の表現形式や世界感情に求め始めた傾向と主として同じものである。この合理主義で窒息しそうに感じたのは、何も弱者だけではなかったのである。」




こちらもご参照ください:

『パラレル・ヴィジョン ― 20世紀美術とアウトサイダー・アート』
徳田良仁 『創造と狂気』 (講談社現代新書)
坂崎乙郎 『イメージの変革』 (新潮選書)
















































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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